珈琲1杯目 猫と執事と留学生(3)

 クラウ様が再びリュライア様のもとにお見えになられたのは、リンカロット市庁舎の時鐘が四時を告げた頃でした。クラウ様が書斎に入られると同時に、リュライア様は椅子におかけになったまま、机の引き出しから一通の手紙を取り出されました。

「! そう、その手紙! さっすがリュラ叔母様!」

 瞠目し、今にも飛び掛かって手紙を手にしようとされるクラウ様を、リュライア様は右手を挙げて制されました。「そこで止まれ。約束のマグを見せてもらおうか」

 クラウ様は一瞬ぎくりとされたご様子でしたが、すぐに手にした布袋の口を開け、中の木箱をうやうやしくリュライア様に差し出されました。

「ほら、これが例の白磁のマグだよ」

 木箱の蓋を開けると、中には白い光沢を放つ容器が鎮座しておりました。かすかに魔法の痕跡がございましたが、おそらく初歩的な<障壁>の魔法かと思います。中身を保護するためにかけたのだとすれば、ご立派なお心遣いと申せましょう。

 リュライア様は、目を細めて箱の中のマグを見つめられましたが、ほどなく手を伸ばされて箱を受け取ろうとなさいました。しかし今度は、クラウ様が首を振る番でございます。

「これでいいでしょ? じゃ、手紙と引き換えだよ」

 リュライア様は殊更に表情を消したまま、机の上の手紙をクラウ様に向けて滑らせました。クラウ様も、手にした木箱の蓋を閉じてから静かに机の上に置き、慎重な手つきでリュライア様に押しやります。リュライア様の手が箱にかかるのと同時に、クラウ様の指が手紙に触れ、手練れの引ったくりかと見まごうはやさでつかみ取りました。

「じゃ、手紙はもらっていくから! ありがとう、リュラ叔母様!」

「お待ちください」

 わたくしに呼び止められ、戸口に駆けだそうとしていたクラウ様はびくりと足を止められました。そしておそるおそるわたくしに振り向かれました。

「な、何……かな……?」

「こちらをお持ちください。わたくしからのお手紙です」

 わたくしは、予め懐中に用意していたお手紙を、クラウ様に手渡しました。クラウ様はその手紙を見、次いでわたくしの顔を見上げてから、何故かお顔を真っ赤にして手紙を受け取られました。

「あ、ありがと」

「寮にお帰りになられましたらご覧ください」

 わたくしが部屋の扉を開けますと、ようやくクラウ様は我に返られまして、弾かれたようにお部屋から出て行かれました。


「奴に何を渡した?」

 リュライア様が、やや不機嫌そうにお尋ねになられました。わたくしは書斎の扉を閉めてから、穏やかに答えました。「後ほどお答えいたします」

「まあいい。それより、珈琲を淹れてくれ。早速このマグで飲んでみよう」

「かしこまりました。十日前に焙煎したデンミラン産が飲み頃かと思いますが」

「それでいい。淹れながら、どうやってあの手紙を取り返してきたか話してくれ」そこまでおっしゃられてから、ふとリュライア様は眉をひそめられました。「危ない目に遭ったりしていないだろうな?」

 わたくしは、ご主人様を安心させるよう微笑を返しました。「ご心配なく」

「お前のことだ、心配はしていなかったが……猫の姿で海軍省の建物に入るのはできても、手紙を持って帰るのは骨だったろう?」

 戸棚から取り出した珈琲豆を計量しようとしたわたくしの手が止まりました。どうやらリュライア様は誤解をされておいでのようです。

「いいえ、リュライア様。そもそも猫の姿になっておりません」

「何?」リュライア様の声が不審と狼狽で震えるのがわかりました。「では、どうやってあの手紙を取り返したのだ?」

「何も特別なことはしておりません」わたくしは計量した珈琲豆を、小さな挽き臼で粉にしながらご説明いたしました。「ベルディッサ様のお父君、海軍卿付き軍政官ミュルダン伯に直接お願いしたのです――ご息女からのお手紙をお返し願えないでしょうか、と」

 石臼が珈琲豆を磨り潰す音に、リュライア様の興奮された吐息が交じりました。

「冗談だろう?」

「いいえ」わたくしはかぶりを振り、お湯を沸かす準備に取りかかろうとしました。「しばらくお待ちを。珈琲を淹れましたら、最初からお話いたします」

「珈琲は後でいい、今話してくれ」

 リュライア様はマグの木箱を机の脇に押しのけ、身を乗り出されてわたくしを呼び止めました。リュライア様が珈琲よりも優先せよとおっしゃるのであれば是非もございません。わたくしはリュライア様に勧められるまま、先ほどまでクラウ様がおかけになられていた椅子に腰を下ろしました。リュライア様は、呼吸を整えつつ、わたくしの目を覗き込まれました。

「まず確認だが、お前もエルターとかいう小僧が嘘つきだということには気付いているな?」

「はい。しかし、最初にベルディッサ様とお会いになった際の嘘は……」

「殿方の口説きの技だというのはさっきも聞いた。虹というのは何故か乙女心に訴えるものがあるらしいが、自分で撒いた水でならともかく、天にかかる虹が昼休みに見えるはずがないではないか」

 わたくしは静かにうなずきました。空に虹が見えるのは、太陽の高さがおよそ四十度よりも低い時分、つまり朝方か午後三時以降であり、エルター氏がベルディッサ様をお見かけしたというお昼休みの時間には、虹が空にかかっているのを見ることはできません。

「それに、ベル嬢に話した故郷の話もだ。エルターは正直な好青年という触れ込みだが、実際は女性の気を惹くために嘘を吐きまくるような軽薄な奴だ。そんな小僧とは付き合わん方がベル嬢のためだが、口うるさい父親に交際を知られて別れろなどと言われたら、反発して逆効果だ……年頃の女性というのは、障害がある恋ほど燃えるらしいからな。だから手紙を取り返すことに同意したのだが」

 リュライア様も十分年頃の女性のはずですが、わたくしはその点には触れずに口を開きました。「ご賢察にございます。しかしわたくしがご説明いたしました結果、ミュルダン伯はご息女の交際には反対されない運びとなりました」

「その説明というのを聞かせてくれ。まさか、魔法を使ってミュルダン伯の思考を操作したわけではないだろう?」

「人の思考や感情を操作する魔法は禁呪でございます。禁呪はもとより、魔法の類は一切使ってはおりません」

 わたくしが微苦笑とともにかぶりを振ると、リュライア様はますます身を乗り出されてわたくしに催促をされました。「最初から話してくれ。まず、どうやって海軍省に潜り込んだのだ?」

「潜り込む必要はございませんでした。馬車で正門に乗り付け、来客窓口で軍政官ミュルダン伯にお会いしたいと来意を告げて、勝手ながらリュライア様のお名刺を差し出しただけでございます」

 リュライア様の頬にわずかに赤く染まりました。「私の名など出してどうする」

「気の利いた役人なら、リュライア様が大魔導士グレヴィア・オーロ師の又姪に当たられるお方だと知っているかもしれませんし、陸の軍人なら、帝国魔導技術工廠の提理にして“南への鉄槌”の異名を取るマーファリス・クロリス様の妹君だと思い当たるやもしれません。しかし今回、すんなりミュルダン伯に取り次いでいただけたのは、おそらく名刺の端にわたくしが走り書きをした内容かと存じます」

 何を書いた、とリュライア様がお尋ねになられる前に答えました。「お名刺にはこう書かせていただきました――『ミュルダン伯のご息女と帝国の防諜に関して緊要かつ重大、極めて慎重な扱いを要する事項について、至急お目通りを乞う』と」

 わたくしには人様を驚倒させて愉しむ趣味はございませんが、この時のリュライア様の反応は、まさに驚愕という表現そのものでございました。

「ぼ、防諜?」

 リュライア様が棒を飲んだようなお顔で繰り返されましたので、わたくしは落ち着いていただけるよう、穏やかに顛末をご説明いたしました。

「はい。名刺を受け取った衛士は、走り書きに目を留めるや、直ちに奥に駆け込みました。さほど待つことなく、別な衛士が参りまして、丁重な態度でわたくしをミュルダン伯の執務室まで案内していただきました」

 リュライア様は相変わらず目を見開かれたまま、わたくしの言葉に耳を傾けていらっしゃいます。わたくしはそのままお話しを続けました。

「執務室の隣の応接間に通されますと、椅子に腰を落ち着ける間もなくミュルダン伯がお見えになられました。伯は案内役の衛士を下がらせると、興味深げにわたくしと名刺を見比べながら、どういうことかとお尋ねになられました」

「どう答えたのだ?」リュライア様はもどかしげに促されましたが、わたくしは悠然とした口調を崩さず、ご報告を続けます。

「いきなりは答えず、まずわたくしが魔導士リュライア・スノート師の使いであること、何故リュライア様が今回の件に関わったのかを手短かにご説明し、その上で本日クラウ様からお聞きした内容を、そのままお伝えいたしました」

「なっ……」リュライア様は椅子から腰を浮かして、身を乗り出されました。「ベル嬢とエルターのなれそめをか!? その後の二人の『お付き合い』のやり取りや、今回の手紙のことを全部話したのか!?」

「はい。全てお伝えいたしました」

 落ち着いた声でわたくしが答えますと、リュライア様もどうにか冷静さを取り戻されたようです。

「娘の交際相手が大の嘘つきということを、父親に説明したわけだな」

「はい。初めて会った時の虹が云々の話は、娘の気を惹くための嘘だろうとミュルダン伯も笑い飛ばしましたが、エルター氏の故郷の話は興味深く聞かれておられました」

「エルターの言うとおり、大型の軍艦を作る時はいろいろな種類の木材を使用する」

リュライア様は椅子に寄り掛かり、ひじ掛けに置かれた手で頬杖をつきながらつぶやかれました。「しかしモミやマツのような針葉樹は、樹脂が抜けるのを防ぐために海水に漬けておかねばらなない。船体に使うオーク材も、曲げる必要がある部分の材木は、加工しやすくするためにやはり海水に漬けておく。だからエルターの言うような、材木の種類ごとに積み上げて乾燥させる光景などあり得ない」

「おっしゃるとおりでございます。また、船体の背骨というべき竜骨に沿って競争するというのも……」

「ああ。船体に沿って走るなら、『夕日に向かって走る』などということは決して無いだろうな」リュライア様のお口元が緩みました。「それでは船体を東西方向に向けて建造していることになる。大型船の造船所では、船体の左右に太陽が均等に当たるよう、船台を必ず南北方向に向けているからな。エルターの故郷の造船所で造られた軍艦は、南を向いた側だけ乾燥が進み、船体に歪みが生じるだろうよ」

「はい。これらの嘘は、ベルディッサ様の気を惹くというより、ベルディッサ様のお父君のご職業を話題にするためのものと考えました」

 わたくしの言葉に、リュライア様の眉がぴくりと跳ね上がりました。

「まさか……」

「ミュルダン伯は、エルター氏がご息女に語った話が嘘であることについて、興味深げにうなずく以上の反応は示されませんでした。しかし、わたくしが例の手紙をお返しいただくよう理由を述べてお願いいたしましたところ、本日届いた郵便物からベルディッサ様からのお手紙を抜き出され、お返しいただいたのです」

「何と言ったのだ? 手紙を返す理由だ」

「それはもう、リュライア様のお察しのとおりでございます」

別に勿体ぶるわけではございませんが、リュライア様の焦れるご様子が可愛らしいので、つい持って回った言い方をしてしまいました。「わたくしはこうミュルダン伯に申し上げました――エルター氏こそ、閣下が求めておられた人物かと推察いたします。もしそうなら、ご息女からのお手紙を閣下がお読みになり、エルター氏がご息女に接近している事実を閣下が把握されたと本人が知ってしまったら、彼はご息女との接触を断つでしょう。それは閣下の望まれるところではないかと」

「つまり、エルターは外国の諜報員か何かだと言うのか?」

 興奮のあまり、リュライア様の白い頬に赤みが差しました。「いや、あり得ん話ではない……確かに奴が嘘をつきまくった理由はそれで説明がつく。それに魔術学院は帝国の高官の子弟のたまり場だ、諜報活動をするには絶好の場所だろう……だが、ミュルダン伯が求めていたとはどういうことだ?」

「いかに娘を溺愛していたとしても、男親というものはあまり娘に手紙を書いたりはしないものです」わたくしは、リュライア様の昂ぶりをお鎮めするよう、やわらかく申し上げました。「ましてや、自分の仕事のことを書き連ねた手紙を月に何度も送るようなことは、普通の父親なら想像すらしないでしょう。しかしミュルダン伯はそうされていた。その結果、ベルディッサ様のご学友は、ミュルダン伯の動向について、自然と会話の中で知っていくことになります。現にクラウ様も、ミュルダン伯が仕事についてご息女にお手紙を送られていることをご存じでした」

「諜報員に餌をまいていたということか!」リュライア様は頓悟の叫びを上げられました。「帝国海軍の高官が、自身の職務の内容、すなわち艦隊の移動情報や新型艦の建造計画の有無といった情報を、娘への手紙を通じて魔術学院内に流す。そうすれば、おそらくは南のザントリンドあたりが放った間者が食いついて、もっと情報を得ようと娘に接近するということだな」

「はい。そうなれば、故意に偽の情報を掴ませることもできますし、敵国の情報網を摘発することもできるかもしれません。諜報という点から申し上げれば、実に理想的です。ザンドリンドとの戦争が近いと言われる昨今の情勢に鑑みれば、こうした諜報合戦も十分ありうることかと」

「だからこそ、ミュルダン伯は娘に接近してきた男のことは知らぬ存ぜぬで通さねばならないということか」リュライア様は椅子に身を沈めて首を振られました。「手紙を開封もせずに返せば、エルターはさぞ安心するだろうな。奴が嘘つきだということは分かっても、諜報員の可能性など考えもしなかったぞ」

「まだ彼が諜報員と決まったわけではございませんよ」わたくしは慰めるように微笑み、机に歩み寄りました。「無論、そこは帝国の諜報部門が慎重に調査するでしょう。しかしもしかしたら、彼は本当にベルディッサ様の気を惹きたいためにホラを吹く、ただの青年に過ぎないという可能性もあります」

「かもしれん。だが年頃の少女の歓心を買うために、その父親の職業に関する話をわざわざでっち上げるか? 普通ならもっと女子の好みそうな……ちょっと待て、これは何だ?」

 リュライア様がぎょっとして腰を浮かせました。わたくしがご主人様の視線を追うと、机の上に置かれたクラウ様からの贈り物の箱から、白い液体が漏れ出しています。わたくしは咄嗟に<氷結>の魔法で謎の液体を凍らせました。

「い、一体何だ?」

「危険は無いようです」わたくしはリュライア様が近づかれぬよう手で制してから、凍らせたその液体に顔を近づけて観察し、匂いを確かめましたところ、ごく身近な液体であると判明しました。「どうやらこれは、牛乳のようでございます」

「な……なぜそんなものが?」

「この箱の中にあったからでございます」わたくしは箱の蓋を開け、中身をリュライア様にお見せいたしました。白磁のマグがあったところには牛乳と思しき白い液体があふれており、一部マグの形をとどめた白い塊が――わたくしが魔法で凍らせたものではなく、その前から凍っていたものです――が残っているばかりでございました。

「まさか……」

 リュライア様は目を丸くして箱の中を見つめておられましたが、やがてすぐに事態を把握されました。

「あ、あのマグは、牛乳を凍らせたものだったのか……?」

「残念ながら、そのようでございます」わたくしは棚から布巾を取り出して、机の上の牛乳を拭いながら首を振りました。「先ほどクラウ様が箱を取り出されたとき、ごくかすかではございますが<障壁>魔法の気配がいたしました。てっきり陶磁器を保護するための魔法かと思いましたが、どうやら氷のマグの『型』としてお使いになられたようです」

「<障壁>魔法でマグの形をした型を作って牛乳を注ぎ、それを<氷結>魔法で凍らせたのか!」

 リュライア様は椅子の上でのけ反らんばかりに驚かれました。

「馬鹿な……<障壁>は基礎中の基礎というべき魔法だが、それは単純に目の前に壁を作り出す場合の話だ。曲線を描くだけでも難しいというのに、円筒の……いや、取っ手も含めた形状を作り出すだと! そんな高度な応用技を、あのクラウの大馬鹿が!?」

「クラウ様の才能でございますね。クラウ様は、普通の魔法使いが思いもつかない魔法の使い方をなされます」わたくしは穏やかに、リュライア様のクラウ様評を訂正いたしました。「実にお見事です。<障壁>は断熱効果もございますから、学園で牛乳を凍らせたマグを作ってこちらに運ぶ間も、溶けだす気遣いはございません。そしてこちらのお屋敷に到着される直前に<障壁>を解除すれば、我々には立派な白磁のマグが箱の中に納まっているようにしか見えません」

「見事なものか!」仕掛けが分かるや、リュライア様は今度は激高されました。「こんな子供だましの手で! 約束の白磁のマグはどうした!」

「お言葉ではございますが、白磁はとても高価なものでございます。とても学生の小遣いで気軽に買えるような代物ではございません」

 わたくしがなだめますと、リュライア様は一応落ち着かれまして、クラウ様への罵言を呑み込まれました。「そんなことは分かっている。つまり奴は、最初からだます気だったということだ! 奴め、今度この家にのこのこやって来たら、錆びたナイフで生皮を……」

「あいにくと、この家の刃物はすべて綺麗に研いでおります。それより、今度クラウ様がお見えになられる折には、必ずや謝罪のお言葉があるかと思料いたします」

 わたくしが殊更やわらかく申し上げますと、ようやくリュライア様は余裕を取り戻されました。

「何故そう言い切れる? ……もしや、さっきお前がクラウを呼び止めて渡した、あの手紙か?」

「ご明察、おそれいります」わたくしは温然と微笑みました。「先ほど申し上げましたとおり、白磁のマグなどクラウ様がお求めになるにはいささか値が張ります。それはクラウ様もご承知のはずですから、当然偽物を用意しなければなりません」

 わたくしの説明に、リュライア様のお顔から、少しずつ険しさがほぐれてまいりました。

「もちろん、具体的にどのような小細工を弄されるか――失礼な表現をお許しください――は分かりませんでしたし、ましてや<障壁>で型取りした氷の飲器を作られるなど想像もしておりませんでした。しかしながら本物を用意できないことは明らかでしたので、僭越ながら事前に一筆したためておいたという次第です」

「何と書いてやったのだ?」リュライア様は余裕を取り戻され、意地の悪そうな笑みを浮かべてわたくしにお尋ねになられました。わたくしも、同じような笑顔をお返ししました。

「あの手紙には、こう書かせていただきました――『マグのことは、リュライア様は全て見抜いておられます。全てをご存じの上で、今回の手紙の件を穏便に済ませようとされておられるのです。どうか今度お越しになられる際は、今回の悪戯についてリュライア様にお詫びをなされますようお願い申し上げます。』と」

 わたくしの言葉に、しばらくリュライア様は楽しげに口元をほころばせておられましたが、やがてちらりとわたくしを見上げられました。

「あの馬鹿が、素直に詫びなど入れると思うか?」

「おそらくは。悪戯の種明かしをして喜ぶつもりが、事前に全てを見抜かれていたとお知りになれば、さしものクラウ様も動揺して意気消沈されるものかと」

「では賭けようか」リュライア様はそう口にされると、挑むような口調で続けられました。「もし明日の正午までに奴が詫びに来なければ、私の勝ちだ。明日の昼前までに奴が頭を下げに来たら、お前の勝ち。無論、ちょっと詫びの一言を口にするだけではなく、文字どおりきちんと頭を下げての謝罪でなければならんぞ」

「受けましょう」わたくしは悠然とお返ししました。「何をお賭けになります?」

「私が勝ったら、先月『メナハン・カフタット』の店で見た珈琲道具一式を買う許可をもらおう。同じようなものを持っているからとお前に反対されたやつだ」

「ではわたくしが勝ちましたら、地下蔵にあるイスポルゲート産二十年ものの赤葡萄酒を一杯頂戴いたします」

「よかろう」

 リュライア様は鷹揚にうなずかれました。「普段なら、お前相手の賭けなどしないところだ……お前は常に正しいからな。しかし今回ばかりはあの希代の大馬鹿クラウが相手だ。この勝負、もらったぞ」

「どうなりますやら。それでは、珈琲を淹れてまいります」

 そのとき、玄関の呼び鈴が鳴りました。階段を降りて玄関の扉を開けると、立っていたのはクラウ様でございます。

「あの、ファル……さん」クラウ様の手には、わたくしの差し上げたお手紙が握られていました。「リュラ叔母様に、お詫びしたいんだけど……」

「そのお手紙は、学園寮にお戻りになられてからお読みくださいと申し上げたはずでございますが」

 わたくしが威厳を取り繕って申し上げますと、クラウ様は叱られたように――リュライア様の前では決してお見せになられないようなしおらしい様子で――うつむかれ、ひと言「ごめんなさい」とつぶやかれました。

「どうぞお気になさらずに。では、リュライア様にお取次ぎいたします。きちんと反省され、謝罪されれば、必ずやリュライア様はお許しくださるでしょう」

わたくしは殊更表情を消しつつも、口調をわずかに優しくいたしました。

「お詫びに来たと申し上げれば、リュライア様は何故か失望の表情を浮かべられるやもしれませんが、きっと大丈夫でございます。それではお二階へどうぞ」

                               珈琲1杯目 了

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