第3話

 それから俺は、二匹の化け物を倒した。


 ひとつは、三つ首を生やした鳥のような化け物。ひとつは、ヒョウの形をしたマダラ模様の化け物。

 クロの声援を受けながら、順調に倒していく。でも、進む内に胸の奥に違和感が芽生え、それは次第に輪郭を濃くしていった。

 そして、眼前に現れた化け物を目に留めた瞬間、俺はひとつの確信を得た。

 俺の身体の何倍もある、黒で縁取られた丸い生き物。中央には歪な楕円形の目があって、その下には今にも張り裂けそうな唇があった。

 口の合間から、毒々しい真っ黒な息がしきりに漏れている。


 俺は

 アレに触れたら、ひとたまりもないんだ。


「がんばれー」


 クロはどこから出したのか日の丸が描かれた白い扇子を両手に持ち、左右に振っている。


 呑気なもんだな。


 溜息を漏らし、眼前の化け物を見据えた。身体の前で剣の柄を掴む両手に力を入れ、右足を後ろに引き右手に剣を持ち替える。そして腕を上げ、頭の上で寝かせるように剣先を化け物に向けた。腕を引く。肩の付け根がぎりぎりと音を立て、そして、双眸を細めた。


 距離にして、おおよそ五メートル。

 近づけないなら、近づかなければいい。


 インドアな俺は、運動が嫌いだ。

 体育の成績はいつもど真ん中だし、野球も弓道も観るのは好きでもやるのは好きじゃない。でも、外す心配は微塵もしていなかった。

 化け物のひとつ目に、像を結ぶ。そして右の足底に力を入れ、勢いよく地面を蹴った。腹の底から息を吐き、右腕を前へと解き放つ。

 風を切りながら、剣が真っ直ぐに走った。

 そして、ひとつ目に切先が突き刺さると化け物は鈍い悲鳴を上げ、ぱちんっと泡がはじけるように跡形もなく消え去った。


 訪れた静寂を破るように、クロが言う。


「さあ、次で最後だ。でもその前に……」

「休憩、だろ?」


 横合いから遮るように言うと、クロが表情を緩め頷く。


「それじゃあ行こう。彼女が君を待っているよ」

「ああ」


 軽く顎を引き、クロの隣に並んで前を向く。

 でももう、背中を追う必要はない。だって俺は、この物語の主人公なんだから。


 しばらくすると、三角屋根を乗せた真四角の家が突然姿を現した。戸の上には白い暖簾がかかっていて、不安定な黒文字で『きらく』と書かれている。


「さあ」


 クロが促す。手を伸ばし引き戸を開けると、てるてる坊主のような形をした生き物が奥の方で待っていた。

 丸い顔にアーチのような目が二つと、アーチを反転させたような口が一つ。

 

「よく来たね」


 優しい声が、鼓膜を揺らす。


「ばあちゃん……」


 てるてる坊主のような生き物からは、俺が幼い頃に亡くなったばあちゃんの懐かしい声がした。


「さあ、どうぞ」


 ばあちゃんに四角い白テーブルに案内をされる。

 クロと並んで白い木箱みたいな椅子に座ると、テーブルの上に湯呑みが置かれた。波を打った白い湯気が三本、天井に向かって立ち上っている。


「いただきます」


 湯呑みに触れると指先にじんわりと熱が伝っていって、口をつけると仄かな塩味が舌に触れた。馴染みのある蕎麦湯。それは、『気楽』の味だった。

 飲むたびに力が漲るように胃の腑が熱くなり、喉元が熱を持った。

 涙をぐっと堪え、立ち上がりばあちゃんを見る。ばあちゃんは、にこにこと笑みを浮かべていた。


「ありがとう、ばあちゃん」


 戸を前にもう一度ばあちゃんを見ると、ばあちゃんは胸の前で小さく手を振ってくれた。


「頑張って」


 それは、春が芽吹くような穏やかで暖かい声だった。

 俺は口を引き結び、後ろ髪を引かれる思いで戸を開ける。そして足を踏み出し、


「くるよ!」

 

 突然、白い空間に黒い渦が刻まれた。

 クロの声に咄嗟に後ろに飛び跳ねる。すると雷鳴が轟くような音がして、俺がいた場所に大剣が突き刺さった。

 前を見ると、そこには二メートルはあるであろう体躯を持った四角い顔の化け物が両腕を広げ雄叫びを上げていた。

 白い顔に吊り上がった黒い線が二本。そしてその下に、真一文字に結ばれた黒い線が一本。

 間抜けな面の化け物は、紛うことなきこの物語のラスボスだ。

 震えそうになる足を叱咤するように叩く。


「くそっ」


 強張る身体に思わず悪態を吐くと、「がんばれー」と呑気な声が聞こえた。見ると、両手を左右に振るクロの姿があって、まるで緊張感のない様子に肩の力が抜けて口元が緩んだ。


 まったく。

 

 息を吐き、緩んだ口元を引き締める。そして、眼前の化け物を見据えた。

 右腕をぴんと伸ばし、化け物に剣の切先を向ける。


「それじゃあ、最後の勝負といこうじゃないか」


 こういう時、商業漫画なら死んだはずの仲間が実は生きていて駆けつけたり、死に際に新たな能力に目覚めたりする。でも、この物語はそんな奇跡ちっとも起こりやしない。


 戦って、敵を倒す。

 ただそれだけの、平坦で稚拙な物話だ。


 現れる敵はみんなどっかで見たような風貌だし、剣を握ったこともないど素人が勝って勝って勝ち続けるなんてあまりにもご都合主義すぎる。でも、それで良い。


 この物語は、それで良いんだ。


「うおおおおお!」


 腹の底から声を上げて地面を蹴る。化け物が大剣を振り下ろし、なぶるような風音が降ってくる。それよりも早く化け物の横っ腹に剣を薙ぐ。化け物に刃が突き刺さる。そして化け物の身体が小刻みに震えたかと思うと、瞬きの間に姿を消した。


 あっけない幕引きだった。


 肩で大きく息をしているとクロが俺の眼前に降り立った。二本足をしっかりと地に付け、俺を見上げる。


「終わったね」

「ああ」

「戦って、敵を倒す。ただそれだけの情緒もへったくれもない、なんてつまらない物語なんだろうね」

「うるせえよ。子供が描いた物語だ、仕方ねえだろ。今は違うっての……」


 多分、と付け足すとクロが大口を開けてからからと笑った。


 真っ白な空間。

 黒で縁取られた真っ白な化け物たち。

 てるてる坊主みたいなばあちゃん。

 そして、『気楽』の蕎麦湯。


 全部、知っている。

 だってこの物語は、七歳の俺が描いたんだから。


 ばあちゃんを亡くして気落ちするじいちゃんに少しでも元気になって欲しくて、ほんの少しでも笑って欲しくて、だから俺はこの物語を描いたんだ。


 じいちゃんを喜ばせる、そのためだけに。


「さあ、僕の手に触れて」


 クロが右手をゆっくりと差し伸べる。俺は顎を引き、ペラペラの小さな手に右手を乗せる。そして、指の凹凸がクロの手を掠めると眩むような白い光に包まれ、溢れんばかりの声が押し寄せた。

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