珈琲5杯目 (7)祝杯
「おはようございます、リュライア様」
「……おはよう」
明らかに寝不足の目をこすりながら、リュライア様が食堂に降りてこられました。本日の我が家の食堂には、既に先客がおられます。昨夜こちらにお泊りになられたクラウ様と、昨夜メダルを盗んだ犯人を捕らえ、ほぼ徹夜で調書を取り終え一件落着されたゼルベーラ隊長のお二人でございます。
「おはよう、リュラ叔母様」
「おはよう。もう昼近いが、一応おはようを言っておこう、寝ぼすけ魔導士殿」
「…………」半分眠っておられるリュライア様は、どかりと椅子に腰を落とされました。クラウ様の目の前に積まれた空の皿も、昼前から当家秘蔵の葡萄酒で祝杯をあげておられるゼルベーラ隊長の上機嫌なお顔も、死んだ魚のような目で見つめるばかりでございましたが、わたくしがお淹れした濃い珈琲を一口飲まれますと、ようやく意識が明瞭になられたようでございます。
「リリー、君が今ここにいるということは、奴は全て認めたということだな」
「そうとも我が友。輝かしい勝利を祝って、ひとつ乾杯といこうじゃないか」それから深紅の液体を満たしたグラスを捧げる仕草をされました。「ああ、九十八年産カインセイウス! これぞまさに勝利の美酒だ!」
「おいファル、いくら何でも気前が良すぎるだろう」春野菜のスープにパンを浸しながら、クラウ様はわたくしに抗議の視線を向けられました。「あれは秘蔵の逸品だったというのに」
「申し訳ございません。ただ、いかなる美酒も飲んでこそかと思いますので」
「うむ、そのとおりだ! では、偉大な魔導士、リュライア・スノート師に乾杯! その使い魔、ミアンにも乾杯だ!」
「ミアンだと?」わたくしの猫形態の名前に、リュライア様がピクリと反応されました。「ミアンがどうしたというのだ?」
「おやおや、君の使い魔だろう? 昨日は見事な働きだったぞ……姿が見えんが、どこにいる?」
「知らん。今頃どこかほっつき歩いているのだろうよ」
そうおっしゃられて、わたくしにちらりと視線を投げられました。わたくしがミアンでもあることは、ゼルベーラ隊長にもクラウ様にも、秘密でございます。
「おやおや、今回の事件の功労者にひどい台詞だな」
やや興ざめされたように、ゼルベーラ隊長はグラスをくるくると手の中で回されました。すかさずクラウ様が身を乗り出されます。
「ねえ、もう教えてくれていいでしょ? 結局、犯人は誰だったの?」
「何だ、まだ教えていなかったのか」
リュライア様は、わたくしとゼルベーラ隊長を交互に見、呆れたように肩を落とされました。「とっくに教えていたと思っていたぞ」
「すまんな。君が教えたいと思っていてね。すぐに起きてくると思ったから待っていたんだが」
隊長は悪戯っぽく微笑むと、グラスの中身を一口飲まれました。
「もう調書は取ってある。犯人について、部外者に説明しても構わんよ」
「部外者ってのは心外だなー。僕もいろいろ手伝ったのに」
「ほう?」リュライア様の目が、ちかっと光りました。ご主人様は珈琲のカップを皿に戻されると、ひたとクラウ様の目を見つめられました。
「ではいろいろ手伝ったお前に聞こう。犯人は誰だと思う?」
「え」
何も考えておられなかったらしく、クラウ様は目を丸くして固まられました。そしてちらちらとわたくしに救いを求めるまなざしを送って来られます。わたくしは苦笑して、助言を差し上げました。
「クラウ様。まずは『誰が』よりも、『どうやって』を考えてみましょうか」
「どうやって?」
昨夜のレンテラー邸でも、同じ会話がございました。警務隊の馬車に向かいながら、わたくしはゼルベーラ隊長とファングルー治安判事が、まったく同時に同じ問いを発せられたことに微苦笑を禁じ得ませんでした。
「確かに、それが分かれば犯人は分かったも同然だろうな」
判事殿は腕を組み、ゆったりとした足取りで階段を下りながらつぶやかれました。「せっかくの素晴らしい料理を吐き戻させた犯人、許しておけん」
どうやら判事は、メダルを盗んだ行為よりも美食を台無しにされたことに憤りを感じていらっしゃるようでございます。ゼルベーラ隊長が葡萄酒に薬を混ぜたことに激怒されたことといい、我が国の司法体制にいささか不安を覚えます。
「その前に確認だ。メダルはすでにこの屋敷から持ち出されているというのだな?」
先頭を歩くゼルベーラ隊長が、やや厳しい口調で問われました。わたくしはその背に、はい、とお答えしました。
「犯人によって持ち出されています。我々は、それを取り戻しに行くのです」
「わからん。この屋敷に出入りする者は全員身体検査をして、メダルを持っていないことはもちろん、盗みに使えるような怪しい道具も持っていないことを何度も確認している」隊長は顔だけで振り返り、わたくしに抗議の視線を送りました。
「賊、つまり『黒ネズミ第十二号』は、我々に気付かれぬように外からやってきて、例の嘔吐騒ぎに乗じて我々に気付かれぬようにメダルを盗み、我々に気付かれぬように出て行った、ということか?」
「もちろん、そのようなことはございません」わたくしは穏やかに首を振りました。
「黒ネズミ氏は堂々とこの屋敷に入り、メダルを手にして堂々と出て行かれました。盗んだところだけは我々に見られてはおりませんが、あの嘔吐騒ぎの中では誰も気づきません」
「あのとき、誰がどこにいたかを正確に再現するのは不可能だが」
ファングルー治安判事が遠慮がちに声を上げられました。
「しかし、台座のメダルから衛士や警務隊の注意が逸れたのはせいぜい数秒だろう。うむ、確かにメダルを台座から取ることは出来るな。しかし首尾よくメダルを入手できても、屋敷の外に持ち出すのは不可能だ」
「……待て、盗まれたのは双子のメダルのうち一枚だけ、弟エルックのものだけだ」
階段を下りきった隊長が、何かに気付かれたようです。
「それと何か関係があるのか?」
「黒ネズミ氏は、メダルを二枚とも盗んでみせると、わざわざ予告状まで出して宣言していました」わたくしは隊長に続きながら、玄関に向かう廊下を進みました。
「しかし盗まれたのは一枚だけ。考えられるのは、二つの可能性です」
「ふむ……まず一つ目は、盗むことができなかったということか」
追いついてこられた判事殿が、ぼそりとつぶやかれました。
「時間が無かった。近くの誰かが怪しい動きに気付いた。何かの手違いがあって、片方しか盗めなかった……いや、あの混乱の中であれば、気付かれずに二枚とも盗む余裕はあっただろう。メダルはそれほど大きいものではないし、二つの台座の間にいれば、両手で同時に二枚を取ることも十分可能だったはずだ」
「判事殿がおっしゃるとおり、一つ目の可能性はないな」
我々が屋敷の玄関まで来ると、ゼルベーラ隊長は見張りの部下に指示を出し、ここはレンテラー家の衛士と魔導学院の魔導士に任せて、総員自分について来るよう命じられました。
「では第二の可能性だ」屋敷を出、玄関前に警務隊の馬車が来るのを待ちながら、ゼルベーラ隊長はゆっくりと推測を口にされました。
「そもそも、盗むべきメダルは一枚でもよかった」
「もう一枚は、盗む必要が無かった」これは判事殿。
「あるいは、盗むのは一枚でなければならなかった」
わたくしが後を続けますと、隊長は不敵な笑みを浮かべられました。
「やっと分かったよ。盗み出した手口も、その犯人も」
しかし、ファングルー治安判事殿は微妙な表情を――例えるなら、街で見ず知らずの人から久しぶりと声を掛けられたときのような、困惑した表情を――浮かべておいででしたので、わたくしは控えめに申し上げました。
「最初に気付いたのは、台座の作りの違いでございました。判事殿はご覧になられておられないので、気付かれないのもやむを得ぬかと」
「ふむ」判事殿は曖昧にうなずかれました。
「わたくしがリュライア様と共にメダルを、正確には双子の兄・イルアンのメダルを拝見した際、メダルが収まっていた台座のくぼみを見ました。メダルの厚みは帝国金貨二枚分程度ですが、それを収めるくぼみは明らかにそれより深く、わたくしが指を入れて調べた感じでは、メダルの厚さの二倍はあったと思われます」
わたくしの説明に、判事殿の表情が少しずつ晴れてこられました。「二倍、ねえ」
「そのくぼみにメダルをはめ込んでも沈みこまなかったのは、まず兄のメダルと同じ大きさの円形のくぼみがあり、さらにその内側に、やや小さい円形のくぼみが施されていたためでございましょう。一方、盗難騒ぎの際に弟のメダルが嵌っていた台座のくぼみを拝見いたしましたが、こちらにはそのようなくぼみはございませんでした」
「つまり兄の方の台座のくぼみは、意図的に設けられていたということかね。弟のメダルを隠し入れるために」
判事が頓悟の表情を浮かべられたとき、警務隊の馬車が到着いたしました。ゼルベーラ隊長が、すでに集結していた帝都警務隊第七隊の隊員の皆様に凛呼としたお声で告げられました。
「これより、『黒ネズミ第十二号』の捕縛ならびに盗まれた二枚の竜牙メダルの確保に向かう。行先は、交易商のホーニッツ邸だ」
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