或る夏、獅子を探して【2024掛川百鬼夜行応募作品】

朱夢

或る夏、獅子を探して

「……それでは、今年の巫女は龍尾たつお家の娘で決まりだな」

「ええ、そういたしましょう」

「今年は大祭りの年だからな、準備は万全にせねばいかぬぞ」

 とある夏の日。S岡県K川市の神社にて、打ち合わせが行われていた。大きな和室には、数人の神主が集まっている。

「では、本日の打ち合わせはここまでといたしましょう。」

 白髪の女性がそう言うと、その場の全員が頷き、まばらに席を立った。女性は、全員を見送ると、その足で孫のいる部屋へと向かう。

「すみちゃん、いるかい?」

 こんこん、と襖を叩く。奥からがた、と音がすると、襖が開き、一人の少女が顔を出した。背丈は、成人の平均より少し高く、透き通った黒髪を一つに束ねている。

「おばあちゃん、打ち合わせは終わったの?」

「ええ。今年の巫女さんは、すみちゃんに決まったよ」

「えぇっ⁉︎」

 すみちゃん、と呼ばれた少女は、目を丸くして驚いた様子だった。

「そ、それほんと⁈ 本当に、私が巫女さんになれるの⁉︎」

「みーんな清ちゃんがいい、ってねぇ、そう言われて、おばあちゃんも嬉しいよ」

 清は心底嬉しそうに、ぎゅっと祖母を抱きしめた。その姿に、祖母はにっこりと微笑み、清を優しく抱きしめ返した。

 

 私の住むこの地では例年秋に、無病息災を祈る祭りが行われている。その中でも、数年に一度『大祭り』と呼ばれる祭礼が行われる。大祭りは数日間に渡り、最終日の千秋楽では、選ばれし巫女による『神事の舞』を大舞台で奉納する。

 二十歳を迎えたこの年に、私……龍尾清香たつおすみかは、奉納の巫女に選ばれた。

「それじゃあ、練習も頑張ろうねぇ」

「うん!おばあちゃんみたいな舞ができるよう、私、頑張るよ!」

 祖母はかつて、私と同じくらいの頃に、同じく奉納の巫女に選ばれたと、よく昔話で教えてもらった。その頃からずっと、祖母は私の憧れなのだ。

 

 それから数週間後の夏休み、私は実家である神社の和室にて、日課となった舞の練習をしていた。頭の先から指の先端、爪の先まで神経を集中させ、一つ一つを身体に染み込ませる。一、二、回って、指先まで伸ばす……と、閉じた襖越しに、廊下の方から、バタバタとこちらへ走ってくる音が聞こえた。私は、近くに置いたタオルで汗を拭い、襖の方へと向かう。襖に手を掛けようとした瞬間、勢いよく開いた襖から、誰かが飛び込んできた。

「〜〜〜っ‼︎」

 ごつん、と鈍い音が鳴ると、私は両手で額を押さえうずくまった。涙目になりながらも、同じように片手で額を押さえている確信犯に、顰めっ面を向ける。

「直人……部屋に入る時はノックするって約束でしょ……!」

「いやー、悪い悪い。急いでたもんでさ」

 声の主は、そう言いながら、へらへらと右手で頭を掻く。確信犯の正体は、幼馴染である大石直人だった。ぶつかった額は少し赤いが、自慢の石頭は伊達じゃないらしい。

「っと、そうじゃなくて! やばいんだって! 大事件‼︎」

 直人は再び慌て始めると、私の両肩を持ち、こう言った。

「祭りの大獅子が、消えちまったんだよ‼︎」

 

 大祭りには、例年の祭りとは違う大余興が三つある。

 一つは獅子による神事の『かんからまち』

 一つは大人数で街を練り歩く『大名行列』

 そして最後に、全長二十五メートルにも及ぶ『大獅子』

 そのどれもが、華やかで、祭りの目玉とも言えるものだ。

 大獅子は、大祭りの時にしか使わないため、普段はN藤町にある寺に奉納されている。大人が数人がかりでやっと持ち上がる重さのため、少なくとも盗まれた、ということではなさそうだ。

「消えた……って、誰かが準備に持って行ったとかじゃないの?」

「それが、寺のじいさんちも、町内会のばーさんちも、誰も何も聞いてないんだとよ」

 そう言いながら、直人は困ったように肩をすくめた。

 直人は、大余興の一つであるかんからまちに前回から参加している。今年も町内会のおじさん達と一緒に、神事に参加する予定だ。

「みーんな色んなとこを探し回っちまってさ、これじゃ練習なんてしてらんねぇよ」

 頭を抱えながら、直人は床に倒れ大の字になった。着ていたTシャツには、練習でついた汗の跡が、まばらに白く残っている。

「とりあえず、私たちも探しに行く?」

 このままでは、祭りの開催も危ういだろう。わたしは、居ても立ってもいられず、タオルを両肩にかけながら、直人にそう言った。

「えぇ⁉︎ 今外あっついのに⁉︎」

「そんな事言ってられないでしょ、ほら早く立つ!」

 私は、床に転がった直人の足をげし、と軽く蹴る。

 そうして私たちは、大獅子を探して真夏の町に繰り出した。

 

 それから数日後。私たちはとある神社の境内にいた。大きな御神木が陽射しを遮り、少しの木陰を作っている。その下に座り、暑さに項垂れながら、大きなため息をついていた。

「……本当にないね、大獅子様。」

「……だから言ったろ? 消えちまった、って」

 練習の合間を使い、親戚や町内会の皆に聞き回った……が、どうやら、本当に大獅子は跡形もなく消えてしまったらしい。寺には、大獅子があった跡だけが、ぽっかりと空いていた。

「みんなから聞いた話によると……うーん……」

 私は傍のリュックからスマホを取り出すと、メモのアプリを開いた。みんなに聞き込みした内容を、一つ一つ確認する。

「まず……消えたのは多分昨晩の深夜。早朝のお掃除で気付いたみたいだから、少なくとも日が昇る前だよね」

「あそこの寺、特に朝早いからな。んで、近くを探したけどどこにもない、って訳だ」

 後ろから、直人が私のスマホを覗き込む。寺の住職が総出で探しているが、今に至るまで大獅子どころか、手がかりの一つも見つからないらしい。

「こりゃ……どうしろって言ってもなぁ……」

 直人は心底困ったように、両手で頭を掻きむしった。私も同じ気持ちだ。

「今日のところはここまでかな……流石にこんな暑さじゃ倒れちゃうよ」

「……それ、この前から俺がずーっと言ってたんだけど」

 じーっとこちらを見つめる直人を横目に、私は額の汗をタオルで拭う。弾みをつけて立ち上がると、家の方へと体を向けた。

 時刻は夕方、まだ空は明るいが、そろそろ帰らないとおばあちゃんが心配するだろう。

「ほら、帰るよ」

「へーい」

 そう言いながら、鳥居をくぐり、神社を後にする。

 大通りを歩き、分かれ道に着くと、直人と別れ、自宅のある龍尾神社へと向かう。と、道すがらに、通学路を歩く子どもたちの話し声が聞こえてきた。

「ねぇねぇ、あのうわさ知ってる?」

「うん、真っ赤で大きな角が生えてるんだって!」

「悪いことすると、その鬼につかまっちゃうんでしょ?」

 すれ違いざまに聞こえた声に、私はふと立ち止まり、振り向く。

 ……どこかで、その姿を聞いたことがある気がする。

 私は、違和感を抱えたまま、少し駆け足で自宅へと向かった。

 

「ただいまー」

「あ、姉ちゃんおかえり。アイス食べる?」

 玄関を開けると、廊下の向こうから声が聞こえた。私は、靴下を脱ぎながら、声のする方へ向かう。

 リビングでは弟の涼がカップアイスを食べながらこちらを向いていた。

「食べる……けど、何あったっけ」

「えーっとねぇ……」

 私が椅子に座ると、涼はスプーンをくわえながら、冷凍庫を開ける。

「チョコのカップとー、バニラの棒と……あ、この前食べる、って言ってたのも取ってあるけど」

「んー……今日はバニラにしよっかなぁ」

 涼から棒形のアイスを受け取る。ぱくり、と口に含むと、さっぱりとした冷たさが、口いっぱいに広がり、先ほどまでの疲れがすーっと消えていく感じがした。

「そういえばさぁ、涼は学校の噂とか聞いたことある?」

 私は、机に両肘をつきながら、そう問いかけた。

「うわさ? うーん……あ。」

 正面に座り直した涼が、二個目のアイスを食べようとしたところで、思い出したように声を出す。

「隣のクラスなんだけど……変なもの見たー、って話はしてたよ」

「変なもの?」

「うん。確か……鬼みたい、って」

 そんなのいる訳ないのにね、と言いながら涼はあっという間にアイスを食べ終わり、スマホでゲームを始めていた。

「真っ赤で……大きな……鬼」

 何かが引っ掛かる。正体のわからない違和感に、私は顔をしかめた。何かを、知っているような……そんなことを考えていると、ぽたり、と溶けたアイスが手をつたい、机に落ちた。

 その瞬間、絡まった糸が解けるように、私の脳裏に一つの記憶が蘇ってきた。

「……って、やば! 溶けちゃう‼︎」

 私は急いで残りのアイスを食べると、慌てて椅子から立ち上がった。

「またどっか行くの? もうすぐ夕飯だけど……」

「ちょっと蔵に探し物! 夕飯までには戻るから‼︎」

 そうか、思い出した。違和感の正体に、私は口角を上げる。すぐさまポケットからスマホを取り出すと、直人にメッセージを送りながら、小走りで蔵へと向かった。

 

 時刻は夜。辺りは薄暗く、蔵の入り口に吊り下げられた灯りだけが、煌々と輝いている。

 私はある記憶を頼りに、裏庭の蔵へ来ていた。ここには、主に祭事などで使う道具が仕舞われている。いわゆる物置だ。

 灯りのない薄暗い蔵で、私はスマホの明かりを頼りに、一冊の絵本を探していた。

「ったく……急に呼び出してどうしたんだよ」

 蔵の入り口から、直人の眠そうな声が聞こえる。思っていたよりも早く来た……が、少し眠そうだ。どうやら、祭りの朝練をするために、最近は早く寝ているらしい。

「ええっと、確かこの辺に……」

 祭事用品とは別に、隅の方へざっくばらんに置かれた蔵書を漁ると、奥の方から、その本は見つかった。表紙はところどころ折れ、かなり年季が入っている。

「あった‼︎」

 ぱんぱん、と片手で表紙の埃を払うと、本を持ち直人のもとに向かう。

「何これ。絵本?」

「おばあちゃんに昔、読んでもらったの。うちにしかない絵本なんだって」

 表紙には、大きな角の生えた赤い鬼が描かれている。その姿は、涼が聞いた噂に似ている姿だった。

 ぱらぱらとページを捲ると、ふと巻末に書かれた名前に目が止まった。

「……おばあちゃん?」

 そこに書かれていたのは、紛れもない祖母の名前だった。

 

 次の日、私はいつもより早起きをして、祖母のいる本殿へと向かった。昨晩の絵本について、聞きたいことがあったからだ。

「おばあちゃーん」

 祖母は、日課である朝の掃除をしていた。御神木の近くにある本殿は、木陰も多く、涼やかな風が吹いている。

「おや、すみちゃん。今日は早起きだねぇ」

「うん。あのね……」

 私が話を切り出そうとすると、手に持っていた絵本を見て、祖母はこう言った。

「大獅子さんのこと、聞きたいのかい?」

「……やっぱり、何か知ってるんだね、おばあちゃん」

 祖母は、私の顔を見てにっこりと笑うと、掃除の手を止め、本殿の横にある小さな木のベンチに腰掛けた。

「よっこいしょ……ほら、すみちゃん。こっちにおいで」

 私は祖母の隣に腰掛けると、膝の上に絵本を置いた。

「ひとつ、昔話をしようかねぇ」

 そう言うと、祖母は遠くを見つめながら、話し始めた。

 祖母が私くらいの年齢だった頃、同じように大獅子が消えてしまった事。そして。

「大獅子さんはねぇ、牛頭ごずさまなんだよ」

 牛頭様。それは、うちの神社が代々祀っている神様の名前だ。私が生まれるずっとずっと前にいた、大きな角を持つ、赤い鬼の神様。

「牛頭さまはねぇ、何十年かに一回、お祭りの時期に隠れちゃうんだよ」

 神様も疲れちゃうんだろうねぇ、と祖母が笑う。きっと、祖母も大獅子様を探して、色んなところを探し回ったのだろう。

「おばあちゃんは、その時どこで大獅子様……牛頭様を見つけたの?」

「そうだねぇ……あの時は蔵の中に隠れていたけれど……」

 そう言うと、祖母は首を傾げ考える。数分ほど経った所で、何か思い出したようにこう言った。

「そういえば、牛頭さまは、子供が大好きだったねぇ」

「そうだったの?」

 祖母はうんうん、と頷く。

「きっと、子どもたちを見守れるところにいるんじゃないかねぇ」

 牛頭さんは、そういう神様だから、と祖母は言った。

 前回、蔵の中にいた……と言うことは、あまり遠くまで行けないのだろう。

「ありがとう、おばあちゃん」

 私はそう言うと、絵本を片手に立ち上がる。そして、ポケットからスマホを取り出し、連絡用のアプリを開いた。

「あれ、もう行くのかい?」

「うん。大獅子様に、会いに行ってくる」

「そうかいそうかい。気をつけて行くんだよ。牛頭さまによろしくねぇ」

 そう言うと、祖母はいつものように、にっこりと笑い、こちらに手を振る。

 私は祖母に手を振り返すと、小走りしながら直人にメッセージを送る。と、すぐに返信が来た。

「いいから早く来て……っと」

 一言だけの返信を送り、スマホをポケットにしまった。

 さあ、大獅子様を迎えに行こう。大祭りを成功させるために。

 

「……んで、ここに来た、と」

「うちの近くの子供が集まる……って言ったらここじゃない?」

 それから十数分後。私は直人と合流し、自宅近くの小学校に来ていた。この地区には小学校が少なく、近くに住む子どもはみんなこの小学校に通うのだ。恐らく涼が聞いたという噂も、ここの事だろう。

「つっても、今じゃ夏休みで誰もいないんじゃ……」

「確か今日は……あっ、開いてるよ」

 正門へ向かうと、少しだけ門が開けられていた。どうやら、プールの開放期間だけは、自由に出入りすることができるらしい。これも、涼から聞いた話だ。

「おいおい、勝手に入って大丈夫かよ……」

 真っ先に門をくぐる私を追いかけ、直人はおずおずと門をくぐる。

「開いてるんだから大丈夫だよ……多分」

 一応、卒業生だし。と自分に言い聞かせ、私は校内のある場所へと、少し駆け足で向かった。校舎の裏にある、百葉箱だ。

 この学校の百葉箱は、校舎とプールの間にある、渡り廊下に設置されている。何故ならその位置が、一番風通しがいいから……と、授業で教わった覚えがある。多分。

「そういや、なんでここにいると思ったんだ?」

「うーん……人通りが少なくて、辺りが見渡せる所。後は……あえて言うなら……勘?」

 こう言ってはなんなのだが、私の勘は結構当たる。テストのヤマとか、天気とか。

 怪訝そうな目でこっちを見てくる直人を無視して進むと、百葉箱が見えてきた。

 ……その上に乗る、大きな角を持つ赤鬼の後姿と共に。

 

 その巨体を見て、私と直人は言葉が出なかった。百葉箱の上でしゃがみ込むように座る姿は、大神輿のような大きさだった。人ならざる赤い岩のような肌と、片腕程度の大きさもある二本の角に、私たちは、その場で立ち尽くすことしかできなかった。

「……ん?」

 私たちの視線に気付いたのか、赤鬼はこちらに顔を向けた。ぎょろり、とした大きな二つの眼が、じーっとこちらを見つめてくる。

「……ごっ、牛頭様……です、よね」

 沈黙に耐えかね、私はそう問いかける。すると、赤鬼の両目が大きく開き、じろりと私の顔を瞳に映した。柘榴石のように赤く仄暗い瞳に、私は思わず身震いする。、

「……その名で呼ばれるのは、何十年ぶりかのう。小娘よ」

 そう言うと、赤鬼はにやり、と笑みを浮かべた。

「いかにも。我が名は牛頭天王。一体何用じゃ、小娘?」

 牛頭様は、百葉箱の上から飛び降りると、ゆっくりと私たちに近づいてくる。その巨体とは裏腹に、わずかな足音すらも聞こえない。しかし、一歩、また一歩と近づく度に、大きな威圧感が迫ってくるようだった。

「……っ、あ、あの!」

 威圧感に声が出なくなる私を庇うように、直人は一歩前に出る。伸ばした左腕は震え、額には、うっすら冷や汗が浮かんでいた。

「何じゃ小童。おぬしもわしに用があるのか?」

「お、俺たちは……大獅子様を探しにきたんです」

 真剣な眼差しで牛頭様を見つめる直人。二人の間で、少しの沈黙が続いた。

「大獅子……おぉ!」

 先に声を出したのは、牛頭様の方だった。私と直人を交互に見ると、うんうん、と頷く。そして……にっこりと笑った。

「そうかそうか、わしのことを探しにきたんじゃな、小娘共」

「えっと……は、はい」

 私は、少し緊張しながら、こう続けた。

「今年の大祭りは、どうしても成功させたいんです。町のみんなも楽しみにしてるし、それに……」

「……それに?」

「……私の成長した姿を、おばあちゃんに見せてあげたいんです」

 牛頭様の笑った顔を見た時、何故だか脳裏には、おばあちゃんの笑顔が浮かんだ。

 ずっと、私を小さな頃から見守ってくれたおばあちゃんに、恩返しがしたい。その一心で、練習を続けてきた。だからこそ、今年の大祭りは何としても、成功させたいのだ。

「……俺も、祭りが大好きなんです。町のみんなと一緒に作るこの祭りが。だから、こいつと一緒に、成功させたいんです」

 私と直人がそう言うと、大獅子様はけたけたと笑った。

「はっはっは! そうかそうか、なるほどなぁ!」

 そして、私の顔をじっと覗き込むと、ぽん、と手を打ち、納得したようにこう言った。

「もしや、あの巫女の孫か! あやつも中々しつこかったが……そうかそうか。時が経つのは早いのぅ」

「?」

「なに、こっちの話じゃ。さてと……仕方ない、そろそろ戻るとするかの」

 ぱんっ、と牛頭様が手を叩くと、大きな風がぶわ、と吹き、近くの木がばさばさと揺れた。

「うわっ!」

「きゃっ!」

 私たちは思わず両腕で顔を隠す。そして、もう一度牛頭様の方を向いた……が、そこには、誰の姿も無かった。

「……戻って、くれたのかな」

「……多分な。見にいくか?」

「ううん。家に帰って、練習の続きしなくちゃ」

 大きく背伸びをして、正門の方へと向かう。

 きっと、大獅子様はあの蔵に戻ったのだろう。私も、私に出来ることをしなければ。

「大祭り、大成功させなくちゃね」

「そうだな。ばーちゃんのためにも、町のみんなのためにも、さ」

 直人と目を合わせ、笑い合う。

 本番まで後少し、ラストスパートだ。

 

「いやー、今年の祭りも無事に晴れたね」

「ああ。絶好の祭り日和だな」

 大祭り当日の夕方。夏の暑さも収まり、秋らしい涼風が町を吹き抜ける。

 私を含む町内会の人たちは、祭りの準備に追われていた。町は活気にあふれ、あちらこちらで、大きな声が飛び交っている。

 大祭りは四日間に渡って行われるが、初日の今日は、夜から開催する決まりだ。

 あの日の夜、大獅子様も無事に見つかった。今はスタート地点である大祭壇に、本番までの間、奉納されている。

「そっちの準備はどう?」

「あとは音響の調整とじいちゃん待ち。そっちは?」

「こっちはとりあえず準備完了かな。あ、一応衣装の確認しなくちゃ」

 私と直人は、控え室で本番前の最終チェックに入っていた。

 直人の出る『かんからまち』は、二日目に行われる。初日の今日は、裏方として音響や照明の手伝いがある、と本人に聞いた。

 本番まで残り一時間弱。私は既に衣装へと着替え、髪も結ってもらった。かんざしに付いた飾りが、動きに合わせてしゃらん、と小さく鳴る。

「うーん、うまく引けない……」

 鏡を見ながらメイクをしているが、衣装の裾が邪魔で、目元の紅がうまく引けない。

 鏡と睨めっこをしていると、ひょい、と横から伸びた手が、私の筆を取った。

「あ、ちょっと!」

「いーから、こっち向け」

 いつの間にか近くにきていた直人が、私の顎を持つ。と、慣れた手つきで、両目の縁に、紅を入れた。

「あ、ありがと……」

「去年ねーちゃんに教わった。ほら、ばーちゃん来たぞ」

 直人は私の手に筆を戻すと、後ろの襖を指差す。そこには、にっこりと笑ったおばあちゃんがいた。

「おばあちゃん!」

「まぁ清ちゃん。とっても似合うねぇ」

 おばあちゃんはいつものように笑うと、私を抱きしめた。しゃらん、とかんざしが揺れる。両手でぎゅっ、と抱きしめ返すと、何故かその後ろで、直人が口をぱくぱくしていた。

「……あ、時間!」

 壁の時計を見ると、本番の時刻まで、残り三十分を切っていた。私は、急いで鏡を確認し、大きく深呼吸をする。

「それじゃあ、またあとでね」

 客席に向かうおばあちゃんに手を振り、舞台袖に向かう。既に緊張で心臓が張り裂けそうだ。

「……よし」

 本番まであと五分。がやがやとした会場の熱気が、ここまで伝わってくる。客席はきっと満員だろう。

「清香」

 後ろから、誰かに声をかけられる。振り向くと、ぐっ、と親指を立てた直人がいた。いつもと変わらないその姿に、なんだか少し緊張がほぐれる。

 本番まであと三分。心を落ち着かせ、ゆっくり瞬きをする。

 

 本番まであと三十秒。

 一歩、また一歩と、光り輝く舞台へ、歩みを進める。

 

 本番まで、あと零秒。

 さあ、牛頭様カミサマへ、祈りを捧げに行こう。

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或る夏、獅子を探して【2024掛川百鬼夜行応募作品】 朱夢 @Haku__novel

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