珈琲2杯目 猫と執事と怪しい仕事

珈琲2杯目(1)

「信じられん……」

 リュライア様は、机の上に置かれた白磁のカップを凝視しながら、わたくしにも見るよう小さく首を振られました。先ほどからわたくしも眺めておりましたが、これはまぎれもなく白磁製の飲器、それも東方産のかなり上質な逸品に相違ございません。

 わたくしが無言でうなずくと、リュライア様はこの陶磁器を持ち込まれた方――誰あろう、姪のクラウ様でございます――に、烈々たる視線を向けられました。

「正直に言え、クラウ。どこで盗んだ?」

「やだなあリュラ叔母様ったら。人聞きの悪いこと言わないでよ」

 本日のクラウ様は、プラトリッツ魔術女学院とバドール魔術学院の共通の制服ともいうべき濃紺のケープをお召しになられておいでです。そのエルフ絹特有の艶のある生地を揺らしながら、クラウ様は上機嫌で微笑まれておられますが、リュライア様にとってはそのよう姪の態度がお気に召さないご様子で、不機嫌そのものの表情のままつぶやかれました。

「……待て。そう言えば先月、お前らの学院の資料保管庫からユニコーンの角が盗まれた事件があったな。犯人も角もまだ見つかっていないそうだが」そのまま疑いのまなざしをクラウ様に向けられました。「まさかお前、金に窮するあまり……」

「叔母様、ひどーい! ちゃんとした労働の対価としてもらったんだよ!」

 クラウ様は椅子の上で足をバタつかせなつつ抗議されましたが、この答えと態度はリュライア様の更なる問いを引き出しただけでございました。

「ほう、労働の対価ときたか」

 依然としてクラウ様を睨みつけながらも、わずかに口元を緩めたリュライア様は、どんな労働なのかと当然の問いを発せられました。その厳しい目元をうかがう限り、まともな仕事の報酬だとは微塵も考えておられないようです。一方クラウ様も、笑顔のままちょっと首を傾げられる以上の反応は示されません。

「うーん、一応秘密厳守って言われてるからなあ」

「そうか。ならこれは受け取れんな」リュライア様は、躊躇うことなく白磁の飲器をクラウ様の方に押しやりました。「犯罪に関するものでないと証明されない限り、どれほど見事な磁器であっても受け取らんぞ。さっさと持って帰るか、手に入れた経緯を正直に話すかだ」

 リュライア様はそれだけおっしゃると、椅子に深く背を埋めながら珈琲を口にされました。しかしクラウ様は全く困惑された様子はなく、悠揚迫らぬといった感じで口を開かれました。どうやら事の次第を話されたくて仕方ないご様子です。

「じゃ、話すね。でも他言無用だよ?」

 リュライア様は完全に黙殺されましたが、わたくしは一応おごそかにうなずいて見せました。クラウ様はそれで満足されたらしく、椅子から身を乗り出されて事の次第を話され始めました。

「発端は、第六区の街道沿いにある掲示板の広告だったんだ。ほら、リュラ叔母様に白磁のマグの代わりを用意することになったからさ。どうしてもお金が欲しくって」

「労働の尊さに目覚めたなら、学院内の求人掲示板を見ればいいだろう」

 リュライア様の仰せのとおり、社会とのつながりを重視するプラトリッツ魔術女学院では、学生に小遣い稼ぎの労働を認めています――無論、学業の妨げにならない程度にという条件付きではございますが。

「やだなあ叔母様。学校が紹介する求人なんて、死ぬほど退屈な割に手間賃は安いってのばっかりだって知ってるくせに」

 クラウ様はにやつきながら、椅子の上で両脚をばたつかせておられます。確かに学生向けに紹介されるお仕事は、魔導書の翻訳や学院図書館の蔵書の虫干しなど、十代の若者の情熱と感性を刺激するような作業ではございません。クラウ様なら、お金を払ってでもやりたくないとおっしゃるでしょう。

「だから先週、放課後に第六区の掲示板を見に行ったんだ。あそこなら、たまに魔術学院の学生向けのおいしい仕事が一般の求人に混じってることがあるし」

「そこで今回の仕事を見つけたわけか。強盗か? 詐欺の片棒を担ぐのか?」

「残念でした。見つけたのは、『急募、魔法使いまたは魔導具の知識のある方求む。魔術学院学生可。勤務は週一日、複数週の可能性あり。報酬は一日十ゼカーノ』って求人だよ」

 珈琲カップを口元に運ぼうとしていたリュライア様のお手が止まりました。十ゼカーノと言えば、一般的な職人の半月分の給料に相当いたします。それをわずか一日の労働で得られるというのですから、驚くなと言う方が無理でございましょう。

 クラウ様は、明らかに叔母上の反応を楽しんでおられるご様子で、満面の笑みと共に先を続けられました。

「これは掘り出し物だってことで、すぐその足で求人広告に載ってた職場に直行したよ。場所は第四区のさびれた商業区域で、目当ての店の前にはもう面接受ける人たちが並んでた」

 日給十ゼカーノを提示されればさもありなんということでしょう。それにしても、求人を目に留めるや時を置かずに行動に移るというのは、いかにもクラウ様らしゅうございます。

「順番待ちの中には、僕と同じプラトリッツの制服を着た子も何人かいたよ。『のっぽのミドラ』とか『丸っこアレーナ』とか。どっちも上級生だけど、学校の成績は上位だから、こりゃー先を越されるなあと半分諦めたよ」

 でも、と得意満面に胸を反らせてクラウ様は続けられました。「先輩方はダメだったみたいで、面接で店の中に入って行ったと思ったら割とすぐに暗い顔して出ていった。そうこうするうちに僕の番になったからお店の中に入っていったけど、店の奥の机を前に座ってた店主さんは、僕を見るなり『プラトリッツの学生さんですね。何年生ですか?』って聞いてきたんだ。で、二年生になったばかりですって正直に答えると、店主さんは満足そうにうなずいてもっと質問してきた。『得意科目は何ですか?』ってさ」

「お前の得意科目?」リュライア様が、細めた目をクラウ様に向けられました。「面白い。何と答えたのだ?」

「もちろん、本当のことを答えたよ。『たいていの科目は得意です。魔法史は先生が苦手なので多少思わしくない成績ですが』って」

「よくも抜け抜けと」リュライア様はため息をつかれると、再び珈琲に視線を落とされました。クラウ様の魔法史の成績は目を覆うばかりで、魔術法に至っては壊滅的。要するに、実践的でない分野は落第上等というわけでございます。

「でも店長さんは喜んでくれたよ。興奮気味にさ、『仕事の内容を説明したいのだが、口は堅い方かな?』って身を乗り出して聞いて来るんだ。当然、信頼していただいて結構ですって力強くうなずいたよ」

「ああ、それはお前を信頼する方が悪いな」

 珈琲を飲み干されたリュライア様は、わたくしの目を捉えてお代わりを所望されました。同時に、再び深いため息を漏らされます。「口が堅いと言うわりに、今我々にべらべらしゃべっている」

「そりゃ、叔母様に話せって言われたからだよ。そうでもなきゃ口を割ったりしないってば」

 クラウ様は少しむきになって反論されましたが、すぐに話をお戻しになられました。「で、その仕事の内容なんだけど、今度の公休日……って次の日なんだけど、この店に来て、午前中に店主さんのご子息に魔術学院について教えて、午後になったら地下倉庫の整理をしてほしいっていうこと」

「そんな仕事で十ゼカーノだと?」

 わたくしからお代わりの珈琲を受け取られたリュライア様は、あやうく手にしたカップを取り落とすところでございました。驚かれるのも無理はございません。お話をうかがう限り、せいぜい半ゼカーノ――学生ならさらにその半分――といった作業内容ではありませんか。ここに至ってリュライア様は、カップを机上に置いてクラウ様に向きなおられました。

「やはり何かウラがある。犯罪組織か何かが新手の金儲けの手口を……」

「そう言わずに聞いてってば。何でも、店主さん――ゴディルって人だけど、ずっと北の方で古道具屋をやってたんだって。ところが最近伯父さんが亡くなって、他に身寄りがなかったから店主さんが相続人になったんだけど、この店を遺産として残してくれた。で、せっかく魔術学院の学生が多い街なんだから、ひとつ魔道具の店を開こうか、っていうのがコトの背景なんだってさ」

 明るい口調で語られるクラウ様を疑わし気な目でご覧になりながら、リュライア様は一度置かれた珈琲カップに手を伸ばされました。

「実に都合のいい伯父だな。不動産を持っているが身寄りは少ない、か」

 しかしクラウ様は全く気にされた様子もなく、お話を続けられました。

「お店を引き継いだこともそうだけど、相続した店の倉庫に魔道具がいくつか残ってるらしいのも幸運だったみたい。でも、魔道具を鑑定できる奥さんが、こっちに来る直前に馬から落ちて大怪我しちゃって。できればお店は魔術学院への編入生が締め切られる三月までに開きたいから、急遽奥さんの代わりに魔道具を鑑定できる魔法使いを探してたってわけ」

 クラウ様は一度言葉を切りましたが、それはリュライア様の反応をうかがうためではなく、得意げに胸を反らせるためでございました。

「もちろん僕は引き受けるって即答したよ。そしたらゴディルさんも喜んでくれて、即採用だって言ってくれた。作業内容はさっき説明したとおりで、契約の条件として秘密を他に漏らさないこと、作業時間は厳守すること。あと、午後の倉庫整理の時は服が汚れないよう着替えを用意するから、午前中の学園説明の時は魔術女学院生であることが分かるよう制服姿で来てほしいってのも条件だったな。その代わり、賃金は一日の終わりに金貨で支払うこと、店側の都合で作業時間が延長される場合は、相応の割り増し賃金を支払うことが向こうの義務ってことだったから、問題ありませんって答えて契約成立。面接はその時点で終了になったよ」

「ほう、では採用されたのはお前一人だけか」

 クラウ様が話される間珈琲を堪能されておられたリュライア様は、カップを手にされたままクラウ様に目を向けられました。クラウ様は無邪気にうなずかれ、勢い込んで話を続けられます。

「そう。で、いよいよ次の日……って今日なんだけど、ちゃんと時間どおりにお店に行ったよ。指定どおり、学院の制服を着てね」

 クラウ様は、今お召しになられているその制服――古式ゆかしいローブに、着用者の魔力に反応して色合いが微妙に変化する濃紺のエルフ絹のケープで、在学中のみ貸与される魔導学院の生徒である証――を誇らしげにリュライア様に示されましたが、我がご主人様は「学生が休日も制服を着ることは別に珍しいことではあるまい」と軽くいなして珈琲を一口お飲みになられました。

 リュライア様のおっしゃるとおり、プラトリッツ魔術女学院の寄宿舎に住まう学生の皆様は、外出時も制服をお召しになられることが一般的でございます。放課後や休日の服装は自由ですが、新入生は先輩方から私服で外出するのは止めろと助言されるものでございまして、その忠告に耳を貸さなかった学生は、外出から戻った際に学院所属の使い魔の門衛と身分の証明を巡って不毛な論争をする羽目になり、夜の門限に間に合わなくなる危険にさらされます。それを避けるためには、運よく通りがかった級友に助けてもらうか、さもなくば学生だけが知っている秘密の抜け道――学院の敷地を囲むレンガ塀に空いた穴――を使って学内に戻るしかありませんが、前者の場合は食事をおごらされ、後者の場合は夜間学院敷地内を巡回警備する狼の使い魔に発見されて荒ぶる寮監の前に突き出される危険を冒すことになります。

「それよりも、お前がきちんと時間を守れた方が奇跡だな」リュライア様は、クラウ様の服よりも業務内容に関心を示されたご様子です。「で、何をさせられた?」

「それが本当に契約どおりだったんだ。午前中は、ゴディル店長の息子さんの部屋で、プラトリッツ魔術女学院のことについてお話しただけ――ゴディルさんも一緒に聞いてたけどね。そのままお昼もごちそうになって、午後は向こうで用意してもらった作業着に着替えて、埃っぽい地下倉庫に入って中の品物を魔道具とガラクタに仕分ける作業をずっとしてたよ」

「いろいろ聞きたいことはあるが、一つ一つ確認しよう」

 リュライア様は小さく、しかし斬るようにおっしゃってから、珈琲のカップを受け皿に戻されました。「まずは店主のゴディル氏とその息子についてだ。彼らは本当に親子なのか?」

「は?」

 予想外の質問に、クラウ様は目を丸くして数瞬固まっておられましたが、すぐに意識を取り戻されたようです。ただ、お声の調子からはいささか自信が失われたご様子でした。

「まあ、たぶんね。別に出生証明とか見たわけじゃないけど……確かに顔はあんまり似てなかった。でも……」

「年齢はどうだ? 子供の方は何歳くらいだ?」リュライア様は容赦なく斬り込まれます。

「うーん、いくつくらいだろう? 僕よりは年上だと思うけど、背は低かったし……二十代くらいかもしれないけど、それにしては少し年のいった顔かな」

「ゴディル氏のご子息の背格好は、ちょうどクラウ様と同じくらいだったのではありませんか?」

 わたくしが思わず口を挟みますと、クラウ様は椅子から飛び上がるほど驚かれて、こちらを凝視されました。

「えっ……何で知ってるの?」

「失礼いたしました。ただの当て推量でございます」わたくしが曖昧な微笑で誤魔化しますと、リュライア様は意味ありげにわたくしに目配せをされてから、クラウ様に向きなおりました。

「では次だ。午前中から昼にかけて、学院の何を語った?」

 ほとんど追及といった感じの質問にも、クラウ様はまだ多少の余裕をもって答えられました。

「もちろん、ゴディルさんの関心事は商売だからね。今学院の生徒たちが欲しがってる魔道具の話から始まったよ」

 リュライア様はフンと鼻先で笑いました。「おおかた、悪戯用の音響花火だろう」

「そんなんじゃなくて、使い魔用のおしゃれな寝床が最近の流行だよ。もっとも、使い魔を持てるのは最上級生だけなんだけど」

「それで、ゴディル親子の反応は?」

「とっても興味を持ったみたい。そこから使い魔の話になって、もし最上級生以外は使い魔を持てないなら、小型の魔法生物を扱うのはどうだろうって話になったよ」

 リュライア様の眉が、片方だけ上がりました。「魔法生物を売る気か?」

「まさか。可愛いもふもふ系の魔法生物を管理するだけ。で、それを愛でに来る学生から見物料を取るの! お触りは別料金でね」

 ふふっと微笑むクラウ様のお顔を見て、わたくしは案外いい商売ではないかと考えましたが、リュライア様は依然として厳しいお顔です。

「もはや魔道具は関係ないではないか」

「まあ、重要なのは学生相手の商売をすることだし。話題も魔法生物の話になって、学院では魔法生物を飼っていないのかって聞かれたけど、あんまり可愛い系のはいないって答えたよ。とりあえず学院にいる魔法生物を挙げてみたけど……」

「それでしたら、『魔法生物』の授業で見本にする生き物だけではなく、学院で使役している魔法生物もいるのではありませんか?」わたくしが水を向けますと、クラウ様は何故かうれしそうにうなずかれました。

「僕もそれに気づいたよ! だから、夜の見回り役のエイジオとかシニルパリウスとかがいるって説明してあげたんだ」

 フクロウを元にした魔法生物であるエイジオ老と異なり、やはり若い女学生のみなさまには、灰色狼を元にしているシニルパリウス女史の孤影凛然たる姿の方が人気のようです。わたくしは彼女が年中交尾のことしか考えていないという事実を存じておりますが、あえてその点には触れずにおきました。

「それはよろしゅうございました。他にはどのような?」

「庭師さんとこの使役獣のオルゴ……はほとんど山羊だし。あと薬草園のランケは文句なく可愛いけど、管理人さんがアレだからなあ。あ、もちろん例のメルクゥは外せなかったよ」

「ほう、メルクゥですか。珍しい生き物ですから、きっとゴディル氏も興味を持たれたことでしょう」

 わたくしの指摘に、クラウ様は得たりとうなずかれました。「そう。実際メルクゥって、割と可愛いのに実用的だからね」

 ニワトリを球状にし、その羽根を羊毛のような長い毛に置き換えた魔法生物がメルクゥでございます。性状は温厚かつ臆病、草食で日中はほとんど眠ってばかりで飼育の手間はかからないが、寝藁はきっちり三か月に一度交換する必要があるという一風変わった魔法生物ですが、この生き物の真価は夜に発揮されます。不審者と出くわすと、この世の終わりが来たと全世界に知らせるが如き大きな鳴き声――ニワトリとは似ても似つかない、どちらかと言えば西部湿地帯の沼ガエルの断末魔に近い絶叫――を発するという特徴を持っているのです。この騒々しい特質のおかげで、この魔法生物を金庫番の代わりに飼育されるお金持ちも少なくありません。たっぷりの寝藁を三か月に一度取り換える手間とごく少量の飲食物を惜しまなければ、大切な財宝を狙う盗賊を驚倒せしめる大音声を発してくれるのですから、財宝の番人としては、凶暴なサルペンティスに金庫番をさせるよりメルクゥの方が人気なのもうなずけます――野蛮なサルペンティスと異なり、迂闊な警備兵や不運な給餌係が翌朝骨だけになって見つかった、などということはございませんから。

「うちの学院では、三年前に資料保管庫の警報役としてメルクゥを一匹飼うことにしたんだ。魔法生物の授業で寝てるところを見る以外接点は無いけど、例のユニコーンの角が盗まれた時に初めて叫び声を聞いたよ。学院の外れにある資料保管庫の中で鳴いたのに、学生の寄宿舎にまで聞こえるなんて本当にすごい声だったなあ」

「メルクゥは警報装置としては非常に優秀だ。それを金庫ではなく資料保管庫に置くとは、さすが魔導学院だな」リュライア様は軽く机を指先で叩かれました。「それで、メルクゥに対するゴディル氏の反応は?」

「それがね、北部にいた時に、大商人の家に入った泥棒がメルクゥのおかげでお縄になったって話を聞いて以来、ずっとどんな生き物か知りたかったって言ってたの。だから、学院のメルクゥが活躍した話にもすごく興味を持ってくれちゃってさあ」

「つまり、部外者にユニコーンの角の盗難事件の話をしたのか」

 リュライア様は何かを諦めたように首を振りましたが、続きの言葉を口にされる前にクラウ様が先に弁明されました。

「みんな知ってることしか言ってないよ! ……こっちもそれしか知らないし」

「ふん、あの事件は公式には学院関係者以外秘密ということになっているはずだがな。それで、具体的にあの事件の何を言った?」

 クラウ様は幾分困惑気味に話されました。先月、二人組の盗賊が学院に侵入した。そして無人の資料保管庫に安置されているユニコーンの角――本体から切り離されてもなお強大な魔力を宿し、魔法使いはもちろん、不老長寿を願う金持ち等にとっては千金に値する逸品――を盗み出そうとしたが、角を収めたラステリウム製の収納鞄を開けて中身を確認したその瞬間、ラステリウムで遮断されていた魔力に反応したメルクゥが飛び起き、保管庫の片隅に置かれた自分の寝床の上で絶叫。当直の衛士たちはただちに資料室に急行したが、そこで目にしたのは絶叫し続けるメルクゥと、空の戸棚だった。ユニコーンの角が収められた収納鞄が無くなっていることに気付いた衛士らは、ただちに警笛を吹いて犯人捕縛を目指したが、既に犯人たちは学舎を抜けて西門を目指し逃走しており、衛士たちが見たのは黒いローブ姿で校庭を走り抜ける後ろ姿だけだった。ただしこのとき、犯人たちの手には角の収納鞄は無かったことは、複数の衛士と当直の教員らに目撃されている。そして犯人らは、警笛を聞きつけ西門から学舎に馳せ参じた守護鳥――校外からの侵入者を想定した鳥の石像だが、学院内の捜索となるとまるで役に立たない――をやり過ごして西門に到達し、仲間が御していると思しき馬車に飛び乗って街道方面へ逃げ去っている。

「結局犯人は捕まらないままだったけど、おそらく角は学院の外に持ち去られていないから、学院は帝国司法局の警務隊に通報するのを嫌がったんだ。なにせあの角って、五年前に北のエフランデール魔導学校から友好の記念に贈られた大事なものだから、もし盗まれたなんてことが発覚したらいろいろまずいことが起きるって問題があったわけ」

 リュライア様は薄く目を閉じて珈琲の味を堪能しておられましたが、クラウ様の説明がひと段落いたしますと、陶製のカップの中に視線を漂わせたまま口を開かれました。

「確かに、世間に広まっている以上のことは言っておらんな。それに嘘や誇張を言わなかったことは褒めてやる」そして、殊更に表情を消したお顔をクラウ様に向けられました。「で、ゴディル氏は盗難事件のことは何も知らなかったわけか」

「そりゃ仕方ないよ、北からこっちに引っ越してきたばっかりだし。関心はあったみたいだけど、ユニコーンの角よりも学院のザル警備の方が気になったって感じね」

「実際には、どのような感想を漏らされたのでしょうか?」

 わたくしが控えめにお尋ねいたしますと、クラウ様は少しうれしそうにこちらを向かれました。

「最初の警報になったメルクゥは一匹だけなのかとか、学院内の魔法生物たちは目を覚まさなかったのかとか、満月の夜なのに誰も犯人の顔を見ていなかったのかとか、まだ角が見つかっていないのは、犯人たちが首尾よく盗み出せた可能性はないのかとか……」

「お前は何と答えたのだ?」珈琲を飲み終えられたリュライア様が、空のカップの縁を指でなぞりながら問われました。

「うん。メルクゥは一匹だけしかいない、学院の敷地内の生き物は魔法生物も人間もみんな目覚めたけど寮生の中では何人か眠ったままの子がいた、犯人の顔は衛士も野次馬の学生も誰もはっきり見ていない、角は校舎内も校庭も探してまだ見つかっていないけど学院は盗み出された可能性は低いと考えてる、こんな感じで答えたよ」

 わたくしは珈琲のお代わりをリュライア様のカップにゆっくりと注ぎながら、「あの盗難事件は、正確には先月の何日のことでしたか?」とさり気なくお尋ねいたしますと、クラウ様はちょっと小首を傾げられました。

「うーん、いつだったっけ? ごめん、先月の半ばくらいってのは間違いないけど、何日かまでは忘れちゃった……あ、そうだ! 次の日の魔術法原論が事件のせいで中止になって喜んだから、十八日だ!」

「講義が中止になったことで思い出すとは実にお前らしいな」リュライア様は再び珈琲を口に運ばれながら、唇に皮肉な笑みを浮かべられました。「それで結局、ゴディル氏の新商売は魔法生物になったのか?」

「まさか。盗難事件の話をひととおりしたところで、話題は魔道具に戻ったよ。でももうお昼になってたから、軽い食事をご馳走してもらって午後の作業に入ったよ」

「その午後の作業が、地下倉庫の整理という奴か」

 リュライア様は一口珈琲を味わわれてから、横目でクラウ様に先を促されました。クラウ様も心得ていらっしゃるようで、勢いよくうなずかれます。

「そ。お昼ごはんの後、まず用意された小部屋で作業着に着替えたんだ。ホコリがひどいって言うから、髪も口元も頭巾で覆ってね。そして地下倉庫に通されたけど、確かに何年も使ってないのがすぐ分かるくらいホコリが積もってる倉庫だったよ」

 クラウ様は今でもまだ肩に埃が付いているかのように顔をしかめられましたが、リュライア様は全く同情されることなく無言で先を促されます。

「それで作業っていうのは、倉庫の棚にある品物の中に魔道具が無いかどうか<魔力感知>の魔法で確認して、魔道具とそうでないものを仕分けするって内容。なんでも、この店を遺した伯父さんは、魔道具よりも骨董品の蒐集に熱を入れていたんだけど、どうも目利きの方は大したことなかったみたいだったんだって。それでも外見は魔道具っぽいから、魔法使いが鑑定しないと見分けられないってことなの」

「鑑定作業は、ずっと暗い倉庫の中でやっていたのだろうな」

 リュライア様が気だるげに尋ねられますと、それはもう、とクラウ様は首を縦に振られました。「うん。まだどのくらい売り物になりそうな魔道具があるか分からないから、お店に陳列するのはひととおり鑑定が済んでからだし、ガラクタはそのまま倉庫に置いておきたいっていうから。僕はひたすら燭台とランタンのあかりの下でせっせと鑑定作業を真面目にこなしてたよ」

 真面目に、という単語にリュライア様はぴくりと眉を動かされましたが、気にすべきところは別にございますようで、カップに残っていた珈琲を一気に飲み干されますと、鋭い目でクラウ様を見据えられました。

「お前が“真面目に”労働にいそしんでいる間、ゴディル氏とその息子らは何をしていた?」

「お店を開く準備で忙しいって言ってた。だから買い出しとか役所への手続きとか店内改装の手配とかで、夕方までお店を留守にしてたよ。ちなみに僕の作業は、ときどき手代のカロードさんが様子を見に来てくれたんだ」

「そうか。それでお前の見立てでは、魔道具はどのくらいあったのだ?」

 リュライア様が問われますと、クラウ様は肩をすくめられました。

「それがぜーんぜん。鑑定する道具類はみんないい感じに古くて汚れもないのに、肝心の魔力は全然ないんだもん。まだせいぜい半分くらいしか鑑定できてないけど、この調子じゃ……」

「鑑定すべき道具は、みな倉庫の棚に置かれていたのですか?」

 わたくしが横からお尋ねいたしますと、クラウ様はくるっと首を回してこちらに微笑まれました。

「そうだよ。棚はどれも古いけどしっかりした造りで、前の店主さんが集めていた道具を陳列していたんだって。小物を並べる棚もあれば大きな彫像を置いてる棚もあったけど、まずは小さいものから鑑定して欲しいって言われたよ。上の方は踏み台とか使って大変だったけどね」

「まさかとは思うが、この白磁の器はその棚から失敬してきたものではあるまいな?」

 リュライア様のご指摘に、クラウ様は椅子から飛び上がりつつ首を叔母君に向けるという人間業とも思えぬ器用な動きで応えられました。

「ち、違うよ! 盗んだりしたんじゃなくって、今日の仕事が終わった時に、報酬はお金じゃなくってこれにしてほしいって頼んで手に入れたんだからっ!」

「ほーぅ?」

 リュライア様は横目で白磁の器を一瞥してから、クラウ様のお顔を睨まれました。

「ゴディル氏はえらく気前がいいな。この白磁なら、今回のお前の給料五日分以上の価値があると思うが」

 えっ、とクラウ様が驚愕の表情を浮かべますと、リュライア様の口元が意地悪く緩みました。「それにしても、いい器だ。他に陶磁器は無かったのか?」

「う、うん。いくつかあったよ。置物とかお皿とかもあって、どれも綺麗だったけど……手に取って一番しっくりきたのがそれだったから。手にした瞬間、滑らかな感触が伝わってすごく良かったし、ちょうど手に収まる感じが……」

「もういい、わかった」リュライア様は手を振ってクラウ様のお話を止められると、ついに審判を下されました。「お前の審美眼は認めよう。だがあいにくと、この白磁の珈琲カップはまだ受け取れんな」

 抗議と疑問を同時にぶつけようとされたクラウ様をひと睨みで制すると、リュライア様は低いお声でお尋ねになられました。

「それで、来週も行くのか?」

「う、うん。もともと行くつもりだったけど、それを受け取ってもらえないんだったらなおさらお金を稼がないと……」

「ふん、春競馬の軍資金稼ぎのためか? まあいい、そのゴディル氏の店の住所を教えろ」

「ええー、でもこの話は内緒だって……」

 今更ながらクラウ様は異を唱えられようとされましたが、リュライア様のただならぬ眼光に気圧されて、第四区の店の住所と道順――この家からも学院からも、徒歩で半時間ほどの距離です――を白状されました。リュライア様は気だるげな表情でうなずかれると、わたくしにちらと視線を投げられて、お前から聞くことはないかと促されました。わたくしは目でうなずき返しますと、やや不安げなクラウ様をはげますように笑顔を向けてから質問を切り出しました。

「クラウ様。午後に倉庫の整理をされたときお召しになった作業着は、寸法が大きすぎたりされませんでしたか?」

 クラウ様は一瞬きょとんとした顔でわたくしを見つめ返されましたが、すぐにお答えいただきました。「ううん、大きさはぴったりだったよ」

「それともう一つ。ゴディル氏のところで働く際、本名を名乗られましたか?」

 クラウ様、今度は少々バツの悪そうな顔をされました。「ううん。何となく本当の名前を名乗るとまずいかなって思って、お母様の使い魔の名前とその場ででっち上げた苗字を組み合わせた『スティア・テルスウェル』って偽名で通したよ」

「ありがとうございます。つまらぬことをうかがいました」

 わたくしは怪訝な表情のクラウ様に一礼すると、リュライア様に小さくうなずきました。さりげなくこちらに視線を向けられていたリュライア様は、かすかにまばたきをされてからクラウ様に向きなおりました。

「よし、さっさと帰れ。この白磁の器はここで預かっておく」

 そして、何かおっしゃろうとしたクラウ様より早く続けられました。「この話は絶対誰にも言うなよ」

「学校のみんなには言わないよ」

「それだけではない。我々とのやり取りを、ゴディル氏にも話すなということだ」

「もちろん、言わないよ……でも、その白磁を受け取ってもらえるかどうかって……」

 珍しく弱気なクラウ様に、リュライア様は幾分口調を和らげました。

「こちらで確かめておく」そして、皮肉っぽく付け加えました。「魔法でな」

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