第6話 水戸瀬の吐露

 探せど探せど出てこない領収書。

 いつの間にか野球部側のナイター照明が灯っており、ゆうに午後7時を回っていた。

「おい、まだ探してんのかよ。勘弁してくれって……」

 さすがに腹が減ってきたのか、自主練をしていた下木田が部室へ戻ってきた。

 正直、これ以上はやっても意味がないだろうと俺も思い始めている。

 だが、水戸瀬は依然として諦めている様子はなく、身を屈めてベンチの下を隈なく捜索していた。

「すみません、もう少し待ってください」

「…………まぁ、ちょっとくらいなら?」

 なんだ、やけに素直だなと思い、俺は下木田を見た。すると奴の視線が水戸瀬のとある一点に集中しているのが分かった。

 膝をついて覗き込むことでお尻のラインが強調され、なおかつスカートが上がり今にもその下が見えそうだ。

 ったく、無防備にもほどがあんだろ……。

 対角線上にいた俺は、すぐさま下木田の視界に割って入り、水戸瀬の後ろでしゃがみ込んだ。

「――しっかしねぇなー。本当にこの部屋にあんのかよ」

 俺のわざとらしい演技に、ラッキースケベを期待していた下木田は「ちっ」と舌打ちをする。

「やっぱもう十分だろ。いい加減迷惑だから帰れよ、お前ら!」

 何という手のひら返し。所詮男なんてエロありきの生き物であることを痛感させられてしまう。

 とは言え、下木田の言い分も分かる。

 残念だがここまでにしよう。

 そう水戸瀬に投げかけようとした時、彼女がずっと立ち上がり、下木田に歩み寄った。

「これ、黙っておいてあげるのでもう少しいいですよね?」

 この紋所が目に入らぬか‼︎

 と、言わんばかりに突き出されたのは、青を基調としたレギュラーサイズのタバコケース。

 下木田が狼狽しているところを見ると、どうやらサッカー部が隠れて吸っていたもののようだ。

 一瞬にして弱みを握られてしまった下木田は、口惜しがるも従うしかない。

「わーったよ。もう好きにしろ。ったく、付き合ってらんねぇぜ……」

 既に下木田のイライラは頂点に達していた。

 こういう時、物に当たってしまうのが、感情をコントロールしきれない学生には良くあることだ。それは彼も同様であり、下木田はゴミ箱を足で蹴り上げながら、嫌味ったらしく言った。

「ガチできしょい連中だな。たかが領収書1枚で粘着しすぎだろ。どんだけ探してもどうせ出てきやしねぇよ!」

「おい、言い過ぎだぞ、下木田。お前はもういいから帰れ」

 さすがに部長として下木田の振る舞いを看過できなかったのか、部室の外にいた勅使河原が仲介に入った。下木田はまだイライラが収まっていないようだったが、部長命令ということもあり、渋々その場を後にする。

「……うちの部員がすまなかったな」

 勅使河原の謝罪に、水戸瀬が何も言わないので、代わりに俺が返事をする。

「いや、別に部長さんが謝ることでもないでしょ」

「それでもだ。すまなかった」

「部長としての責任ってやつですか?」

「そういうことだ」

 チラリと隣を見ると、水戸瀬が目が虚ろの状態で立っていた。さっきの下木田の怒号が影響しているのは一目瞭然であり、今は彼女のメンタルを優先すべきだと判断する。

「申し訳ないですけど、2人にしてもらっていいですか? 少し話したら帰りますから」

「……分かった。俺は外にいるから終わったら声をかけてくれ」

 勅使河原が退出した後。

 静まり返った部室で、俺は水戸瀬に尋ねた。

「大丈夫か、水戸瀬?」

「……ははは、きしょいって言われちゃった。酷いよね、こっちは委員会の仕事を一生懸命してるだけなのにさ……」

 こういう時、なんて慰めるべきなのだろうか。少なくとも俺の辞書には正解はないように思える。だからこんなありきたりなことしか言えない。

「あんま気にすんなよ」

「……真面目に頑張ることがそんなにおかしいことなのかな。それとも私、空回りしてるように見える?」

「それは……」

 本当のことを言うか言わないか逡巡する。

 だが、その間が生まれた時点で何て思っているかは明白で――

「見えるんだね」

「……逆に聞くが、水戸瀬は何でそんなに頑張るんだ?」

 下木田の方を持つわけではないが、あいつの言う通り、領収書の1枚や2枚無いことは大きな問題にはならないのだろう。

 最悪どうにかなっちゃうのであれば、まあいっかと結論付けて諦める方向にシフトする選択もあっていいはず。

 だけど、水戸瀬にはそれがない。

 単に真面目だからという理由だけでは説明つかない強い意志が彼女にはある。

 それが何か知りたいと思い、俺は水戸瀬の言葉を待った。

「……私、これまでの人生で何かを最後までやり遂げたことってないの。小学校の時にピアノを習ってたけど、同じタイミングで始めた子たちがどんどん上手くなっていくのを見て、嫌になって辞めたし、じゃあせめて勉強くらいはと思って塾に通って進学校を目指してみたけど、結局成績が伸び悩んで第一志望の高校は諦めた。常に挫折して諦めることの繰り返し。自分が期待する自分になれない。それが私っていう人間なの」

 水戸瀬の声は震えていた。

 今にも泣き出しそうな彼女は、ぐっと涙を堪えているようにも見える。

「だけどこんな私でもやっぱり自分を変えたい思いはあって、だからこの委員会に所属することになった時、今度こそは絶対に最後まで頑張りたいって思った。今頑張らないと、それこそ一生後悔するような気がするから」

「だから委員長に立候補したのか」

「うん。委員長として最後まで責任を持ってやり遂げたい。それが今の私の目標」

 俺は普段の水戸瀬を知らない。だけど、少なくとも委員会で活動する水戸瀬という少女は、明るくて、人当たりが良くて、なにより前向きだ。

 でも今にして思えば、それは現状を変えようとする彼女の作られた外面であり、根っこの部分はもっと繊細で脆いのだろう。

 水戸瀬翠は至って普通の女の子だ。だからこそ年相応の悩みを抱え、踠き、抗おうとしながら疾風怒濤の思春期を過ごしている。

 水戸瀬の言葉を聞いて俺自身が感化されることはないが、それでも彼女が変わりたいと願うのであれば、副委員長としてその手助けはしてやりたいと思う。

 だから俺はこう言うのだ。

「しゃあねぇな。もうちょい探すか」

「……いいの?」

「ここまで来たら気の済むまで探した方がすっきりするだろ。きっと部長も付き合ってくれるだろうからさ」

「……けど、見つからないかもよ」

「おいおい、ここに来て弱気モードか? 副委員長がせっかくやる気になってるのに、委員長がしっかりしてくれなきゃ困るぜ?」

 水戸瀬を鼓舞するために言ったが、我ながら歯が浮く台詞だなと思う。

 寝る前とかに思い出して発狂しないか心配だ。

 けれど、今この瞬間だけは俺のことなんてどうでもいい。

 俺なんかの言葉で水戸瀬が前を向いてくれるのなら――

 俺は、この羞恥を甘んじて受け入れる。

「……芹沢くんの言う通りだね。ごめん、さっきの発言は取り消させて」

 水戸瀬は目尻に滲んだ涙を指で拭うと、気合いを入れ直して再び捜索を再開する。

 ちょうどそんな時だった。

 部室のドアが開け放たれ、勅使河原が俺たち2人を呼んだ。

「すまん、2人に話があるからこっちに来てくれないか」

 俺と水戸瀬は顔を見合わせた後、言われるがままに部室を出た。

 そこで気付いた。勅使河原の隣に、1人の少女が立っていることに。

 しかも、何となくだが、俺はその顔に見覚えがあった。

「あなたは確かサッカー部のマネージャーの……」 

 水戸瀬の一言で俺も完全に思い出す。この女子はつい数時間前までこのグラウンドでボール拾いをしていたサッカー部のマネージャーだ。多分1年であり、制服の名札には宮守と書かれていた。

「さ、宮守。2人にさっきの話を」

 勅使河原に促される形で、宮守が一歩前に出た。

「ご、ごめんなさい‼︎」

 直角に腰を曲げて90度のお辞儀を見せる宮本。何のことか分からず、水戸瀬は首を傾げる。

「えーっと?」

「これ、探してたものです‼︎」

 宮守がスカートのポケットから取り出したくしゃくしゃの紙切れ――それは先刻まで俺たちが探していた領収書だった。

 水戸瀬は目を丸くする。

「こ、これをどこで……?」

「ごめんなさい。私、これが必要な物だってこと知らなくて、ずっと鞄の中に隠し持ってました……」

 どういうことだ?

 そう目線で勅使河原に訴えると、彼は申し訳なさそうに言った。

「どうやら下木田のやつが、購入した備品の領収書はきちんと保管しておく必要があるってことを新人マネージャーにちゃんと伝えてなかったようだ」

 なんだそれ。そりゃ部室の中をあれだけ探してもないわけだ。

 この子に当たるのは筋違いかもしれないが、以後気を付けるようにという意味合いも込めて、さすがに文句の一つでも言ってやろうかと口を開きかけた瞬間――

「ありがとう、正直に言ってくれて‼︎」

 水戸瀬が宮守に抱きついた。

 心から喜ぶ水戸瀬を見た俺は、喉から出かかった言葉を飲み込んだ。今はただ、彼女の感情を優先したいと思ったから。

 宮守が水戸瀬を抱き返す。

「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」

「いいのよ。知らなかったんだもんね」

 さっきまで涙目になっていた人物とは思えないくらい、年下に対して聖母な一面を見せる水戸瀬。怒られると思っていた宮守は、その優しさに思わず泣き出していた。

 ただ、サッカー部に不徳の致すところがあったのは事実。そのことを1番理解している勅使河原は部長として告げる。

「今回の件、サッカー部の部長として重く受け止め、部員たちにしっかり教育していくつもりだ。もちろん下木田にはきつくお灸を据えた上で、今後は迷惑をかけないように徹底させる。だからどうか穏便に済ませてほしい」

 上級学年かつ部長職の勅使河原にそこまで言われては、もうこちらも何も言うことはない。俺は二つ返事で受け入れた。

「分かりました。水戸瀬もそれでいいか?」

 宮守を宥めた水戸瀬は、勅使河原に向き直る。

「勅使河原部長、今後の対応につきまして承知しました。より良い生徒会活動のためにも、ご協力のほどよろしくお願いいたします」

 こうして、色々あった領収書捜索事件は幕を閉じた。

 時刻は午後8時過ぎ。明日も朝から学校かと思うと、どっと疲れを感じずにはいられなかった。

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それ監査委員会が調査します‼︎ おもち。 @omochi4869

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