珈琲10杯目 (5)次女・カミュエランナ(通称エランナ)

「もちろん、何でも聞いてよ!」

 クラウ様が目を輝かせて、珈琲のお代わりを注ごうとするわたくしに熱い視線を向けられます。わたくしは熱い珈琲をカップに注ぎ終えてから、ゆっくりと問いを放ちました。

「クメルタイン殿は勉強一筋とうかがいましたが、具体的にはどのような感じなのでしょうか?」


「どのような、って……?」

 困惑されるクラウ様に、わたくしは頭を下げてお詫びをいたしました。

「これは、わたくしの言葉が足りませんでした。クメルタイン殿は、何のためにそこまで勉学に精励されておられるのでしょうか?」

 わたくしは珈琲のポットをリュライア様の机に置かせていただいてから、語を継ぎました。「試験で良い成績を取ることが目標なのでしょうか? それとも、クメルタイン家の家名再興を目指されておられるのでしょうか? あるいは、純粋にご本人の学術的興味のためございましょうか?」


 あらためての質問に、クラウ様は少しだけ首を傾げて考えられましたが、すぐにお顔を上げられました。

「それだったら、たぶん最後のが近いと思うな。彼女、本当に医学とか薬学の事が好きみたい。あれは、試験対策でやる勉強って感じじゃないよ」

「ではクメルタイン殿は、将来は医学関係の道に進まれるのでしょうか?」

「そうみたい。将来は帝国医学大学校に進学したいって、確か一年次生の時に言ってたと思う」

 なるほどとわたくしはうなずいて、リュライア様に顔を向けました。

「リュライア様。もしよろしければ……」

 わたくしの言葉は、しかし、クラウ様の叫びによって遮られてしまいました。

「そっか! エランナ叔母様に頼むって手があるよね!」


「ファルから頼まれていたら、私も姉上に一筆書こうかとも考えるが――」

 リュライア様はじろりとクラウ様をにらまれました。「お前から言われると、小指一本動かす気になれなくなるのは何故なのだろうな?」

「えー、知らないよそんなの」

 クラウ様は脚をバタつかせて抗議されました。


 リュライア様は、スノート家四姉妹の末娘すえむすめであらせられます。姉妹の一番上は、クラウ様の御母君であるマーファリス様。そして二番目の次女にあたるのが、カミュエランナ・スノート様――通称エランナ様――でございます。

 並外れた努力家であるエランナ様は、苦学の末、女性として初めて帝国医学大学校合格者となられた方でございまして、医学の道を志す女子学生の憧れとなっておられます。大学卒業後は、数年の間帝国各地の公設病院を回って臨床と研究に打ち込まれ、現在は帝国医学大学校准教授の地位に就いておられます。


「エランナ姉様は忙しいのだ。阿呆の姪の頼みなぞ聞くものか」

 リュライア様はばっさり斬り捨ててから、珈琲を口に運ばれました。

「大陸中を飛び回っておられるマーファ姉様とは違い、エランナ姉様はほぼずっと帝都におられる。だが、大学の講義に学会への出席、研究活動に大学病院での診察と、お体がいくつあっても足りない方なのだぞ? そもそもお前は、何をエランナ姉様に頼む気だったのだ?」


「そりゃもう、クメルタインさんを競馬に誘ってくださいって……」

「だからお前は馬鹿だと言うのだ!」

 珈琲を飲まれてから、リュライア様は音を立ててカップを皿に戻されました。

「なるほど、医学大学校を目指すクメルタイン嬢の説得相手として、エランナ姉様は好適だろう。だが、どうやって説得するのだ? 『あら、薬草学で有名なクメルタイン家のお嬢さん? 大学で医学を修めたいのね? 素敵な夢よ、頑張りなさい。では競馬場に行きましょう』とでも?」

「う……」

 クラウ様は言葉に窮し、すがるようなまなざしをわたくしに送られました。わたくしは微苦笑と共に、リュライア様に先ほどの続きを申し上げます。


「リュライア様、お手数ではございますが、エランナ様に一筆したためていただけないでしょうか?」

「むろん構わんが、何を書く?」

 リュライア様は落ち着きを取り戻され、再び珈琲をお飲みになられました。

「お前のことだ。そこの馬鹿と違って、もう作戦案を思いついているのだろう?」

「ご賢察、おそれいります」

 わたくしは丁重に一礼してから、クラウ様に顔を向けました。


「本件は、まずもってクメルタイン殿を競馬場に誘い出すことが難事となっております。お話をうかがう限り、なまなかな方法ではクメルタイン殿を学院の外に連れ出すことすら不可能でございましょう」

「うん、そうなんだよ!」クラウ様がこくこくとうなずかれます。

「となれば、何かしらの詐術を用いるしかございません。クメルタイン殿を学院の外に誘い、それを気付かれぬよう競馬場に入場いただく。ここまでは、それらしい嘘を仕立て上げれば、決して難事ではございません」


「問題は、そこから先だ」リュライア様が、珈琲カップに目を落とされたまま、わたくしの懸念を先に口にされました。

「馬券を買う、それも『標的』自身が買うとなれば、これはもう詐術ではどうにもなるまい。その次のレース観戦もな……楕円形のコースを何頭もの馬が競争しているのを見れば、生後間もない赤子でもない限り、眼前で行われているのが競馬と気づくだろうな」

「仰せのとおりでございます」わたくしはご主人様の分析に同意を示しましてから、あらためてリュライア様にお願いをいたしました。


「リュライア様。本件の解決にあたり、エランナ様のご協力が不可欠でございます。つきましては、お名前をお貸しいただくよう、リュライア様からエランナ様にお手紙で依頼いただいてもよろしいでしょうか?」

「名前を貸すだけでよいのか?」

 リュライア様が片眉をあげられてわたくしを見つめ返されましたが、わたくしはその視線を捉え、しかとうなずきました。


「はい。本格的な計画案の検討はこれからでございますが、まずはエランナ様のお名前のみお借りできればと思います」

「手紙は書くが、これから案の検討か」

 リュライア様は、目を閉じて椅子に寄り掛かられました。「クラウ。対象のレースは、今度の公休日だな?」

「うん。対象レースは、帝都優駿の予選走・プリミウム賞だよ」


「では、あと四日ございますね」

 わたくしは不安げなクラウ様を励ますように、声に力を込めました。

「すでに作戦の案はございます。その検証と細部の調整のため、二日のご猶予を賜りますよう」

「ほう、二日でできるか」リュライア様が目を薄く開かれて、面白そうだと唇の端を動かされました。「念のため聞くが、『夜明けのカラス』とやらの『大勝』、つまりクメルタイン嬢に馬券を買わせて観戦までさせるというのだな?」


「はい」わたくしははっきりとうなすき、クラウ様に向き直りました。

「クラウ様。まことにおそれいりますが、『夜明けのカラス』開催委員会に一点確認をお願いいたします」

「もちろん! どんなこと?」

 身を乗り出されたクラウ様に、わたくしは落ち着いた声でお答えいたしました。

「先ほどうかがった規定レグレシオによりますと、『勝利』の条件である馬券の購入は、『標的自身が自己の意思で購入』しなければならないとのことでしたが――」

 わたくしは一旦言葉を切り、口調を強めて続けました。


「標的は、自分が購入したものが馬券であることを認識している必要はない、ということでよろしいか、ご確認いただけますか?」

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