執事たる者甘すぎず、使い魔たる者猫すぎず

倉馬 あおい

珈琲1杯目 猫と執事と留学生(1)

 わたくしが使い魔としてお仕えしている魔導士・リュライア様は、とてもお優しい方でございます。現に本日も、朝から姪のクラウ様が突然押しかけてこられて居間の椅子を占領されておられますが、リュライア様は親族を追い出すようなことはなさっておられません――少なくとも、今のところは。

「ねえリュラ叔母様、差し出し済みの手紙を奪い返す魔法ってあるかな?」

「無い。お前は何を言っているのだ? 帝国郵便公社に喧嘩を売る気か?」

 追い出すことはなされませんが、クラウ様の突拍子もない問いへの答えは、どうしてもかような調子になってしまいます。リュライア様はその琥珀色の瞳でクラウ様をひと睨みされましたが、クラウ様は気にせず椅子から身を乗り出しました。

「実は僕、困ったことになっててさあ」

「知るか。お前の困ったことはいつも自業自得だ。あと自分のことを『僕』と呼ぶのは控えろ。一応馬鹿にも性別はあるだろうが」リュライア様は膝の上に乗る猫型の使い魔を――わたくしですが――優しく撫でながら冷たく言い放ちました。しかしその程度で引き下がるクラウ様ではございません。

「ねえ叔母様、今日はあの綺麗な美人さんの執事はいないの?」

「ファルなら、お前が来るのを察知して買い物にでも行ったのだろう。用がないならさっさと学院に戻れ。というより、もうとっくに講義は始まっているだろう。無断欠席するつもりではあるまいな?」

 詰問調のリュライア様の指摘を、クラウ様は手をひらひらと振って受け流しました。わたくしの存じ上げるところでは、クラウ様の通われているプラトリッツ魔術女学院は自由闊達な校風なれど、朝から授業をすっぽかすことを容認するほど寛大ではなかったはずでございますが、ご主人様はその点には触れず、深くため息をついてクラウ様の行状を嘆かれました。

「まったくお前ときたら……姉上に頼まれなければ、誰がお前の保護者になぞなるものか」

「それよりもさ、一刻を争うんだ。あの手紙を取り返さないと、大変なことになっちゃうの!」

「そうか、では是非とも大変な目に遭ってくれ」

 リュライア様はクラウ様の叫びを無視し、わたくしを抱き上げてあごの下をくすぐり始めました。

「私にとっては、もし南のザントリンド王国との戦争が始まったら、海路で輸入されてくる珈琲の供給が途絶えるかもしれないということの方が一大事だな」

 わたくしといたしましては、このままご主人様の愛撫に身を委ねていたいところでございますが、クラウ様のお話にも興味がございます。

「んー? ミアンは気にしなくていいのよ、あんな馬鹿の寝言は放っておいて」

 リュライア様にとって、使い魔であるわたくしの考えを察することなど造作もないことです。どうやらクラウ様の懇請は黙殺することにされたらしく、わたくしの耳の付け根を優しく撫でることに集中されておられます。しかし、この程度であきらめるクラウ様ではございません。あどけない顔に、狡猾な笑みが浮かぶのが見えました。

「ねえ叔母様。こないだ市場ですごく趣味のいい白磁のマグを見つけたんだけど」

 リュライア様のお手が止まりました。最近クラウ様は、叔母であるリュライア様を扱う術を会得し始めたご様子です。巧妙なのは、すぐに話を続けずに、リュライア様がこの話題に食いつく――失礼な表現をお許しください――のを待ってから、相手が知りたい情報を落ち着いた口調で語り始めたことです。

「無地だけど、手ごろな大きさだし、何よりもあの白い磁器の質感が気に入ったの。あれはかなりの名匠の作品ね。幸いお母様からのお小遣いが届いたばっかりだったから、思い切って買っちゃったんだけど……」

「話を聞こうか」リュライア様はあっさりと豹変され、わたくしを床に下ろされました。「ミアン、すまないがファルを呼んできてくれ」

「ファル? やっぱりあの執事さん、いるんじゃん!」

 期待に目を輝かせるクラウ様の脇をすり抜けて、わたくしは猫用の扉から廊下へ、そして自室に引き下がります。そして人間の姿に――ミアンという猫の使い魔から、リュライア様がファルとお呼びになる女性の執事の姿に――変身いたしました。魔法とは、まことに便利なものでございます。このわたくし、ファルナミアンにもいささか魔法の心得はございますが、いつかこのような高度な魔法を自在に使えるようになりたいものです。……例えば、猫から人間に変身した際、服も何も身に着けていないという欠点を克服した魔法とか。


「お待たせをいたしました」

 執事の身なりを整えたわたくしが、お飲み物を載せた銀の盆を捧げ持ち、リュライア様のお部屋に戻りますと、クラウ様がものすごい勢いで振り返られました。お首を痛めなかったか心配です。

「ご苦労だがファル、一緒にクラウの言うことを聞いてくれないか」

 わたくしの差し出す珈琲を受け取られながら、リュライア様はクラウ様を横目でご覧になられました。「その馬鹿には泥水でも当てがっておけばいい」

「あいにくと泥のご用意がございませんで。クラウ様には、新鮮なオレンジを絞ったお飲み物をご用意いたしました」

 わたくしはクラウ様の隣の小卓に、セネリア産ガラスの杯に入ったお飲み物をお載せいたしましたが、クラウ様は何もおっしゃらずに、わたくしの顔を食い入るようにご覧になられていらっしゃいます。

「クラウ、美人がそんなに珍しいか?」

 リュライア様に呼びかけられ、はっと我に返られたクラウ様は、あわてて前に向き直られました。「べ、別にそんな……」

 わたくしは一歩下がって部屋の隅でお話を伺うことにいたしましたが、クラウ様が横目でわたくしを盗み見られるので、クラウ様の真後ろに移ります。

「そこでいいぞ、ファル。さ、話せ」

 リュライア様がお命じになられると、クラウ様はようやく本題に入られました。

「ええっと、事の発端は三か月前の春祭りなんだけど、僕と同じ学寮のベルって子が……」

「人の名前は正確に言うよう、マーファお姉様から言われているはずだが」

リュライア様がご注意されますと、クラウ様は肩でため息をつかれました。

「じゃ、ノイルバール帝国海軍卿付き軍政官ミュルダン伯の長女ベルディッサ・ジェムトン、通称ベルって子が、学院の北にある『風の丘』で、運命の人と出会っちゃったの!」

 運命の人、という単語を耳にされたリュライア様は、フンを鼻を鳴らしました。クラウ様はそれには気付かれないご様子で、熱の入った口調で語り続けます。

「名前はエルター・リステリオス。南方風の名前に違わず、ロッケスフレット公国からバドール魔術学院に留学してきた褐色の肌の美青年なんだ。以前からうちの学院でも噂になってたけど、万事控えめで礼儀正しくって、学業も優秀。他の男子みたいな馬鹿っぽい言動もなく素直で正直。うちの生徒の中には、もう秋祭りの踊りの相手に彼を選ぼうって目論んでるもいるくらいだよ」

 男女二つの魔術学院を創設した古の大魔導士バドール様は、年頃の男女が学業に専念できるよう、男女を川一本隔てた別の学校で学ばせることを選ばれました。しかし川ごときで思春期男女の好奇心とほとばしる情念を遮ることができるとお考えなのでしたら、憚りながら大魔導士といえども、見通しが甘いと申し上げざるをえません。

 一方リュライア様にとっては、こうした話題ほど退屈なものはございません。男女の話題でしたら、魔法薬の原料に適しているのは黒沼ガエルの雄雌どちらかについて議論する方がまだしも興味を惹くやもしれません。このままですと話が進みませんので、わたくしが口を挟みました。

「それで、そのお二人はどのように出会われたのですか?」

 クラウ様のおそばに歩み寄り、背を傾けてお声を掛けますと、クラウ様は椅子から飛び上がらんばかりに驚かれましたが、すぐに調子を取り戻されました。

「それがね、素敵な偶然だったの! ベルは、晴れた日のお昼をあの丘で過ごすのが好きなんだけど、春祭りの日だから他に誰もいなかった。その日は昼前に雨が降ったけど、すぐ晴れたからみんなお祭りに行ってたし。で、その丘でいつものように景色を眺めようとしたら、突然背後から声を掛けられたんだって」

「それが運命の男性だったということですね」

 クラウ様は、わたくしの言い回しに激しく首を振って同意されました。「そう、ベルが振り向いた先に立っていたのは噂のエルター君! 彼は偶然その日、虹を見るために見晴らしのいい丘に登ってみたんだって。で、虹が見えたんだけど、虹のアーチの下にいたのがベルだったってわけ」

 わたくしは、おやと眉を上げました。興味なさげに聞かれていたリュライア様も、ちらりとクラウ様に目を向け、次いでわたくしの視線を捉えて小さく首を振られました。

 一方クラウ様はわれわれの動きには気付かず、そのままお話を続けられます。

「ベルには虹は見えなかったけど、実際朝方の雨の後には虹がかかっていたのを級友が話してたから、別に不思議には思わなかった。でもそれはどうでもよくって、大切なのは完璧青年のエルター君と二人きりで会話できたってこと! ベルったら何を言われたかはほとんど覚えてないけど、またここで会う約束をしたことは間違いなかったとか言って、実際それからちょくちょく会うようになったの」

「それは何よりでございます」わたくしは当たり障りのない相槌を打ちつつ、益体やくたいも無い話を続ける姪を視線で殺そうとされておられるリュライア様を無言でたしなめました。一方クラウ様の弁は、ますます冴えわたります。

「最初のうちはお互いの魔術学院の授業の中身とか話してたんだけど、そのうち個人的なことも話すようになってさ。エルター君の故郷は港町で、船に興味があるって言ったら、ベルも自分の父上が海軍の船造技術者だった関係で海とか船にも興味があるって分かって、あとは完全に意気投合って感じになって……」

 リュライア様の忍耐が限界に達する前に、わたくしは静かに進み出て、リュライア様のカップに珈琲のお代わりを注ぎました。リュライア様は、救われたように珈琲の芳香を味わい、クラウ様のお話が終わるまで、この黒い液体の助けを得ることとされたようです。

「……で、エルター君は子供の頃、造船所で造ってる大きな軍艦の骨組みを見ながら育ったわけ。知ってる? 大きな船って、オーク材だけじゃなくって、モミとかマツとか、いろんな木材を使うんだってさ。で、材木の種類ごとに造船所の端に積み上げて乾燥させてる光景とか、すごい迫力だって言ってた。って、ベルが言ってたの。すごく幸せそうにね」

 リュライア様とわたくしは再び視線を交わしましたが、リュライア様はあきらめたように目を伏せ、珈琲を堪能されることに集中されました。その間も、クラウ様の「説明」は続きます。

「夕方になると、よく近所の子供たちと船の船尾から船首まで、船の竜骨に沿って夕日に向かって駆けっこしたりもしたんだけど、一度も負けたことが無かったってさ。魔法使いを目指すにしては足が速いと思ってたけど、それなら納得……」

「そのエルター君がいかに好青年で、ベル嬢の心を鷲掴みにしたことはよく分かった。だから頼む、そろそろいい加減に本題に入ってもらえないかな?」

 ついにリュライア様の忍耐が限界に達されましたが、クラウ様はとくに悪びれる様子もなく、それならとあっさり話題を転じられます。

「ってな感じで、ベルとエルター君の仲は単なる顔見知りから友人になって、そしてとうとう先週、僕と付き合ってくれないかって告白されたんだって! 初めて会った丘の上で!」

 クラウ様に至らぬところがあるとすれば、ご自分のお話に夢中になられると、目の前の相手が死んだ魚のような目をしていたとしても、まったくお気づきにならないことかと存じます。こうした恋愛話も、同年代の乙女なら黄色い嘆声を発して続きをせがむものかと思いますが、あいにくとリュライア様はそうした趣味は持ち合わせておられません。我が主人が凍てつくような視線を浴びせたにもかかわらず、クラウ様は半ば夢見心地で続けました。

「もちろん、ベルはお付き合いに同意したよ。ただ、交際してることは学園内はもちろん、お互いの家族にも秘密にするって条件が付いたんだ」

「まだ交際には早い、ということでしょうか?」

 わたくしがお尋ねいたしますと、クラウ様はにっこり笑ってうなずかれました。「そう。特にベルのお父様は、可愛い愛娘に悪い虫がつかないかすごく心配してるみたいなの。十日に一度は手紙を送ってくるほど娘のことを気にしてるけど、年頃の娘を持つ父親ってそういうものじゃないの?」

 わたくしは曖昧な笑顔で応えてから、本題にお引き戻しいたました。「手紙と言えば、取り返すお手紙というのは?」

 一瞬、クラウ様のお顔がひきつりました。それをご覧になられたリュライア様の目が鋭く光ったのを、わたくしは見逃しませんでした。

「ま、まあ……その……今も言ったとおり、ベルのお父様って、娘の交際について、すごく厳しいらしいのよ」

「年頃の娘を持つ父親はそういうものらしいな」珈琲を一口堪能されたリュライア様が、皮肉な口調で指摘されました。「それで?」

 わたくしは珈琲のお代わりをご用意しようとしましたが、リュライア様は無言で小さく首を振られましたので、クラウ様のお話を伺うことにいたしました。

「で、ベルが僕に相談しに来たの。このまま親の知らないところで交際を続けて、もし何かのきっかけでお父様にエルター君との交際が知られたらどうなるかを考えると、このまま秘密を守り続けるよりも、いっそのことお父様に打ち明けた方が良くないかって」

「ベル嬢は相談する相手を間違えているな。どうせお前のことだ、それならすぐに父親に洗いざらい話すべきだと、何も考えずに勢いだけでけしかけたのだろう?」

 リュライア様がため息まじりにつぶやかれると、クラウ様はぎくりと椅子の上で飛び跳ねました。とても分かりやすい反応に、リュライア様は力なく空の珈琲カップを皿に戻されて、深々と嘆声を上げられます。

「お前に唆されたベル嬢は、エルター氏との交際を認めてくれるよう父親に手紙を書いた。しかし正気を取り戻してから、そんなことをしたところで父親が許すとは思えず、むしろ明確に反対される可能性の方が高いことに気付いた。そんなところか?」

「うーん、ちょっと惜しいかな」クラウ様は目を泳がせつつ、できるだけ軽い調子で答えられました。「ベルがお父様に、交際を認めてくれるよう手紙を書いたのは事実。でも、昨夜手紙を投函して、今朝そのことをエルター君に話したら、彼がものすごく驚いちゃってさ」

「それは驚くだろうな」

 リュライア様はいらだたし気に机をこつこつと指先で叩きました。クラウ様は相変わらず視線を宙に彷徨わせたままです。

「でもエルター君、ただ驚いたって言うんじゃなくって、狼狽しちゃったんだ。もしベルのお父様が学校に怒鳴り込んだりして自分とベルとの交際が発覚したら、留学生の自分は帰国を命じられてしまうってね。どうやらエルター君のお父様もかなりの堅物らしくって、魔法の勉強一筋に打ち込むっていう条件でやっと留学を認めてもらえたのに、異性との交際にうつつを抜かしてるなんて伝わったら……」

「留学生という要素を綺麗に忘れていたのか。後先考えずに突っ走るとは実にお前らしい」

リュライア様は指先で机を撫で始めました。猫――わたくしのことですが――をもふもふしたくて仕方ないという時の仕草でございますが、あいにくとクラウ様の前で猫に戻ることはできませんので、代わりに話をまとめることといたしました。

「つまりクラウ様、そのベルディッサ様のお手紙を取り返せばよろしいのでございますね? ベルディッサ様のお父様がお読みになる前に」

「そう! そうなの!」

 クラウ様は激しく点頭され、わたくしと、次いでリュライア様の目を捉えてここぞとばかりに訴えの声を上げられました。

「お願い、リュラ叔母様! 魔法で何とか手紙を取り返して!」

「魔法で? 帝国郵便の集配所を襲えというのか? それとも、ベル嬢の実家を焼き討ちしろと? それなら山賊や盗賊団を雇う方がよさそうだな」

 姪の必死の嘆願も、リュライア様のお心をわずかでも動かすことは出来なかったようです――いつものことではございますが。クラウ様も、リュライア様から慈愛に満ちたお答えを引き出すことは期待されておられないようで、続けてこうおっしゃいました。

「そういうのだったら僕が自分でやるんだけど……実は、手紙の宛先はベルの実家じゃなくって、お父様のお勤め先の海軍省の建物なの」

リュライア様の指が止まりました。その反応を楽しむように目を細めながら、クラウ様は無邪気な笑顔を浮かべました。「だから魔法でも使わないと、取り返せないでしょ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る