CASE3「人魚と少年のアムネジア」
舐めるような平滑を湛えた大地から不気味に発色されたサイネージの青に摩天楼が映しだされる。その聳えるビルに縫い付けられたダイラー社の看板は、赤色の光源を伴ってジュレミントンに印象的に映えた。
旭国の資本によって設立された大会社のオフィスを歩く、赤いスーツを纏った金髪の女性は皺を隠すファンデーションに包まれながらも、目つきの碧眼は鋭い。
「どうしてネズミを処分出来なかったの?」
米つきバッタのように控える部下に失態の次第を確認すると、彼等は酷く狼狽して言い辛さを身に潜めた。
「どうやら施設に侵入していたネズミは一匹では無かったらしく、警備に当たらせていた歩哨は別の者との交戦となり……」
「早く言いなさい」
「その場にある血痕から、恐らくは殺害されたのかと」
ダイラー社経営戦略管理部門の部長レベッカ・プレスコットは彼等の報告を聞いて舌打ちをした。
「新製品のリークを狙っている者がいるかも知れないのに、どうしてあの工場は碌な警備設備が存在しないの」
「ベールリッヒ政府は外資に対しての年間予算を締め付ける傾向がありまして、それでも労働者の賃金が安く量産には向くのですが、元々かの国は貴族が軍閥を仕切るのでPMCは高額になりがちで……」
つらつらと言い訳を並べる部下を置いた彼女は秘書から原稿を預かってライン潤滑剤の新製品発表会へと臨んだ。
「全く、碌な男はこの会社には居ないのかしら」
*
一度トルネシア南自治区へと戻ったリリネルと俺は帰宅早々アレクサンダーの飛びつきに遭い。リビングへと向かうとコルリから送信された画像データに付いて言及を受けた。
「俺はやましい事は何もしていない」
「嘘つきなさいよ! このロリコン!」
クラリスから提示された画像には俺の胸に寝そべってピースをするリリネルが収められており、つい彼女を睨むがアレクサンダーに埋もれているリリネルからは言い訳を発掘出来なかった。
「で? ベールリッヒでアイズマンの居所は掴めたの?」
彼女の総括する質問に関して俺達は顔を見合わせた。
〈アイズマンはある企業に付いて調べを進めていたようですが、その形跡が工場へ向かったきり途絶えています〉
アレクサンダーから顔を出したリリネルは確かな事実を姪である彼女へと告げた。重大な事、恐らく何かに巻き込まれた事は口には出せなかった。それもそうだろう。殺人事件を捨て置いて彼が居なくなる筈がない。なんて事はクラリスも分かりきっている。
故にそこへの言及はアイズマン消息の舵が決まった顛末へと艦首を向けてしまうのだ。
「そう……。まぁ、何処かで生きてるでしょ」
彼女の言い切るような言葉に俺達もそれに縋る他なかった。
「そう言えば、ダイラー社で栽培されていた花と後もう一件妙な刺客と出会った」
告げていなかった事柄を彼女等に公開する。リリネルを介せば安全に情報の行き来が出来ると考えたのはつい先ほどだが、タイミングが良かった。
「この花って旭国の山岳地帯で採れる花でしょ?」
「知ってるのか?」
「アイズマンが昔旭国の御伽噺を聞かせてくれたの、山岳地帯の谷に生息する美しい青い花があって、昔の貴族たちは美しい娘への求婚の為にその花を求めたのだけど、険しい山岳地には巨大な魔物が住んでいて誰一人戻らなかった。って話。まぁ、どこにでもありそうな話だけど、その時見せてくれた絵本の挿絵の花とそっくりだなって」
クラリスの記憶と画像データから調べた原産国は一致した。
〈ゴコウレンギョウ。通称『不帰の花』。クラリスの知って居る逸話と数少ない目撃情報以外は検索データが少なく栽培適地も報告例がありませんね〉
これをアイズマンは見つけた事で何かに巻き込まれたのか? それにしては警備のザルさは妙だ。何か他の事柄が動いていたのか?
〈そう言えばウォルター。刺客と言うのは?〉
俺は思い出してあの少女のデータを彼女に送信する。けれどもリリネルは暫し沈黙を湛えた後に首を傾げた。
〈出生登録がされていませんね〉
「俺と同じ出自らしいが?」
〈もしそうならばアイズマンによって保護された時に出生登録がアルフィニア籍として登録される筈です。出来ない理由があったのか、それとも……〉
意図的にあの少女の来歴が不詳になるように手を回していたのか。益々王の一手の事が信用出来なくなった。アイズマンが消えて以降、きな臭くなっていたがそれが今では顕著過ぎる程に表れている。
「ちょっと二人とも! これを」
クラリスが焦った様子で聞いていたラジオの音量を上げた。ここではアルフィニアの国営放送が受信でき、彼女等は主にそれを聞いて世情を認知しているらしい。
『今朝未明、ジュレミントンにて頭部の無い遺体が発見されました。市警によりますと通行人がこれを発見し通報したとの事で詳しい死因については現在調査中と発表されています』
「また事件か……本当にあの町は話題に事欠かないな」
〈ですね。さて、そうと分かったなら出発しましょう。陸路では休まず進んでも三日以上は掛かってしまいますから〉
意気込んだリリネルにクラリスは呆れた表情で明日のリニアモーターカーの席を手配した事を告げた、彼女は納得してクラリスに頬擦りする。そんな人懐っこさを見せる少女にクラリスも当惑しながらも変化を受け入れていた。俺達は此処で一泊してから翌朝にリニアモーターカーでアルフィニアまで向かった。昼頃に到着した俺達は早速彼女が宿泊する予定のホテルへと向かう。
今回泊まるのは余り目立たない場所にあるホテルであり、彼女にその訳を訊ねると意味深に〈警戒のためです〉と付け加えられた。
名前も何時もは尊大に名探偵と付ける所を偽名でリリー・ブラネルとしている所から彼女の警戒心は本物である事を認識した。
「早速捜査に向かうのか?」
問う俺に彼女は一拍置いてから頷いて見せる。昨日から少し様子がおかしいが彼女がそれを俺に気付かれまいと動いている為に、俺もなるべく触れないようにする。車椅子を押しながら玄関へ向かった俺はチャイムが鳴るのに反応して彼女の前に立った。
俺は指先で彼女を浴室の脱衣所に隠れるように指示する。そして扉の覗き穴が塞がれている事から右腕の刀を引き出した。そしてゆっくりと鍵を開けて扉を開く。
「お前はっ」
腰までの長い赤毛、そしてエメラルドグリーンの碧眼。彼女は俺がベールリッヒで戦闘を交わした少女だった。俺は再度の襲撃だと認識して彼女の首元に刀を向けた。しかし……。
「つ、付いてきちゃいました。マスター」
チンプンカンプンな言葉の羅列に俺は眼光を鋭く睨んだままに困惑していた。彼女はうっとりとした表情で、実に恰好は少女らしく学生服のような四つのボタンがあしらわれたモスグリーンのジャケットに、フリル付きのスカート。細長い脚を包む白のタイツと対極を示す黒のローファー。表向きは戦いには程遠い恰好であるこの少女の名は確かベレッタと言った。
「マスターだと? 何の話だ」
グイッと寄って部屋に入って来た彼女にリリネルは顔を出して様子を伺った。するとベレッタは驚いた様子でリリネルを見据えた。
「アタシとあんなにも熱い睦合いを演じたにも関わらず、女を侍らせるなんて。流石です」
うっとりとして語尾が尻上がりなこの女を俺はどうしたものかと本気で悩んでいるとリリネルの視線が刺さった。
〈ウォルター。訳を聞く必要がありそうですね……。睦合い? 詳しく聞かせて貰おうじゃないですか!〉
両手を握って頬を膨らませた彼女と今も尚妄想を垂れ流している少女に挟まれた俺は、天を仰いだ。そして数十分後、ようやくリリネルの誤解を解けたのだが、ベレッタが何故俺達の居場所を知って居るのかと言う問題に関しては継続中である。
「お前はなんで俺達の宿泊するホテルが分かったんだ。こう見えて彼女の情報攪乱能力は一流だ」
親指で指差されたリリネルはえっへん、と言いたげな雰囲気で無い胸を張る。
「それはもう、あの工場からずーっと付けて来たんですもの……。アタシも隠れるのは得意ですから、だから生きて来られたんです」
聞くと、彼女は俺達の乗って来た磁力推進車の後部座席へと潜み、そしてリニアモーターカーに無賃乗車して俺に会う為に此処までやって来たのだ。
〈女たらし……。とはいえベレッタさん。貴女にも主が居るのではなくって?〉
「あぁ、あんな赤スーツのクソ女どうでも良い。アタシにはぁ、マスターがいれば」
くねくねとにじり寄って来た彼女をリリネルは引き剥がそうと必死になっているが、目的が不明な折に彼女にここが知られた状態なのは不味いと俺は考えが纏まっていた。俺は彼女の腕を後ろに回して壁に押し付ける「あんっ」と言う艶めかしい悲鳴を無視して頭一個背の低い少女に刀を押し当てた。
「後ろから激しくされるの、好きッ」
舌を出して刀身を舐める少女に尋問の材料を繰り出そうとした俺は最も初歩的な疑問に打ち当たる。
「何故お前は黒鎌と名乗っていたんだ?」
そこに彼女への疑問が集約された。するとベレッタは自ら右腕の肩を外して俺の拘束から抜けるとコチラを向きながら両足で俺の腰をホールドする。彼女を壁に押し付けたまま担いだ格好になるが平静のままに睨み続けた。
「あれはきっと、貴方がまだ王の一手に囚われている時。アタシ達孤児はある映像を観させられていた。それは中央紛争、インメタリーフェノーの戦いの記録映像。そこでは多くの少年兵たちが戦場に繰り出され命を落としていた。けれどもある部隊、ある少年兵が居た部隊だけは皆生き残っていた。そう、それこそがアタシが最前線に立って戦った部隊だった」
締め付ける強さが増し彼女の吐息が掛かる程近くに俺の顔はあった。けれども彼女の語る記憶は間違いなく記憶改竄によって作り出されていると確信できた。
「有り得ない」
けれど、彼女もその記憶を簡単に捨て去った。
「そう、有り得ない。当時の年齢は六歳、ライン手術に耐えうる下限で部隊に配属されました。だからこの記憶は偽証、それでも私達にとっては価値があった。自分たちの存在が無為ではなく、何かしらの意味を持って生まれて来たという証明だから」
ベレッタの足を退かしながら自分の持っている筈の記憶がこのように改竄されて伝わっている現状に対して不快感を及ぼした。
「リリネル、コイツの記憶を抜き取って俺に移植出来ないか?」
〈何故そのような事が必要なんですか?〉
「俺はあの施設で記憶改竄を受けている。それは中央紛争時の記憶から丸々一人の人物の記憶を消す為に行ったと思うんだが、俺にとって彼を思い出す事は必要な事なんだ」
リリネルは俺に悩んでいるとばかりに腕を組んで危機感を表明した。
〈その記憶の想起に相応のリスクがあります。貴方が意識的に忘却を許した事柄すらも、ベレッタさんにとってアイデンティティとなる程に明瞭ならば思い出してしまう筈です〉
「それでもだ。それに俺は最初にした約束は必ず守る」
〈ふぅん、なら信じましょう。そうと決まったらベレッタさん、ご同意頂けますか?〉
「何やらアタシ抜きで勝手に話が進んでいて、妬いてしまいますが……。まぁ、良いでしょう。マスターの為なら記憶の一つや二つ、そして私との馴れ初めも含めた華麗なる日々の数々をご相伴下さい」
最後に俺は彼女に自分に対する態度の変化に付いて訊ねた。急に敵対者から信頼に変遷した様子は普通だったら異様に映る。もしかしたら潜入の為に自身を偽っているのかも知れないのだ。
しかし、ベレッタはベッドに寝転がるとコチラに美しいエメラルドグリーンの瞳を向けて言った。
「正直自分が黒鎌ではないという事なんて、少し調べれば分かった事です。けれどあやふやな憧れであっても、アタシが誰かに救われたという事実は変りません、それが貴方ならアタシにとってマスターと呼び慕う等造作も無い感情なのです」
俺はきっとかつて引き起こした後悔によって救われる者達が居た事を如実に感じると、そのせめぎ合いに際して表しがたい想いが駆け抜けた。
その憂いに比較して記憶の遷移は簡単に終わった。
それを受け取ったリリネルは俺にこれを差し出すか悩んでいたが、彼女と繋がっているケーブルを俺は自分で首筋に這わせた。
〈待って!〉
彼女の制止を無視した俺は自分と彼女の合間にある境界線が崩れていくのを感じた。俺は何故彼女に留められたのか分からなかったが、それが理解に負えたのは深海に沈み込んだ自分がリリネルの抱きしめる水泡を覗き込んでいたのを視認したからである。
きっと俺に戻す前に何かしら手を加えようとしていたのだろう。しかし、それは大きなお世話で俺は自分の記憶を彼女から奪い取って身の内にしまい込んだ。恨めしそうにこちらを睨んだ少女の頬に触れて宣言する。
「どんな記憶でも、これは俺の物だ。背負うべき物が有ったとしたならばそれを他人にどうこう指図される筋合いはない」
彼女の深海から背を向けて昇っていく。電脳世界のリリネルは無口で俺を見送る際にも最低限の言葉しか紡がなかった。けれど彼女は確かにこう言った。
『その、記憶を知った時私の事を嫌いに成らないで』
泡に包まれて消える彼女の姿は儚く、そして悲しそうでもあった。俺は空間が崩れ安ホテルの内観が元に戻った事を確認する。そして視界が急に引き絞られたかのように映像が脳裏に跋扈した。
『はじめまして、僕はジョン。ジョン・ミハエリ』
あぁ、そうだったな。思い出したよジョン、共に戦った日々を多くの作戦を熟し、そして殺した日々を! そしてアイズマンに出会うまで俺達は子供達を一緒に守った。
だが、アイズマンは俺を置いて居なくなった。フィーネを施設から連れ出して、俺はアイズマンを呪った。なんで俺じゃなかったんだ。どうして俺を連れて行ってくれなかったんだ。そうしたら彼は俺に提案した。
この施設を出て一緒にアイズマンを探しに行こう。と……。だが、施設から逃げ出す最中に俺は彼を逃がす事を選択した。何時か迎えに来るという言葉を信じて、けれどもジョンは迎えに来なかった。
俺の毛が逆立つような感覚にカナリヤのように俺の周囲を飛び回っていたコルリが眼前を舞う。それで俺は深呼吸をすると握り込んでいた拳を解いた。
「リリネル、行こうか」
彼女は眉を顰めて俺を睨んだ。まるであの海の中で交わした言葉を探っているかのように、心配しなくとも俺はお前を嫌いになったりはしない。それよりも俺には訊ねるべき相手が居た。
俺との約束を守らなかった者達へ。聞くべき事があるのだ。
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