珈琲10杯目 (6)馬と馬券師しかいない動物園

「過去に『夜明けのカラス』で『完勝』した例は、一度しかありません」

 二日後、わたくしとリュライア様は、行きつけの珈琲館「メナハン・カフタット」の屋外席で、今回の「挑戦者」たるベイリス・ルノートル殿と向かい合って珈琲を喫しておりました。ルノートル殿のお隣には、クラウ様もおかけになっておられます。


 過去の「夜明けのカラス」において「完勝」した事例はあるのか、というリュライア様の問いに答えられたルノートル殿は、しっかりした口調で続けられました。

「その挑戦者は、『帝都に巡回動物園が来るから一緒に見に行こう』と標的を誘ったそうです」

「なるほど。巡回には違いないな」

 リュライア様は、「メナハン・カフタット」名物の、濃い目に淹れたアムリコリンジャの香りを楽しまれながら、くすりと笑顔を浮かべられました。

「馬しかおらん動物園だが」


「動物園と偽る手は、競馬に誘い出すための常套手段です。しかし――」

 ルノートル殿も、笑顔で応えられます。「この挑戦者の凄かったところは、わざわざ『巡回動物園』のチラシを作って学院内で配布して、昼ご飯をおごる代価を払って協力させた学友たちに言い含め、標的の前でそのチラシについて噂話をしてもらう、という入念な細工を施したという点です」


「それはまた念の入ったことだ」

 リュライア様は半ば呆れつつも、いつになく楽しげにルノートル殿のご説明を聞かれておいでです。春の陽気や専門店の香り高い珈琲も上機嫌の原因かと思われますが、何よりルノートル殿の快活さが気に入られたのかもしれません。


 そのルノートル殿は、「メナハン・カフタット」謹製の砂糖菓子を口に運ばれつつ、過去の事例の続きを語られました。

「レース当日、首尾よく標的を誘い出した挑戦者は、帝都競馬場まで馬車を雇って標的と共に移動しましたが、道中は窓をカーテンで覆って、競馬目当ての一般客を標的の視線から隠すことまでしたそうです。その甲斐あって、競馬場に連れ込むことには成功しました」

「連れ込むこと?」リュライア様が、カップをかちりと皿に置かれました。

「競馬場に入った後に問題があったと?」


「はい。さすがにここまで来ると、標的もここが動物園は動物園でも馬と馬券師しかいない動物園だと気づいてしまい、もう帰ると恐慌をきたしてしまったそうです。しかし挑戦者が、舌も千切ちぎれんばかりに説き伏せて、どうにか馬券の購入とそのレースの観戦まで達成しました」

「帝都優駿の観戦の約束は?」

 ルノートル殿は、ご自分の砂糖菓子を食べ終えてから、リュライア様の問いに答えられました。

「それも達成しました。が、どうもそれは競馬の魅力に目覚めたためではなく、挑戦者の必死の努力に同情して仕方なく、ということだったようです」

 説明を終えたルノートル殿は、給仕が運んできた林檎の円形菓子タルーテを嬉しそうに頬張られました。


 一方リュライア様は、むう、と嘆息されます。

「やはり過去の事例を参考にするのは難しいか」

「でもさ、やっぱり問題は馬券を買うことだよね」

 これまで珈琲と焼き菓子を味わうことに専念されておられたクラウ様が、いつの間にか焼き菓子を食べ尽くされたため、会話に参加されました。

「他の事例でも、競馬場に入るところまでは結構成功してたよ。『野外劇場ができたから観に行かない?』とか『珍しい魔法生物の公開展示があるんだって!』とか言って、標的を誘い出すことには成功してるんだ。でも、半分以上は競馬場の入口で気づかれて失敗してるし、どうにか場内に入っても、標的が自分で馬券を買うっていう無理難題で挫折しちゃってる」


「馬券購入に成功した事例は?」

 わたくしが控えめにお尋ねいたしますと、あっという間に円形菓子タルーテを平らげられたルノートル殿が口を開かれました。

「一番参考になりそうなのは、野外劇を観に行こうと誘い出した例ですね。競馬場を巨大な野外劇場と信じ込ませた挑戦者は、観劇の券を買うように標的に指示して、馬券売り場に並ばせたそうです……馬名を座席の愛称だと偽って、見事馬券を買わせることには成功したそうです」


「少しばかり間抜けだな、その標的は」

 リュライア様が呆れ気味につぶやかれました。ルノートル殿は、まったく、と苦笑を漏らされます。

「確かに。ですが、標的は無類の観劇好きでした。挑戦者はその趣味を調べて、この世間知らずのお嬢様ならだませると判断して、大胆な嘘をついたようです」


「なるほど、お見事ですね」わたくしは、通りがかった給仕を目で呼び止めてから、ルノートル殿にお尋ねしました。

「その事例、レース観戦の方はいかがでしたか?」

「残念な結果でした」ルノートル殿はかぶりを振られてから、やって来た給仕に香草エニセ風味の焼き菓子を注文されました。クラウ様も、当然のように円形焼菓子ムルコロンの盛り合わせを頼まれておられます。

「標的の子も、観戦席に着いた時点では気付かなかったそうですが、さすがに本馬場入場が始まるに至って、ようやくだまされたことに気付いたそうです。無論、怒り狂って競馬場を飛び出してレース観戦は失敗。『勝利』どまりでした」


「うーん、やっぱり『標的をだまして連れ出す』って手口を使う以上、レース観戦は無理なのかなあ」

 クラウ様が腕を組まれて考え込まれましたが、そうだ、と思い出したようにお顔を上げられました。

「ねえファル。こないだ実行委員会に確認するように言われてた『標的は馬券と認識せずに買っても有効か』って質問だけどさ」

「いかがでございましたか?」

 わたくしがお尋ねいたしますと、クラウ様は得意げに胸を張られます。


「委員会も、過去の事例に従って『有効』って言ってくれたよ。ほら、さっきの観劇の前例があったじゃん? 標的が馬券を何か別な券と思ってても、標的自身が買えば問題ないってさ」

「それはようございました。どうやら、わたくしのささやかな策もになりそうでございます」


 わたくしが微笑を浮かべて珈琲を口に運びますと、クラウ様は卓の上に身を乗り出されました。

「ねえ、そろそろ聞かせてよ! ファルの作戦ってのをさ!」

「かりこまりました。それではまず、こちらをご覧くださいませ」

 わたくしは懐中から、一葉の封筒を取り出しました。

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