珈琲1杯目 (2)虹の下で

「お待たせをいたしました」

 執事の身なりを整えたわたくしが、お飲み物を載せた銀の盆を捧げ持ち、リュライア様のお部屋に戻りますと、クラウ様がものすごい勢いで振り返られました。お首を痛めなかったか心配です。

「ご苦労だがファル、一緒にクラウの言うことを聞いてくれないか」

 わたくしの差し出す珈琲を受け取られながら、リュライア様はクラウ様を横目でご覧になられました。「その馬鹿には泥水でも当てがっておけばいい」

「あいにくと泥のご用意がございませんで。クラウ様には、新鮮なオレンジを絞ったお飲み物をご用意いたしました」

 わたくしはクラウ様の隣の小卓に、セネリア産ガラスの杯に入ったお飲み物をお載せいたしましたが、クラウ様は何もおっしゃらずに、わたくしの顔を食い入るようにご覧になられていらっしゃいます。

「クラウ、美人がそんなに珍しいか?」

 リュライア様に呼びかけられ、はっと我に返られたクラウ様は、あわてて前に向き直られました。「べ、別にそんな……」

 わたくしは一歩下がって部屋の隅でお話を伺うことにいたしましたが、クラウ様が横目でわたくしを盗み見られるので、クラウ様の真後ろに移ります。

「そこでいいぞ、ファル。さ、話せ」

 リュライア様がお命じになられると、クラウ様はようやく本題に入られました。


「ええっと、事の発端は三か月前の春祭りなんだけど、僕と同じ学寮のベルって子が……」

「人の名前は正確に言うよう、マーファお姉様から言われているはずだが」

リュライア様がご注意されますと、クラウ様は肩でため息をつかれました。

「じゃ、ノイルバール帝国海軍卿付き軍政官ミュルダン伯の長女ベルディッサ・ジェムトン、通称ベルって子が、学院の北にある『風の丘』で、運命の人と出会っちゃったの!」

 運命の人、という単語を耳にされたリュライア様は、フンを鼻を鳴らしました。クラウ様はそれには気付かれないご様子で、熱の入った口調で語り続けます。

「名前はエルター・リステリオス。南方風の名前に違わず、ロッケスフレット公国からバドール魔術学院に留学してきた褐色の肌の美青年なんだ。以前からうちの学院でも噂になってたけど、万事控えめで礼儀正しくって、学業も優秀。他の男子みたいな馬鹿っぽい言動もなく素直で正直。うちの生徒の中には、もう秋祭りの踊りの相手に彼を選ぼうって目論んでるもいるくらいだよ」

 男女二つの魔術学院を創設した古の大魔導士バドール様は、年頃の男女が学業に専念できるよう、男女を川一本隔てた別の学校で学ばせることを選ばれました。しかし川ごときで思春期男女の好奇心とほとばしる情念を遮ることができるとお考えなのでしたら、憚りながら大魔導士といえども、見通しが甘いと申し上げざるをえません。


 一方リュライア様にとっては、こうした話題ほど退屈なものはございません。男女の話題でしたら、魔法薬の原料に適しているのは黒沼ガエルの雄雌どちらかについて議論する方がまだしも興味を惹くやもしれません。このままですと話が進みませんので、わたくしが口を挟みました。

「それで、そのお二人はどのように出会われたのですか?」

 クラウ様のおそばに歩み寄り、背を傾けてお声を掛けますと、クラウ様は椅子から飛び上がらんばかりに驚かれましたが、すぐに調子を取り戻されました。

「それがね、素敵な偶然だったの! ベルは、晴れた日のお昼をあの丘で過ごすのが好きなんだけど、春祭りの日だから他に誰もいなかった。その日は昼前に雨が降ったけど、すぐ晴れたからみんなお祭りに行ってたし。で、その丘でいつものように景色を眺めようとしたら、突然背後から声を掛けられたんだって」

「それが運命の男性だったということですね」

 クラウ様は、わたくしの言い回しに激しく首を振って同意されました。「そう、ベルが振り向いた先に立っていたのは噂のエルター君! 彼は偶然その日、虹を見るために見晴らしのいい丘に登ってみたんだって。で、虹が見えたんだけど、虹のアーチの下にいたのがベルだったってわけ」

 わたくしは、おやっと眉を上げました。興味なさげに聞かれていたリュライア様も、ちらりとクラウ様に目を向け、次いでわたくしの視線を捉えて、残念そうに小さく首を振られました。

 一方クラウ様はわれわれの動きには気付かず、そのままお話を続けられます。

「ベルには虹は見えなかったけど、実際朝方の雨の後には虹がかかっていたのを級友が話してたから、別に不思議には思わなかった。でもそれはどうでもよくって、大切なのは完璧青年のエルター君と二人きりで会話できたってこと! ベルったら何を言われたかはほとんど覚えてないけど、またここで会う約束をしたことは間違いなかったとか言って、実際それからちょくちょく会うようになったの」

「それは何よりでございます」わたくしは当たり障りのない相槌を打ちつつ、益体やくたいも無い話を続ける姪を視線で殺そうとされておられるリュライア様を無言でたしなめました。一方クラウ様の弁は、ますます冴えわたります。

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