第3話
例えば、彼女のライフスタイルは、非常にストイックであると言える。彼女は毎日決まった時間に起きて寝て夜更かしもしなければ寝坊もしない。髪を染めようともしないし、買い食いもしない、ポイ捨てなど以ての外だ。
単純に両親のいない彼女の生活にはストップをかける人間が存在しないので、自堕落な生活を送ろうと思えばそれはいつでもできるし、極端なことを言えば、彼女は一生ここで慎ましく暮らしていく以上のお金はあるのだから、今のように別に毎日学校に通わず蔵で暮らしても問題のないように思える。だが、そうしないのは、なかなか興味深い話である。
○
最近彼女は朝にビンの牛乳を飲むようになった。毎朝、配達されてきた牛乳を持つと同時に飲み干し、それを自分のものだ、とも思わないうちに手放し、回収ボックスに入れ、気持ち良さそうに、これだ、というような顔をする。うん、それだな、と僕も家の二階の自室からそれを見ていて思う。そんな朝から僕らは始まる。
「おはよう、おはよう」
彼女が僕のことをそう呼ぶのが聞こえて、僕は二階の窓から顔を出す。
「おはよう」
彼女は家の前にいて、僕は一度だけ返し、その後、僕らは一緒にある場所へ向かう。
驚くだろうが、彼女が蔵の中から長時間出ることがある。
学校である。
しかも現在のところ、小学校の時から皆勤を貫き通している。
歩き始めてからしばらくは、僕たちは会話をすることもあるが、蔵から離れるにつれ僕らの会話は少なくなり、僕らがそこにつくころには、僕らの関係は、一旦ちぎられるように、全く話すことはなくなる。そうして、僕らは学生になる。
〇
現在高校二年生である学校での彼女は、表面上ははつらつとして、目を引く容姿も持ち合わせており、いつも一目置かれる存在となっている。
彼女は特に勉強が好きではないが、しかし高校の教科書は彼女のものなので、彼女に愛でられて熟読をされ、その本が自分の身になるまで彼女は読むことを止めないので、結果、彼女は勉強ができる。加えて、一生使えるようにと、参考書などは本当に専門的なものを手にするので、それを読み込んでいるから多分学力もあがっていったりといった理由もあるのだろうと思う。英語なんか勉強して、あの蔵に将来外国人が訪れることを想定しているのか、と僕は鼻で笑いながら、毎度平均点近くの点を獲得している。
そして、彼女は優等生という称号を常に与えられるに至る。
何か多少気にくわないが、意外なところで世の中と折り合いがついている。しかし、彼女が学校で浮いていないかと言えば、それは間違いである。
学業だけが学校ではない。スマホの一つも持っていない、流行の話には異様なほどついていけない、蔵があるので遊びにも行けない(行ける)、その他女子高生にはあるまじき側面もいうまでもなく持っている。それは学校という場所でやっていくのには時に致命的なことだ。そんな現実にぶち当たろうとしている時、彼女が、
「私、両親がいないの」
思い切って言うのを僕は何度か聞いている。これは彼女の牽制とも呼べる行為だが、彼女はそう言って、自分の存在をわざと周りから引き離す。そして、彼女に何かを言うことができない空気を自分で作り出す。それは今のところ、学校では非常に効果を発揮していると僕は思う。結果として、親しい友人は作らず、蔵で見られるような激しい感情の起伏は抑え、すべての女子と多少の会話を交わしながら、しかし距離を詰めすぎず、多少浮いてはいるものの、クラスでは極端な存在にならないよう雲のように振る舞い、それなりにやれている。
この彼女のマジックは、真似しようと思ってもできることはない。自身の見た目の良さも活用しつつ、どこかで彼女は私たちと違う、だから仲良くはなれないのだ、という空気さえも出しながら、しかし面倒臭そうな女子のグループから離れることで起こりそうないざこざ――まあ、陰口ぐらいはたまに言われているのだろうが、何かトマトのような心の塊をぶつけられる対象にはなっていない。
クラスが変わるたびに、彼女はこの作業を繰り返している。ここは自分の居場所ではない、と傍目から見ていてもわからない程度に。それが楽しい学生生活であるかなんて、二の次であるかのように。
○
「うわ、ラブレターだ」
しかし学校生活を長く続けていると、ときには避けられない衝突も起こる。
彼女はラブレターなんかをもらうことも多い。
このご時世にラブレター、なんていう方も多いとおもうが、ご存知彼女はスマホも持っておらず、彼女に想いを伝えるには直接言うか『文』しかないという現実がある。しかし直接話しかけるには彼女は距離を感じる存在となっているし、そして渡す側も彼女の容姿くらいで選んでいるのだからラブレターという投げっぱなしの思いの伝え方は合理的だ。
なので彼女の靴箱にはたまにラブレターが入っていたりする。彼女は中身が容易に想像できるそれを、封の閉じているものも開けて内容を一読する。そして、読み終えてから、送り先の相手の靴箱を調べ、自分の便箋に「ゴメンなさい」の一言を添えて、投函する。そしてもらった手紙は持って家に帰ったりもする。てっきりいつものように極端な拒絶を見せるかと思いきや、これはそうするのだ。
彼女のこれは、将来に「こんなにモテた」と自慢するためではなく、思いのこもったもの、というのは手に取ってしまうと、彼女にとってはいつもとは別のボックスに入るのかその経路は僕にはわからないが、ともかく彼女宛の手紙はその時点で彼女のものになってしまう。なのでもらった手紙は手放せず、律儀に返事を自分の持ち物である便箋に書いて相手に送られることだから、これがとんでもないことだとお分かりだろう。あの彼女が自分のものを人にあげる、だ。ティッシュすら僕にはくれないのに、だ。花粉症なのだ、こっちは。
しかし、一方で例えば面と向かって告白をされたりすると、これはモノが絡んでいないので、見ているこっちまで「おおう」となるような断り方を見せるときもある。超高校級の守銭奴であるにも関わらず、たとえその人間が金持ちだろうと、見向きすらしない。
「お花は嫌い、あなたも嫌い」
というのは僕が聞いた中でも印象に残っている断り方で、花束を抱えて来た彼に言ったそれは、何かもので釣ろうとしたようにも考えられ、かなり気にさわったようだった。しかし、学校の帰りにその花束が捨てられているのを拾い上げて、家に飾った後、枯れて泣いたりするのだから本当に器用ではない。
この例からも、彼女は自分のもの以外の、特に形のないものを扱うのがひどく苦手だということがわかる。特に、他人というのは、扱い方がわからない、接し方がわからないということから、当然だが人付き合いが苦手だという話に繋がる。
しかし、学生生活では、それでも避け得られない人間関係というのもあるもので、最終手段として、僕が前に出されるときがある。それは職人肌の寿司職人が無言で寿司を出すように、僕は問答無用で矢面に立たされる。
○
その彼女は校門の外で待っていた。
「先輩たち、付き合っているんですか?」
「……」
と問うた彼女に僕と彼女はそれぞれ三十秒ほどの沈黙を彼女に返した。
「いや」
ようやく僕が声を発する。
いつもとは状況が違っていた。
彼女は僕に向けてその言葉を言っていた。
「先輩、良ければ私と付き合ってください」
毎朝、基本的には一緒に登下校をしている僕ら。これまでも、勘の悪い女と勘の良い男に、付き合っているんだろお前ら、と言われたことは何度もあったが、僕が思いを伝えられる、このケースは初めてだった。
持てる限りの言葉でその場を濁し、何とか今日の天気はいいね、という話にまとめあげた。
今思い出しても、それをどうやって成し遂げたかはわからない。
その後、彼女と二人になったあと、彼女はしばらく沈黙した後、
「……ねえ、どうするつもり?」
と静かに僕に訊いた。
「……」
しかし、その言葉に、彼女は自分も考えたように止まった。
たぶん、今彼女の頭に浮かんだ図式はこうだ。
告白されている僕。
付き合うのか、と聞きたい。
しかし、付き合うとなった場合、私のモノである僕はどうなるのだ? もしかして、あの子に僕の所有権が移るのでは?
誰かのモノになりかけている僕。
こいつは私のモノ。
私のモノなのだから、どうするつもり、と私が聞くのはおかしいのでは?
というようなことだ。
不意に、友人のように僕の自由意志を常識的に聞いたようなつもりだったが、ことは複雑であることに彼女は気づく。飼い猫が飼い主の都合で去勢され自由恋愛の外に置かれるのが当然のように――いや恋愛は性欲ではないにしろ、そのようなことが彼女の脳裏を駆け巡ったのだろう。
その質問にも沈黙を続ける僕に、彼女はそのあと言葉を続けなかった。それは僕の意志を尊重しようという、持ち物に対して見られる愛情表現、僕への愛情とも取れるのだろうし、単純に彼女の混乱とも呼べるものだったのだと思う。彼女は常識的に考えて、躊躇したのだ。
それは違うぞ、と人並ならぬ常識を持ち合わせる彼女は思ったのだ。
一方で、僕も沈黙を返したが。
僕の答えも決まっていた。
例えば、お前の持っているあのぬいぐるみを、ただ欲しいからという理由で、他の人が持っていったらお前はどう思うのか、とこれはそんなシンプルな問題なのだ。答えは出ているはずだ。その時にお前が下す決断が正しく、他の選択は間違っている。それでいいはずなのに。それで何一つ世界に異変は起こらないのに。そうでこそ、僕らは成立しているのに、と。僕は思った。
しかし、それは持ちモノである僕が彼女に言う言葉ではない。だから僕は彼女の問いに黙った。そして、僕の自由意志なんて呼ばれるものは、それを彼女に言わせるのはあまりにも残酷だとも言っていた。
「ごめん、付き合うことはできない」
というわけで、僕は翌日、その告白をお断りした。
その時、再び隣にいた彼女は、それきりそれについては聞いてこなかった。
なので沈黙には沈黙で、それがマナーというもので、僕もそれ以来何も言っていない。
ふう、と一件落着と思われたが、素直に自分の将来が不安である。
僕は一体どうなっていくのだろう。
このまま四十になった制服を着たさくらと、四十になった童貞の僕がこうして近所をあるいているというのは理論上起こりえることだし、そしてそうならなかった場合、人生のどこかに激しい痛みが伴うことは運命的にも必ず起こることなので、人生とは難しい。
ただその日は、僕は性欲のことなんかも一切を理論外に置いて、機嫌の良さそうな彼女と歩くことにした。期せずして自分の手を煩わさずに問題が解決することは、とてもきもちのいいことだ。恒久的でなくても、瞬間的な快楽に身をまかせることは、若い僕らにとっては、とても大切なことなのだ。
◯
話は少し逸れたが、というわけで、学校での彼女を紹介した。
というか、ここまで話してみて、どうして彼女は学校へ行っているのだろうか、と僕自身の中でも疑問がわく結果となった。
別に彼女には、何か学校へ行くのに目的があるようにも思えない。
彼女が本当に勉強をしたいのであれば、本格的に家庭教師を雇ったり、通信教育を受けるなどをするだろう。
さっき話したように、友達や恋人を作りに来ているというわけでもない。
持ち前の物欲で何か持ちモノを増やそうとでもしているのだろうか。
彼女は彼女が学校を占拠して「これからこの学校は私のものであるー」と言いだしそうなことは考えられるが、今のところそんな気配は見られない。
どころか彼女が席替えの時などに、自分の机や椅子に固執しているのなんて見たこともないし、ロッカーにいたっては使用したりもしない。まあ忘れ物という概念は彼女の中にはないので、そのロッカーは蔵以上の収納の責任を負わせるにはふさわしくないと思っているだけかもしれないが。
どうして彼女は学校へ行っているのだろう。彼女は惰性を極端に嫌い、欲しいものが無いところには出向かないはずなのに。
「……」
いや、違うのか。
欲しいモノはたくさんあるけど、手を出さないだけなのかもしれない。
学校に欲しいモノはたくさんあるが、手が届かないから、自分の元には留まらないから、せめて見に行っているのかもしれない。
それは、彼女が執拗にウィンドウショッピングをする時のように。
買わないと決めていても、何度もその店に見に行くときのように。
手に入らないとわかっていても。
手に入れるべきでないと思っても。
一生ものにはならないものには、手を出さないと決めているから。
それでも——何度も見に行ってしまうときのように。
ああ、きっとそうだ。
今話しながら気づいた。
全てはそれで説明がつくのかもしれない。彼女は学校に欲しいものがたくさんあるが、彼女のモノにはならないものばかり、蔵には入りきらないものばかり。そうであれば、どれだけ欲しくても、彼女は決して所有しようとはしない。
なるほど。
間違いなくそうだ。
こうして長く一緒にいても、気づくこともあるものだ。
本当に彼女は、祈ってしまいたくなるくらいに聡明だ。
美しく悲しく何一つ綻びがない。
○
そして僕らは学校から蔵へと戻る。
朝の挨拶とは打って変わって、彼女は「じゃあね」とも言わない。
僕は一旦家に帰り、自分の荷物を置き、すぐに蔵へ行く。戸を閉める。
彼女はすでに食事を作りはじめていたりする。
彼女の蔵の片隅には簡易的なキッチンが設けられており、自身の生活様式はご自慢のこだわりで、既に骨董品のようになってきている包丁や鉄鍋やらを持ち出し、米などは土鍋で炊き、完璧と呼べるくらいに全てが整った『彼女の料理』は始まる。
やはりコストパフォーマンス至上主義である彼女にとっては外食は全く良いものとは言えず、彼女は自分の胃に入るほとんどのものを自分で調理する。その甲斐あって、手つきも堂に入ったものになってきている。
彼女は生き物を殺すのに躊躇しない。魚屋に行ってぴちぴちと跳ねる魚を見て美味しそう、というのは僕には理解し辛い感覚である。しかし「今日はご馳走だぜーい」と言いながら魚の首をはね、内臓を取り出す彼女を僕は最初は細い目で見ているのだが、調理が進むうちにそれは美味しそうだな、と感じるようになってくる。いつもあれほどの覚悟を持ってモノを持つ彼女からすれば、これくらいなんてことないことなのだろう。僕らは覚悟無しで奪うことに慣れてしまっているのかもしれない。
出来上がった料理は、大切な皿に大切に盛り付けをして、それは彼女の作った料理、として完全に彼女のものになる。彼女はそれを芝居がかっているくらいに嬉しそうに食べる。おいしい、と笑顔で僕に言う。
「……」
ちなみに、僕に食べさせてくれることは一度もない。一度もだ。当然だ。料理は彼女のものなのだから。だって、僕にはティッシュもくれないのだ。
だから僕はその芝居を見ながら、美味しそうだな、と細い目でみつつ思ったりはするが、味は知らないし食べさせてもくれないのだから「美味しそうだね」などとは絶対に言いはしない。テレビの料理番組を見ているように無表情に見る。匂いがするだけが違いだ。僕はソファーに座り、彼女が米一粒、最後まで残さず食べるまでそこにいる。
そして、彼女が食べ終わるのを見て、僕は家に帰る。ちょうど家族が食事の準備をしている。これに合わせて彼女は早めに食事をとっている。
僕は家族に囲まれながら食事を食べる。そんな時に、僕は彼女が一人で食事をとっているのをもう一度思い浮かべたりもする。
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