第2話 弁護士 白木 司
「あなたに与えられた力は、"対話"です。」
そんなことを言っていたと思う。記憶が定かではない。定かであるはずなんてなかった。
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大崎法律事務所-
繁華街の大通りから2つ通りを抜けた場所、マンションとオフィスビルが混在する路地、そこに事務所はある。
新人弁護士としての白木に与えられていた役目は、簡単な依頼の対応をすること、それのみであった。
代表の大崎は面倒見が良すぎるせいもあり、しばらくの間はじっくりと基礎を固めさせよう、ということを考えていた。
白木はもどかしい思いを感じていた。
「あの、、わたしの話、きいてますか?」
「あ、ええ!すみません」
白木は紺のスーツを正しながら笑顔で答えた。
おっと、なんだか最近同じことの繰り返しでボーっとしてしまっている。今回の依頼人 明石 美希 さんは相続のいざこざに巻き込まれてウンザリしてしまっているらしい。法律関係うんぬんよりも女性の場合は特に、困っている現状に寄り添い、聞き手に回ることが円滑なコミュニケーションを生む。
「わたしは、そんなお金なんて必要ないのに、、」
「うんうん」
「・・・あの、、わたしおかしいでしょうか?」
明石がしおらしく上目遣いで目線を向ける。白木は思わず反応してしまった。いかにもOLといった感じのベージュのパンツスーツ。セミロングの黒髪は艶があり若さを感じさせる。今、困った表情をしているが、瞳に強い意志を感じる不思議な女性であった。
「いえ、おかしくないと思います!相続は放棄することもできます。」
「そうですよね、、大丈夫ですよね、、」
「少し休憩しましょう!何か飲み物でもお持ちしますね!」
そう言って席を立ち、まだ新しい革靴を鳴らしながら給湯室へ向かった。
さっきは緑茶を出したから紅茶か何か持っていってみようか、そういえば棚に大崎代表が出張土産を入れてくれてたっけ。
白木は棚に手を伸ばした。
目を疑った。木だ。目の前に巨木がある。伸ばした手は巨木をなでているだけで、目的の出張土産を見つけられない。
「え、、!?どういう、、」
わからない、何がどうなっているのか。巨木の圧倒的な態度に気を取られ、ワンテンポ遅れて反射的に振り返る。
「なん、、森なの、、かここ」
狭い給湯室から、いっきに地平線の彼方まで見渡せる小高い丘の上に、白木の体は移動していた。
富士の樹海の写真を見たことがあるが、そこまで鬱蒼としていない、いやむしろ明るい。木は完全に密集しているわけではなく、集合した固まりがポツポツと分布している。開けた草原には、なんだか大きすぎる気がする太陽の日が照りつけていた。
「・・・」
白木は唖然とし、自分の中で何とかこの状況を合理的に説明できるよう努力していた。
────わたしは"与える者"です─
「うわ!」
突然話しかけられ、飛びあがって声のする方から身を引いた。しかし目の前は依然、グループ会のように個々で集まる森が広がるばかりである。上下左右どの方向を見ても誰も何もいない。
「えぇ!?え、、えぇ、、」
合理的な説明を考えるが、不可能であり、それはなんとなくわかってきた。徐々に気力を失いつつある白木に"声"は続けて語りかけてくる。
───あなたに与えられた力は、"対話"です。─
「うわ、、!まただ、、」
どうやらこの声はテレパシーのようなもので直接耳に入っている、いや脳に伝わっている?ようだ。
声以外の情報は森と巨木しかないので、もう声を聞くしかない。
「あの!ここは、どこなんですか、、!?」
────"対話"の力を使っている間は、──
「あの!すみません!ここはいったい!?」
その瞬間とてつもない地響きが視界を上下に揺らした。地震の震源地にでもいるのか、と思う凄まじい揺れに、白木は座り込むどころか身動きひとつとれずただ硬直した。数年前、自宅で大地震にあい、棚の皿が落下し、けたたましい音をたてて割れていくのに恐怖を感じたことを思い出していた。
振動がだんだん強くなる。揺れの中で一定のパターンを感じたが、これは足音だ。インド象が全速力で走ったらこうなるのかもしれない。そして強くなっているということは、つまりこちらに向かっている!
「くぅ!!おぉお!」
振動の最中何とか足を一本踏み出し、巨木の根に近づいた。全方向に規則なく張り出した根は、幹ほど太くないが、しゃがめば大人1人を十分に隠せるであろう。2歩目を出す力はなかったので、そのまま根の傍らに倒れ込んだ。しかしその選択はかえって、白木の脳に振動を与える結果となった。
あぁ、なにも、なにもわからないまま。
終わるのかな。あとすこしだけ、すこし
白木の記憶はここで途絶えている。
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「はぁ、、はぁ、、」
足が重い。最近運動不足だったとはいえ、斜面をちょっと上がるだけで息が切れるのは、どうしても年齢を考えてしまう。いやでも斜面なんて登る必要あるのかな。そもそもなんでこうなったのよ。
「あっつい、、!」
明石はそう言うとベージュのジャケットを乱暴に脱ぎ捨てて、登ってきた岩肌にどかっと座った。
数時間前は資産家の父の相続で悩んでいたというのに、どういうわけか今は突然のワープについて悩まなければならなくなっていた。
わたしが見たのは応接室の黒革の年期の入ったソファがいきなり黒豚に変わる瞬間。そしてソファが化けたんじゃなくて、私が豚の前にワープしたことがわかった。さらにわたしが座っていたソファも豚に。そのまま豚に乗せられたまま、降りることもできず、5分くらいは走り回っていたと思う。その間はずっと叫びっぱなしで、いまだに耳がキーンとしている。すこし落ち着いてきたから、ここがどこなのか知りたく、こうして息を切らして大きな岩に登って来たのだ。岩は体を半分地面に埋めていて、地上に突き出た部分だけでも地上10メートルはある。頂上は2畳半ほどの広さで、このまま寝っ転がってしまいたくなる。
「イタタ、パンプス痛っ」
山登りは得意だけど、靴が悪い。こんなことならお気に入りのスニーカーで来ればよかった。
明石は豚が泥でしっかり汚してくれたパンプスからインソールを取り出し、靴下を脱ぎ、靴下にインソールを入れ、そしてインソール入り靴下を履いた。こんなことは田舎育ちの明石にとって造作もなく、まるで熟練のわらじ職人のような手際であった。
なるほど。ここは日本ではないな?わたしの故郷のど田舎でも、こんな感じの森は見たことがない。日本は島国だし、こんな大陸系っぽい地形はないだろう。たぶん。
地理はさっぱりであり、やはり結論は出なかった。だが、心には暗いところはなく、むしろ好奇心が沸々と湧いてくる。都会の冷たさに当てられた明石にとって、目前の大自然は故郷を思わせる懐かしさのある景色だった。田舎娘の血が騒ぐのだ。
「すぅー、、ん?煙、、?」
大きく息を吸い込むと、どこかで焚き火でもやっているのか、かすかに煙たい空気が鼻を通った。
どこだろう、、のろしが上がってないかな、もう火が消えてたら見つけられないかも。
明石がのろしを探しているとふと目に入った。点々とする森群の中に、一際目立つ巨大な幹を持つ樹がある。例えるなら、昔友達が夢中になっていたゲームの長老様みたいな、と明石はファンタジーな空想をしたが、それが今目の前に。
インソール靴下で軽々と岩肌を蹴り駆け降りる。一走り終えた黒豚は大岩の下の涼しそうな木陰で、のんきにキノコを食べていた。
「豚ちゃん!お願い!」
明石は黒豚の背中に飛び乗り、黒い背中をポンポンと叩いた。黒豚は満更でもなさそうな顔でブルルと身を揺らし、勢いよく走り出す。明石は風を感じながら、上京以来の久々の爽快感に心を踊らせていた。
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