蝋の翼

ぴのこ

蝋の翼

桜華おうか!また学年1位だね!おめでとう!」


「えへへ、ありがとう!1位と2位でふたり並べて嬉しいな」


 私は藤堂桜華とうどうおうかに笑顔を向けた。1週間前に行われた3年生2学期中間試験は、私が学年2位、桜華が学年1位という結果だった。桜華が転校してきてからというもの、毎回変わらない。不動の順位。

 桜華は、一言で言えば完璧だ。学問は理系分野も文系分野も全てが得意で、どの教科も常に高得点。スポーツも万能で、あらゆる運動部から引く手あまた。人当たりも良く、桜華は学校生活の中で常に友達に囲まれている。桜華の可憐な容姿と、太陽のような明るい笑みを目の当たりにして好きにならない男なんて居ないだろう。

 非の打ちどころの無い、完璧な人間。それが藤堂桜華だ。神の愛を一身に受けたかのような才の塊。非凡そのもの。

 私は今日も、桜華の友人のひとりとして桜華とともに過ごしている。移動教室に向かう途中、桜華よりわずかに、一歩ぶん遅れた歩調で桜華の横顔を斜め後ろから眺めながら、心の中で呟く。


 ああ本当に、消えてくれればいいのに。




 桜華が転校してきたのは、高校2年の7月だった。父親の転勤が理由なのだと、自己紹介で言っていた。

 転校生が来ることなんて、入学した時点では予想していなかった。うちの学校は屈指の進学校だ。編入試験は並大抵の難易度じゃない。それを彼女は難なくパスしたのかと、私は目を見張る思いだった。脅かされる予感がした。学年1位の座を。必死に、血の滲むような思いで勝ち取った一番の座を。

 その予感は、その月のうちに的中した。7月中旬に行われた期末試験。学年1位を取ったのは、この学校での授業にろくに出ていないはずの桜華だった。


 足元が、瓦解していくような感覚を抱いた。だって、私にはそれしか無かった。小学生のうちから必死に積み上げて、ガリ勉と揶揄されても、遊ぶ暇を捨てても机に向かい続けた。勉強なら一番になれることだけが、私の自信の全てだった。

 桜華も同じように努力したのだと思おうとした。転校元の学校も有名な進学校だったと聞いて、なら仕方ないと自分を納得させようとした。もっと勉強すればいいと努力を重ねて、いつかは勝てると自分に言い聞かせた。駄目だった。


 2学期中間。負けた。2学期期末。負けた。3学期中間。負けた。3学期期末。負けた。進級してからもずっと、一度たりとも勝てなかった。

 敗北感と屈辱を味わうたび、桜華への嫉妬が私の心に広がっていった。それはどす黒い淀みのように私の心に広がり、いつしか心の全てを満たしていた。

 どうしたらお前のようになれるんだ。なぜお前ばかりが才に満ちているんだ。なぜお前ばかりが神に愛されているんだ。なぜ私の場所を奪うんだ。お願いだから返してくれ。学力ひとつ落としたところでなんだというんだ。そんなもの抜きでもお前は特別じゃないか。試験で私に追い抜かれた程度で、誰がお前を蔑むって言うんだ。

 妬ましい。忌々しい。憎々しい。喉を掻き毟りたくなる。もう勝てないと、自分の中で声がする。その通りだと、自分の口が声を漏らす。

 ああ、桜華になりたい。それが叶わないのなら、消えてほしい。


 そんな思いを抱えながらも、私は学校では桜華に親しげに接した。桜華の友人であり続けた。胸を焼き焦がすような嫉妬心をひた隠しにして、桜華に笑顔を向けた。

 桜華に、この醜い妬みを悟られたくはなかったから。そして何より、桜華のようになりたかったから。桜華の行動を桜華の近くで観察したかったから。そうすることで、桜華のようになれる気がした。我ながら馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、私は桜華の欠片でも手にしたくてたまらなかった。ひびの入った自分の器は、桜華の欠片で埋めるべきだ。そのほうがずっと、美しい器になる。そう思っていた。

 

 この感情が嫉妬なのか羨望なのか、あるいは執着なのか、もう私にもわからなかった。

 桜華の行動、思考、嗜好。あらゆるものを把握していった。休日に一緒に遊びに出かけ、桜華の私服の趣味も掴んだ。桜華と同じ服を買った。双子コーデがしたいと桜華に言えば、桜華は嬉しそうに応じてくれた。人の善意しか知らず、人に善意しか抱かない人間だから。

 出かけた先で、カフェの店員は私たちをそっくりだと褒め称えた。ふざけるな。何もわかっていない。桜華と同じ服、同じカバン、同じメイクを揃えた。それでも、私は桜華のようにはなれない。桜華のようには笑えない。桜華のようには人を惹きつけれられない。

 段々と冷めてきた熱は、恥へと変化していく。こんな行動に何の意味があるのか。桜華の姿形を真似たところで、あの天に与えられた鮮烈な才は手に入らないというのに。

 こんな醜い性根を抱えた人間に、こんな美しい笑みは浮かべられない。偽物と化した身で、心底理解する。

 私は、太陽おうかにはなれない。




 五臓六腑が焼けつくような激情に、笑顔で蓋をして夕方までを過ごした。桜華と解散したのは18時半ごろだ。桜華はこれから他の友達と夕飯に行く約束があるらしく、別の駅へ向かった。私も誘われたが断った。桜華の友達の前で、桜華と同じ服で並び立てばきっと惨めにしかならないとわかっていた。

 地元の駅に到着した私は、重い足取りで家へと向かう。19時を過ぎ、すっかり日が落ちていた。早く帰って、この服を脱ぎ捨てたかった。後ろから車がゆっくりと走ってきたが、そのヘッドライトで照らされることさえ恥ずかしく感じられた。

 車は、そのまま通り過ぎるかと思いきや、私のすぐ近くで停車した。


「ね…ねえ」


 車から降りてきた男は、私に声をかけた。私は何事かと思い男に顔を向けたが、男は素早い動作で私の口を塞ぐと、私を抱きかかえて車の後部座席へと連れ込んだ。男はナイフを私の首に突きつけながら言った。


「お…桜華ちゃんだよね…藤堂桜華ちゃん…お昼前、その服で出て行ったでしょ。とっても可愛い服で、もう我慢できなくなって、今日しか無いなって。でも明るい時は目立つから…」


 私の混乱する頭でも、男が私と桜華を間違えていることは認識できた。そして、おそらくは男が桜華のストーカーであることも。


 薄暗いから間違えたのだろう。人違いだと言えば解放されるだろうか。私は男の狙いの桜華ではないのだから。

 だが、仮に解放されたとしてもだ。私が人違いだと知った男が、次に取る行動はどうだろう。決まっている。今度こそ、本物の桜華を狙う。

 そこまで考えて、笑いが出る。なんだ、この男は私が望んでいた、桜華を消してくれる存在ではないか。私は今から男に人違いを明かし、誰にも言いませんからと懇願して見逃してもらい、何事も無かったかのように家に帰ればいいのだ。それで、桜華は消えてくれるのだ。


 …だというのに。

 想像する。殴られ、嬲られ、笑顔を失う桜華を。あるいは、殺される桜華を。ああ、反吐が出る。ずっと消えてほしいと、忌々しいと思っていたのに。いざその機会がやって来て思い知る。


「…なに笑ってんの?」


 つくづく思う。神は意地が悪い。

 あの才が守られるよう、身代わりまで用意していたのだ。


 ああそうだ。私は。


 私はうっそりと目を細めると、ぐんと首を動かした。

 男の顔が驚愕に染まる。ナイフが私の首を切り裂き、血が噴き出される。


 ああ、桜華。私の怨敵。私の友達。私の…太陽。


 私は。

 私が焦がれたあの完璧さが、誰かの手で損なわれることのほうが…ずっと耐えられない。

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