珈琲1杯目 (8)嘘
わたくしには人様を驚倒させて愉しむ趣味はございませんが、この時のリュライア様の反応は、まさに驚愕という表現そのものでございました。
「ぼ、防諜?」
リュライア様が棒を飲んだようなお顔で繰り返されましたので、わたくしは落ち着いていただけるよう、穏やかに顛末をご説明いたしました。
「はい。名刺を受け取った衛士は、走り書きに目を留めるや、直ちに奥に駆け込みました。さほど待つことなく、別な衛士が参りまして、丁重な態度でわたくしをミュルダン伯の執務室まで案内していただきました」
リュライア様は相変わらず目を見開かれたまま、わたくしの言葉に耳を傾けていらっしゃいます。わたくしはそのままお話しを続けました。
「執務室の隣の応接間に通されますと、椅子に腰を落ち着ける間もなくミュルダン伯がお見えになられました。伯は案内役の衛士を下がらせると、興味深げにわたくしと名刺を見比べながら、どういうことかとお尋ねになられました」
「どう答えたのだ?」リュライア様はもどかしげに促されましたが、わたくしは悠然とした口調を崩さず、ご報告を続けます。
「いきなりは答えず、まずわたくしが魔導士リュライア・スノート師の使いであること、何故リュライア様が今回の件に関わったのかを手短かにご説明し、その上で本日クラウ様からお聞きした内容を、そのままお伝えいたしました」
「なっ……」リュライア様は椅子から腰を浮かして、身を乗り出されました。「ベル嬢とエルターのなれそめをか!? その後の二人の『お付き合い』のやり取りや、今回の手紙のことを全部話したのか!?」
「はい。全てお伝えいたしました」
落ち着いた声でわたくしが答えますと、リュライア様もどうにか冷静さを取り戻されたようです。
「娘の交際相手が大の嘘つきということを、父親に説明したわけだな」
「はい。初めてお二人が出会った時の虹が云々というお話は、娘の気を惹くための嘘だろうとミュルダン伯も笑い飛ばしましたが、エルター氏の故郷の話は興味深く聞かれておられました」
「エルターの言うとおり、大型の軍艦を作る時はいろいろな種類の木材を使用する」
リュライア様は椅子に寄り掛かり、ひじ掛けに置かれた手で頬杖をつきながらつぶやかれました。
「しかしモミやマツのような針葉樹は、樹脂が抜けるのを防ぐために海水に漬けておかねばらなない。船体に使うオーク材も、曲げる必要がある部分の材木は、加工しやすくするためにやはり海水に漬けておく。だからエルターの言うような、材木の種類ごとに積み上げて乾燥させる光景などあり得ない」
「おっしゃるとおりでございます。また、船体の背骨というべき竜骨に沿って競争するというのも……」
「ああ。船体に沿って走るなら、『夕日に向かって走る』などということは決して無いだろうな」リュライア様のお口元が緩みました。
「それでは船体を東西方向に向けて建造していることになる。大型船の造船所では、船体の左右に太陽が均等に当たるよう、船台を必ず南北方向に向けているからな。エルターの故郷の造船所で造られた軍艦は、南を向いた側だけ乾燥が進み、船体に歪みが生じるだろうよ」
「はい。これらの嘘は、ベルディッサ様の気を惹くというより、ベルディッサ様のお父君のご職業を話題にするためのものと考えました」
わたくしの言葉に、リュライア様の眉がぴくりと跳ね上がりました。
「まさか……」
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