にわか雨の降る道を磁力推進車で工場街へと向かわせた俺は、小高い丘の上に林立している何かの製造工場を確認した。外観はトタンに覆われた部分と、白い壁に囲まれた機密性の高いエリアに分かれている。

 その他を見るにビニールハウスが何棟も存在し何かを栽培している。まずはそこから向かう事にしよう。そう考えてハウスの方へ駆けた。

 そうして俺は通気窓の隙間から中を覗く。そこには鉢植えで栽培されている花が咲いており、紫色の花弁を噴霧器の送り出す霧が揺らしている。

 俺はハウスの全景を左から右へと流しながら撮影する。ここがその花の一大産地となっている事とこの施設全体の役割を知る必要があると考えた。やはりというか施設を奥へと進み収穫された花卉から花柄を切り取りコンベアで運ぶスタッフ、その花達が向かう先が白く機密性を保持された施設であった。

 俺はアイズマンの残した見取り図を元に彼と同じルートで潜入を試みた屋上へと昇りそこから換気の為のダクトを下る。工場の内部を一望できるダクトから何が造られているかをズームして確認する。すると注入器の中に満たされた液体はライン潤滑剤に思えた。俺は更に工場の製造過程を近くで視認する為に、途中で研究室に繋がる部分に備えられた換気扇が壊れている場所を発見して、印が付けてある場所でダクトから飛び降りる。

 暗闇に包まれた研究室に忍び込み、撹拌機が試験管の中の液体を揺らしている光景の中、俺はガラス張りとなっている廊下部分に歩く人影を見た。先頭を歩いている東部特有の白い肌に金の髪を持ち年齢は五十代、そして赤いスーツを纏った女性に見覚えがある。

 それは間違いない王の一手の内部から脱出を試みた日であり、俺が投獄されるきっかけの事件だ。だが、俺は目隠しされていたのに何故か防犯カメラの視覚情報だけが転送され続け、ストレッチャーで運ばれる俺の事を見下ろした女が彼女だった。

 その奇妙な符号に俺は彼女がアイズマンの事を何か知っているのだと確信する。

 一方で、女は焦った様子で何かを喚きながら歩き去って行く。急いで彼女の背を追い施設の地下へと向かう。

 きっとこの工場にもあの巨大タービンのようにどこかに発電施設が存在し可動しているのだろう束になった蒸気配管が林立する。熱気と蒸気によって発電するタービンの駆動音が腹の底を揺さぶる。俺は彼女達が向かった場所で降りたつもりであったが、昇降機から降りた瞬間に見失う。

 深部へと向かう程に道幅が広くなり網状の鉄板を踏み鳴らす音が重く響いた。それに伴って駆動設備の環境音が消え、ここが何かの溶剤を格納している倉庫だと分かった。

 小高い山の上に建てられた工場への物資搬入において、縦横が二メートル程もある液体が詰まったコンテナはここへフォークリフトなどを用いて運んでいるのだろう。その段階になって俺の追跡が煙に巻かれた事実を痛感した。

「ネズミは貴方ですか?」

 不意に静寂の中に少女の声が響いた。同時に暗視装置特有のモーター音がモスキートのように鳴る。俺は相手の装備スペックが一世代前の物である事を認識すると、アイブラウジングでフィルターを噛ませ視界の光度を意図的に引き上げた。

 暗闇の中に浮かぶシルエットは女性的で、小柄ながら両腕から伸びる刀によって体躯が誇張して映る。

 彼女の質問に俺は答えずに腕に収納した刀を取り出して臨戦態勢を採る。

「ネズミは貴方かって聞いてんですよ。答えろよ、何無視してんだテメェ!」

 急に錯乱したように怒鳴る少女は俺の方へと駆け出した。



 名探偵はこの状況をどう捉えるか。

 私はウォルターが出て行った後通り雨をやり過ごすと、ベランダに出て夕食までの間暇を持て余そうとしていた。けれどもここから一望できる崖に女性が立っているのを見かけ、その女性が徐に崖下へと転落していったのを見据えて考えた。

「一大事ですね」

 そして自分の思考が口から零れ落ちるのを感じた私はこの状況を名探偵(私)だったらどう考えるのか、と自身に問うた。

 そして車椅子を動かしながら部屋の外に出る。左右に広がった広い廊下には赤い絨毯が敷かれ、そして壁にはトルネシア王朝期に描かれたであろう絵画が並んでいる。取り敢えず昇降機の場所まで向かうと私は腕まくりをしてレバーを引いた。

 ゴゴッ、という音と共に昇って来た昇降機の一枚目の蛇腹の扉を開け、そして油圧によって開いた扉の先がこちらの床との接点を水平にした折に乗り込む。そして数字が印字された場所にレバーの中間に広がった穴を合わせると扉が閉まって私を階下へと運んだ。ガタガタと揺れ動く様はアルフィニアでは味わえない代物であり、満足度が高い。

 ゆっくりと下って行った昇降機は一階に辿り着くと鉄製の扉を開いて、その先にいる人物達と私を出会わせるのだ。

「おや、先客だ。ラウラ、道を開けなさい」

 こげ茶色のジャケットを着こなし同じ色のハットを被ったジェントルメンがオレンジ髪の少女に向けて鷹揚に伝える。彼女は緊張を設えた様子で私ではなく周囲を見据えるとローファーの踵を鳴らして眼前から退いた。

 蛇腹扉を開けて私を出迎える形となった二人の間を進み。

「ありがとうございます」

 と礼を言うとジェントルメンが私の事を興味深げに見下ろすのだ。

「もしや貴女はトルネシアの方ですか?」

 ジェントルメンは私の来歴についての見解を述べる。確かにこの見た目をしているのはトルネシア人の特徴であり、見識の深い者ならば見抜いて当然だと考えた。

「えぇ、そうです。私はリリネル・フロンターゼ。探偵です」

「なんて因果だ。いや失礼、私はユルゲン・マイザーと申します」

「あら、私はお医者様に因果を思わせるような事をしたかしら?」

「なっ、何故医師だと?」

「こちらに来た際私達の他にも高級そうな車がありました。もし新規のお客様ならば受付のエリックが案内する筈、きっと所要で外出をしているのだろうと判断が出来ます。ならば何処へ? 答えはスラックスの裾の濡れ具合、この程度ならば恐らくは舗装された道を数分の距離、車では無く徒歩で歩いたとわかります。雨が降り出したタイミングを加味してもその圏内には医科学会が開かれている合同会館しかありえません」

 私の考察に驚くユルゲン。同時に私の前に躍り出たラウラは縋るような視線を向ける。

「貴女本当に探偵なの?」

 後ろ手に縛ったオレンジ髪と白い肌に浮かんだそばかすが青い目を際立たせ、臙脂のフリルが付いたワンピースは快活さの象徴のようでもあった。

「これラウラ、おやめなさい。失礼をフロンターゼさん、仰る通りこちらへは学会と所要で参りまして、それが説明が難しい事なので気が立っているのです」

 はぐらかすような言い様にラウラは剣呑にユルゲンに食って掛かる。

「お姉ちゃんが殺されたのよ。気が立つのは当然でしょ!」

 ホールに響かんばかりの声にユルゲンは場所を変える提案を私に向けた。私は別の用事でここまで来たのだから、それに乗っかる必要は無いが、少し思い当たる節があるのと先ほどのユルゲンの因果という言葉の真意を知る為にホテルのカフェテラスへと向かった。このホテルは旭国の言葉で言うと凹型の左側面を崖に向けて置くような造りになっている為に、中庭のカフェテラスからは海が一望できるが、その点私の部屋から見た光景を視認できないのだ。

 丁寧に切り揃えられた中庭の生垣と綺麗に咲き誇る季節の花が潮風に揺れ、気分次第の雨が上がり差し込んだ昼下がりの陽光は、初夏の風合いを佇ませて私の肌を熱くさせる。

 三人はパラソルの誂えられた麓の丸テーブルを囲むと、私はユルゲンの開口を待った。

「因果と申したのは、数年前此処で私はトルネシアから来たという男性に出会ったのです。そしてある事件が発生した。このホテルに勤めていたラウラの姉、カイア・クラインが崖から落ちて亡くなったのです」

 男性に出会った。私は単にトルネシアという共通点だけで繋がりあった事象にそれ以上の何かを求めた。

「そのトルネシアから来た男性というのが、事件に関与していると?」

「いいえ、ですが彼は自らを探偵と名乗りました」

 成る程、それならばこの因果という二文字は完結の糸口を見出した。ただ、それは単に偶然の事象かも知れない。もっと確実にこれが私に対しての何らかの挑戦状である事を示されなければならないのだ。

「お姉ちゃんは四年前の今日、此処で殺されたのよ」

 ラウラの言葉が点と点を結び付けた。確かにこれでキャストは揃った。

「もしかして、その探偵とやらは赤毛にグレーの瞳をした大男ではありませんか?」

 驚いたユルゲンの表情によってその事実が確定された。

「そうです。彼は岸壁に打ち付けられたカイアの死体を私と共に見分し、そして殺人だと言って明日、その犯人を明かすと宣言しました」

「だけど、姿を消したのよ! 急に」

 きっとラウラはユルゲンからその話を聞いただけだろうが、彼女にとっては殺人事件の犯人を野放しにする結果となった為に怒り心頭の中に未だ籍を置いて居るのだろう。

 全くアイズマンは自分の解決し損ねた謎を私に擦り付けて何のつもりかしら、なんて毒づきながらも、四年前の事件を私はアイブラウジングで調べ出した。

 殺害されたのはこのホテルの使用人だったカイア・クラインであり、捜査当局は自殺と断定し捜査を打ち切った。この当時の宿泊名簿には確かにユルゲンの名があり、更には偽名の者が一名、何故偽名と分かったのかと言うと、王の一手が他国へと潜入する時に用いるコードネームは決まりがある。男なら『ジョン』女ならば『ジェーン』、双方身元不明遺体を差す呼称であり、無論外部へは知らされないが組織の中では一般的な認識である。

「当時の宿泊者名簿を参照しましたが、四年前のこの日に宿泊していたのは貴方とその探偵だけですね」

「オフシーズンだからそんなものだった気がするね」

 私はユルゲンが当時も学会の為に宿泊したのだと理解する。

「光都で四年に一回開かれる学会へは毎度このホテルに宿泊すると決めています」

 この国で珍しくラインを搭載しているユルゲンはパンフレットを私に共有した。

「ラウラさんとはどうしてお知り合いに?」

「私が新聞で名前を知って彼の元を尋ねたのよ。どうしても四年前に起きた事件の真相を知りたくて、それで殺人だったと証言する男の事を知って、保護者として付いてきて貰ったの」

 彼等の動機が繋がって此処まで導いたのか。そして偶然にも私達はその殺人が起こった日にこのホテルに宿泊を決めた。

 本当に偶然かしら? 私は肩に乗っかって顔を覗き込んだコルリの瞳孔が機械的に絞られるのを見定めた。ホテルを手配したのはクラリスだ。彼女が意図的にそんな風な行動をとる筈がない。

 私が殺人事件の捜査を行っている事すら、彼女にとっては至って望まざる事柄なのだ。

「その男はどうして居なくなったのでしょう? 何か思い当たる節はありますか?」

 ユルゲンは後ろに撫でつけた白髪頭を摩りながらその当時の事を諳んじる。

「焦っているように思えましたな。当然ではありましょうが、こんな時に殺人事件が起こるなんて、と狼狽しながらも移る行動の迅速さに舌を巻いたのを覚えています」

 何ともアイズマンらしい様だ。巻き込まれ体質にお人好し、きっと被害者にも同情的だったのだろう。

「お姉ちゃんは自殺なんてしない……、だから殺人って考えた人が居たならその人に罪を暴いて欲しかった」

 ラウラの沈鬱な面持ちはきっと普段の快活さを失わせる。彼女の思いは握り込んだ手の平を見れば一目の内に判断に負えた。私は顎に手を据えると口元に微笑みを象って言う。

「ならばこの事件、私が解決致しましょう」

 二人は顔を見合わせてから再度私に視線をくべた。

「良いの!?」

「もう四年も前の事件ですよ?」

 互いに違う反応ではあるが、私はこの空間の意味を考えながら協力者が必要だと判断する。今ウォルターは居ない為に私だけで解決するには助手が必要だ。その任を任せられるのはユルゲンにおいて他にない。

「可能です。ユルゲンさん、ご協力いただけますか? ラウラさんは自室でお待ち下さい」

「どうして?」

 私は彼女にそれを見せるのは酷だと思った。

「部屋に入ったら窓に近付かない事、我々のノックは二回連続に続けて合間を置いて一回鳴らします。そうしたら扉を開けて良いという合図です。それ以外は何人も部屋には居れず、支配人等の問いかけには体調を理由にして断って下さい。これが事件解決の条件です。守ってください」

 矢継ぎ早に条件を放り出す私に対してラウラはあわあわとしていたが、車椅子を回転させてカフェテラスを後にしようとする私に彼女は問うた。

「どうして私だけ部屋に残るの?」

「殺人犯が未だこの屋敷に居るかも知れないんです。被害者の身内と共に嗅ぎ回って怪しまれる事は避けたいと思いませんか?」

 彼女は納得してユルゲンが部屋に送って行くのを、私はエントランスで待った。そして数分してやって来た壮年の男と共に崖の方へと車椅子を動かす。

「本当に、四年も前の事件が分かるんですか?」

 彼はやはり疑念の感情を露わにしているが、私にとって四年と言う歳月もこの状況を見るに関係が無かった。その証明のように崖の付近に来た私達の前に彼女は姿を現した。

 薄手のカーディガンを肩から掛けた女性が崖に向かって歩みを進める。

「こ、これは一体」

 ユルゲンの驚きも無理はない。私の眼前には死んだはずの人間が映り込んでいるのだ。

「あら、貴方にも見えるんです?」

「あ、あぁ、信じられない事だ」

 彼の背筋にはラインが搭載されている筈だ。そうで無ければこれは亡霊に違いない。

 彼女はカーディガンの下には半袖のワンピースを着こなしており、その格好から自分の今の成りを比較した。

 私の今日のコーデは和装ではあるが肘の付近にスリットが入り抜ける風が心地よい風になっている。

「あっ!」

 ユルゲンの声に視線を戻すと女性は腰を逸らせる形で両腕を開きながら崖下に落下していった。生々しい音が響きユルゲンは下部を見て口元を抑えた。

「大変な事だ」

 確かに彼の言う通り大変な事だ。

「ならばこのままぐるりと回って崖下へと向かいましょう」

 私の提案に彼は狼狽しながらも頷いた。ゆっくりとホテルをぐるりと回りながら下りの階段を目にする。きっと目下にある海水浴場へと続いているのだろうと考え車椅子のモードを変更して私は四足歩行のそれに鎮座した。

「画期的な技術だ。それはアルフィニア製ですか?」

「いいえ、親友が私の為に誂えた特別製です」

 成る程、と納得したユルゲンは階段を下りながら私にラウラに処遇についてを訊ねた。

「ラウラを部屋に残したのはこの為ですか」

「えぇ、彼女もライン手術をしていますよね?」

「この国でも十六歳以下の世代に居る子供は皆適正年齢になると手術をするか選べますからね」

 なら私の判断は正解だ。階段を下り終えると右方が件の崖になっており、そこへ進むにはかなり荒々しい岸壁を添わなければならない。けれどもこの車椅子でならば多少の荒い足場は物ともしなかった。

 四年前にここを訪れたユルゲンは年の経過を感じながらひいひいと言って私に付いてくる。そして、丁度平たく浸食された岩場に我々は行き着いて遺体を目の当たりにした。

「全く以って信じられなない。フロンターゼさん、これは一体どういう事なのでしょう」

 彼の疑問とは裏腹に遺体は泡沫のように消え、そして流れ落ちる血痕すらも消えて居なくなってしまう。同時に私は顎を上向けて崖の上を見やった。そして彼女が落下する一連が途絶えて、岩礁に打ち付けられた所でまた現れて、最後には足もとへと行き着いた。

「このホテルの従業員は何名ですか?」

「オンシーズンなら十数名で、今のオフシーズンだと支配人と料理人、それから庭師を含めて五名程度でしょうね。四年前からそれが変わって無ければの話ですが」

 私は改めて目の前の遺体に着目する。私は近くの岩礁を見据えて、それから平たい岩の上に横たわる女性の遺体を順に追った。

「おかしいですね」

「いや本当におかしな事だ。夢でも見ているのか?」

「ではなく、この遺体は本来あの岩礁に落下したはずです」

 私が指を差した方向には荒々しく尖った岩礁が付きだしており、最後に遺体が移動した場所とは少し違う。それを証明するように血液を擦ったような線状の血痕が動線となって現れていた。

「被害者が這いずって此処まで来て息絶えたとか?」

「遺体を動かす事は適いませんが」

 私は何度も消えては浮かぶ遺体に集中を乱されながらも彼女を観察した。

「胸には大きな傷はありませんから、岩礁へは背中から落下したと見て間違い無いでしょう。そうなるとこのような血痕が出来上がるのは不自然です」

「確かにその通りですね……あの、そろそろこの現象に付いて教えて頂けないでしょうか」

 彼の疑問に対して私はそれもそうかと納得した。

「推測ですが、これはライン手術を行った人間が殺人を犯した際に陥る何らかの病」

「病、精神疾患という事ですかな?」

 精神科医の彼に説法を説く気分ではあるが、これが私にとって最も蓋然性のある回答である。

「電脳都市景観の固定。それがある一定の心理的要因によって起こり得る。過剰なストレスや遺伝的資質、或るいは外部要因か。犯人が思い描いた風景が投影されて我々の電脳を侵すのです」

 ユルゲンはその状況に何か心当たりがあるのか、腕を組んで顔色が優れない。

「私は四年前、あの男と出会ってから調べたんです。精神科医の所見から彼はラインによって起こる弊害についての論文が無いかと私に問うた。何故忘れていたんだろうか」

 岩場に背を預けて私に向き直った彼は、恐ろしいモノでも観るかのように私を見下ろしたのだ。恐らくは一連の事象についてへの恐怖の感情だろう。

「さて、それによって何が分かったのでしょうか?」

 彼は乾いた口を開いた。

「何も、何も分からなかった。有り得ないんです。普通はこう言った最新の技術に関しては肯定、否定問わず論文が発表されるはずで、だが臨床実験の経過報告以後の論文が全て発表されてすらいなかった」

 彼は頭を抑えながら、何かに耐えるようにしている。記憶改竄、ライン技術の弊害として相手の脳を侵す事が容易になった。当然そこには防壁が存在するが、一般人の有する電脳防壁(セキュリティ)なんて言うのは恣意的な力によって簡単に破られてしまう。

「ユルゲンさん、貴方もしかして記憶のライブアップロードを使っています?」

 彼は小さく頷いた。やはりそうか。人間の記憶と言うのは思い出す為の引き出しが無ければ簡単に忘れ去られてしまう。それを解決したのが、記憶のライブアップロードだ。五感の情報をバイナリ信号に変換してクラウド上にアップロードする。

 そうしてアイブラウジングによって任意の記憶を呼び起こす事で人間の記憶の補助を行っているのだ。

「昔アルツハイマーと診断されてね。ライン手術によって記憶の維持をしなければ医師を続けられないと言われた物で」

「そうですか。ならば思い出す事は容易ではないでしょうね。けれど、一つだけ方法があります」

「それは一体?」

「私にお任せ下さい。まぁ、まずはその前にこの事件を解決しましょうか」

 そう言って踵を返すとホテルへと戻っていく。私達が戻った折、彼等の泊まる部屋の扉をノックすると、そわそわとしたラウラが私達を出迎えた。

「遅かったわね……」

「おかげ様で順調そのものです」

 私は彼女の剣呑な態度を躱しながらラウラに調べて分かった事を詳らかにした。

「そう……、やっぱりお姉ちゃんは殺されたのね」

「えぇ、このホテルの従業員名簿です。この中に犯人がいます」

 私は二人にハッキングによって手に入れたその名簿を回覧する。支配人のエリック、料理人のフレジャーとマックス。そして庭師にエリオット。

「エリックは四年前はまだ十四歳でしたな。その頃はお爺様がこのホテルを運営していたのでよく覚えていますよ。カウンターから顔だけ出して一生懸命に受付をしていました」

 他の者達は皆四年前も成年であり、加えてラウラは一人を指差した。

「このエリオットと言う男……、お姉ちゃんと一緒に写真に写っているのを見たわ……」

「それは恋人のような、と言う意味ですか?」

 切迫を胸に彼女は頷いた。そう言う人間関係も当然考えられるな、と私は納得をする。この屋敷の専属庭師であるエリオットを訪ね、来歴を洗うが単純な物で庭師の父を持ち元々は宮廷の専属庭師として管理を任されていたようだ。

 トルネシア王朝の終焉と共に彼の父は西側の貴族の庭園を管理する職を熟し、七十歳で引退すると息子はこの屋敷の庭師となった。しかし、カシュー家が財産を処分する傍らでエリックの祖父がこの屋敷を買い取った。

「その頃から此処に務めているという事ですか?」

「あぁ、そうなるな」

 エリオットは緑色の作業着に帽子を被りながら私の質問に答えた。身長が高く寡黙な印象を受ける。故に、私がカイアの事を訊ねた折には険しい顔になった。

「彼女の事は何も知らない……。フレジャーの方が詳しいんじゃないか?」

 自嘲気味に言い放った言葉、彼はラウラを気にして顔色を戻すと仕事に向き直った。私はラウラを引き連れて次に食堂へと向かう。

「どう? 犯人は分かりそう?」

 彼女の疑問に私は唸った。

「ピースは着実に揃っています。後は完成を待つだけです」

 食堂で今晩のコース料理を用意していたフレジャー、大鍋で魚から出汁を取りながら私達を見下ろした。恰幅の良い男性でエリオットよりは年上に感じる。

「俺とカイアの関係? なんで今さら」

 彼はラウラに視線を流すと段々と理解に負えたのか咳払いをしてから苦い面持ちになる。

「一方的な片思いだよ」

「本当に? 庭師のエリオットさん曰く別の感情を抱いているようですが?」

「アイツは……、勘違いしてるだけだ」

「と、仰いますと?」

「二人の方がお似合いだっただけだ。けどあの当時の俺はそれが悔しくって彼女を呑みに誘ったり、プレゼントを送ったりなんでもした。けれど振り向いては貰えなかった」

「なら、エリオットさんが勘違いする要因にはならない気がします」

 彼はスープの味を確かめながら私達をあしらうように告げる。

「お子様にはプラトニックな関係はわからんだろう。アイツ等はそれが行き過ぎたのさ、傍から見たら横恋慕を誘うように思えるんだ」

 私とラウラは顔を見合わせる。彼の言う事柄への理解が今の私の中には余りにも誇大であり処理に追いつかない。

「もう一つ」

「何だよ、これ以上引き止めたら前菜で打ちとめるぜ?」

「カイアさんがそれで死を悩むほど、打ちひしがれていたように思えますか? もしくは貴方の積極的なアプローチに悩んでいたとか」

 これを彼に問うのは気が引ける。フレジャーも鯛の鱗を包丁で落としながら私を睨んだ。

「言っておくが俺のアプローチは積極的だったが、彼女は毎度あっさりと拒否してくれた。だから彼女が死ぬ前には後腐れ無い関係の筈だった」

「最後に一つ、事件『当夜』のアリバイはありますか?」

「あん? 確かあの日は……、寝てた筈だ。何時もより早かったが急に眠くなってな」

 彼の言葉を聞いてから、流石に前菜だけのコース料理は寂しいからとキッチンを後にした。ラウラはもう一人の料理人について訪ねようとしていたが、私は犯人のリストから彼を最初から除外していた為に、最後にエリオットの下へ向かう。

「どうしてマックスを除外したの?」

「ラインを搭載していないからです」

 彼女は自分の首筋に手を当てる。未だ異物感に慣れない様子なのだろう。エリックはフロントで宿泊者名簿を確認していた為に直ぐ発見出来た。

「ごきげんようエリック」

「フロンターゼさん、どうされました?」

 彼は外面的な笑みを向けて私とラウラに視線を送る。ラウラはエリックから視線を外して私の背後に回った。

「少しお聞きしたい事がありまして、貴方がお祖父様からこのホテルを相続したのは何時頃でしょうか?」

「そうですね、一年半程前です。祖父は進行性の難病を抱えていましたから」

「では、それ以前もこのホテルには手伝いか何かでいらしていたのですか?」

「はい、僕にとってこのホテルは宝物なので、それに人手不足でしたから」

「給仕の方がいらっしゃいませんが、それも貴方が?」

「オフシーズンは全部僕の仕事です。これでもやり甲斐を感じています」

「それは素敵な事です」

 屈託のない笑みは恐らく同い年のウォルターと違って清々しい。彼もこれくらい素直に感情を出してくれれば良いのに、と頭の片隅に思考を留めつつ新たな質問を投げる。

「その宝物のこの屋敷で起こった事件について貴方はどうお考えですか?」

 彼はあっけに取られた様子ではあったが、直ぐに平静を取り戻して回答を爪弾く。

「悲しい事です。従業員は家族というのが祖父の方針でしたので、痛ましい事件を繰り返さない為に僕も経営を勉強中です」

 なんとも経営者の目線としては百点の回答であった。

「カイアさんの死の直前に関してはどうでしょう。何か思い詰める様子などは有りましたでしょうか?」

 彼は記憶を想起するように俯く。

「何分四年前なので……、けどエリオットさんと言い争っているのは見たことがあります」

 確証ではないものの手掛かりの一端としては有力な記憶だと私は留める。

「最後に一つ。宿泊客名簿は暗記されているの?」

「繁忙期はラインも併用しています。便利ですね、予約の確認に重宝してますよ」

「ふむ、この件とは全く関係が無いのですが、胃腸のお薬は頂けますか?」

「体調が悪いんですか? 生憎と常備薬には、そうですね鎮痛剤が数種類ありますが」

「そうですか、いいえお気になさらず。では行きましょうか、ラウラさん」

 一通りの証言を聞き終えた頃、時刻は十六時頃になっていた。ふむ、と私は腕を組みながら車椅子を進ませる。

「ねぇ、お姉ちゃんがもし本当に自殺だったら……何故私に相談してくれなかったのかな」

 ラウラは悲しみの青い視線を私に湛えた。

「お姉さんはどんな方だったの?」

「綺麗で、すっごく明るかった。笑うとひまわりみたいで……。そんなお姉ちゃんが自分で死ぬなんてありえない」

 私は涙を浮かべる彼女のそれを掬って言った。

「泣くのはこの事件を解決してからです」

 驚く彼女は私に問うた。

「解決出来るの?」

「当然です。私は名探偵なのですから」

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