珈琲1杯目 (7)「至急お目通りを乞う」
石臼が珈琲豆を磨り潰す音に、リュライア様の興奮された吐息が交じりました。
「冗談だろう?」
「いいえ」わたくしはかぶりを振り、お湯を沸かす準備に取りかかろうとしました。「しばらくお待ちを。珈琲を淹れましたら、最初からお話いたします」
「珈琲は後でいい、今話してくれ」
リュライア様はマグの木箱を机の脇に押しのけ、身を乗り出されてわたくしを呼び止めました。リュライア様が珈琲よりも優先せよとおっしゃるのであれば是非もございません。わたくしはリュライア様に勧められるまま、先ほどまでクラウ様がおかけになられていた椅子に腰を下ろしました。リュライア様は、呼吸を整えつつ、わたくしの目を覗き込まれました。
「まず確認だが、お前もエルターとかいう小僧が嘘つきだということには気付いているな?」
「はい。しかし、最初にベルディッサ様とお会いになった際の嘘は……」
「殿方の口説きの技だというのはさっきも聞いた。虹というのは何故か乙女心に訴えるものがあるらしいが、自分で撒いた水でならともかく、天にかかる虹が昼休みに見えるはずがないではないか」
わたくしは静かにうなずきました。空に虹が見えるのは、太陽の高さがおよそ四十度よりも低い時分、つまり朝方か午後三時以降であり、エルター氏がベルディッサ様をお見かけしたというお昼休みの時間には、虹が空にかかっているのを見ることはできません。
「それに、ベル嬢に話した故郷の話もだ。エルターは正直な好青年という触れ込みだが、実際は女性の気を惹くために嘘を吐きまくるような軽薄な奴だ。そんな小僧とは付き合わん方がベル嬢のためだが、口うるさい父親に交際を知られて別れろなどと言われたら、反発して逆効果だ……年頃の女性というのは、障害がある恋ほど燃えるらしいからな。だから手紙を取り返すことに同意したのだが」
リュライア様も十分年頃の女性のはずですが、わたくしはその点には触れずに口を開きました。「ご賢察にございます。しかしわたくしがご説明いたしました結果、ミュルダン伯はご息女の交際には反対されない運びとなりました」
「その説明というのを聞かせてくれ。まさか、魔法を使ってミュルダン伯の思考を操作したわけではないだろう?」
「人の思考や感情を操作する魔法は禁呪でございます。禁呪はもとより、魔法の類は一切使ってはおりません」
わたくしが微苦笑とともにかぶりを振ると、リュライア様はますます身を乗り出されてわたくしに催促をされました。「最初から話してくれ。まず、どうやって海軍省に潜り込んだのだ?」
「潜り込む必要はございませんでした。馬車で正門に乗り付け、来客窓口で軍政官ミュルダン伯にお会いしたいと来意を告げて、勝手ながらリュライア様のお名刺を差し出しただけでございます」
リュライア様の頬にわずかに赤く染まりました。「私の名など出してどうする」
「気の利いた役人なら、リュライア様が大魔導士グレヴィア・オーロ師の又姪に当たられるお方だと知っているかもしれませんし、陸の軍人なら、帝国魔導技術工廠の提理にして“南への鉄槌”の異名を取るマーファリス・クロリス様の妹君だと思い当たるやもしれません。しかし今回、すんなりミュルダン伯に取り次いでいただけたのは、おそらく名刺の端にわたくしが走り書きをした内容かと存じます」
何を書いた、とリュライア様がお尋ねになられる前に答えました。「お名刺にはこう書かせていただきました――『ミュルダン伯のご息女と帝国の防諜に関して緊要かつ重大、極めて慎重な扱いを要する事項について、至急お目通りを乞う』と」
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