珈琲6杯目 (2)教科書、質流れ

「失礼いたします」

 執事姿のわたくしが、銀の盆を手に書斎に戻りますと、クラウ様がものすごい勢いで振り返られました。

「ファル、何とかして!」

「放っておけ」リュライア様はいとも冷たく言い捨ててから、「それよりファル、この馬鹿がまた面倒を持ち込んできた。クラウ、もう一度顛末を話して聞かせろ」

 わたくしはクラウ様の脇の小卓に春蜜柑の搾り汁を満たしたグラスを置き、リュライア様にはモルカビオ産の珈琲をお注ぎいたしました。その間クラウ様が、先ほどのお話――何故『帝国魔導年鑑』十年分を売る羽目になったのか――を、改めてご説明くださいました。わたくしが部屋を出ている間、リュライア様に問い詰められながら答えられたことも含めて、でございます。

「では、一度質流れしてしまったら、買い戻しは不可だとおっしゃるのですね?」

 わたくしが驚きの表情で問いかけますと、クラウ様は憤然とうなずかれました。

「そうなんだよ! ひどいでしょ? どうにかしてお金を都合するからって言っても、流れた質草は元の持ち主には売らないって契約だからの一点張り。何でも、昔書店が質屋業を始める時に国から出された条件なんだってさ」

「お前のような阿呆学生を甘やかさないための対策だな」

 リュライア様はあくまで冷静でございます。「通常の質屋なら、質入れした品が質流れになっても、金の都合が付けば本人が買い戻せばいい――他人に買われる前にな。だが書店が教科書を担保にする場合は、学生に厳しく人生の何たるかを教えよということだ。これに懲りたら、今後は学問の道具をカタにして金を借りようなどと思わんことだな。むしろ、課題を達成したら教科書を返すと言ってくれているだけありがたいと感謝することだ」

 なるほど、何故クラウ様が「教科書を買い戻すからお金貸して」とおっしゃらなかったのか、その理由をようやく理解いたしました。わたくしはリュライア様のおそばに立ち、クラウ様の心配を和らげるべく優しい表情で口を開きました。

「では、状況を整理いたします。お金がご入用になられたクラウ様は、第六区の学術書店<黄金の栞堂>に、魔法生物学と薬草学と魔法史の教科書、それに絵入り参考書『図説・北辺に棲む魔獣一覧』の四冊をお預けに――いえ、直截に申し上げれば、この四冊を質草にして、帝国金貨で三ゼカーノ借りられました。期日は一か月で、利息は二セリウス。しかし……」

「先週の春競馬で、こいつの賭けた馬は見事大差で一着だった」珈琲を一口お飲みになられたリュライア様が、怒りをにじませた口調でおっしゃられました。「ただし、一着だがな」

 つまり最下位ということでございます。わたくしはクラウ様をお慰めするように、つとめて明るい調子で続けました。

「春競馬の祭典、帝都優駿に向けた軍資金作りが不調に終わったクラウ様は、質請けの期限――一昨日おとといですが――までに借入額と利息をご用意することかなわず、質入れした四冊の学術書は全て質流れとなりました。しかし教科書が無ければ、苦手な魔法史はもちろん、得意科目である魔法生物学も、単位取得が極めて困難となってしまいます。そこで<黄金の栞堂>の店主であるグーレム氏に質草の買戻しについて提案されたところ……」

「質流れした学生の教科書は、元の持ち主には売らないという契約約款をタテに言下に拒否された。だがグーレム氏は寛大にも、教科書を取り戻すための条件を示した。それが、氏の店の棚を無駄に占領している『帝国魔導年鑑』十冊を売り飛ばすこと、というわけだ」

 リュライア様はゆっくりと珈琲を一口お飲みになられてから、しかし、と付け加えられました。

「一見寛大だが、実はかなり意地の悪い条件が付いている。まず、十冊全てを売り切ること。十人に一冊ずつ売っても、一人に十冊売っても構わんが、十冊全部を売らねばならんということだ。それも、最低三ゼカーノ二セリウス以上で売ることときている……質草を買い取るのだから当然だが、それにしても強気の価格設定だな」

「次に、本として売ること」わたくしは、リュライア様に珈琲のお代わりをお注ぎいたしました。「『暖炉の焚き付け』や『鈍器のようなもの』として売ることは不可、ということでございますね。また、表紙だけ残して中身を別な本に変えるという小細工も不可とのことで、あくまで魔導年鑑として売れということでございます」

「そして、期限は今度の公休日まで。つまり明後日までにこの不可能を成し遂げろということだが」

「それにもう一つ――これらの条件を守っているかどうか確認するため、店主のグーレム氏がご覧になられているところで売ること。これがなかなかの難事でございますが、今まで挙げた条件と比べればどうということもございまい」

 わたくしの言葉が、事態の深刻さを浮き彫りにしたためでございましょうか。クラウ様が椅子から身を乗り出して、必死に快活さを装います。

「で、でも有利な条件もあるよ! まず、売ることになってる年鑑は、どれも新品同様の美品なんだ!」

「当然だ。あんなもの、五百年前ならともかく、今となっては誰も読まん。皆魔術審議会がうるさいから買っているだけで、買った瞬間用済みだ」リュライア様は首を振って、珈琲に口を付けられました。「もともと装丁の美麗さだけが売りの本だ。定価一ゼカーノ五セリウスのうち、装丁に一ゼカーノ四セリウスかけているなどと揶揄される所以ゆえんだな」

「それにさ、最低価格の三ゼカーノ二セリウスに、魔導年鑑十冊の販売額としてお店で付けてた金額、一ゼカーノを足した四ゼカーノ二セリウスよりも高い金額で売ったら、差額を僕に進呈することになってるんだ!」

「呆れてものが言えん。それはお前が有利になるだけで、売ることの困難さには微塵も影響しない……そもそも過去の魔導年鑑十冊に一ゼカーノという価格設定自体が狂気の沙汰だというのに、四ゼカーノ二セリウスだと? 一体どこの間抜けがそんなふざけた値段であの紙の束を買うというのだ?」

「うん……まず、無理だよね。でも、だから何とか知恵を貸して欲しいんだ! お願い、リュラ叔母様! ファル!」

 クラウ様は椅子から立ち上がられますと、リュライア様の机に手をついて懇願されました。「お願いだよ! もう教科書を質に入れたりしないから!」

「学生として当然のことと引き換えに、何かを要求するとは虫が良すぎる」

 リュライア様の反応は、控えめに申し上げても冷淡そのものでございます。一方わたくしは、これまでのお話にいくつか合点がゆかぬことがございましたので、ご主人様に遠慮しつつも、クラウ様にお尋ねいたしました。

「クラウ様。教科書を質に入れたのは、本当にクラウ様でいらっしゃいますか?」

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