CASE2「ルミネーションシンドローム」

「うっ、うあぁぁあぁぁぁぁっ! リーネちゃぁぁん、リーネちゃあぁああああっぁぁん」

 五ノ月。電力バスターミナルで青いバスを見送る濃紺の瞳をした少女が涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらリリネルを見送っていた。

「先輩、高々里帰りに大げさでは? リニアモータ―カーなら四時間程度で着きますが?」

「うるさい馬鹿ぁ!」

 そんな会話を俺は流しながら彼女の車椅子をバスに乗せた。そしてベンチに腰掛けるリリネルの足を抱え込もうとした時フィーネに何故か水平チョップを食らう。

「先輩、リーネちゃんを泣かしたら許さないんだからぁっ!」

〈ふふ、私は良い友達を持ちました〉

 無駄に誇らしげな彼女を担ぎ上げた俺はバスに無言でバスに乗車する。全く本当に何なんだコイツ等。

 手を振るリリネル、フィーネはバスが見えなくなるまで手を振り返していた。今生の別れでもしているかのような錯覚に、少ない乗客を乗せたバスは静かなエンジン音を鳴らして快適に進んでいく。オレンジ色の風景が一望できる空間はジュレミントンとは大きく違って近くの山脈から鉄分を豊富に含んだ山積土が、高い酸素濃度によって酸化した赤砂の荒野を映し出している。

「此処ではアンタも普通に喋れるのか?」

 俺のそんな疑問が彼女に向くと、バスの最後部のシートに座った彼女はグッと身体を寄せて耳元で口を開いた。

「う、うぉるたー」

 喉に引っ掛かる物がありながらも彼女が頬を染めてそう言う物だから俺も妙に心臓が脈打って仕方が無かった。


 雑記 大陸暦897年五ノ月壱〇日 

 ――危険性の是非について慎重に議論を重ねるべきと判断。――


 バスの行方を見る振りをして顔を逸らした俺と、彼女はコテっと俺の膝に頭を預けて寝息を立てたから、そのままにしてメールのチェックを行った。アイズマンについて中佐に調査を依頼し、その返信が来ていた。彼の最後の任務は西側国家ベールリッヒにてある工作についての調査を行っていたとされており、しかし、それ以降の消息は不明であった。

 当時の事を知る国家安全保障局長のノーリー・ブックマンは丁度トルネシアとの中間にある市に住んでいる。

 俺はメールの中にあった小さな依頼が、ブックマンの所在地と同じであった事に偶然の中にある必然を感じながら、それを確認する。

 そして、バスの行路も同様であり何かに招かれているのではないかと俺は考えていた。

『ラインズフレニアという言葉を調べろ』か。

 バスはアルフィニア中央部の街コルベックへと到着する。俺はその段になってリリネルをゆすり起こす。しかし、彼女は俺のズボンに涎を染み込ませたまま眠りこけており、仕方なく抱えて車椅子の固定されている前部へと歩んだ。

「バスは次何時に此処へ?」

「明日の同じ時間にはくる筈だよ。観光かい?」

「まぁ、そんなところだ」

 俺は運転手に礼を言ってからバスから降りて車椅子の上に少女を寝かせると依頼の来ていた家へと向かう。バスターミナルから外れると観光客向けの店舗やホテルが激減して、その代わりに閑静な住宅街が現れる。

 荒野のオアシスというべき立地にある為に長距離運転手等はここで休憩を採るのだろうと容易に想像が出来た。

 件の依頼はこの住宅街の一軒家から発信されている様子である。それは本当にどうでも良いと言ってはあれだが、本来依頼を受けるべき事柄ではない気がしていた。

 俺は青の外壁をしている家のチャイムを鳴らす。出て来たのは白髪の老婦であった。

「あら、どちら様?」

「依頼をくれただろう?」

 そう言うと彼女は老眼鏡を持ち上げて俺を見据えた。そして柏手を打つと奥に向かって一抱え程ある紙袋を持ってきた。

「アレクサンダーにこれを、持病の肝臓の薬。後これを給仕ロボットに」

 そう言うと俺に三〇〇〇共通円を手渡す。

「婆さんは俺達が何者か知ってるのか?」

 彼女は首を傾げると「はて? 何でも屋じゃないの?」なんて言い切った。俺は肩を竦めると彼女の家を後にして夕刻頃に小高い丘の上に建っている一軒家を目指す。その段階になってリリネルは瞼を擦って目を開いた。

「ふにゃふにゃ……」

 声に出してそんな事を言う人間を俺は初めて目撃したが、その違和感に答えが出る前に家の主と敷地の外に立った表札の前で鉢合わせる。

「おや、君達は?」

「…………なんだ婆さんボケてるのか?」

 首を傾げた三十代の男性は厚手のコートに帽子を被った姿で眉を顰めた。

「俺達はアンタの母親に依頼されて犬に餌をやりに来たんだ」

「アレクサンダーに? そうだったのか。悪かったね。まぁ、上がっていきたまえ」

 彼はそう言うと俺達を寂しい場所に建っている一軒家へと出迎える。軒先のガレージには古びた電気自動車と最新式の磁力推進車が停まっていた。

 家主の案内で家の扉が開くと眩しい光に包まれて、俺は暫く人工光に目が慣れずに顔を覆った。

「お父さん! おかえりー!」

 彼の子供だろう。五歳位の金髪の男の子が走って来て父親に抱き着いた。彼は次に俺達を見据えると父親に事の次第を訊ねる視線を送る。

「アレクサンダーにご飯をあげにきたんだ」

「アレクサンダーに?」

 彼は疑問の表情を俺達に向けた。そしてリビングから顔を出した夫人も俺等二人を見据えると客人を持て成す雰囲気を醸し出す。

「母がすまないね」

「いいや、ただ俺達は探偵だ。次からは本当の便利屋に依頼してくれ」

 そう言うと俺はリリネルの車椅子を押し、広めのリビングに通された。ソファーと暖炉があり、パネルテレビのビジョンには漆黒が写し出されていて仄かに肌寒い。

「アレクサンダー」

 少年がソファーで眠った老犬。ベージュの大型犬を起こす。俺はその犬がのっそりと顔を上げるのを見て、同時にリリネルの瞼が開いているのに気付く。大型犬はソファーから降りると俺の方に来て紙袋を前足で掻く。

「欲しがっているのね」

 リリネルの言葉に俺は彼にそれを渡すと、近くに充電されていた給仕ロボットの方に餌袋を持って行って、さらには薬のケースを盆の上に乗せる。給仕ロボットには二本の立派な腕が付いておりタイマーでこれらの作業を行うようにインプットされているのだ。

 盆を載せられたロボットは白い機体とディスプレイのついた黒い頭を動かして状況を把握する。

『ようこそいらっしゃいました。私はダーニー坊ちゃんの給仕ロボットにございます。丁度夕飯の準備が終わるまで眠っていたところです』

「もう! 煩いぞアルファ―」

 ダーニーと呼ばれた少年はアレクサンダーに頬を預けながら文句を垂れた。

「お客人、是非夕飯をご一緒に」

 帽子とコートを脱いでいた家主の計らいによって、俺達は給仕ロボットの運んできた料理に与る事となった。

「ご主人は何時からこちらに?」

 リリネルは魚の切り身の加工食品を器用にナイフとフォークで切り分けると口に運びながら、彼に訊ねた。

「もう十五年かな? 元々はアルフィニアの政府機関で働いていたんだが、四年程前に磁力推進車が手ごろになったから郊外に家を買ったんだ」

「アレクサンダーはその頃生まれたのですか?」

「もう直ぐ二十歳だろうか。大往生だ」

 給仕ロボットが彼に薬を渡す。

「何処か悪いのか?」

「肝臓の病気でね。これでももう歳だからね」

 俺の疑問に家主は端的に言った。

「アレクサンダー死んじゃうの?」

「大丈夫、犬も三十年は生きる時代だ」

 父に安心材料を与えられたダーニーはアレクサンダーに顔を埋め直す。

「あら、もうこんな時間」

 夫人が時計を見る。二十三時? 俺は腕時計を確認する。確かに時間が経っていた。

「この辺は観光客用のホテルは無い。客間で一晩明かすと良い」

 家主の言葉にリリネルが同意を示す。俺達は食後にその部屋に通されて一泊を過ごす事になった。そして俺はリリネルに違和感に付いて共有する為に彼女の方に向くと目を瞑って眠りこけていたから毛布を掛けてやって、俺も眠りに就く。

 そして、次の日。気付くと家主は仕事へ向かい。そして夫人は買い物へ出掛けていた。全く不用心だと思いながらもダーニーはホームスクール用の課題を愛犬の隣で熟す。

 リリネルに車椅子を押すようにせがまれて俺はアレクサンダーの元へ彼女を連れて行くと、老犬はリリネルの膝に前足を乗せる。そして大きな体を彼女に預けた。

「ふふ、甘えん坊さんですね」

 くーん、という声を鳴らす彼をリリネルは撫でながら、その手は背中を摩っていた。彼女の細い指先が首元に触れた時、俺はアレクサンダーの脊柱にライン手術の痕跡を見つけて驚いた。

「ラインだと?」

 すると宿題を熟していたダーニーが顔を上げた。

「アレクサンダーは認知症の治療をしたんだよ」

 それで彼にラインが装着されている意味が理解できた。だが、犬に何故そんな事を?

「思い出しました。アレクサンダーという認知症の犬にライン手術を行う事で人間にとっての病緩和のモデルケースを得ようとした実験が五、六年前ありましたね」

 リリネルの言葉に俺は、ならば此処にいる老犬は相当のレアケースであり俺達は偶然此処に招かれた訳ではないと考えてしまう。

 これが一連の違和感の正体に繋がるのだろうか、なんて考えていると不意に彼女が俺の服の袖を引っ張った。

「ウォルター、そろそろ貴方も違和感に気付いたのではなくて?」

 違和感、彼女も同様に感じているそれを俺は喉元から引っ掛かる単語と共に表出させようとした瞬間。扉が開いて夫人が帰宅する。俺は窓の方を見ると陽がすっかりと暮れて夕刻の様相を呈していた。

「時間が……」

 夫人は俺の隣をすり抜けて夕食の準備を行っている。その数分後に家主が歩いてくるのが見えた。するとダーニーは玄関へ駆けて行って彼に抱き着くのだ。

 アレクサンダーは俺達の隣に座りそして顔を上げる。家主は俺達に気付くと口を開いた。

「お客さんかな?」

 俺はこのおかしな状況についてリリネルに説明を求めようとして気付いた。何故今まで気付かなかったのだろう。

 食卓に座り俺達に食事を促す彼等の前には何時の間にか夕食が用意されている。

「リリネル、お前喋れるのか?」

 彼女はこちらに向いて顔を上げると微笑みを湛えて言った。

「あら、今更?」

「あぁ、だがここはおかしい」

「そう? では何がおかしいか口に出してみましょう。ワンツー♪」

「やかましい」

「むぅっ!」

 昨日と違う点、昨日は確か給仕ロボットが夕食を準備していた。だが、今はリビングの掃除を無機質な手で行っている。妙なのはこの一家の状況だけで俺とリリネルは至って平常である。そして、俺は彼等の視線が固定されているのを見て考えた。

『アレクサンダー、お薬の時間です』

 アルファは彼に錠剤を与えている。俺がそっちに視線を移した瞬間に彼等は食事と会話を繰り広げていた。

「アレクサンダーが見せてるのか?」

 にわかには信じ難い考えが口から出て、名前を呼ばれた老犬は俺の方を見上げた。そうしてソファーの方に腰を下ろした彼をリリネルは撫でながら言った。

「アルファ、現在の時刻は?」

『はいお客様、現在は東部時間午前十時にございます』

 俺はそんな筈は、と窓の外を見た。明らかに暗闇が広がっていて夜半の雰囲気を醸し出しているではないか。

「きっと、この空間だけは彼の物なのかも知れないわね」

「お前の言う電脳都市景観の固定の事か」

 では何故そんな事が此処で起こっているのかという問題に関して、俺よりも雄弁な少女の発言を待った。

「ノーリー・ブックマン、アルフィニア国家安全保障局長。彼等家族の消息が途絶えて今日で四年になるみたい」

 リリネルは電脳の海の中から恐らくは限られた者にしか知らされていない事実を俺に開示した。では彼等はやはり……。

「休暇中に家族ごと行方不明になっているそうよ」

 表に止まっている自動車の全てが動いた形跡がない事を考えると、きっと電車での移動を行ったのだろう。

「何かの事件に巻き込まれたのか?」

「そう考えるのが妥当だけど、国家の中枢機関が黙秘しているという事は亡命の可能性すらも考えられるわ」

「犬を置いてか?」

「そうね。どうやら給仕ロボットと存命の母親によってこの家は維持されていた」

 寂しそうにアレクサンダーの身体を撫でる。俺は彼等の無責任な背中に向けて何かを言ってやりたい気持ちになったが、その口を咎めるように彼女が俺にアレクサンダーの隣に座る事を促した。

「きっと、寂しかったんでしょうね。生まれた頃から皆が近くに居た。それが一挙に居なくなって心が耐えられなくなったんだわ」

 リリネルは老犬の腹に額を据える。

「ねぇ、アレクサンダー。貴方が良かったら、私の家に一緒に行かない? 家族は連れてはいけないけれど、貴方の事を可愛がってくれる人がちゃんとそこには居る筈よ」

 だが、彼はテコでもこの空間から動こうとしなかった。だからリリネルは顔を上げると俺に悲しそうな笑みを向けて、

「振られちゃいました」

 と笑うのだ。

「行くか」

 俺は要件は済んでいる事から、この家を後にしようと彼女の車椅子を押してバスターミナルへと向かおうとした。玄関から屋敷の外へ出ると陽光が顔を照らし、今が午前中である事を俺達に示す。

 そうしてこれがやはりアレクサンダーによって起こっていた出来事である証左だと考えていると、玄関からこちらを追うようにリードを持ったダーニーがアレクサンダーを連れてやって来た。

 見るとその背後には夫妻の姿もあった。

「何のつもりだ?」

 俺はこれがアレクサンダーの意思のようには感じなかった。

『このホログラムはアレクサンダーが庭に出た時に起動するように埋め込まれている』

 俺は窓の方に視線をやる。ダーニー以外の二人は食事を続けている。つまりは、俺の前に立っている夫妻は何者かによって仕組まれたホログラムであり、アレクサンダ―によって固定された家族の情景ではないのだろう。

『我々は諜報員アイズマンにある国へと逃れるように手配された。それが成功するかは分からない。だから、此処に鍵を残して去ろうと思う。だが長年連れ添った家族を捨てた人間の言葉等聞きたくないというのならばこのまま去って欲しい。けれど、君がアイズマンの手掛かりを探しているのならば聞く事だ。私はアイズマンにある企業の不祥事について調べさせていた。それは――――――の者達が行った人体実験の記録だ。

 それは――――に――――を調べる実験であり、――――――によって引き起こされる問題についての研究であった。これを彼等は精神分析医の監修の元に一つの病として、て。てっ、か、鍵はベールリッヒの工場じょっ』

 ホログラムが途切れ途切れになる。

「罠、のようだな。内容も検閲済みか」

 俺は周囲を確認すると数百メートル先に自動車が見えた。

「彼の告白した情報を知られたくない誰かでしょうね」

 俺はこの場をどうして切り抜けるかを考えた。

「聞いて良いかリリネル」

「えぇ、勿論。殺人は禁止です」

 ならどうしろって言うんだ……。と毒づこうとしたら、ダーニーが磁力推進車を指差す。

「鍵はグローブボックスの中、手入れはされているから動くと思うよ」

「成る程、あれを使えって事か」

 俺はリリネルの車椅子を押して行こうとすると、俺のよく引っ張られる袖を今度はアレクサンダーが嚙みついて来た。

「アレクサンダーをよろしく」

 ダーニーはそう言って家の中へと戻っていく。俺はまずリリネルを助手席に乗せて、車椅子を銀色の車体の後部座席を寝かせて押し込む。アレクサンダーは後部座席の余った場所にちょこんと座り、俺は左ハンドルの下部にあったスターター起動させる。

 すると浮遊感が暫時俺達を揺らした。

「安全運転でお願いね」

 そう呟いたリリネル。俺は高度を保ったまま小高い丘に建つ一軒家を後にする。アレクサンダーは過ぎ去っていく懐かしい家を暫く見つめていた。

 アルフィニアは郊外に行くほど磁力推進車が減って行く為に後方から迫っていた何者かが見えなくなった折に車道に降下していく。

〈このままトルネシアに向かいましょう〉

 俺は電子音声に戻っていた彼女の声に妙な懐かしさすら感じた。

「バッテリーが持つと良いがな」

 コルベックはトルネシア南自治区に近い事もあり、二百キロ程度の道のりを行けばトルネシア南自治区までは着くはずだ。

「お前は何時から気付いてたんだ? あの妙な空間に」

〈睡眠周期です。言ったでしょ? 分眠すやすや体質なのです〉

 実に誇らしげだが、俺はそれなら早く言えと言いたかった。だが、それを言うのは余りにも彼にとって酷だったのかも知れない。自らの意思で外に出る事を宣言する必要があった。そうで無ければ二度と戻らない家族を一生あの空間で待つ事だってあった。

 ルームミラーに映ったアレクサンダ―は丸くなって眠っている。

「俺達は残酷な事をしたのかも知れない」

〈泡沫に溶けてしまう幸せなんて、抱くだけ後悔を募らせるだけですよ。それよりも、彼は冒険を求めたのです。称えましょう。その変化を〉

 俺はリリネルの微笑みを見つめて彼女に問うた。

「アンタは何時も笑っているな」

 するとリリネルはその笑みを携えたままに俺に言うのだ。

〈微笑みは相手への敵意が無いという表明と、そして大丈夫だよと安心させる為の表現でもあるのです。だからウォルターも何時も怖い顔をしてないで笑ってください〉

「ふん、大きなお世話だ」

 俺は納得が踏み入りそうになったのを抑えて彼女の美しい微笑みから顔を背けたのだ。


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