珈琲6杯目 (3)砂漠の民に砂を売る
この質問は、クラウ様を文字どおり飛び上がらせてしまいました。
「ど、どういうこと!?」
「魔法生物学は、クラウ様のお好きな科目でございます。また、『図説・北辺に棲む魔獣一覧』は、二年次生ご進級の折に手にされて、非常にお喜びになられて何度も読み返されておられました」
期せずしてわたくしとクラウ様の目が合いましたので、わたくしは穏やかに微笑み返しました。
「いくらお金に窮したとはいえ、そのような大切なご本を質入れするとは、わたくしにはどうしても考えられません」
「分からんぞ、ファル。人間窮すれば何でもするものだ……この馬鹿が人間かどうかは知らんが」
珈琲を飲み干されたリュライア様が、横目でわたくしを睨まれました。わたくしはポットから珈琲のお代わりをお注ぎしながら、やんわりと受け流します。
「もしリュライア様がお金に困るような事態に陥った場合、珈琲用の陶磁器を手放されますか?」
「…………」リュライア様は不機嫌そうに珈琲を一口すすられますと、クラウ様に視線を向けられました。「で、どうなのだ?」
「うん、実は……教科書を質入れして困ってるのは、僕じゃなくって、友達なんだ。級友のレシーリエって
「お前に唆されて外れ馬券に小遣いを突っ込んだのか」
リュライア様のお顔が、固く引き締まりました。クラウ様は慌てて弁明されます。
「そ、そんなことしないよ! 競馬場には誘ったけど、馬が走るのを見ようって言っただけで、馬券を買うことまでは……」
「言い訳無用!」リュライア様は言葉の鞭でぴしりとクラウ様を打たれました。「つまりお前は、級友を窮地に追いやった責任を感じて、こんな無理難題を引き受けたということだろうが!」
「おそれながら、リュライア様」わたくしは身をかがめて、リュライア様のお耳のそばに口を寄せました。「この一件、このわたくしめにお任せいただけますか?」
「何?」リュライア様がわたくしを見上げるとの同時に、クラウ様が歓喜の叫びをあげられました。「ファル! もちろん、お願い!」
「お前は黙ってろ」
リュライア様は烈火の如き一瞥でクラウ様を黙らせますと、首を曲げてわたくしに尋ねられました。
「いくらお前でも、この条件で魔導年鑑を売るのは無理だろう? お前は砂漠の民に砂を売りつけられるのか?」
「幸いなことに、明日から二日間、第四区の広場で蚤の市が開かれます」
わたくしはリュライア様の視線を受け止めて、悠然と笑み返しました。
「リュライア様お気に入りの珈琲館『メナハン・カフタット』が、会場の一角で珈琲と軽食を販売するそうでございます。明後日はリンカロット競馬場で重賞・三月賞が開催される関係上、蚤の市はさほど混雑しないかと思われますので、上得意のリュライア様がお頼みすれば、割り当て地の一部をお借りすることができるでしょう」
「まさか、そこで魔導年鑑を売る気か?」
リュライア様の声に、当惑の色がにじみます。わたくしはご主人様の不安を払拭するように、はっきりとうなずきました。
「お察しのとおりでございますが、一つお願いがございます」
「何だ?」
「珈琲部屋の隅に置いてございます、
リュライア様の琥珀色の目が、驚きで見開かれました。「あの珈琲用具を置くのに使っている、脚が猫足のクルミ材のあれか? 他の部屋に合わんから物置台に使っているが、あれでも一応、名匠デライトルーガの末期の作だぞ?」
「まさしくその小卓でございます。以前蚤の市で、リュライア様がわずか二ゼカーノでお求めになった掘り出し物です」
「それって、本当は高いの?」
クラウ様の目が一瞬光りましたが、わたくしは気づかぬふりをして答えました。
「好事家の中には、二百ゼカーノ出すという方もいらっしゃるそうで」
「二百!」クラウ様が目を丸くして叫ばれました。わたくしはクラウ様が邪なことを考え出されないうちに、急いで付け加えます。「当家のものは状態が完璧とは申せませんので、もう少し値段が下がるかと存じます。それに……」
「蚤の市の決まりでは、いわゆる『抱き売り』は禁止されているはずだ」リュライア様はクラウ様を睨みつけたままおっしゃりました。「魔導年鑑とデライトルーガを一緒に売るというのも一案だが、蚤の市では使えない手だぞ? それにそもそも、あれを売りに出すつもりは無い。特にクラウ、お前のために売るなぞ論外だ」
「今回は、あれを手放すことはいたしません」わたくしはリュライア様に請け負いました。「あくまで、お借りするだけでございます」
わたくしの考えをお察しいただけたのでしょう、リュライア様は小さくうなずかれました。「いいだろう。好きに使え」
「でも、本当に大丈夫?」
むしろクラウ様の方が、ご不安になられたようでございます。わたくしは、いつものとおり笑顔で応えました。
「やり方さえ工夫すれば、砂漠の民に砂を売ることも不可能ではございません。万事、このファルナミアンにお任せあれ」
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