僕の神は遠く昔に死んだ。擲弾の炸裂と共に逃げる家族をバラバラにしてから信仰心なんてのは何の役にも立たないんだと知ったのだ。だから僕はこの地獄で道連れにする相手を探していた。

 それが彼だった。

「はじめまして、僕はジョン。ジョン・ミハエリ」

 戦地へと僕らを運ぶトラックの中で彼は僕を見上げ、子犬のように震えていた。これから待つ明確な死の気配に怯えているのだ。当然これは別に特別じゃない。きっと誰にでも起こり得る現象であり、仕方のない事だ。

 だから期待してなかった。彼の事も……。

 けど、違った。ウォルター、君は僕の予想という退屈を廃した。

 アイコンダクターが示した生存への導線を彼は微塵の躊躇も無く遂行し果せた。時に非人道的な要求を生存のルートとして選択する必要性が出てくる。例えば戦地潜入の任務で哨戒兵を一撃で仕留める為に首を落とす事や、地雷原を捕虜とした兵士を歩かせる事で僕たちに被害が出ないように計らった。

 ウォルターは無垢な僕たちの願いを聞き入れる神にすら思えたのだ。

 だから、僕はそんな神を、利用した。

 一体どれくらい神は僕の言葉に耳を貸してくれるのだろ。

 一体神は、どんな奇跡を僕に与えて下さるのだろう。

 そのワクワクが僕を制し、そして準じた。

 けれど、終わりは近づいていた。トルネシア南自治区が皇居を取り戻し、北側の蜂起武装組織が解体され、停戦派閥が主導権を握った。

 故にこの三十万人もの死者を出した戦争は集結し、僕たちは戦災孤児としてアルフィニアの人道支援対象として収容されたのだ。

「その貴様が何故我々の下へ戻ってきた」

 僕の昔話を知る大人の一人が同じトラックに並んで腰を据え話をしている。僕はこの奇跡に口角が上がった。

「ベルナルドさん、僕はもう一度彼の活躍を見たいんですよ。それは貴方の目指す道の行く末でもあります」

 北部帝政復古派閥(ノースアルタード)の指導者ベルナルド・オーレリッヒは若かりし頃、五十年前に終結した東西戦争でトルネシア独立の為に尽力していたらしい。けれども今では南北何方に置いても思想犯のレッテルが貼られ、比較的彼等にとって居心地の良いベールリッヒに本拠地を置いていた。

 ベールリッヒは帝国思想の強い国家であり、それは東西戦争後における支援国家の色合いを強く持っているからであり、もしトルネシア朝の皇帝一族が滅亡していなかったら恐らくは皇位に据えて重用していただろう。

 トラックはレンガ造りの街並みを走り、蒸気タービンの吐き出す煙の覆われた首都光都(トランレイヒ)のジグザクに組まれた道を叩くように登っていく。東部からしたら時代遅れの様相を呈するこの街並みは、美しき労働者階級を賛美するために国家主席によって維持を提唱されていたが、最近になって『労働者階級の特権(ニュージェネレーションズフォーミュラ)』と訴える機運が高まった事につけ、ダイラー社の支社を招き入れてライン手術の前例を作った。

 だが、先進技術の導入は勿論の事ラインの普及率はまだまだ低く、電脳都市景観も目に優しい具合だ。

 建物の壁面には社会思想を反映するビラが貼り付けられ、地下に埋没した電線によって照らされる霧の濃い町並みを歩く人々はゾンビみたいだ。

 僕たちはその異様さの中、町外れの工場区に向かう。

 ちょっとした仕掛けをする為の準備を行っているのだ。

「ウォルター、もうすぐ君を迎えに行くよ」



「それで、この子を引き取ったって訳。フゥン」

 クラリスは前足を膝に置いて尻尾を振るアレクサンダーに満更でもない様子で顎を撫でる。俺等への対応とは違い、彼がこれほどにも活発になる様子を見たのは初めてだった。

「俺達が留守の間、アレクサンダーの事を頼みたいんだ」

「俺達?」

 ジトッと俺を睨んだクラリス、確かにそれを俺の口から言うのはおかしな事か。けれどもリリネルは今着替え中であり、車椅子の着付け機能を使って居るためにこの場には俺とクラリスとアレクサンダーが残されていた。

「アイツの事はアンタに教わる」

 俺はノートを取り出して彼女に対しての筋を通した。

「期待してない。けど、リリネルが決めたなら強く否定はしないわ」

 アレクサンダーは俺とクラリスの合間に座って顎を上げる。

「出発前に撫でとくか」

 俺は免罪符を手に入れアレクサンダーを撫で回した。柔らかな毛並みに癒やされていると車椅子を走らせたリリネルが俺にぶつかる。

〈あら、ごめんなさい。貫通出来るオブジェクトだと思いました〉

 わざとらしいそんな言い訳にクラリスは笑うと、何かを思い出したように工房から一羽の青色の小鳥を連れてきた。

「この子はコルリ。まぁ、簡単に言えばスパイカメラよ」

 可愛らしい小鳥の表情をしたコルリは実に動物をそのままにしながら飛び立つとリリネルの頭に停まった。

「任意の相手に映像を送信出来るわ」

 そう言うと俺のラインにアクセス許可申請が届き、それを許可するとリリネルの頭頂部から見た光景が写し出された。

〈面白いですね。クラリスが開発したのですか?〉

「まぁ、着想は有ったんだけど、この前ふと思い立ってアイズマンの残した手がかりを探してた時に、ふと青い鳥の写真を見つけてね。作ってみたら思いの外良いものが出来ちゃった」

 彼女の言葉に俺達は顔を見合わせた。こんな時代に神の思し召しなんて思わないが、先だっての件と言いアイズマンが何かを求めているかのような痕跡の残し方が目立っていた。

 故に俺達はそのパン屑を集める事を強いられているのだろう。

「アイツらしい回りくどい要求かもな」

〈いい度胸です。この名探偵リリネル・フロンターゼに手がかりを提供するだなんて〉

 この少女に活力を与える等、見つかって吠え面掻くのも時間の問題であろう。なんて思った俺は改めてクラリスに礼を言った。

「助かる」

 彼女は頬を真っ赤にしたと思ったら腕を組んで横目で睨んだ。

「別に、アンタの為じゃないから!」

 リリネルは〈行ってきます〉とだけ言う。俺と彼女は磁力推進車に乗り込むと発車する。その青の軌跡をなぞるように彼女達の視線が移ろうのをルームミラーで見つめた。

「ブックマンの痕跡通り、ベールリッヒに向かうか?」

〈そうですね。けど、良かったわ。ベールリッヒは未だに蒸気機関車が全盛だから一本逃したら半日が無駄になります〉

 その点この磁力推進車は陸地での走行も想定されているために、タイヤが着いており見た目もレトロタイプであり西側国家でも浮かないだろう。

〈正にダブルミーニング。浮かないと浮遊(う)かない〉

 人差し指を立ててドヤ顔をする彼女を無視すると、その指が俺の頬を突いた。そして運転席に乗り出して膝の上に頭を置いて来るから、わざと砂利道を走る。ガタガタと揺れる振動によって叩き起こされたリリネルは不満げに窓の外を見流した。

〈本当だったら、この西部の景色をクラリスにも見せてあげたい〉

 本来西部への入国は特殊なビザを発行しなければならない。それをリリネルはハッキングという手口を用いて俺達に別の経歴を付与した。

「見せられるだろ、その鳥で」

 コルリは顔をぐるっと動かしてリリネルの肩に乗って丘陵とした草原と遠くに見える山々を映した。窓を開けると青い鳥は飛び立って、牧畜を行う者達によって町まで整備された道を走らせながら、砂の巻き上げる軌跡を描く磁力推進車を遠巻きに見やった。

 リリネルはそれに手を振り動画を送信する。

 光都までの道のりを、途中バッテリーの充電も含めて三日掛けてようやく丘の上から見下ろせる場所まで行き着いた。

 その前に設置されている検問において俺達はベールリッヒの兵士に偽の経歴を表明した。

「ラルフ・アイゼマン。交易商だ。こちらの淑女はルクレツィア・ハミルトン、侯爵家の一人娘。光都の精密部品を外国へと運ぶ船や、物品が信用に足るかをその眼で確認する為にお連れしています」

 検問の兵士は俺達を眺め見て疑問を呈する。

「何故、子女様と?」

 俺はリリネルの手を取った。そして彼に微笑みかけると納得した様子で判を捺したビザを発行する。

「どうか祖国の為に良いお取引が出来る事を」

「ありがとうございます」

 一対の翼の前面に盾があしらってある記章を胸に付けた兵士は敬礼をして俺達を見送る。ベールリッヒはトルネシア王朝期に民主制を否定し、帝政の継続と貴族の権利維持を求めた為にその記章には四大公爵家の文様が記されている。

 領内に入ると俺はこの国の歴史をリリネルにご高説賜る。

〈トルネシア王朝滅亡のきっかけは、貴族階級による治世の混沌が例に挙げられ飢餓や病の蔓延の責任や、他大陸との政治干渉によって民主化の機運が高まった事が要因とされているわ。具体的には旭国が良い例ですね!〉

〈かの国は君主が決定の是非を握らず人民が主権者であり、国家の決定は議会によって行う旨の仕組みを有しています。その座組を踏襲した形が現在のアルフィニアであり、東西戦争時における民主化運動派閥の主観とされているのです〉

 指をピンと立てて悦に入る彼女の解説を流し聞きする。

〈対して、西に至っては今も尚王政の続く国家からの絶大な支援によって血族主義の議会が擁立され、国家君主はその四公爵が代々皇帝代理という空の玉座を埋める無駄な努力をしていて、この大陸は二つの思想の末にどちらが正しいかを定める代理戦争の舞台として、他国から重要視されているのよ〉

 ただ、その二度目の戦争でベールリッヒは絶望しただろう。

 何故なら、トルネシア王朝が既に滅亡していたのだから。俺はその最前線で戦っていたから理解した。

 皇居がもぬけの殻であり、皇位を据えるに相応しい人物が既に死に尽くしていた状況下で、それを知った将校達が皆肩を落とし撤退していく姿は見るに堪えなかった。

「どんな想いだったんだろうな」

 俺は自分の思考が不意に質問となった事に驚いた。リリネルはコルリの頭を撫でながら俺に首を傾げて見せた。

「皇帝の死後、その家族は皆屋敷で服毒自殺をしたとされている。それを知った西側の連中や、西側によって支援されていたトルネシア北自治区の連中は一体事実を知った時、どう思ったんだろうなと」

 彼女は長い純白の髪を指で梳きながら俺の疑問に答える。

〈長く続く物は美しいでしょう。けれどそれが永遠ならばその輝きは失われてしまうのです。有限こそ美の骨頂、それに気付いたからこそ皇帝一族は自らの手で華々しき血脈を途絶えさせたのです。だから彼等は目を覚まさなければならなかった。ですが、今もその夢は覚めていないのでしょうね〉

 移り行く景色が俺達を光都へと誘う。レンガ造りの建物はジュレミントン市警の建物に似ていた。労働者が自らの地位向上の為に据えた居場所を、今は貴族達が仮宿として乗っ取り発展と引き換えに敷かれた同調という名の支配が渦巻いている。

 国旗を掲げるメインストリートの両脇には二、三階建てのアパートメントやテナントが林立し、狭い路地裏に抜ける壁には労働者の権利を訴えるポスターや壁画が描かれている。現在の国家主席はカール・カレンベルクであり、今年で四年目の任期を迎える。

 彼の時代になってようやくこの国もラインの導入が始まって、都市には電脳都市景観が僅かに広まって来た。ちらほらと磁力推進車が行き交う様子も見られるが、未だそれを真向から受け入れる体制が整っていないのも事実である。

 光都は海に面した都市であり、現在医科学会が開かれている合同会館を通り過ぎると港が現れ貿易船舶が所せましと並ぶ。黒煙を吐き出す蒸気駆動の巨大クレーンによって荷下ろしを活発に行われ跳ね上げ橋によって運河を跨いだ先にある中心部には、聳え立つ巨大タービンによって都市や工場区の電力が一部供給されているのだ。

「あんなバカでかい設備、一体どれだけの費用が投じられてるんだか」

 俺はハンドルに顎を乗せてそのうすら寒い程に巨大な塔を見上げた。

〈現在稼働中のタービンは八基中二基。かつては石炭を年がら年中燃やして居たらしいのですが、都市が大きくなるに連れて電力供給に関するコストが問題化し始め、且つ化石燃料の発見によってエネルギーの変遷が成されている最中だとか〉

「大分遅れているな。アルフィニアでは既に核融合炉なんて物が発明され、兵器転用についても議論されているのに」

〈まぁ、それが異国情緒という物でしょう。楽しみましょうベールリッヒでしか見られない景色を、そして美味しいご飯を!〉

「食い意地はってやがる……。そういやアルフィニアでは寿司を食えなかったな」

〈ウォルターがアイズマンの捜査を急かすからぁ! バカバカバカ! けど、今度向かう際は食べ歩きに付き合ってもらいます〉

「それまで生きていたら、な」

 彼女の前向きさに俺は感心し、宿泊先であるホテルへと向かう。クラリスが事前に予約したとかで楽しみにしている風だったから、俺は一体どんな呆れた様子なのかと考えていたが、外観を見るに貴族の別邸のように思えた。

〈カシュー家の邸宅を没落の折に買い直しホテルにしたのです〉

 海の傍、絶壁の上に建つ赤い屋根にベージュの外壁、そしてアーチの窓によって構成された二階建ての邸宅は、若干気味が悪さを孕みながらもかつての威光をそのままに手入れが施されている。

「こんな傍に……、天変地異が起こったら海に倒壊しそうじゃないか」

〈怖いんですか?〉

「黙れ」

〈カシュー家はある呪いを受けたとされていて……、夜な夜なその呪いの主が顔を出して来るんですって〉

「…………っ!」

〈一緒にトイレ行ってあげますよ?〉

「ほんとうに黙れ!」

 俺は彼女に見つからない小さく深呼吸をした。苦手なわけじゃない。けれど……クソ、アイズマンが余計な物を見せるから……。

 アイツに引き取られてから暇な俺の所によくホラー映画を持ってきた。それが丁度こんな風で想像してしまう。

 磁力推進車が広い庭の中に停まる。そこには他にも高級な自動車が並んでおり俺達以外も客がいる事を示していた。

〈ウォルターの可愛い所発見です。安心して、このリリネル・フロンターゼが居れば呪いであっても立ち所に解決!〉

「チッ、化け物が居たら置いてってやるよ」

〈ならば死んでも裾を離しません、道連れです〉

 俺は彼女の車椅子を取り出しながら、微笑むリリネルを無視して膝を抱えて持ち上げる。精油の良い匂いがする髪と生活用品を後部座席から車椅子の収納部へと移し替えてから押して中へと踏み入った。

 赤の絨毯とシャンデリアに出迎えられた俺達は、眼前に設けられた受付に座る管理人と思しき青年に声を掛ける。

「予約していたハミルトンだ」

 彼はライン上で予約確認を行っているようでアイブラウジングの動作が確認できた。

「ご来訪ありがとうございます。当ホテルの管理人をしております。エリック・ホキンスです。お部屋へ案内いたします」

 エリックという青年は赤毛にそばかすのある茶色の瞳、この国の多くの人種がそうであるように、具体的な特徴を引き継いでいた。

 青年の向かう先へはエレベーターを利用する。この施設には蒸気タービンが備えられているようでエレベーターが駆動する際には地下が振動した。厨房から暖房設備、こういった昇降機を動かす為に恐らくはタービンがこの下にあり、使用人達によって運用がされていたのだろうと推測する。

「古い設備なのか?」

 俺の疑問に彼は「先代からなので、もう三十年は運用しています」と述べた。エリックは慣れた手つきで蒼い床のエレベーターで二階まで手動でそれを操作する。

〈昇り降りの際は、貴方へ申し付けるのですか?〉

「いいえ、お客様ご自身での操作も可能なようにお部屋に説明書きがありますので、ご利用の際はご自由に」

 成る程、と納得したリリネルはちょっとワクワクしたように鼻を鳴らした。多分、この後自分でもやってみたいと騒ぐんだろうな。と思いながら俺達は部屋に案内される。

 そこは海の景色が一望できる絶景であり、縦長のアーチを描いた窓はベランダに繋がり、それが各部屋に個別で備えられている。室内の調度品の類はきっと貴族がそのまま売りに出したのだろう。ホテルには場違いな洗練さが伺えた。

〈素敵なお部屋です〉

「お喜び頂いて嬉しく思います。夕食の際はベルでお呼びいたしますので、食堂へどうぞ」

 彼はそう言って俺達に頭を下げると去って行った。部屋に残された俺はベッドが一つしかない事に違和感を覚えながらも、彼女の荷物の中から俺の物を取り出して机に並べた。

〈あら、もうお仕事?〉

「アイズマンが最後に宿泊したホテルが此処だからな」

 光都ノイルツァーウィッシュ港、彼の足跡を洗える範囲で此処が公式記録として残っている最後の地点だ。

〈王の一手では他の諜報員の記録を盗み見る事が出来るんですか?〉

 そんな筈はない。

「いいや、俺は一度王の一手から抜け出そうとした。その時にアイズマンのレポートを数点、彼固有のクラウドに保存した。そのパスコードを思い出したんだ」

 リリネルは目を見張ってから俺に怒りの視線を向けた。

〈どうしてそれを黙っていたんです?〉

 まさかリリネルに膝枕をされている時に思い出したとは言えなかった。

「お前の事を信用していなかったからだ」

〈じゃあ、今は?〉

「変遷しつつある」

〈ふぅん、なら見逃してくださるという事もあり得るのかしら? それとも、私を出汁に浸かって交渉材料とする目算なのかしら?〉

 全くこういうところが可愛くない。

「俺の目的はアイツに会って一発ぶん殴る事だ。その為に必要ならお前の命を天秤に掛けて交渉だってするつもりだ」

〈成る程、叶うと良いですね。そしてその時は任せましたよ。私も彼には募る想いがあるのですから〉

 俺はスーツの中に仕込んだ刀の切れ味を確認しながら彼女の答えを聞き流す。

「お前の積年はお前だけで完遂しろ」

〈背反した事を言うのね〉

 彼女に背を向けた。そして部屋から出る前に念を押す。

「もし何か異変があったら直ぐに連絡をしろ」

〈勿論、ナイトの到着を待つ可愛いお姫様ですから〉

 俺は光都の北部にある工場街へと向かおうと考えていた。フロントで磁力推進車の鍵を預かった際に、エリックは不思議そうな顔をした。

「お一人でお出かけですか?」

「あぁ、こちらへはビジネスで来ている」

 納得した風の彼は更に質問を重ねる。

「ご夕食までにはお戻りになられますか? それと、お連れ様は如何致しましょう」

「俺の分は用意しなくて良い。彼女は自分で食堂まで向かえるから特別何をしなくとも大丈夫だ」

 左様でございますか、と彼は納得して俺は鍵を受け取ると磁力推進車に乗り込んだ。そして此処から件の工場街に目を付けたのは参照したアイズマンのレポートに写されていた写真から特定したからだ。

 彼はそこで何かを掴んで居たが、それを白日に曝す事も無く居なくなった。逸る気持ちは確かにそこにあるのだ。どうして、俺達に何も言わずに消えたんだ。

 そればかりが心にしこりを残した。



 中央紛争終結後、俺は北部のスラム街に身を潜めていた。アルフィニアとの国境近くはあばら家が軒を連ねる地帯が存在し、そこにはトルネシア北自治区の行政すらも立ち入れない空気が漂っていた。

 多くは戦争によって家や家族を失った者達が住み、終戦によって解体された軍閥の残りかすみたいな連中により支配されていた。そう、戦争が終わっても尚俺達というのは報われなかった。

 古びた教会に居付いた子供達は泥棒やスリで生計を立てる外無く、俺はすばしっこい子供等にスリを教え、大人への対応は俺と――が行っていた。

 二人でならどんな大人も敵では無かった。

 彼を除いては……。

 その日も食料品を商店街から奪う為に先行させていた子供達を逃がし、そして俺と――は大人を引き付けて路地裏に逃げ込んだ。

「ウォルター、こっちだ」

 彼の言葉通りに道を行き、そして逃げ果せると思った時に予期せぬ者達が現れたのだ。

「ようやく尻尾を掴んだぞガキども、生きちゃ帰さねぇ」

 商店街を仕切っている軍人崩れが俺達に業を煮やして拳銃を取り出しながら迫って来たのだ。その数は二対十、明らかに無傷で済む人数ではない。

「クソ、すまないウォルター。しくじった」

 ――は俺に苦しそうな息を吐いて歯を食いしばる。この汚れた子供二人の為に銃まで取り出した大人達。俺はその社会という理不尽の中に純粋な怒りを滲みだしていた。

 さて、この場を潜り抜けるにはどうすれば良いだろうか。俺の中から肩の力が抜けていくのが分かった。戦争が終わり、敗残する兵士達に向けられた同情の余地が自分達を苦しめる大人へと昇華した折に拮抗を排して恨みへとにじり寄り、故に思うのだ。

 殺しても良いんじゃないか?

 アイコンダクターは既に存在しない。けれども殺害への動線は確保できる程に俺に両目は赤く染まっている。

「――、やるぞ」

 彼は俺の決意に同意する。

「あぁ、やろうウォルター」

 そうして向けられた銃口の先に居る者へ、ガラス瓶の破片を向けようとした瞬間に第三勢力の声が聞こえた。

「おやまぁ、子供にそんな物騒なもん向けて、大層な事じゃないか」

「あぁ? テメェに関係ねぇだろ! 引っ込んでろ!」

 路地裏の出口から差し込んだ明かりが逆光になって彼を隠した。けれども立派な体躯は成人男性の平均を上回っていた。

「そうはいかんな。俺の仕事はこの国の平和を守る事だからな」

 軽妙な口調でトルネシアの言語を操り広げられた両手には何も持たずに、敵意の無い様を見せつけるように手の平を広げて掲げ、彼は俺達の前に来た。

「まずはテメェからやっちまうぞ。余所者が」

 擦り切れた軍服と刈り上げた頭に無数の傷がある男達の様相は鬼気迫っており、眼前に立つ白のカッターシャツと黒のズボンをサスペンダーが支えた大男の風貌は一目見て教養と理知に富んだ風を見せていた。

 俺と――はその光景に見入った。正に拳銃が砲火を瞬かんとした瞬間に男は相手の拳銃のスライドを左手で押し込んで弾倉をリリースした。

 自動拳銃(オートマチック)はその機構上スライドが引かれた状態では発砲が出来ない。不意の状況に当惑した男は鳩尾を拳で打たれて悶絶する。彼はそのまま男で盾を作りながら左方にいた者の拳銃を蹴り上げてその足で顎を捉え脳を揺らす。

 ようやく四方八方から向いていた銃口が意思を持ったように動き出した折には、社交ダンスを踊るように最初に鳩尾を打った男で身を隠しながら前方に居た四人を打ちのめした。

 ようやく解放された男はゲロを吐いて突っ伏す。残るは後方に潜む四名である。彼等は最早殺意を隠さずに鈍色の煌めきで彼を害そうとする。

 しかし、彼が指を鳴らした途端に俺達の後方に居た者達は頭を震わせると倒れる。

「これでようやく話が出来る。俺の名はアルベルト・アイズマン。君達を保護しに来た」

「保護? 僕達には保護なんて……」

 ――は彼の言葉を否定しようとするが、胃が訴える空腹には敵わずに言葉を中途する。

「一緒にいた子供達も皆保護してある。安心して欲しい。俺達は王の一手、この国の治安を維持する民営組織だ」

 俺は彼が救いの象徴に思えた。そして、そして手の平が血に塗れる以外にも、救いの道がある事を知ったのだった。

 そうして、王の一手に招かれた俺達はまず食事と温かい布団や着替え、そしてワクチンの投与を行った。そうした折に、アイズマンは俺と個人面談をした。その際になってようやく彼の顔をよく見る事が出来た。

 張りがあり行方が惑うように伸びた赤毛にグレーの瞳、彫の深い顔立ちと筋肉質な身体。そのどれをとっても俺とは全く別の人種に思える程超然としていた。

「アルフィニア国軍での君の通称は知っているかな?」

「いいや」

「黒鎌。初めは西側の特殊部隊員だと考えられていた。けれどもドローンによって捕捉された君はたったの十歳の少年だった。我々は驚き、そして恐怖した。どのようにして君が誕生したのか。何が君をそうさせるのか。教えてくれ、君が選んできたモノを」

 アイズマンの声音はこれまで聞いた誰よりも優しかった。優しくて俺は安心してしまって、それで彼に全てを話した。一体誰のために振るって来た殺意だったのかを、包み隠さずに伝え聞かせたのだ。

 俺はそれで何かが覆いかぶさっていた状況から一変し、憑き物が落ちたかのように涙を流した。アイズマンは俺を抱きしめる。父親のようだった。

 両親の知らない俺がそれを口にするのはおかしなことだったが、確かな優しさが存在していた。

「ウォルター、これからお前は俺の子供だ。我儘を言え、何でも叶えてやる」

 ずっと欲しかったのは自分を掛け値なしに守ってくれる人だったんだ。俺はそれを知り、彼を父代わりとして自らのラストネームを彼に最初の我儘として要求する。

 俺はたったの半年間で王の一手の施設に順応した。そこで行われる一般教養や体力測定、それから幾つもの適性検査を順々に遂行していった。ここでは他人を害さなくっても食事が貰える。多くの子供達は最初に此処に来た時に宿っていたハゲワシのような死肉を貪る視線から一変して、等身大の子供の表情を湛えた。

 俺はアイズマンとよくキャッチボールをしながら将来について語らった。

「ここを出たら何したい?」

「アンタみたいな仕事」

「ハハハ、ならまずは俺みたいにデカくならねぇとな」

「アイズマン、アンタの夢ってなんだ?」

 彼は少し考えた後に自信を持って告げる。

「子供が震えている時に、心配ないと抱きしめてやれる大人がいる国を作りたい。かな」

 俺は、それが本当にそうだったなら、この国は本当に素晴らしいと心から思った。

「なぁ」

「うん?」

「此処から出たら、アンタとは暮らせないのか?」

 彼の手からボールが零れ落ちた。俺はアイズマンの見せた表情が驚きと共に若干の悲しさを孕んでいるような気がして、見ていられなかった。

 彼にも叶えられない我儘がある事を知った。

「そうだな。もし、この国がもう少し平和になったら、アリかもしれないな」

 俺はそれが途方もなく遠く、叶う筈のない未来であるかのように認識してしまう。そんな風情の瞳を彼が抱いたのだ。

 ある夜、アイズマンは俺の個室にやって来て、一緒に映画を観た。爆音で流れるヒーロー映画の音声に合わせて彼はつぶやく。

「昔はヒーローに憧れたんだ。なんでも力一本で解決しちまう様に、見惚れたもんだ」

「俺にとってアンタはヒーローだよ」

「そうか? だが、全然。力が足りないって感じるよ。この前も姪っ子を泣かせちまった」

「姪が居るのか?」

「今度紹介してやろう、だが、惚れるなよ?」

 なんて冗談を言いながら彼は弱みを口にする。そして最も重要な事を映画が最高潮の盛り上がりとなり、スピーカーから漏れ出す音量が耳を劈く事を確かにした時に、彼は言った。

「もしかしたら、俺は近々居なくなるかもしれない」

「えっ?」

 彼は映画から目を離さなかった。だから俺もそうして彼の言葉を聞いた。

「そうしたら、俺のクラウドを漁れ。パスワードは二つ、お前が俺の子になった日。そしてリリネル、鍵だ。覚えておけ」

 映画が観終わる頃には普段のアイズマンが其処にはおり、彼は去る時に俺を抱きしめた。

「お休みウォルター」

「アイズマン、俺は……アンタを待ってる」

 そう切り返そうとした時には、彼は俺の部屋から去って行ったしまった。

 そして彼は本当に姿を消した。王の一手の職員誰に聞いても彼は長期療養中という答えが返ってくるだけで取り留めが無かった。

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