〈まだ連絡は取れないのですか?〉

 昨日ジョンの居場所を探りに向かったベレッタからの通信が途絶えて二日、俺は夜半に彼女の足跡を辿ろうとしたが、隠密行動はやはり彼女の方が上手か俺では限界があった。その間にも件の事件を捜査するために二人してジュレミントンを歩き回ったが、ベレッタという少女の行方は未だ以て分からずじまいだった。

「やはり行かせるべきじゃ無かった」

 自分の行いを悔い、こうなるならば徹底的にこの道から外れるように促すべきだった。

「お前の言う通りだった。野良犬に餌をやる位独善的だった」

 リリネルは一昨日の自身の言葉を思い返してため息を吐いた。

〈あれは私のヤキモチから出た言葉です。だから真剣に捉えたなら謝罪します〉

 素直に言葉を撤回した彼女とはやはりこの間の事があってからなんとなく気まずかった。

「なぁ……この前の」

〈そうだ! ねぇウォルター。スーツを新調しましょう。名探偵の助手に相応しく羽織袴なんてどうでしょう〉

 高級店街に赴いた俺達、彼女は車椅子を俺の手では無く電動に変更して勝手に店に入っていく。

「俺は別に今のままで」

 すると彼女は俺の方を睨んで言った。

〈正直、少し匂います。今までは私が精油を使って誤魔化して来ましたが、アレクサンダーには毒ですから使用を控えて居るんです。こんな可愛らしい相棒の隣に悪臭を放つ彼では名折れです〉

 唇を尖らせ不満を表明する少女、俺は仕方がないと彼女の見立てるオーダーメイドスーツの生地からを何着か体に合わせた。リリネルは漆黒の鴉のようなマットの布地に裏地が赤く染められたシルクのそれをチョイスする。

「なんというか、代わり映えしなくないか?」

 自分の目と髪をいじった俺に、リリネルはニコニコと目を細めた。

〈そうでしょうか? 私の好きな色です〉

 彼女がそういうものだから俺は決定に従った。

「言っとくが金は無いぞ」

〈我が探偵事務所の調査員への支給品ですから、経費ですよ〉

「俺が何時お前の探偵事務所に入った?」

〈あら、もう随分と馴染んだと思ったのだけど〉

 会計を済ませ、出来上がりが三日後と言うので俺は引換券を受け取った。そして今着ているスーツもこまめにクリーニングに出すか、と考えて彼女と昼の街道を歩く。

「なぁ、リリネル……あぁそうか。こういう空間だとあまり話したく無いんだったな」

 俺の納得に彼女は車椅子を自分で動かすのを辞めて俺の手に停まる。

〈構いません、貴方にだけ私の声が聞こえるように調整すれば、他は全て雑音になります〉

 そういう物なのかと納得しながら彼女の車椅子を押して出店の立ち並ぶ露店通りにたどり着く。此処では旭国の伝統的な町並みを再現しており、瓦屋根の一帯が他の街の景観とは浮いていた。しかし、リリネルの纏う白の着物は随分と馴染んでいる。

 今日は予約しておいた彼女行きつけの寿司屋へと赴いた。俺は未だにベレッタの行方がわからないから乗り気では無かったが〈腹ごしらえも仕事の内です〉と諭されて席に着いた。

〈こちらの魚介類は全て旭国から高速便で送られてくるんです〉

 光り輝く魚を卸す大将の手際によって赤酢の寿司が握られていく。リリネルは赤身から順に差し出されるそれを口に運ぶ度に幸せそうに頬を緩めた。俺も初めての味に当惑しながらも赤身が結構気に入った。サラサラとした油が口の中で溶けてくどくなくて良い。

「美味そうに食うな」

〈勿論です。私の口は神経が敏感で、食の好みがハッキリしているのよ。ウニっウニぃ! 大将! ウニをくださいな〉

 俺は握られた赤土色の物質を頬張る彼女を見て同じくそれを口に運んだ。濃厚な磯の香りと強い甘み、そしてしっとりとした舌触りが印象的で彼女が好きなのも理解出来た。そうしてあの時彼女の好みを否定した事を後悔する。

 それから俺は彼女の勧められた握りを頂き、コハダというのが好みだと知った。

〈美味しい?〉

「あぁ、こんなに美味い物がこの世界にあったんだな」

〈ここより美味しいお寿司は中々無いけれど、この世界には貴方の好きな物は駄菓子の他にもきっと沢山あるはずよ〉

 最後を飾るだし巻き卵は中がトロッとしており仄かな甘みが口いっぱいに拡散する。リリネルは今日一番の笑みを抱き〈このために、がんばってるの〉とにへら笑いを浮かべた。

「大将、このだし巻き卵の作り方を教えてくれないか?」

 不躾な俺を叱るようの〈こらウォルター、はしたないですよ〉と言い咎める。だが、俺は「彼女に作ってやりたい」と理由を述べる。

 老年の大将は白髪眉を垂らしタオルで手を拭きながら言った。

「普通のだし巻き卵と手順は同じです。けど、食べる人を想って焼くならそいつは特別な料理になるんですよ。失敗しながらでも良い、それを試す時間は貴方達には多くあります」

 そんな風に言われて俺は見透かされたようで恥ずかしくなった。会計を終えたリリネルは俺に車椅子を押されながら無言を抱いていた。

 俺は急に自分のさっきの発言が熱を帯びて頬を熱したから縁台に腰掛けた折に口を滑らせる。

「リリネルは俺の事好きなのか?」

 一瞬しゃっくりのようにしゃくり上げた少女が対面で呼吸を止めてそれから徐々に頬が紅潮を齎す。緩くウェーブの掛かった白の髪を指で巻いた彼女の姿に俺も徐々に恥ずかしくなっていた。

「今のはっ」

 発言を撤回しようとする俺に対して彼女はコクリと頷いた。

〈最初は単なる興味本位、私の命を狙う人間にひと泡吹かせて格の違いを見せつけようなんて思っていました〉

「なら十二分だな」

 出会いからを寿ぐならば確実に俺は翻弄されて泡を吹いていた。

〈貴方の来歴を知らない訳でも無かった。けれどね共に過ごす内に貴方の心根にある感情には清い物で溢れているのではないかって思えたんです〉

「なんだかむず痒いな」

〈言葉を重ね、ある時は私の恥ずべき部分に触れながらも貴方が私に向ける角が丸くなっていくのを感じました。そしてようやく私は貴方の確信に触れたのです〉

 俺は首を傾げる。

〈貴方は優しい人、それが分かるにつれて私は試したくなった……。応えてくれる事の喜びを感じ、向き合ってくれる貴方の優しさに触れる度に心は高鳴ったのです〉

 向けられた真っ向からの指摘を俺は受け止められなかった。此処に暮らす人達を見ると尚更に自分を肯定なんて出来ないのだ。

「俺の手は血で濡れた。人の道を逸れた手だ」

 彼女の指先が俺に触れた。

〈そうして謙遜出来る人だから貴方を好きになったのでしょうね〉

 彼女の指が左手の薬指に触れ繋がり合おうと求め合う。きっとこれが成った時互いの意固地になっている部分が解けて、その先の展望が見えてくる筈だった。

 けれども、それはガヤガヤと鳴り響いた声音によって搔き消えた。

 俺が視線を上向けると人々が怪訝な顔をしてその場から立ち去っていく。俺は彼等の視線を見極めるとその方向で包丁を振るう者が居た。

「リリネル」

 俺は彼が首に下げた血塗りの文言を読み下った。

「ラインズフレニア」

 立ち上がった俺にリリネルは続く。包丁を持った男は中年でジャージを着ており出店街の街の景観には浮いていた。

「助けて、頭が変なんだ」

 何かを求めるように包丁を持った男が切っ先を俺に向ける。

〈ウォルターっ!〉

 リリネルの声音、彼女は続けて何かを言った気がしたが包丁の刺突を避けた俺はその男を組み伏せて彼女に解析させようと企んだ。

 そして腕を取って背負投の要領で無力化した男を地面に固定した。

「大丈夫だ、安心しろ。今楽にしてやる」

 俺の言葉を聞いた男は顔を上げ、虚ろな目を俺に向けると言った。

「おかえりウォルター。こっちの世界はとても心地よいよ」

 か細く消え入りそうな声が途絶えた瞬間に男の首が破裂して頭がザクロのように砕け散った。

 絶叫が鳴り響きそれが伝染する。

〈ウォルター?〉

 俺は叫びの渦中で口を閉じて青い顔をする少女を安堵させるように立ち上がって彼女の元に跪く。

「リリネル、俺は大丈夫だ」

 そう言って血で染まった手を差し出そうとした俺に彼女は引き攣った悲鳴を上げる。

「ひっ……」

 俺は自分の手が赤黒く汚れる様、そして髪から滴り落ちる血液の雫を見咎めて、それを純粋に判断した者達の「人殺し!」という声に納得した。

 やはり俺は、彼女と共に居てはならないのだ。

「さよなら、リリネル」

 薄暗がりが路地に最後の明かりを差す頃、俺は彼女の元から走り去った。

 決着を付けよう。ジョン。



「ウォルターは将来どんな人に成りたい?」

 弾倉に指で弾薬を詰めながら俺の隣で問うた白銀の髪をした少年は流し目に問うた。その白に黒の輪郭を有し美麗とまで評される彼は一時の憂いをこうして共有する事がままあった。

「どんな人? 考えた事も無い。将来なんて俺達にあるのか?」

 奇遇とは口を衝いた言葉が相反していたとしても成り立つ物だと、この時のジョンは物語っていた。ベールリッヒから供給された木製ストックのアサルトライフルに油を差し、それを夜明けまでに部隊全員分行う。それを終えてから眠らなければ部隊長によって俺の後ろで眠る子供達が殺されるか。性別の沙汰は関係なく見せしめに強姦される。

 他の隊に居る少年兵から聞いた事実に俺達は戦場で上手くやるコツを学んでいった。俺達の役割、それはくっきりと分かれていたが担う事柄は同様だった。

「そうだったね。ほら、ウォルター。ビスク部隊長からくすねて来た」

 彼は銀の包みに入った支給品の乾パンを俺に差し出した。

「辛くないか?」

 そう言った俺に彼は肩くらいまで伸びた髪越しの瞳を細めた。

「君が居れば、僕は大丈夫さ」

 そう言った彼の瞳には焚火の炎が浮かび、この世界に居るのにこの世の物ではない肌寒さを感じられた。そんな俺達に割って入るように毛布に身を包んだ丸刈りの子供が合間に座る。

「どうした、眠れないのか?」

 俺にエメラルドグリーンの瞳を向けた子供は光の無い瞳を傾けて頷く。

「今日配属された子供達だね。大丈夫、僕達と一緒にいれば怖いモノには遭わないから」

 その子は俺達の間でウトウトとし始めると次第に眠りに就いて行った。俺はこう言う子供達から未来を奪わせない想像は出来た。そう、目の前の想像だけは出来たのだ。

 インメタリーフェノーの戦い。その地方都市には滑走路が無く、トルネシア自治区において物量を輸送する手段は大型の航空機による空輸投下が主であり、東西戦争から疲弊した双方の軍事力を消極的にだらだらと出し合った為に煮え切らない状況が長く続いた。その為アルフィニアは旭国から輸入された爆撃機による飽和攻撃に打って出る。空戦が主でないこの戦場においてそれは脅威であり迎撃の対空砲火を護衛機のミサイル攻撃によって破壊された際にはそこは地獄と化した。

 凄まじい熱量によって融解した砂がドロドロと押し寄せる中を、走り眼前の敵兵が視認出来たら塹壕へ向けて飛び込む。切り込んだ黒と白の様相、切り払われたアルフィニア兵士達の悲痛。アイコンダクターの中に流れ込んでくる大量の情報が俺に指示した。

『子供達の為に戦え、お前はヒーローだ』

 俺達は小銃に括り付けたナイフを自在に操り狭い塹壕の中を瞬刃となって駆けた。小隊規模を壊滅させた俺達は子供等を呼び寄せ物資をそこに貯める。そうしたら次の塹壕へ向けて経つ。これが部隊長が俺達に強いた任務だった。

「ジョン、フーゴとヨセフは」

 俺は塹壕から顔を出し、機銃照射の跳ねる土の最中から土気色となった腕を見定めて飛び出そうとした。

「ダメだウォルター!」

 俺を引っ張り込んだジョン、剥き出した獣のように咆哮しこの感情を飲み込まなければ戦場に飲み込まれてしまう事を彼は知って居たのだ。だから俺達は振り返らずに走った。

 その結果。俺達の部隊は予想以上に早く敵の喉元へと踏み入ったのだ。

「明日は皇居前を包囲する。そこまで無駄死にするんじゃねぇぞ?」

 煙草を咥えた部隊長に食って掛かる。

「今日何人死んだと思ってるんだ! それなのにアンタ達は何も感じないのか」

 アイコンダクターを通して失われた子供達の名前が刻まれていく。その感傷すらも火を咥えた大人にとっては一縷の琴線にも及ばなかった。

「たかがスラムのガキが何人、何百人野垂れ死のうが皇位には陛下の御身には代えが効かねぇんだよ!! 吐いて捨てる程いるゴキブリみてぇな奴等に何を感じろってんだ? 今日死んだ同胞には帰るべき故郷も家族も居たんだよぉ! その代えがお前等害虫に務まると思ってんのかぁ?」

 戦場の恐慌。失われ損なわれる者達にも序列があった。俺達はその積み重なった死体の数よりも重い物を知った。

 爆撃によって荒んだ兵士達の鬱憤の掃き溜めに俺はなった。頃合いを見計らってジョンが割って、彼は娼婦のように扱われた。俺は血を吐きながら怯える子供達を見据え、彼等の命がこんなにも理不尽をぶつけてくる大人よりも軽いのだと、上から抑え付けられながら熱した鉄串で刻み込まれた。

 苦しくって、こんな世界が続くのなら早く滅びてしまえと願う程に明かりの無い空に浮かぶ星々は輝いていた。帰って来たジョンは震えていた。その悍ましい想像に耐えながら俺達は今を憂いた。

「ねぇウォルター。僕達はこんな理不尽な世界の為に、戦ってるの? 僕達の命ってなんなの? 僕達にだって、心はあるのに、それを発露することすら許されないの? なら機械と同じじゃないか。でも、僕らは機械人形(オートマタ)にはなれない! 魂があるから!」

 爪を噛みながら、何時もは言わない事を口走る少年。常に彼によって歯止めを掛けていた感情が決壊を要するのに時間は要らなかった。

「同じ魂を持ってる筈の大人が、俺達を憎むなら。俺達は俺達の魂を肯定するために選ぶしか無い」

「僕は、ウォルターと一緒なら、何だってするよ。やろう。僕達で」

 その時戦場の鴉が飛び立った。俺を見据える白の瞳、それが肯定を爪弾きやがて帳が降りて彼等の命が羽音にかき消されて行った。こんなにも簡単に状況が覆せるんだ。裂き、刺し、潰し、絞め、折り、切って撃ち抜いた。

 外国に伝わる神の下僕は鴉だったらしい。死者を軛来るべき終焉の為に兵士として迎えるその神は黒と白の鴉を携えて戦場に降り立った。

 俺がそうだったら良いと思った。彼がそうならば良いと思った。

 やがて空に掛かった雲のように晴れて行った瞳が写し出した大地が、血によって染まった事をこのつまらない戦場に明らかにするのだ。

 そうして、中央紛争は終結する。空の玉座の正体を知って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る