第8話

「……くん……グレイくん!」

「ん……?」


 耳元で大きな声が聞こえ、私は目を覚ます。どうやらフロストが体を揺らしていたようだ。それにしても、ここは一体……。

 辺りを見渡すと、行方不明になった教師や生徒、それにバルの姿が見える。

 どうやら私達は何らかの「ボス」の掌中に落ちてしまったらしい。一見するとサマーカップの会場のように見えるが、壁や床が赤黒い謎の素材で作られており、ぼんやりと発光している。


「よかった、起きて……大丈夫?」

「あ、ああ……なんとか、な。」


 私はフロストの心配に答え、立ち上がる。

 状況から察するに、どうやら私も行方不明者の一員となってしまったようだ。既に敵の手中にいる以上、一層気をつけなければならない。

 深呼吸して気持ちを落ち着けると、大きな鐘の音が辺りに響き渡る。

 一段高いステージのような場所にライトが照らされ、その中心にはフレーヴ・ソルトの姿が見えた。

 それは気を失う前に見たときよりも、もっと異様な姿だった。半身がこの地面のように赤黒い何かに侵食されてしまっている。

 想いを寄せている相手の変わり果てた姿に、私は思わず目を見開いた。


「フレーヴ……?」


 私が声を掛けると彼はゆらりと首をもたげてこちらを見る。その目は虚ろで、私を見ているようで見ていないように感じた。


「参加者が全員目を覚ましたようですので、これから僕がご招待した方々によるスペシャルカップを開催します!進行は僕、[キュアリング・ケトス]がお送りいたします!」

「スペシャルカップ……?」


 フロストが不安そうな声で呟く。無理やり集められ、大会に参加させられるなんて。それに、周りの状況からして、決して趣味の良い催しではなさそうだ。

 それとは別に、どこか引っかかる点があった。[キュアリング・ケトス]。実際にカードとして発売はされなかったが、プロトタイプカードとして存在していたと聞く。

[キュアリング・ケトス]を名乗る、何かに侵食されたフレーヴの姿、集められた行方不明者……。嫌な予感しかしなかった。


「トーナメント方式はご存知ですよね?ええ、ええ、その通りです!負ければ脱落、簡単なルールですよね? もし最後まで勝ち残ったら、僕と戦いましょう?プロトカードと戦う権利が得られるなんて幸福な方……」


 ケトスとやらの言葉に、会場に集められた参加者はざわめく。勝手に連れてこられて、戦えと強制されるのだ。当然だろう。

 ここまでされて意気揚々と戦える奴はよっぽどのユニバース・ノートバカくらいだ。そのユニバース・ノートバカのカイエンは……ここにはいない。巻き込まれなくてよかったと思うべきなのか、正直今は判断がつかない。

 参加者たちの様子を見たケトスはくすくすと笑いながら言葉を続ける。


「第1回戦前半の対戦カードを読み上げますので、呼ばれた方はちゃんと位置に着いてくださいね~!」


 逆らえばどうなるか……会場の異様な雰囲気に飲まれ、参加者たちはしぶしぶと自分の配置についた。





「ううん、決着が付いたようですね!では1回戦前半の敗者はここで脱落です!」


 ケトスがぱちん、と指を鳴らすと、敗者が光に包まれカードと化す。そのままケトスの手元に飛んでいき、彼が掲げたデッキケースの中へ収まった。

 フロストが小さく悲鳴を漏らす。確かに、これは悪夢としか思えない光景だった。人間がカードになるなんて、物語の中でしか聞いたことがない。逆に、物語の中でなら知っている。しかし、知っているのと実際に見るのでは衝撃が異なる。私は光りに包まれる直前の敗者の顔が目に焼き付いてしまった。


「では1回戦後半、行きましょうか!」


 きっと、いや、ほぼ確実に、この状況を脱するにはあのケトスに勝たなければならない。しかし、その権利が得られるのは最期まで勝ち残ったプレーヤーのみだ。

 此処にいる皆を倒し、カードになる様を見届けた上で、だ。

 今まで安易に「ホビアニ」だ「ボス」だなんだと考えてきたが、実際に巻き込まれると慌てずにはいられない。ある程度予測していた私でさえこうなのだから、フロストの動揺は想像に難くない。

 私は気を引き締めるために、自分の頰を叩く。「主人公」であるカイエンがいない以上、「ライバル」の私がしっかりしなければ。


「呼ばれた方は、ってもう言わなくてもわかりますよね!ではAコート……」


 次々と名前が呼ばれる。私は一体誰と戦うのだろう。ゆっくりと息をして心を落ち着ける。そうして出番を待った結果……私の名前が呼ばれることは無かった。

 どうしてだ?フロストもバルも、呼ばれてコートへと向かって行ったというのに。


「では準備ができたコートからスタートしてくださいね!」


 私がその場に立ち尽くしていると、ステージにいたケトスが地に身を溶かしたかと思うと、一瞬に私の隣に姿を表した。


「不思議そうな顔をしていますね?でもシード権を持ったあなたが1回戦に呼ばれないのは当然のこと。何せあなたはフレーヴが一番強いと心の底から想っている相手ですから。」

「フレーヴ……が?」


 にこにこと見たことのない表情を浮かべケトスは語る。顔はフレーヴそのものなのに、喋り方も、表情も、何もかもが別人だ。陰からちらちらと見ていたせいで、眼の前の男が迷うこと無くフレーヴではないとわかる。

 好いた相手の体が乗っ取られている事に対し、私は心臓が握られるような苦しみを感じた。そしてそれは、私が事前に動いて予防できたようなものではないとも、理解できてしまった。


「昔からずっと、あなたに憧れていた……いくら戦ってもあなたには届かない。その気高い星のようなあなたを見ているだけで十分だった……でも、今は地に降りてあろうことか他の人間と楽しそうにしている!あなたがそう望んで降りてきたのなら文句はありません……でも、その隣に僕がいない事が許せなかった。僕を強いと評価してくれたのに、あなたは逃げるばかり。」

「逃げ……てなど……」


 ケトスの表情が感情を吐露する事に段々とへばりついた物質が溶け、フレーヴへ戻っていく。

 逃げていないなんて嘘だ。彼の顔を見るだけで、私の心は苦しくなってしまう。人との交流が得意でないから、と言い訳して、彼の視線を避け続けたのは他ならぬ私だ。


「だったらどうして!どうして……僕を………おっと、少々中身が出てしまったようです。ふふ、フレーヴくんもやんちゃですね。まあそこを気に入ったんですけど。」


 私に掴みかかったと思うと、ケトスは急に手を離してくすくすと笑い出す。

 この状況を引き起こしたのは、私のせいだと言うのか?私が、フレーヴから逃げていたせいで? フレーヴに対して後ろめたい気持ちがあろうとなかろうと、私は彼に接触すべきだったのかもしれない。避けようと思わなければ、こんな事態にはなっていないのだとすれば……

 私が自分に苛立ちを覚えるのをよそにケトスは話を続けた。


「フレーヴくんも、あなたが話しかけに来ないことを寂しがっていましたよ?『グレイは、弱い僕が嫌いなんですか』って。」

「そんな……」


 違うんだフレーヴ。私は怖かっただけなんだ。君に話しかける勇気がなかっただけなんだ……だが、もう取り返しのつかないところまで来てしまっているようだ。

 私が言葉を失って黙り込むと、ケトスは優しげに微笑む。その笑みが、私の知っている彼のものと重なって見えてしまう。


「だから僕が誘ってあげました。僕を使ったらグレイくんも振り向いてくれますよって、実際、今あなたの瞳にはフレーヴしか映っていないでしょう?彼も僕の中で喜んでますよ。きっと。」

「貴様……一体何が目的だ?」

「目的?そんなの、決まってるじゃないですか。」


 私が問いかけると、ケトスはぐるりと会場を見わたしながら言う。


「支配。この場の魂を集めて、カードにするのです。そしてカードになった方の代わりに、世に出なかったカードを人間にします。カードと人間が入れ替わるのです。」

「……」

「僕は世に出られなかったカードを救ってあげたい。それだけですよ。」

「救う……だと?」


 私は怒りで震える声で問い返した。大勢の人を勝手に巻き込み、フレーヴの体を乗っ取っておいて、掲げる理想が「救済」だというのか?

 到底許せるものではない。だが、私がいくら怒りで体を滾らせようともケトスは涼しい顔で言葉を返す。


「……そんな身勝手な理屈が通ると思っているのか」

「通しますとも。私を流通させないまま死んでしまった最初のチームへの復讐、私という逸材がありながらもそれを世に出さない今のチームへの警告、それがこのプロジェクトです。」

「なに……?」


 私と対峙するケトスの目は真剣そのもので、冗談を言っている様子は全くない。最初に出会った時のような支離滅裂さは消えていて、静かに言い聞かせるように自分の目的について語り始めた。

 ……だがその目的はあまりにも身勝手で、到底受け入れられるようなものではない。私は思わず言葉を失った。


「大丈夫、フレーヴくんは人間のままにしておいてあげますよ。まあ、僕の体としてですが。」

「ッ、貴様!」


 私が掴みかかろうとした瞬間、その姿は一瞬にして消え、私の拳は空を切る。


フレーヴがあなたに勝つ事で、フレーヴくんは救われるのです。ふふ、あなたの体もフレーヴの側にいさせてあげますからね。」


 後ろから声がして、私は慌てて振り返る。すぐ近くににたりと笑うケトスの顔があり、反射で殴りかかるがそれも避けられてしまった。


「だから、最後まで負けないでくださいね?あなたを倒すのはフレーヴなんですから。」


 ケトスはそう言い残して私から離れると、そのまま地面に溶け込み姿を消してしまった。

 当たらなかった拳を握りしめると、爪が皮膚に食い込み、痕をつけた。瞬間、交流大会で戦った――初めて彼に惚れた時の事を思い出し、深い息をついた。

 この状況をどう打開するべきだろうか。私は少し冷静さを取り戻した頭で考え始める。言われた通りに事が運ぶのであれば、私がケトスに勝たなければ、ここの皆はカードになってしまう。自分含めて。


 フレーヴのデッキは、相手の動きを拘束してコントロールするロックデッキだ。以前勝ったとはいえ、ドロ―運ゆえのまぐれのようなもの。それに、気をつけなければいけないのが[キュアリング・ケトス]の存在だ。

 なんせ[キュアリング・ケトス]は、存在こそ有名だが、肝心の効果は明かされていない。最低限名前とイラストのみが描かれたプロトカードしか存在しないからだ。それこそ最初期に[キュアリング・ケトス]を制作した者なら知っているかも知れないが、今から知っても対策ができるような状態ではない。

 つまり、私はその場で切り抜けた上で勝たなければならないのだ。それまでに戦う人全てを捨てて。

 今戦っている人の表情は、恐怖、戸惑い、諦め……様々だった。強制的に戦わされ、負ければカードにされる。もし仮に私がケトスに勝てたとして、カードになった人々が元に戻るとは限らない……しかし、それでも、ケトスを野放しにはできない。できるはずがない。


「……」


 私は覚悟を決め、デッキに手をかけた。

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