珈琲10杯目 (14)「大儀」とのたまう名外科医
「皆様、あらためてご紹介いたします」
帝都競馬場の正門左手にございます薔薇庭園の一角。クラウ様とルノートル殿が、クメルタイン殿に「診断投票」の方法――つまり馬券の買い方――を教えておられるところに、わたくしがお声がけいたしました。
「帝国屈指の外科医、リリセット・ゼルベーラ先生でございます」
わたくしが一歩下がるのと入れ違いに、帝都警務隊第七隊隊長であるリリセット・ゼルベーラ隊長が前に進まれました。
「こんにちは、諸君。今日は医学研修会に招待されていると聞いた。公休日も医学の勉強に励むとは、まっこと大儀」
……事前の打ち合わせでは、外科医に成りすましていただきますよう隊長にお願いしたつもりでございましたが、どうやら隊長の脳内におかれましては、外科医という職業は軍団司令官か皇帝と同列の存在のようでございます。わたくしは軽く咳払いをいたしました。
「ゼルベーラ先生も、今回の診断投票に非公式に参加されるご予定とのことでございます。もしよろしければ、みなさまも先生とご一緒に投票なさっては?」
その言葉に、わたくしの視線を捉えたクラウ様――皆様の中でただ一人、ゼルベーラ「先生」をニヤついたお顔で眺めておられた――が、素早く反応されました。
「それがいい! ゼルベーラ先生なら、『診断投票』にも慣れてるからね!」
わたくしの新たな策、それは学生の皆様以外の方(つまりゼルベーラ隊長)が、実際に「診断投票」に参加していただくことでございます。
これまでのところ、クメルタイン殿は「夜明けのカラス」について何も感づいておられぬようで、本当に「医学研修会」に参加するためにこの場所――帝都競馬場――へ来られたと信じておられるようでございます。しかしながら、いつ事の真相に気付くやも知れず、特に診断投票(すなわち馬券購入)の際は、その危険が最大となる瞬間でございます。
そこでわたくしは、多少なりともこの壮大な
そのクメルタイン殿は、ゼルベーラ先生を憧憬のまなざしで見つめておられます。元々クメルタイン家は薬草学のお家柄、おそらくは「切ったら治る」の外科という分野には、あまり縁が無いのでございましょう。
「あ、あの、ゼルベーラ先生」
おそらく初対面の方にご自分から話し掛けることなど皆無であろうクメルタイン殿が、勇気を総動員してゼルベーラ隊長を呼び止められました。すぐお隣でクラウ様がブフォと咳き込まれましたが、呼吸器科の医師ではないわたくしでも、その
「何かな? クメルタインさん」
笑いをこらえておられるクラウ様に一瞬だけ鋭い眼光を向けられたゼルベーラ隊長は、尊大さを装いつつもにこやかに丸眼鏡の少女へ向き直られました。クメルタイン殿は、必死にゼルベーラ先生と目を合わせてつつ、質問を発されます。
「は、はい。あのっ、先生は、あの症例は、何のご病気だと思われましたか?」
この質問は想定の範囲内でございますので、先ほどわたくしは隊長に「模範解答」をお伝えしておきました。しかし、学生を「大儀」と慰労されるような外科医が模範解答どおりの答えをされるかどうかは、さすがにこのファルナミアンにも予想がつかぬところでございます。
その皇帝気取りの外科医殿は、軽く小首をひねって、ふむ、とつぶやかれました。それだけの仕草で「いい質問だ」と伝えるあたり、さすがはゼルベーラ隊長でございます。
「私の専門は外科なのでね。間違っているかもしれないが――」
重々しい口調で、ゼルベーラ先生は答えを告げられました。「私は風邪ではなく、流行性感冒と診た。ゆえに処方すべきは、四番のパングズレスキ号が本命だ」
「……えっと、四番は、イフェドラスですが……?」
「パングズレスキは投票の際の学名でございますよ」
すさかずわたくしが援護に回りました。「申し上げるのが遅れましたが、投票の際の薬草類の学名は、当研修会独自のものとなっております」
「ああ、そうだったな」
ゼルベーラ隊長は、いきなり馬名を口にされたご自身の失態を、鷹揚に笑い飛ばされました。「まあ、どちらでもいい。イフェドラスには鎮痛効果の他にも、発汗を助けてくれる作用があるからな。早めに飲んでさっさと寝る、これに限る……もっとも、病気に一番効くのは上等の葡萄し」
「さて、そろそろ投票に行きましょうか」
隊長の言葉を笑顔で遮り、わたくしは皆様を競馬場入口にご案内しようといたしました。が、遺憾ながらクメルタイン殿はなおもニセ外科医のお話を聞かれたがっておられるようでございます。
「あ、もう少しだけ……ゼルベーラ先生、私は、熱が無いのと、息切れの症状から、十四番のタウリスではないかと考えたのですが……」
なるほど。クメルタイン殿は、風邪よりも息切れに注目されたのでございますね。確かに牛の胆石であるタウリスは、息切れや気付けに有用でございます。
しかし、我らがゼルベーラ先生の「診断」は異なるようでございました。
「十四番? ほう、二番人気のシオレンセ号か。前走は四着だったが、今回は
わたくしは、このニセ外科医がクメルタイン殿へ競馬の講義を始める前に、皆様に呼びかけました。
「さ、続きは中で。早めに診断投票を済ませておきましょう」
そして、クメルタイン殿をニセ外科医から引き離すよう、クラウ様に目でお願いいたしました。笑いをこらえすぎて顔色が赤く変じておられるクラウ様は、うなずいてクメルタイン殿の手を取り、そろそろ投票所に行こうと呼びかけられました。
クメルタイン殿は、なおもゼルベーラ先生の意見を聞かれたがっておられるようでございましたが、結果的にこれが幸いいたしました。悠然と後ろを歩くゼルベーラ隊長を気にして歩かれるクメルタイン殿は、「帝都競馬場 正面入口」の掲示に気付くことなく、クラウ様とルノートル殿に導かれるまま、帝都競馬場の建物に足を踏み入れられたのでございます。
かくして「夜明けのカラス」は、見事「競馬場への入場」まで達成いたしました。
次はいよいよ、馬券の購入でございます。
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