1杯目 狐のマヨイガ 1-2
2
からんころん、と、心地のいいカウベルが商店街の端で響く。涼やかな音色に唾を呑んで、あたしはそのアンティークな扉の中にそっと足を踏み入れた。
「し、失礼します……」
小さく挨拶をして一歩、途端にふっと薫る香ばしい豆の匂いと心地よいジャズに瞬きをする。人気のない店内は昔とちっとも変わっていなくてなんだか懐かしかった。
誰かの声を待つうちに、窓際の席へそっと視線が誘われる。あたし、昔父さんとここに何度か来たことがあるのだ。このお店に入るたび、いつもあの席に座っては短い足を揺らしていた。
あの席に座って、いい匂いのする上等なレースカーテンの隙間から眺めた景色はすごくきらきらして見えたことを覚えているけれど、今見てみれば、外にあるのは緩い傾斜の坂道と古い魚屋でしかなくて、あたしもつまらん大人になってしまったのだな、と、ちょっとノスタルジーを覚えた。
「あの席がお好みかい?」
「ゔわぁッ!?」
突如背中から声を掛けられて肩を跳ねさせる。ばくばくする心臓を押さえながら振り返れば、その声の主は見るからな上等なベストをびしっと着こなした素敵なロマンスグレーガイで息を呑む。それからふっと記憶の端を捕まえた。
この人、見たことがある。あの頃もこの人はカウンターの外で豆を挽いていて。
「ご、ごめんなさい!ブシツケに……あの、お客さんとかでもなくて、ええと」
「構わないさ、見ての通り今日は閑古鳥が鳴いてるしね〜。せっかくなら座っておいきよ、今珈琲を淹れるからさ。一杯立て、サービス」
「ええっ!?いやそういうわけには!あの、コーヒー頂けないです、あたし、バイトの面接……
」
「ぬぁんだってぇ!?」
素敵なロマンスグレーのおじいさまから聞こえてはならない声が出た気がして二度見する。その人は上から下まで驚いたようにあたしの姿を見回すと、「それじゃキミが一昨日連絡くれた!」とぱっと顔を笑ませていた。
「あ、そ、そうです。花渕……」
「花渕!!!!?」
「はっ、はい!花渕三珠、十七歳です!?」
びっくりした!この人顔に似合わず声がでかい!思わず勢い溢れる面接みたいになってしまって姿勢を正す。いや面接ではあるんだけど。
「花渕……そうか、キミが……」
「?」
「やあ、失礼したね。あらためて、ボクはこの珈琲喫茶『えとわぁる』のマスターをやっている者だよ。干ト原行幸(エトハラノリユキ)って言うんだ」
「あ、はい、ええと、今日はよろしくお願い……」
「あっ、ごめんごめん。面接するのはボクじゃないんだけどネ」
「へっ?」
毒気を抜かれて気の抜けた声を上げれば、背後でカウベルがもう一度音を立てる。驚いて振り返れば、そこに立っていたのは、絶世……それを通り越して、傾国の美姫。
その女性は華やかなお仕着せをふわりと揺らし、甘い薫香の中で、「あら」と、酔わすような声で目を見開いた。
「ギョウコウ様。こちらの可愛い御仁はお客様?」
「や~あ、キツネちゃん!いやね、この子はほら、『アレ』の!」
「まあ、アレの!まあまあまあ!」
「え、あの……っ、むぐ!?」
ふわっふわの身体で思い切り歓迎のハグを受け、漫画のように溺れかける。息継ぎをして顔を上げれば、二人はひどくキラキラした目であたしのことを見つめていた。
「いやあの、面せッ」
「「喫茶『えとわぁる』へ、ようこそ!」」
フカシギ茶房の御台帳 -ようこそ、駆け込み喫茶『えとわぁる』!- 紀田春希 @norita_har
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