(6)――「誕生日おめでとう、紫鶴」
ユカリが消えてから間もなくして、スマホが立て続けに通知音を鳴らし始めた。約一週間分のメールやメッセージを、一気に受信し始めたらしい。
このまま眠る気にはなれなくて、僕は床に寝転がり、だらだらとそれを眺めることにした。大半はクーポンのメールや、グループ内でのメッセージのやり取りだ。僕の反応がないことを心配する友達も居たが、夏休みだし実家に帰っているんだろうと、その心配もすぐに流されている。
全ての通知に目を通し、緊急の用事は一切なかったことに安堵していると、新規メッセージの通知がきた。メッセージに既読がついたことで、各方面から安心したことと誕生日を祝う文面が、次々に送られてくる。
つい先週まで、二十歳の誕生日が待ち遠しかったのに。
今は、大切な友達が居なくなる期限となってしまったこの日を、忌々しく思う。
「……いや、それはユカリに悪いよなあ」
独りごちて、僕はそれぞれのメッセージにお礼を返していくことにした。
僕が今日まで大きな怪我もなく生きてこられたのは、ユカリが傍に居てくれたおかげなのだ。僕が自分の誕生日を否定したら、それらも全て否定することになってしまう。
お礼のメッセージを送り、そこから少し雑談のやり取りをしているうち、開けっ放しにしていた窓の外から鳥のさえずりが聞こえ始めていた。もうすぐ夜明けだ。
スマホを部屋に置き、僕はベランダに出た。
街はまだ寝静まっていて、明かりの点いているところもほとんどない。空が白んできているが、太陽はまだ顔を出しておらず、深夜と早朝の気配が入り混じっている。
ベランダの手すりを握り、真下に広がる道路を見下ろす。この高さからなら確実に死ねるだろう、なんて魔が差したことを考え、慌てて首を横に振り、紫色の空を見上げた――そのとき。
「こらーーーー!!」
と。
聞き覚えのある声が怒号を飛ばしてきたと思ったのも、束の間。
目にも留まらぬ速さで、それはこちらに接近してきた。なんだあれ、と思う暇さえなく、防御態勢を取ることもできないまま、僕は謎の知的生命体の体当たりを受けてしまった。
「いってぇ……!」
床に思い切り頭と背中を打ちつけた。部屋に押し戻す勢いで体当たりされたのでは、その痛みも尋常ではない。
「――死のうとなんてしちゃ駄目でしょ、紫鶴!!」
叫ぶようにそう言って僕の上に覆いかぶさる、謎の知的生命体。
聞き慣れた声帯で僕の名前を呼んだ、それは。
「ゆ、ユカリ……?」
僕は思わず、目を白黒させた。
消えたんじゃなかったのか、という疑問がひとつ。
そしてなにより、彼女の身体に大きな変化があったことが大きい。
「馬鹿! 馬鹿紫鶴っ! 馬鹿鶴!」
僕の肩をがっしりと掴み、がくがくと揺らすユカリ。
まずはこの誤解を解かなければ、話が先に進まない。
「ま、待って、僕、死のうとなんて、してない……!」
「紫鶴が死んじゃったら、わたし――って、え? 自殺しようとしてたんじゃないの?」
半ばパニック状態であったユカリは、僕の言葉でようやく我に返り、僕を揺さぶる手を止めてくれた。
「違うちがう、久しぶりに早朝の空気を堪能してただけ」
「な、なんだ、そうだったんだ……」
安心しきったのか、ユカリはへなへなと脱力した。
「さっき約束したばっかりだろ。元気に生きろって」
「そうだけどぉ……」
僕は、それよりも、と言いながら、ユカリの下から這い出して床に座り、ユカリの背後を指差す。
「なんだよ、その背中にあるでっかい翼は」
ユカリの背には、真っ白で大きな翼が生えていたのである。
さっきまで、そんなものはなかったはずだ。
「ああ、これ?」
ユカリがはにかむように翼を見遣ると、それは嬉しそうに震えた。
「なんとこの度、わたくしユカリは、守護霊から守護天使に昇格致しました!」
「天使……? 昇格……?」
簡潔に説明されているはずなのに、全く話についていけず、僕は耳に入った単語を復唱することしかできなかった。
そんな僕の反応を見て、ユカリは居住まいを正してから、あのね、と説明を加えることにしたようだ。
「どうやら、わたしが紫鶴の隣にいた十五年間、ずっと全日本守護霊・守護天使協会ってところで監視されてたっぽいんだよね。それも、一回でも紫鶴に危害を及ぼすようなことがあれば、即座に地獄に落とすくらいの気迫で」
「だけどユカリは、一度もそんなことはしなかった。だから昇格ってことか?」
「そういうこと。この前来たカミサマみたいな人は協会の会員で、どうやらその辺りも話してくれてたみたいなんだけど……」
「説明、ちゃんと聞いてなかったんだな」
「仰るとおりです……。守護霊として在れるのは紫鶴の誕生日までって言葉のインパクトが強過ぎて、ほとんどの説明がすり抜けてました……」
お恥ずかしい限りです、なんて言って、照れ笑いをするユカリ。
「じゃあ、一回僕の前から消えた理由は?」
「あー、あれはね、守護天使になるにあたり、
「研修?」
「ほら、わたしって元々、野良幽霊だったところから自主的に紫鶴に憑いていって、紫鶴のことを護ってたわけでしょ? だから一度、きちんと研修を受ける必要があったみたいで。強制的に向こうに召喚されてました」
「……へえ」
つまり今回の件は、おおよそユカリの確認不足によって引き起こされたというわけだ。
人騒がせも良いところだが、こうして僕の目の前でにこにこと微笑むユカリの姿を見ていると、この程度のこと、どうでもよくなってしまう。
「あ、それとね。守護天使は、対象が死ぬまでずっと一緒に居られるんだって!」
「もう研修とやらはないのか?」
「それは、もしかしたら今後も定期的にあるかもしれないけど。これからはちゃんと、事前にしっかり日程を聞いておきマス」
「マジで、それは頼む。急に目の前から消えるとか、心臓に悪いから」
「ごめんってば」
手を合わせて謝るユカリに、僕は、良いよ、と言う。
「これからはずっと一緒に居られるんだろ? それなら、もう良いよ」
そう言ってユカリに笑いかけると、彼女はより一層眩しい笑顔を見せた。
「改めて、誕生日おめでとう、紫鶴。そして、これからもよろしくね」
「うん。頼りにしてるよ、ユカリ」
そうして僕らは、どちらともなく抱擁した。
ひんやりとしていて、鼓動もないユカリの身体。
けれど今は、腕の中に居る感触がある。
生きている人間と変わらない感触が在ったのだ。
「ゆ、ユカリ、どうして」
一度離れて、このことを尋ねようとする。
混乱して言葉が出てこない僕を見て、ユカリは全てを理解したように、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「実はわたし、パワーアップもしたみたい。前よりもしっかり紫鶴に触れることができるし、一時的になら実体化して、他の人間にも視認できるようになるみたいだよ」
「なんだそれ、すごいな」
「必要とあらば、ユカリちゃん百号まで出せる気がする」
「それはやめて」
夜が明け、太陽がゆっくりと昇ってくる。
夏の眩い日差しは、部屋に二人分の影を伸ばした。
終
紫色の夜明け 四十九院紙縞 @49in44ma
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