第5話
そうして約束をした日の放課後。寮の共同スペースへと向かう途中に、中庭の方からすごく聞き覚えのある声が聞こえた。カイエンの声だ。
彼の声は少し遠く離れた此処にもよく通る。またバルと対戦をしているのだろうか、と、少し気になって中庭の方を覗いた。
しかしそこにいたのはバルではなく、先日から何度も見かける「片思い相手」だった。
私は突然の出来事に慌てて身を隠した。何故彼がここに?何故こんな所に?疑問が渦巻く頭を抱えたまま、再び中庭を覗くと彼はカイエンとユニバース・ノートで対戦をしていた。
またカイエンが勝負を吹っ掛けたのだろうか?あいつはそういう所があるからな……
フロストとの約束があるからその場を離れなければならないというのに、私の目はカードを手の中で自由に操る彼の姿ばかりを追っていた。
楽しそうに口をわずかに歪め、相手を位のままに縛り付ける。友人であるカイエンがピンチになっているというのに、私の心は彼ばかり応援している。
彼を見ている間、全ての思考はフロストとの約束から逸れていた。ずっと彼を見る、ということは私の病を悪化させる要因でしかないことは分かっていたが……
「グレイくん?」
突然背後から声をかけられて、私は思わず飛び上がる。振り返るとフロストが不思議そうな目で私を見ていた。
慌てて時間を確認するが、まだ約束より前の時間だ。フロストも共同スペースに向かう途中だったのだろうか。
「あ、ああ、すまない。相談に乗るんだったな。共同スペース、だったか?」
「ううん、どうせならこの勝負、最後まで見てからにしようよ。グレイくんがずっと見てたって事は、かなりの実力者なんでしょ?あの人。」
フロストは私の手を取り、中庭へ。彼らが対戦しているスペースの近くへと引っ張り出した。
と、彼と視線が合う。突如ぶわりと顔中が熱くなり、誤魔化すようにカイエンの方を見た。
「くっそー……ターンエンドだ!」
「じゃあ僕のターンですね。これで終わりにしますよ。ドロー。」
ああ駄目だ。カイエンの方を向いているというのに意識が彼の声に集中してしまう。
「グレイくん、あの人が気になるの?」
フロストは小声で私に問う。図星を突かれた私は、目を逸らさざるを得なくなる。
「い、いや……」
「そう?わたしの気のせいかな……」
誤魔化せた気はしないが、フロストはそれ以上追求してはこなかった。
彼のロック戦術は完全に決まっており、カイエンは手も足も出ない。程なくして彼のモンスターがカイエンの体力を削りきり、対戦が終了した。
負けたカイエンは「だー!強いなお前!!」と悔しがるが、彼は一言、「僕の勝ちですね。」とだけ呟いて、私の方へと歩き始める。
私はどうすればいいかわからず、その場で足がすくんでしまう。彼は私を見て、花がほころぶような笑顔を見せた。
「グレイ……!」
私の名を呼びながら、こちらへ駆け寄って来る彼を見て、私は頭が真っ白になる。彼の笑顔が私に向けられているという現実に、嬉しいのか恐ろしいのか分からない感情を抱いていた。
「交流大会以来ですね、グレイ。」
彼は私の前に立ち止まり、私に話しかける。フロストは私の横にやって来て、私を心配そうに見つめるが、私は何といっていいのか分からなかった。
「あ、ああ。そうだな。」
「僕、あれから強くなったんですよ。サマーカップでは負けませんから。」
「……悪いが、私はサマーカップには出ない。」
そう私が言った途端、フロストもカイエンも、眼の前の彼も、目を丸くしていた。
「ど、どうしてですか?グレイなら優勝だって狙えるはず……」
「個人的な事情でね。君には関係のないことだ。」
私は嘘をつく。本当は彼と同じ空間にいたくないから……。彼のことが好きなはずなのに、そばにいると胸が痛くなる。
だがその想いをそのまま口にするわけにもいかないし、理由が理由だ。それは誰にも言いたくない。言葉だって、そうしたくないのに昔のように尖ってしまう。
「グレイくん……」
フロストが心配そうに私を見る。こんな表情をさせるのは、これで何度目だろうか。
「では私は先約があるので失礼する。」
私はフロストの手を取りその場から逃げるように立ち去った。彼とこれ以上一緒にいれば、どうなってしまうかわからない。
「グレイくん、もしかして……」
共同スペースのロビーへとたどり着いて早々、フロストは私に向き直り口を開いた。私は悟られないようにと平静を装うが、今の私の態度は誰が見てもおかしいだろう。
「あの人の事……好きなんでしょ?」
「……おかしな話だろう。笑えば良いさ。」
私はフロストに、自嘲気味に笑いかけた。しかしフロストは笑わないし、私の言葉を否定しなかった。
「変じゃないと思う。だってわたしも、わかるから。」
「…………」
「好きな人をを見てると、ドキドキするし、頭がいっぱいになるの。わたしが……わたしじゃなくなっちゃうみたいで。」
「フロスト……」
「さすがに、相手は言えないけどね。……悩むことはおかしいことじゃないって、伝えたくて。」
好きな人の事を考えているのだろう、わずかに目を伏せるフロストの頬は赤かった。
「な、なんだか湿っぽくなっちゃったね!ほら、相談に乗ってくれるんでしょ?」
フロストは私に笑顔を見せ、話題を逸らす。私はその笑顔に救われながら「ああ」と答えた。
フレーヴが伸ばした手は、ふらり空を切った。
グレイがサマーカップへ出場しないと言い切った事に対し、フレーヴは強い困惑を覚えた。
では、どうやって僕があの3人より強いと証明すればいいのだろう。と。
『じゃあ僕は先約があるので失礼する。』
グレイはまるで逃げるかのようにフレーヴの前から去って行った。仲の良さそうな生徒――フロストと手を繋いで。
「……」
知らない生徒と仲の良い彼を見てからずっと胸の中に黒いもやが渦巻いているというのに、眼の前で手を繋がれるなんて。フレーヴの心の中はさらにどんよりと曇っていく。
「グレイのやつ、サマーカップ参加しねーのかぁ……」
フレーヴが先程打ち負かした相手のカイエンがぽつりと呟く。
よくグレイとつるんでいる生徒の一人は、グレイがサマーカップに参加しない理由がわからないのか、うーんと唸っている。
僕だって、彼がサマーカップに参加しないだなんて思ってもみなかった。昔からユニバースノートでは負け無しだと聞いていたし、実際戦って勝てたことはない。そんな彼が、大会に出ないだなんて、何かあったに違いない。とフレーヴは考える。
彼はグレイを追いかけようと足を踏み出すと、そばにいたカイエンがフレーヴの腕を引いた。
「なあ、お前名前は?」
「え?何いきなり……」
「俺はカイエン・ペッパーって言うんだ。お前は?」
「……フレーヴ。フレーヴ・ソルト。」
「よろしくな、フレーヴ!」
カイエンは屈託のない笑顔でフレーヴの手を取って、アグレッシブな握手を行う。
「……何ですか?いきなり自己紹介して。」
「いや、俺お前と友達になりたくて!」
「え?」
突然の提案に思わずフレーヴは目を丸くする。しかし彼は構わず話を続けた。
「だってさ!さっき話してたけど、グレイと知り合いなんだろ?それにお前強いし!サマーカップに出るんだろ?ならちゃんと覚えておかないとな!」
「………」
きらきらとした瞳でカイエンはフレーヴに詰め寄る。
しかしフレーヴは今までの行動からカイエンに対する印象が悪い。そもそもこんな馴れ馴れしい人間と仲良くしたいとは到底思えなかった。
「僕が……僕が見ているのはグレイだけです……!必要以上に貴方に関わる気はありません!……今の勝負で貴方の実力もわかりましたから。」
ぱしり、とフレーヴはカイエンの手を跳ね除ける。フレーヴは気分を悪くしたのか、グレイが向かった先とは別方向へすたすたと歩いて行った。
どうしたら彼は僕を見てくれるのだろうか。フレーヴの頭の中はそればかりであった。そう強くもないカイエンとやらがずっと側にいるのが間違いであるとさえ思った。
あの様子では、手を繋いだ仲の良さそうな生徒も、いつもいる他の上級生も、それほどの実力ではないのだろう。ならば自分が勝てないはずがない。それどころか、あのグレイにさえ勝てるかも知れない。サマーカップに参加しないのだって、自分の実力に自信が無くなったからなのではないか?
「そう……僕なら勝てるんだ……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、フレーヴは一人歩く。その強い負の感情に、あるカードが反応していたことは、まだ誰も知らなかった。
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