珈琲10杯目 (4)零落一族の令嬢

「お前が馬鹿だという動かしようのない事実が明らかになったところで――」

 リュライア様は、椅子にもたれかかりました。「確認しよう。今回、『標的』に選ばれた真面目一辺倒の学生とやらは、どんな学生なのだ?」

 呆然自失の態でおられたクラウ様は、ただちに我に返られました。

「えっと、名前はリアレット・クメルタイン。なんでも、薬草学で有名な魔導士の一族出身なんだって」


「クメルタイン?」

 リュライア様はお顔を上げられて、クラウ様に尋ねられました。「あの『地域別帝国薬草辞典』や『症例別・薬草処方』を書いたクメルタイン家の人間か?」

「そうみたい。よく知らないけど」

 クラウ様は焼き菓子を召し上がられてから、珈琲を口にされました。そんなのほほんとした態度に、リュライア様は露骨に失望の表情を浮かべておいでです。


「よく知らん、ときたか」

 リュライア様は首を振って、わたくしに視線を転じられました。

「仮にも魔導士を目指す者が、あの古典的名著を知らんとはな。医学薬学の専門でなくとも、クメルタイン一族の書いた薬草学の本を目にしたことはあるだろうに」

「かの一族が薬草学の権威と呼ばれていたのは、もうだいぶ前のことでございます」

 わたくしは、リュライア様に珈琲のお代わりをお注ぎするべく、銀のポットを手に取りました。


「かつては、薬草のことならクメルタインに聞けと賞されるほどでございましたが、何代か前の当主が書かれた書物に重大な誤りがあったそうで。幸い、誤った処方で薬草を煎じて飲み、幻覚の命じるまま全裸で街中に飛び出して踊り狂う方はいらっしゃらなかったようでございますが、クメルタイン家の評判は大きく傷つきました」

「それに今は、薬草学より薬学だ。薬草の種類とその効能はほとんど研究され尽くしているからな……効能の元になっている成分を抽出して薬にすることや、重篤な病に効く成分な何かを研究する方が主流になっている」

 リュライア様は、どこか寂し気な目で、わたくしがお注ぎする珈琲を眺めておられます。「名門と言えども零落するのはあっという間だな。クラウが知らなくても無理はない……いや、どのみちこの馬鹿は薬草学のことなど知らんだろうが」


 そのクラウ様は、リュライア様の冷たい視線を浴びつつも、平然と焼き菓子と珈琲の組み合わせを堪能されておいでです。

「で、そのクメルタインさんは、来る日も来る日も勉強ばっかり。去年の暮れのアルミア記念の時もさ、休み時間にみんながどの馬が来るかわいわい予想してたら、クメルタインさんは席を立ってどっかいっちゃったし」

「……いや、それはどう考えてもクメルタイン嬢の方が正しいぞ」

 リュライア様は肩をおとされました。「なあクラウ。学生の本分とは、勉学に励むことか? それとも競馬の予想をすることか?」


「どっちもだよ! まあ、『標的』のクメルタインさんがそんな感じだから、今回の『夜明けのカラス』は、かなり『完敗』と『失敗』の予想が増えてるんだ。だから僕が挑戦者のルノートル先輩に加勢して、この状況をひっくり返し……いや、もちろん目的は、クメルタインさんに競馬の素晴らしさを教えてあげることなんだけどね」

「突っ込むところは山のようにあるが」

 リュライア様は鋭いまなざしをクラウ様に向けられつつ、珈琲を一口すすられました。「お前の目標は何だ? クメルタイン嬢に馬券を買わせる『勝利』か、レースの観戦までさせる『大勝』か? まさか、帝都優駿の観戦まで約束させる『完勝』を狙っているのか?」


「そりゃー、『完勝』できたら最高なんだけどさ」

 クラウ様は楽しそうに脚をぷらぷらと揺らしました。「さすがにそれは無理だと思う。でも、『大勝』は狙いたいんだ……『夜明けのカラス』の予想、今のところ一番の人気薄は『完勝』だけど、『大勝』の掛け率オッズもなかなか美味しいからね。そもそもみんな、クメルタインさんを学外に連れ出すことすら難しいって思ってるみたい」

 そこまでおっしゃられてから、突然クラウ様は真剣な表情になられて、椅子から身を乗り出されました。


「ねえ、なんかいい方法ないかな? 勉強一筋で学校の外にもロクに出ないクメルタインさんを、競馬場に連れ出して馬券を買わせて、レース観戦までさせる方法が!」

 そして、急いで付け加えられました。「あ、もちろんこれは、クメルタインさんに競馬というものを知ってもらうためだからね!」


「よし、よく言った」リュライア様は、容赦ない口調でおっしゃられました。

「ならばお前は、ルノートル嬢から手伝いの礼を受け取らぬのだな? それなら手伝ってやろう」

「え」

 クラウ様は目を点にして固まられてから、すぐにぶるぶると首を振られました。


「リュラ叔母様、そりゃないよ! せめて挑戦者が手にする賞金の三割はもらわないと!」

「二割だ」

 リュライア様は冷厳さをもって告げられました。「勉学の徒に競馬の魅力を知ってもらうのはいいことだ。が、それで金を取ろうとは考えぬことだな。賞金の二割ももらってよいという私の寛大さに感謝しろ」

「寛大!? どこが!?」

「文句があるなら一割に……」

「分かりました、二割でいいよ」クラウ様はあわてて点頭されました。「でも、ちゃんと考えてよ」


「おそれながらクラウ様」

 叔母君と姪御様の間で合意が成立したことを受け、わたくしが控えめに切り出しますと、クラウ様は猛烈な勢いでわたくしに向き直られました。

「ファル! 何でも聞いて!」

「はい。本件につきましては、かなりの困難が伴うものかと思料いたします」

 わたくしが遠慮がちに申し上げますと、クラウ様は一瞬で絶望に突き落とされたようなお顔をされました。わたくしは、しかし、と付け加えました。

「正攻法で競馬に誘うのは難しくとも、策を講じることはできましょう。つきましては、いくつか教えていただきたいことがございます」

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