珈琲10杯目 (12)好事魔多し、「夜明けのカラス」

「私はね、代々魔導士って家柄の出じゃないの」

 ルノートル殿は、持参された焼き菓子を口に運ばれつつ、屈託のない笑顔をクメルタイン殿に向けられました。

「それどころか、魔法とは全然縁の無い生活だった。小さい頃は、地元の警務隊長だった祖父に憧れていたから、将来魔導士になるなんて考えたこともなかったわね」


 その後の馬車の旅は、ほぼわたくしの目論見どおりの展開となりました。

優秀なルノートル殿は、言葉巧みに会話の主導権を掌握して話題を誘導、ご自身の日常生活や生い立ちについて語り続け、クメルタイン殿が「医学研修会」に関する問いを発することを、見事に封じておられます。


「転機になったのは、幼年学校最後の年に、子猫を拾ったこと。その子が家の中で暴れ回っちゃって、倒れた家具につまずいた母が転んじゃったんだけど、打ち所が悪くて、すぐに帝国軍の軍病院に担ぎ込まれたわ」

 ルノートル殿は、聴き入るクメルタイン殿に焼き菓子を勧めつつ、視線を馬車の外に向けられました。

「幸い、命に別状は無かったけど、しばらく入院が必要だって言われてね。で、私がお見舞いに行ったとき、担当の先生――エフランデール魔導学校出身のお医者さんだって後で聞いたわ――が、私を見てこう言ったの。『君からは魔力を感じる。魔導士になってみないか?』ってね。この一言が、私の人生を変えたわ」


「じゃ、もしその子猫を拾ってなかったら、ルノートル先輩は今ここになかったかもしれないってこと?」

 これまで焼き菓子を堪能されることに専念されておられたクラウ様が、向かいに座るルノートル殿に尋ねられました。窓の外を眺めておられた先輩殿は、そうね、とクラウ様に微笑み返されました。

「人の人生って、本当に何があるか分からないよね」

 それから視線を隣に転じられて、「じゃ、今度はクメルタインさんのお話、聞かせてくれる?」


 かくして、才媛・ルノートル殿の話術により、わたくしの計画は予想を超える順調さで進みました。

 帝都競馬場までの約一時間弱の道中は、終始和やかな雰囲気に包まれ、「医学研修会」についてクメルタイン殿が何らかの疑義を抱かれることはございませんでした。

 何より、うっかり競馬について語り始めるおそれが大きいクラウ様のお口を、ルノートル殿が持参された各種焼き菓子で封殺したことが大きかったかと思料いたします――ルノートル殿が無類の菓子好きなのは、先日の「メナハン・カフタット」での会合の際、クラウ様が注文された円形焼菓子ムルコロンを、勝手にかつごく自然にご自身の口に運ばれていたことからも明白でございましたので、わたくしがお菓子の持参をお願いしていた次第でございます。



 我々の馬車が帝都競馬場――失礼、「医学研修会の会場」――に到着しましたのは、「夜明けのカラス」で指定されているレース・プリミウム賞の発走時刻の一時間前、午後二時半を少し回った時分でございました。

 出発時に生活指導の先生に見つかるという事故はあったものの、競馬場までの道中は全く問題は無く、「夜明けのカラス」は次の段階である「競馬場への入場」に進みました。いよいよここからが本番でございます。


「まだ時間はあるから、少し休みましょうか。その時、馬け……診断投票の投票の仕方を教えるわね」

 ルノートル殿が、大きく背伸びしながらクメルタイン殿に声を掛けられました。「標的」であるクメルタイン殿は、周囲をきょろきょろと見回しながら、「は、はい」と緊張気味に答えられます。


 あまり大きなレース開催日でないとは申せ、やはり帝都競馬場で公休日を過ごそうとされる方はかなりいらっしゃるようで、周囲はさまざまな方が行き来されておられます。

 明らかに次のレースの結果に残りの人生を賭けている瘦せこけた老人。前のレースで賭けた馬が僅差で敗れたが、人生こんなものさと自嘲気味に嗤う貴族風の青年。赤子連れの幸せそうな商人一家に、バカ丸出しの帝都大学の学生。

 あらかじめクメルタイン殿には、研修会の会場は競馬場の隣なので、周りに人がたくさんいても気にしないようクラウ様からお伝えいただいておりますが、それでもやはりこの人込みには圧倒されておられるようでございます。


 その時わたくしの視界の端に、みなさまと同年代と思しき少女たちが三人、じっとこちらを見つめているのが映りました。

「あの黒髪の子が、『裁定者』のピクトワ・サーヴィル四年次生だよ」

 クラウ様が、わたくしにささやきかけられました。「僕たちの馬車の後を追って来てたんだ。他の二人は、『夜明けのカラス』開催委員会の子たちだね。賭けの状況を委員会に伝える、伝令役だ」

 なるほど、とわたくしは顔を動かさずに彼女たちを観察いたしました。いずれの学生殿も大人びた顔立ちで、制服をお召しでなければ学生には見えない方々ばかりでございます。


「彼女たちに監視されるのは問題ございません。それより、クメルタイン殿を上手く誘導いたしましょう」

 わたくしはクラウ様を促し、前を歩くクメルタイン殿とルノートル殿に追いつきました。そして、正門前の薔薇庭園で休みましょうと提案しようとした、まさにその時でございます。

「おや? そこにいるのはファルと……クラウお嬢さんかな?」


 好事魔多しとはまさにこのこと。背後からの聞き覚えのある声に振り返りますと、そこには本日もっとも出会いたくなかった方――帝都警務隊第七隊隊長、リリセット・ゼルベーラ殿が立っておられました。

「やっぱりそうか。おい、学生がこんなところにいていいのかな?」

 ゼルベーラ隊長は、警務隊隊員として当然の問いを投げかけつつ、こちらに近づいてこられました。

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