珈琲3杯目 猫と執事と自室謹慎(2)

「ただいま戻りました」

 わたくしがお屋敷に戻ったのは、もう深夜を過ぎた時分でございました。出がけにリュライア様には、遅くなるので先にお休みいただくよう申し上げておいたのですが、どうやら珈琲の助けを借りて、ずっと起きてわたくしの帰りを待っておられたようです。

「遅くまでどこに行っていた? いや待て、その猫は何だ?」

 寝間着姿で居間の長椅子で横になっていたリュライア様は、飛び起きながらわたくしに質問を浴びせかけられました。「それにその格好……なぜそんな裾の長い外套を着ている?」

 なるほど、確かに今のわたくしの姿はいつもとは異なっております。足下まである長い冬物の黒い外套を身にまとい、手には眠っている黒い猫を抱えています。

「ご質問は後ほど。まずはこの猫を、わたくしの寝室にお連れしますので」

「おい、まさかその猫は……」

 リュライア様が絶句されました。わたくしはうなずいて、腕に抱えた黒猫の背をそっと撫でます。「はい。お察しのとおり、クラニアル市長の愛猫・ロシャム嬢でございます」

「ゆ、誘拐してきたのか!?」

「お言葉ではございますが、誘拐ではございません。わたくしは第二区にございます市長宅のお近くまで参りましてから、路地の陰で猫の姿に変わりまして、塀を乗り越え市長宅のお庭にお邪魔いたしました。そこで夜の庭を巡回中のロシャム嬢をお見かけし、ちょっと一緒に外を歩きませんかと提案しただけでございます」

「お前という奴は!」意外にも、リュライア様は色をなしてお怒りになられました。「他の女に色目を使いおって!」

「他の猫でございますよ」わたくしは笑顔であしらいました。「見知らぬ人間には警戒するであろうロシャム嬢も、同じ猫には気を許していただけたようでして。ロシャム嬢はわたくしの提案に応じ、邸外までご一緒することになりました。そしてわたくしが猫に変身した場所までご案内し、人間の姿に戻ったわたくしは持参したカルタリアの葉でロシャム嬢を酔わせて、ここまでお連れしたという次第でございます」

「やはり誘拐ではないか。……いや待て、猫から人間に変わったということは……」

 リュライア様は外套姿のわたくしを上から下まで眺め回され、そこで初めてお気づきになられたようでございます。「まさかお前、その外套の下は、な、何も着ていないのか!」

 お顔を真っ赤に染められたリュライア様に、わたくしはことさら表情を消してお尋ねいたしました。「何か問題がございましたでしょうか?」

「あるに決まっているだろう! 自分の使い魔が変質者のような格好でうろつき回って喜ぶ魔法使いがいるか!」

「申し訳ございません。これも必要なことでございまして……ですが、ご懸念には及びません」わたくしは一歩リュライア様に近づきますと、とっておきの微笑を放ちました。「わたくしが一糸まとわぬ姿をお見せするのは、リュライア様だけでございますから」


 次にリュライア様が居間にお姿をお見せになられたのは、翌日のお昼過ぎでございます。昨夜はあの後、わたくしの外套一枚だけの格好に対するリュライア様の興奮状態に対応するべく、市長の飼い猫を休ませた後はひたすら……その興奮をお鎮めしておりました。

「おはようございます、リュライア様」

「…………おはよう。って、何だその格好は!?」

 まだ夢見心地のリュライア様は、わたくしの姿を見て一気に目を覚まされたようでございます。ただいまのわたくしは、普段の執事の格好ではなく……。

「まるで大商人の妻のような服装ではないか!」

「はい。そのような服を選んでおります」わたくしはすっと背を伸ばし、ちょっと首を傾げてみました。「いかがでしょう、執事よりは商家の奥方に見えましょうか?」

「お、うむ……」

 リュライア様は目をしばたたかせつつ、椅子にぺたんとおかけになられました。しばらくそのままわたくしを眺めておいででしたが、わたくしが机の上のポットから注いだ珈琲を一口お飲みになられますと、たちまちいつものご主人様に戻られました。

「確かに、富裕な商家の妻の格好だ。ただ、平均的な女性よりも背が高いのと、顔が整いすぎているのが目立つな」

「おそれいります。顔につきましては、ヴェールをかけて隠してまいります」

 わたくしの答えに、リュライア様は目覚めの珈琲をもう一口飲まれてから、好奇心を押さえかねる口調でお尋ねになられました。

「そもそもそんな格好をして、どこに行くつもりだ?」

「ロシャム嬢をお返しするために、市庁舎へ行ってまいります」

 リュライア様はロシャム嬢の存在をお忘れになられていたらしく、数瞬固まっておいででしたが、間もなく思い出されました。

「市長の猫か。もう返すなら、何故わざわざ拐わしたのだ?」それから、はっとしたご様子で、「これも、姉上の件と関係あるということか?」

「はい。もう出かけなければなりませんので、詳細は後ほどご説明いたします。お食事をご用意できませんでしたが……」

「適当に厨房の残り物をあさっておく。それよりも、頼んだぞ」

 リュライア様は、わたくしをひたと見つめられつつ、真剣な声でおっしゃられました。もちろん、わたくしの答えは決まっております。

「はい。万事、このファルナミアンにお任せあれ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る