珈琲7杯目 (2)<星の精>
「まったく、人を何だと思っている」
珈琲が無いこの状況では、リュライア様の不機嫌さが増していくのを止める手立てはございません。
「何もしなくていいから、ただ会場に一日座っていてくれだと? 人形か何かだと思っているのか! まったく……」
「どうぞ今日一日、我慢なさってくださいませ。代価として『魔法大典』の初版が手に入るとなれば、春の一日を広場で過ごすのも決して悪いものではございませんよ」
わたくしの言葉に、リュライア様は多少機嫌を直されたものの、暇つぶしにと持ってこられた本をひょいと机の上に載せて、深々とため息をつかれました。
「ロンデゼールのジジイめ……今すぐ会場に来い、馬車を待たせているなどと急かしおって! おかげでファルは珈琲を少ししか持って来られなかったし、私が書斎からつかみ取ってきたのは『初級魔術入門』だぞ。今更魔法花火の出し方や空間発光文字の出し方を学べというのか? 慌てていた私も悪いが、これでは退屈しのぎにはならんではないか!」
「確かに、あの場からいきなり来いというのは、いささか強引でございますね」
わたくしは、春祭り前夜祭の会場となる第四区の広場――つい先日は、蚤の市の会場だった場所でございます――をひとわたり見回しました。すでに明日からのお祭り本番に備えて、舞踏大会の舞台と客席が広場の中央にしつらえられ、その周囲には露店が準備を始めています。そんな賑やかな会場を、祭りの開催を待ちきれない子供たちが春駒のように駆けまわり、もう今からでも祭りの開催を宣言できそうな陽気で楽し気な雰囲気です。
一方、魔術審議会に割り当てられた一角はと言えば――静謐そのものです。
そもそも魔術審議会の皆様が想定されておられたのは、<星の精>の「実演」でございます。<星の精>とは、魔術の元素とも言うべきマギナリウムの結晶を砂のように砕いたものを、人間の姿のように形作って術者の意のままに動かす
こうして誕生した使役型魔法生物、すなわち<星の精>は、術者を日々の単純労働から救ってくれる存在でございますので、大富豪の方などには、召使いの代わりとして需要があるやもしれません……外見は「人の形をした黒い砂の塊」ですが。
ただし、一見いいことずくめのような存在に思えるこの<星の精>にも、一つ重大な問題がございます。それは、常に外部から魔力を供給していないと、自身を構成するマギナリウムの魔力を費消してしまい、結果短時間で消滅してしまうという割と致命的な欠点でございます。この欠点を補うためには、強大な魔力を持つ魔導士――たとえばリュライア様のような――を使役する家や施設に常駐させるとか、魔導士が何十人も集まる場所――たとえば魔導女学院のような――で使役するか、といった解決法しかございません。
実は先ほどまでは、立派な身なり紳士が幾たびか会場にお見えになられ、物珍しそうに<星の精>をご覧になられていましたが、ロンデゼール師が近寄って何事か説明すると、紳士方は皆そそくさと会場を離れてしまわれます。そしてついに、お昼近くには完全に客足は途絶えてしまい、リュライア様の魔力はまったく無駄に<星の精>のために費消されている状態でございます。
ともかく、あとおよそ半日でございます。わたくしは腰をかがめて、リュライア様の耳元でささやきました。
「リュライア様。わたくし、一度戻って珈琲とお読み物を取ってまいり……」
「駄目だ、ファル。頼むから私を一人にしないでくれ。魔術審議会の年寄り共と一緒にされたら、何をするか分からないのだ」
文字どおりすがるような目でご主人様に懇請されては、わたくしとしても残らざるを得ません。魔術審議会のお歴々に「何をされるか分からない」ではなく、リュライア様が「何をするか分からない」というのが問題でございます。自分を退屈という名の拷問にかけた審議会の皆様を、ふとしたはずみで……の魔法で……してしまうかもしれません。
せめてリュライア様がもふもふできるよう、わたくしが
「では、人間形態のわたくしの体をお好きなように弄んでいただいて……」
「もっとダメだ!」リュライア様は顔を朱に染めてわたくしをにらまれました。「今必死にその衝動に耐えているのだ。虫を起こさせるようなことを言うな!」
ああ、これは帰ったら即押し倒されてしまう展開でございます。わたくしはあきらめて、ひたすら時間が経つのを待つことといたしました。しかし……。
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