珈琲5杯目 (8)猫と執事と黒ネズミ
「なあんだ、それじゃあ身体検査にも<魔力探知>にも引っかからないわけだよ」
<氷結>魔法で冷やした春蜜柑を口に運びながら、クラウ様が残念そうに首を振りました。「みんなが身体検査を受けてる間、盗まれたはずのメダルはもう一枚のメダルのすぐ下に隠してあったなんて! <魔力探知>しても、引っかかるのは兄のメダルってことになるじゃん!」
「そこが、ホーニッツ氏の巧妙なところでございました」
わたくしはリュライア様に珈琲のお代わりを注ぎながら、クラウ様をお慰めするようにご説明いたしました。
「メダルを二枚盗むと予告状を出したのも、レンテラー邸から自分のメダルを持ち出すための伏線だったのでございます。メダルの片方が謎の手段で盗まれた、自分のメダルも危ない――メダルを持ち帰る口実としては十分でございます」
「ああ、だからあのとき、ファルは馬車を調べろとか言ったんだね!」
クラウ様は目を見開いて、称賛のまなざしでわたくしをご覧になられました。
「台座にメダルを隠していることに気付いていないふりをして、ホーニッツを油断させたんだ!」
「ご賢察、おそれいります。まだあの時点では確信は持てませんでしたが……」
「それで、持ち出した後はどうする気だったのかな?」
「決まっている。二枚まとめて売りさばくのさ」リュライア様は珈琲をお飲みになられ、深々とため息をつかれました。「ホーニッツにはグリフェンデラール伯というお得意様がいる。盗品だろうと何だろうと、目を付けた品物には金に糸目をつけずに買いあさる奴だ。今回の件も、予め話をつけておいてから計画を練り上げたのだろう……仲介者を立てない分、奴の取り分も増えるはずだ。動機としては十分な程にな」
「そっか」
クラウ様は感心しきりといったご様子で、よく冷えた甘い果実を口に運ばれましたが、ふと気になられたようにわたくしの顔を見上げられました。
「でもさ、もしホーニッツがすっとぼけたら? 警務隊が押し掛けてメダルを見つけても、『メダルを盗むなんてとんでもない、家に帰って台座を調べたら弟のメダルが入っていた、誰かが隠しておいて、後で二枚とも盗むつもりに違いない、自分はしらない』って言い張られたら?」
ゼルベーラ隊長が、ほう、という表情でわたくしと目を合わせました。
「いい視点だ。君もいい警務隊員になれるぞ」
「むしろ犯罪者の側だろう」リュライア様がつぶやかれましたが、隊長は聞き流されたようです。
「実は我々もそれを懸念していた。台座の件がある以上、明らかに弟のメダルを盗む気満々だと言えるが、証拠としては微妙だとファングルー治安判事もおっしゃっておられた。だが――」
そこまでおっしゃってから、リュライア様に向かってグラスを掲げられました。
「策士、策に溺れるという奴だ。そしてその策を見破ったのは、他ならぬリュライア師の使い魔・ミアンだったんだ!」
「しかし、ホーニッツがすっとぼけたらどうする?」
ホーニッツ邸に向かう馬車の中で、わたくしとゼルベーラ隊長は突入の段取りを打ち合わせました。ファングルー治安判事は逮捕劇には参加されませんが、公平な立場で――催吐薬で珍味佳肴を台無しにされた恨みは棚上げして――一連の出来事の証人となられるご予定です。ゼルベーラ隊長が、クラウ様と同じ懸念を口にされたのは、ホーニッツ邸まであと五分程度のところまで来たときのことでございます。
「盗んだのは自分ではない、台座を開けたらここにあった。すぐに警務隊に届けるつもりだった。そんな言い訳をされたら、奴を有罪に持ち込むのは難しいぞ。台座の構造は、どう考えても盗むためのものだが……」
「おっしゃるとおりでございます」わたくしはうなずきました。「一番確実に有罪にできるとすれば、ホーニッツ氏が誰かに、おそらくはグリフェンデラール伯あたりに二枚のメダルを売却したところを押さえることでしょう。しかしそれでさえ、彼が盗んだことを立証するのは難しゅうございます」
「ではどうする?」
「まずはメダルの回収でございます」わたくしは、馬車の立てる騒音に負けぬようにはっきり申し上げました。
「警務隊が来訪し、メダルの行方を調べると告げる。家探しすれば間違いなく弟のメダルが発見されるはずで、そこでホーニッツ氏が罪を認めればそれでよしでございますが、問題は二枚のメダルを台座に置いたまま、二枚一緒に保管していた場合でございます。この場合、弟のメダルが何故こんなところにあったか知らないとシラを切ることができてしまいます。その場合でもメダルは遺失物として警務隊が回収し、バルトーリ氏の元に戻すことはできますので、最低でもそれが達成できればよしとしましょう」
「これほど大胆な犯行を考える奴だ。私がやりましたと素直に認めはせんだろう」
隊長は難しいお顔で腕を組まれました。やはり法の番人として、罪を犯した者を野放しにされるのは我慢ならないのでございましょう。それでは、とわたくしは提案することにいたしました。
「実はホーニッツ邸には、リュライア様の使い魔を先行させています」
「何? 使い魔というと……あの銀色の猫か? ミアンとか言ったが」
「はい。彼女に窓から監視させましょう」
ゼルベーラ隊長に提案した計画は単純でございました。まずわたくしがホーニッツ邸の一角に潜入し、そこでミアンと落ち合う(実際は、わたくしが猫形態に変身するだけでございますが)。そこでわたくしが指示を出し、ミアンがホーニッツ氏の私室の様子を探る。彼が台座のメダルに手をつけず、そのまま保管するようなら突入は見合わせて別の手立てを考える。もし彼が台座から弟のメダルを回収し、そのまま懐にしまうようなら、警務隊に踏み込むよう合図する。
「台座から盗品を回収していれば、知らなかったと弁明するのは苦しくなるでしょう。もちろん、後で警務隊に提出する気だったと強弁される可能性はございますが」
「そうだな。だが、それが一番よさそうだ」
ゼルベーラ隊長は横に座るファングルー治安判事のお顔を伺いましたが、判事殿は窓の外をご覧になられて、聞こえぬふりをされておられます。判事殿にとって、使い魔が絡むのは裁判の際に面倒になるということでございましょう。
ともかく、計画は実行に移されました。ホーニッツ邸の近くに馬車を止めた警務隊は、隊長の号令一下、邸内のどこからでも突入できる準備をされました。一方わたくしは、ホーニッツ邸の塀を攀じ登ると、この種の邸宅の庭に付き物の茂みを見つけて、そこでミアンに変身いたしました。わざわざ茂みに隠れたのは、人間に戻るときのことを考えてのことでございます。無論、このくだりは隊長にもクラウ様にも秘密でございますが。
猫になったわたくしは、屋敷の周囲を回りました。まだホーニッツ氏が帰邸してそれほど時間は経っていないはずですので、彼が戦利品を確認している現場を押さえられる可能性は十分ございます。
案の定、二階の書斎と思しき部屋がその現場となっておりました。窓から覗き込みますと、書斎の床には台座を持ち帰るのに使った鞄が放り捨てられていて、ホーニッツ氏が書き物机に置かれた二枚のメダルを――まぎれもなく、双子の竜牙製メダルでございます――眺めて涎を垂らしそうな表情でいるのが見えました。横から見るその表情は、昼間見せていた怯えるウサギのような顔からは全く想像もできない、狡猾で邪悪なものでございます。そして氏は、二枚のメダルを机に引き出しにしまい込み、もう一度その笑みを漏らされました。
わたくしはそっと地上に降りますと、塀の上に登ってから、声の限り猫の鳴き声を上げました。すると信じられない速さで、周囲の街路からわらわらと警務隊員が飛び出して来られました。
「一班は私に続け。二班は裏口を押さえろ。三班は待機して周囲を警戒」
静かに、鋭い声でゼルベーラ隊長が指示を飛ばされます。そしてご自身は一直線に玄関に取り付き、帝国警務隊が公用で来た、直ちにホーニッツ氏にお会いしたいと
「ホーニッツ殿、突然の訪問申し訳ない」
玄関が開いてから書斎に到着するまで、二分とかからなかったでしょう。息一つ乱さず一礼した隊長は実に見事でございましたが、それを出迎えたホーニッツ氏も敵ながら天晴でございました。
「これはゼルベーラ隊長……おや、ファングルー治安判事殿まで。ああ、丁度よかった、実は先ほど、持ち帰ったメダルを金庫に保管しようとしたところ、大変なものを見つけてしまいましてな。これから警務隊に届けに行こうとしておりました」
そして机の引き出しから二枚のメダルを取り出し、そのうち小さい方を隊長と治安判事に示しました。
「今日盗まれた、弟の方のメダルです。何者かが、私のメダルの台座に隠したようです……おそらくは、予告状を出した者だと思いますが」
敵もさるもの、先手を打ってきました。警務隊か誰かがメダルを持ち出せる唯一の方法に気付く可能性を考慮し、このような事態を想定していたに違いありません。警務隊が屋敷に乗り込んできたら、メダルを隠すような真似はせず、素直に差し出して自分は知らなかったとシラを切る作戦です。自分で二枚売りさばいて巨利を得ることは出来ませんが、窃盗犯として帝国司法当局のお客様となることもありません。
勢い込んで乗り込んだゼルベーラ隊長も、出鼻を挫かれ、慎重に言葉を選びます。
「そうですか。ではメダルを確認いたしますが……」
そして、机の上の台座を目に留めて、驚いたようにホーニッツ氏に向き直りました。「弟のメダルが隠されていたのは、この台座のくぼみですか?」
「ええ」
「この台座を作ったのは?」
「私ですよ。交易品を売る時も、額縁や台座が価値を引き立てることもありますからな。若い頃から、この程度の工作は自分でやっておりまして」
ゼルベーラ隊長が巧妙だったのは、何故メダルの厚みより深いくぼみを作ったのか、あえて尋ねずに沈黙に語らせたことでございます。何かボロを出すはず――犯罪者に対峙してきた経験がものを言った瞬間でございます。
果たしてホーニッツ氏は、いくぶん落ち着きを失ったように見えました。そして、予め用意していたであろう策を講じることにしたようです。実は、と声を落として、告解するような神妙な表情で隊長に切り出しました。
「先ほど屋敷から戻った時に、こちらが届いておりまして……」
ホーニッツ氏はそう言って、書き物机の上に置かれていた一枚の用箋を隊長に差し出しました。皺ひとつない用箋を受け取った隊長は、目の前のテーブルにそれを置くと、内容を読み上げました。
「……『カランティック兄弟のメダルを持ち出していただき感謝する。近日参上。警務隊には話すな。もし話せば、今度は血が流れる』。筆跡は前回の予告状のものによく似ていますね」
隊長はそうおっしゃって、懐中から警務隊に届いた最初の予告状の封筒を取り出し、中の予告状を広げて部屋の中央のテーブルに並べました。「確かに同じ筆跡だ」
「おそらく、最初の予告状を出した盗賊が出したのでしょうな。警備が厳重なレンテラー邸より私の屋敷から盗む方が容易だと、そう判断したのでしょう……すぐにお伝えすべきとは思いましたが、警務隊に話せば血が流れるとありましたので……」
ホーニッツ氏は言い訳の言葉を並べ立てましたが、確かに筋は通っています。隊長は今回届いた予告状を慎重に取り上げ、折り目のつかぬよう判事殿に渡しました。
「ところで、この第二の予告状を受け取ったのは誰です?」
「そこにいる私の従僕です」
ホーニッツ氏が部屋の入口を指すと、レンテラー邸で台座受け取りの鞄を運び込んだ従僕が立っていました。「おい、手紙を見つけた時のことを話してくれ」
「は、はい。レンテラー様のお屋敷から戻って、私が玄関を開けようとすると、扉の下に見覚えのある封筒が差し込まれておりました。帝国郵便なら、ここではなく郵便受けに入れるはずだと不審に思って封筒を見ますと、以前受け取った予告状と同じ筆跡の封筒でございました……受付印は無かったので、帝国郵便を介さず、直接ここに届けられたのだと思います」
「その封筒は?」隊長が尋ねると、従僕は哀れなほど狼狽いたしました。
「それが……すっかり動転して、暖炉で燃やしてしまいました」
「私が指示したのですよ」ホーニッツ氏が口を挟みました。「内容が内容でしたからな。いずれは予告状そのものも燃やしてしまうつもりでしたから」
「それは残念だ」
あまり残念そうでない表情で、ゼルベーラ隊長は感想を口にされました。それから従僕の方を向いて、「封筒は前回と同じものだった? 色や大きさ、筆跡も?」
「あ、はい。それは間違いないと思います……前回の予告状と、まったく同じでしたから」
「私もそれは確認しています」とホーニッツ氏。
「ふむ……」
新しい予告状を読み終えたファングルー治安判事殿は、用箋をテーブルに戻してから、静かにため息をつかれました。「どうするかね、ゼルベーラ隊長?」
「そうですね。とにかくメダルは回収しますが……」
これはいけない、とわたくしは焦りました。せっかくホーニッツ氏が墓穴を掘ったというのに、お二人ともそれに気づいておられません。人間形態のファルであれば、ひと言指摘するだけでホーニッツ氏を逮捕に持ち込めますが、猫形態では言葉を発することができません。リュライア様がいらっしゃれば、<念話>の魔法で意思の疎通ができるのですが、それもかないません。さりとて今人間形態に戻ったとしても、誰も謎解きには耳を貸しますまい――突然全裸の美女が出現したことの衝撃が全てを持って行ってしまいますから。
わたくしは意を決し、テーブルに飛び上がりました。それまでわたくしの存在に気付いていなかったホーニッツ氏が仰天して追い払おうとしましたが、隊長が手で制しました。わたくしは隊長の目を捉えてから、まず警務隊に届いた最初の予告状を、次いでホーニッツ氏に届いた今回の予告状を見て、両者を見比べるよう隊長に促してから、爪で最初の予告状を横に引っかく真似をいたしました。
「失礼しました。これは、我が隊の愛猫でしてね」
ゼルベーラ隊長は、淡々と詫びてわたくしを机から取り除けました。「分かった分かった。危ないから、あっちに行っていなさい」
どうやら、わたくしの必死の伝言が伝わったようでございます。隊長は、さり気ない調子で、治安判事殿に声を掛けられました。
「この予告状を出した者は、やはり最初に予告状を出した者と同じでしょうか」
「そう思えるね」判事殿は気づいておられぬようですが、とりあえず隊長の質問には素直に答えることにされたようでございます。
「彼らの話では、今日届いた予告状も、前回と全く同じ封筒に入って送られてきたとか。ただし帝国郵便ではなく、直接この屋敷に届けられたそうですね」
「彼らはそう言っているよ」
判事が疲れた口調で同意されてから、ゼルベーラ隊長はホーニッツ氏に向き直りました。「今の内容に、相違はございませんね?」
「ええ、間違いありません」
ホーニッツ氏がうなずいた瞬間、隊長が獅子吼と言うべき大声を上げられました。
「全員確保ッ!」
訓練された警務隊の皆様の動きはお見事でした。隊長の後ろに佇立していた四人の隊員の皆様は弾かれたように室内に突入し、次の瞬間にはもうホーニッツ氏と従者を取り押さえていました。
「な、何故……?」
治安判事とホーニッツ氏が、同時に声を上げられました。前者は興味津々に、後者は憎々しげに。ゼルベーラ隊長は、テーブルの上の二枚の予告状を顎で示しました。
「教えてください、ホーニッツ殿。今回の予告状も、間違いなく前回と同じ封筒に入って送られてきたとおっしゃるなら――」
隊長は、わたくしを抱き上げて耳の後ろを撫でながら、勝ち誇った声でホーニッツ氏に尋ねました。
「何故、今回の予告状には折り目が付いていないのですかな?」
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