第2話

 気がつくとバイクも住宅地も消えていて、俺は謎の生物とふたり、真っ白な空間にいた。


 謎の生物が首を傾げる。


「ありゃりゃひどく混乱してるね。でも、考えるだけ無駄だよ。この世には君の想像の追いつかないことなんてごまんとあるんだから。さあさあ、切り替えて始めよう。ここは迷いの森。今から君は、僕とランデブーしながら元の場所に戻ろうと奮闘するんだ。ああ、楽しみだね」


 猫みたいな姿をしているくせして、髭はないのか。なんだか残念な生き物だな……。


 訳の分からない事態に現実逃避をしていると、謎の生物は腕組みをする。


「なんか失礼なこと考えてるでしょ~。そういうのは後で自分に跳ね返ってくるからやめた方がいいんだよ? それと、僕には『謎の生物』じゃなくて『クロ』っていう大事な名前があるんだからね。くれぐれも間違いないよーに」


 謎の生物、もといクロの尻尾が揺れる。


「さあ、君はここの主人公だ。ぎったぎたにモンスターを倒しにいこう! それじゃあ、はじまりはじまり~」


 クロが手を上に翳すと、眩むような白い光に包まれた。そして光が収まると、黒い線に縁取られた白い三角形の化け物が眼前に現れた。


「なにをぼうっとしてるのさ。戦わないとやられちゃうよ? さあ、手に持っている長剣でそいつをざくっといっちゃおう」


 長剣? 疑問に思って右手を見ると急にずしっと重みが増して、手の中に黒い柄の長剣が現れた。

 当惑していると、風船が萎むような音が耳に届く。見ると、身体を縮めた化け物が俺に向かって勢いよく飛び跳ねようとしていた。


「ああ、そうそう。そいつに触れると身体が溶けるから気をつけてねー」


 のんびりとした口調でクロがとんでもないことを言う。俺はぎょっと目を見張って、慌てて両手で長剣の柄を掴んだ。


「そういうことは初めに言えっての!」


 叫んで、両腕を必死に横に動かした。すると眼前まで迫ろうとしていた化け物に刃がめり込み、断末魔が上がった。つん裂くような悲鳴に、肌が粟立つ。耳を塞ぎたくても両手は塞がっていて、堪らず目を瞑った。


「すごい、やったねー」


 能天気な声がして瞼をそっと持ち上げ、目を見張る。

 眼前にいた筈の化け物は、どこにもいなかった。


 倒したのか……?


 全身の力が抜け、長剣が手から滑り落ちる。地面に座り込むと、堰き止められていた鼓動が全身を巡った。浅い呼吸を繰り返し、震えを帯びた手を何度も閉じては開いた。

 緊張、恐怖、罪悪感、安堵。

 渾然一体となった感情が襲いかかってくる。


「怖いかい? でも、後戻りはできないよ? 前に進むしか道はないんだ。さあ、行こう」


 クロが飛びながら、俺の前を行く。立ち上がって、腰をかがめる。そして長剣を拾い、小さくて薄っぺらい身体を追いかけるように重い足を動かした。

 道も何もないただ真っ白な空間にひとり取り残されるのは、怖かった。


 次に出会ったのは、これまた黒で縁取られた全身真っ白な化け物だった。

 膝丈のワンピースみたいな台形の白い布を纏った一メートルほどの体躯。凸凹でこぼことした顔の輪郭に鋭利な刃物のような耳を横から生やし、開けっぱなしの口からは鼻につくような酸っぱい臭気を漂わせている。

 まるでデッドラインが迫った漫画家の部屋みたいな匂いだ。

 化け物は右手に持った身の丈半分ほどの木の棍棒を縦横無尽に動かしてはくぐもった声を上げ、裸足で地団駄を踏んでいる。


「そいつは棍棒を振り翳してくるけど、強力だから一回でも身体に触れたら木っ端微塵になっちゃうからね。相手の動きをよーく見てね?」

 

 なんだって?


 聞き間違いかと思って隣を見ると、クロがいない。慌てて見回すと、少し離れたところから声援が聞こえた。

 

「がんばれー」


 人任せかよ……。


 脱力し、つられて逃げたい気持ちにいっぱいになった。でも、眼前にいる化け物がそれを許してくれない。両手で棍棒を振り上げ、甲高い奇声を上げながら突進してくる。


「避けて!」


 クロが声を張り上げる。咄嗟に左に避けると、化け物はそのまま俺の横を通り過ぎていった。恐る恐る背後を振り返る。化け物は頭を左右に振って首を傾げていた。


「今がチャンスだ。そのまま背後に忍び寄って、ざくっと切るんだ」


 俺の隣に飛んできたクロが言う。


「それ卑怯なんじゃ……」

「なに言ってんの。戦いに卑怯もくそもないでしょ。つべこべ言わず早く行く。それともあいつにめった打ちにされたい? あいつは脳がペラペラだからね。きっと手加減はしてくれないよ?」


 棍棒で身体を打ち付けられる自分の姿を想像し、背筋に氷水をぶち撒けられたように悪寒が走った。

 黙り込む俺に、「嫌でしょう? じゃあ、行って」とクロが急かすように言う。


 逃げてたくせに……。


 釈然としない気持ちを抱えながら、ぐっと堪えて化け物の元へと足を踏み出す

 一歩、二歩、三歩……。

 そして、あと少しというところで足元からみしっと軋むような音がした。見下ろすと、白い枝が一本、靴裏に踏みつけられていた。音が立たないようゆっくりと足を持ち上げ、顔を上げる。すると、鼻息を荒くした化け物と目があった。俺を見た瞬間、化け物は眼を一気に吊り上げ、棍棒を両手に持ち掲げるように振り上げる。


「切って!」


 俺は震える手で剣の柄を両手で握りしめた。そして、地面を蹴って腹の底から声を張り上げる。

 

「あ、ああああああ!」


 化け物の肩から胸に掛けて剣を勢いよく振り下ろすと、化け物は奇声を上げながら霧散し、棍棒と共に忽然と姿を消した。

 肩で大きく息をしながら呆気に取られていると、背後からかすかすと紙を擦り合わせるような音がした。振り返るとクロが手を叩いていて、俺と目が合うと薄い身体をひらひらと漂わせ俺の右横にやって来る。

 

「おめでとう、これで二匹目もクリアだね。この調子でどんどん物語を進めて行こう」


 クロが鼻歌を歌いながら、呑気に尻尾を揺らす。


 人の気も知らないで……。


 溜息をつき、歩き出す。そして二歩三歩と進み、ふと足を止めた。振り返ると、化け物がいた場所を覆うように暗闇が広がっていた。

 俺は右手を開き、人差し指にできたペンだこを見据える。そして再び前を向き、クロの後を追った。


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