第2話 暴行の故意の不証明①
「あなたに与えられた力は、"対話"です。」
そんなことを言っていたと思う。記憶が定かではない。定かであるはずなんてなかった。
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大崎法律事務所-
繁華街の大通りから2つ通りを抜けた場所、マンションとオフィスビルが混在する路地、そこに事務所はある。
新人弁護士としての白木に与えられていた役目は、簡単な依頼の対応をすること、それのみであった。
代表の大崎は面倒見が良すぎるせいもあり、しばらくの間はじっくりと基礎を固めさせよう、ということを考えていた。
白木はもどかしい思いを感じていた。
「あの、、わたしの話、きいてますか?」
「あ、ええ!すみません」
白木は紺のスーツを正しながら笑顔で答えた。
おっと、なんだか最近同じことの繰り返しでボーっとしてしまっている。今回の依頼人 明石 美希 さんは相続のいざこざに巻き込まれてウンザリしてしまっているらしい。法律関係うんぬんよりも女性の場合は特に、困っている現状に寄り添い、聞き手に回ることが円滑なコミュニケーションを生む。
「わたしは、そんなお金なんて必要ないのに、、」
「うんうん」
「・・・あの、、わたしおかしいでしょうか?」
明石がしおらしく上目遣いで目線を向ける。白木は思わず反応してしまった。明石はいかにもOLといった感じのベージュのパンツスーツで、セミロングの黒髪は艶があり若さを感じさせる。今、困った表情をしているが、瞳に強い意志を感じる不思議な女性であった。
「いえ、おかしくないと思います!相続は放棄することもできます。」
「そうですよね、、大丈夫ですよね、、」
「少し休憩しましょう!何か飲み物でもお持ちしますね!」
そう言って白木は席を立ち、まだ新しい革靴を鳴らしながら給湯室へ向かった。
さっきは緑茶を出したから紅茶か何か持っていってみようか、そういえば棚に大崎代表が出張土産を入れてくれてたっけ。
白木は棚に手を伸ばした。
目を疑った。木だ。目の前に巨木がある。伸ばした手は巨木をなでているだけで、目的の出張土産を見つけられない。
「どういう、、え、、!?」
わからない、何がどうなっているのか。巨木の圧倒的な態度に気を取られ、ワンテンポ遅れて反射的に振り返る。
「なん、、森なの、、かここ」
富士の樹海の写真を見たことがあるが、そこまで鬱蒼としていない、いやむしろ明るい。木は完全に密集しているわけではなく、集合した固まりがポツポツと分布している。開けた草原には、なんだか大きすぎる気がする太陽の日が照りつけていた。
「・・・」
白木は唖然とし、自分の中で何とかこの状況を合理的に説明できるよう努力していた。
「わたしは"与える者"です」
「うわ!」
白木は突然話しかけられ、飛びあがって声のする方から身を引いた。しかし目の前は依然、グループ会のように個々で集まる森が広がるばかりである。
「えぇ!?え、、えぇ、、」
白木が合理的な説明を考えるが、不可能であり、それはなんとなく白木にもわかってきた。あぁ何かとんでもないことが起きているぞ、と。
「あなたに与えられた力は、"対話"です。」
「うわ、、!まただ、、」
どうやらこの声はテレパシーのようなもので直接耳に入っている、いや脳に伝わっている?ようだ。
白木にはどうにもできないが、声以外の情報は森と巨木しかないので、もう声を聞くしかない。
「あの!ここは、どこなんですか、、!?」
「"対話"の力を使っている間は、」
「あの!すみません!ここはいったい!?」
その瞬間とてつもない地響きが視界を上下に揺らした。地震の震源地にでもいるのか、と思う凄まじい揺れに、白木は座り込むどころか身動きひとつとれずただ硬直した。
振動がだんだん強くなる。これは足音だ。インド象が全速力で走ったらこうなるのかもしれない。そして強くなっているということは、つまりこちらに向かっている!
「くぅ!!おぉお!」
白木は振動の最中何とか足を一本踏み出し、巨木の根に近づいた。全方向に規則なく張り出した根は、幹ほど太くないが、しゃがめば人1人を十分に隠せるであろう。白木に2歩目を出す力はなかったので、そのまま根の傍らに倒れ込んだ。しかしその選択はかえって、白木の脳に振動を与える結果となった。
あぁ、なにも、なにもわからないまま。
人生終わるのかな。あとすこしだけ、すこし
白木の記憶はここで途絶えている。
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「はぁ、、はぁ、、」
足が重い。最近運動不足だったとはいえ、斜面をちょっと上がるだけで息が切れるのは、どうしても年齢を考えてしまう。いやでも斜面なんて登る必要あるのかな。そもそもなんでこうなったのよ。
「あっつい、、!」
明石はそう言うとベージュのジャケットを乱暴に脱ぎ捨てて、登ってきた岩肌にどかっと座った。
どういうわけか、数時間前は資産家の父の相続で悩んでいたというのに、今は突然のワープについて悩まなければならなくなっていた。
わたしが見たのは応接室の黒革の年期の入ったソファがいきなり黒豚に変わる瞬間。そしてソファが化けたんじゃなくて、私が豚の前にワープしたことがわかった。さらにわたしが座っていたソファも豚に。そのまま豚に乗せられたまま、降りることもできず、5分くらいは走り回っていたと思う。その間はずっと叫びっぱなしで、いまだに耳がキーンとしている。すこし落ち着いてきたから、ここがどこなのか知りたく、こうして息を切らして高台に来たのだ。
「イタタ、パンプス痛っ」
明石は豚が泥でしっかり汚してくれたパンプスからインソールを取り出し、靴下を脱ぎ靴下にインソールを入れ、そしてインソール入り靴下を履いた。こんなことは田舎育ちの明石にとって造作もなく、まるで熟練のわらじ職人のような手際であった。
なるほど。ここは日本ではないな?わたしの故郷のど田舎でも、こんな感じの森は見たことがない。日本は島国だし、こんな大陸系っぽい地形はないだろう。たぶん。
明石は地理はさっぱりであり、やはり結論は出なかった。だが、なぜか明石の心には暗いところはなく、むしろ好奇心が沸々と湧いてくる。都会の冷たさに当てられた明石にとって、目前の大自然は故郷を思わせる懐かしさのある景色だった。田舎娘の血が騒ぐのだ。
「すぅー、、ん?煙、、?」
大きく息を吸い込むと、どこかで焚き火でもやっているのか、かすかに煙たい空気が鼻を通った。
どこだろう、、のろしが上がってないかな、もう火が消えてたら見つけられないかも。
明石がのろしを探しているとふと目に入った。点々とする森群の中に、一際目立つ巨大な幹を持つ樹がある。例えるなら、昔友達が夢中になっていたゲームの長老様みたいな、と明石はファンタジーな空想をしたが、それが今目の前に。すでに明石のインソール靴下は、岩肌を蹴って黒豚の元へ向かっていた。見たい。あの巨大な木を見に行こう。黒豚は明石が背中に乗るのを、待っていたかのように元気に走り出す。
明石の笑顔は実に10年ぶりの満開であった。
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