第8話 緑色の目の王子


 グリーンアイズドモンスター。緑色の目の怪物。

 とある場所では緑の瞳は嫉妬の大罪を表すと言う。

 

 オーウェンは新緑色の瞳……緑色の目を持って生まれた。

 

 ロンダールは太陽神から血を与えられた男が神託に従い天から妻を受け入れ、二人で魔法と魔導を操って国をつくった……と、されている。

 神が地へ降臨した際に、その玉体を休ませるに足るようにロンダールは衰退を知らない。人の貪欲な繁栄への執着、高め合う事に余念のない努力し続ける事こそ美徳である、といったような土台の上に生まれた精神性がロンダールに永遠の春を呼ぶのだ。

 

 建国から今まで腐り落ちる事なく熟れ、肥え、なお富み続けるロンダール。

 そんな国を治める、神から賜った血を連綿とつづけ続けた王家に生まれる王族は、そのほとんどが太陽神の血を継ぐ証として黄金の瞳を宿していた。

 黄金の瞳を持つものは、魔力の生産と消費を自身のみで完結させる。外界の環境……例えば、魔素濃度が極端に少ない場所や魔力を封じる封環をつけられても黄金の瞳の持ち主は魔法を使うことができる。身に流れる神の血がそうさせるのだ。

 王族が魔を取り上げられるときはえてして最後の息を吐くときだ。それ以外では太陽神自ら王家へと下げ渡された指輪を嵌めることで、魔法の発露を抑えている。

 

 オーウェンが直系としては珍しく新緑の瞳を持っているということはそれなりの驚きを王たちに与えた。オーウェンを調べると身体の作りも多少違い、オーウェンは王族特有の体内の特徴……魔力の自家生産と消費が完結する特異性を不完全に宿し、外付けの燃料源として周囲の魔素を取り込み生きていることが御典医から伝えられる。新緑の眼差しがきらきらと星のように光るとき、オーウェン殿下は魔素を取り込み成長の糧としているのだと。

 

 魔素を燃やして生きる、王族として不完全な身体を持った緑色の目の赤子。


 あまりのことに周囲は王妃の不貞が頭をよぎったものの、王と王妃の婚姻は強力な魔法を用いた契約で、数多の項目を意図して破ってはならないと強固に縛られる。振る舞いや手に入れた情報に関するものに始まり、その中には当然貞操の項目もあるのだ。

 その為に、どう悪意を持とうとも姦通どころか、殆どの男性……もとい、王妃との子を成しえる交わりが可能である者がそういった目的で王妃に触れることができないという覆しようのない環境であることが、王家に新緑の双眸で生まれ落ちたオーウェンの命を守り、王たちが家族に対する愛を疑わずに生きてこれた理由になった。

 

 黄金の瞳。誰もが知る、わかりやすい王族の証を持たないオーウェン。魔素を燃やして生きる緑色の目の王子。

 

 しかして、この世の全てに意味のないことはない。

 

 オーウェンは、宿すべくして新緑の瞳を宿したのだ。

 

   ☆

 

「アルベル、魔障壁を壊す」

「了解です。離れていますね」

 

 オーウェンの周囲が陽炎のようにゆらり、と歪む。

 気配のみでそこにあった不可視の魔障壁が、オーウェンの出す純粋な魔力にあてられ緑に淡く光り始める。

 狩りをする肉食獣が腰を落とし気配を消すように、オーウェンはぐ、と重心を落とし足を確かに踏み込んだ。新緑の眼差しがぱち、ぱちん、と細かな光を瞬かせて、周囲の魔素を纏うオーウェンが「フッ、」と鋭く息を吐く。

 流水の動き。濃密な魔力が立ち上る剣は振るわれた。

 

 下から上へ切り上げ一閃。翻って二、長髪をゆらし凍えるような面差しの三閃。

 

 瞬きのような剣の軌跡を一瞬遅れて自覚した魔障壁がパァン、と弾けるように崩壊する。仄かな光となって消えていこうとする魔法の名残は、オーウェンの瞳がきらり、と輝いた途端にオーウェンの胸元で澄ますブローチへ吸い込まれていった。

 

 アルベルは魔障壁のなくなった瞬間から形をあえて練らずに探索魔法を延ばす。空間に這わせた先から隙間なく溶かすように魔力を操る。アルベルはこの巧みな魔力操作を買われ王子の側近として取り立てられたのだ。

 

「探知にかかりました。人数は、……一人ですね。まったく、良いやら悪いやら」

「手練れか」

「いえそうとも限りません。騎士を落とし令嬢を切り捨て物取りまでしての逃走……早さと思い切りは良くとも部屋の惨状やカタリナ嬢の息を確実に止められなかったことを鑑みると、対人戦闘は少なくともおさめているでしょうが、暗殺や盗みなどを生業にする精鋭ではないでしょうね」

 

「教授と騎士へ状況と犯人の場所を飛ばしました。我々も向かいましょう」とアルベルの声を合図に、オーウェンはたちまちかけだした。

 

 走る。走る。

 

 アルベルが犯人の行先を都度口にし、距離と方向をオーウェンに共有する。不自然なくらいに人のいない廊下。がらんとした教室。窓から見える風吹き抜ける中庭。やけに音が響く長く高い螺旋階段。

 

 走る。走る。

 

 オーウェンの瞳が輝きを増していく。ブローチが渦を巻くように周囲の魔素を取り込み続ける。剣が魔力の奔流を纏いゆらめきを増す。

 

 走る。はしる。走って、走って……、……

 

 辿り着いたそこは、ロンダール学術院の叡智を表す巨大な天文時計塔……その天辺だった。

 

「ああ、見つけたぞ」

「ッ、⁉︎」

 

 ばっと振り返る人影。背は高く、無精髭が目立つが、それをなくせば歳の頃は青年といったところ。髪は手入れのされていない長髪で色は濃い茶、黄味の強い肌をしてギラギラと悪意に濁り切った目の青年はオーウェンたちをギッ、と睨みつけた。足元には赤色……カタリナの血がべったりとついたヴァイオリンケースがぐちゃぐちゃに壊され、執拗に砕かれたらしい二つ分のヴァイオリンの残骸が無惨に転がっている。

 

 アルベルは相棒の哀れな惨状に僅かに目を眇めたものの、それきりヴァイオリンには目を向けず真っ直ぐに愚かな罪人を見つめる。

 

 オーウェンは初めから愚か者しか見ていなかった。薄汚い身なりをした身の程を知らない、唾棄すべき罪人を、オーウェンの春を、愛おしいカタリナを害した、許されざる罪人しか見えていなかった。

 

「な、んでここが」

「お前に選ばせてやる」

「っ、は?」

 

 静かな声だった。抑揚は少なく、声音に乗る感情も薄い。

 

「今ここで大人しく捕まり、首を落とされ死ぬか」

 

 緑が、新緑の瞳が光る。魔力をばち、バチッ、と弾けさせ、目の前の害虫へ圧をかけた。はっきりとした質量をもつ魔力の圧を。オーウェンが口を開く。

 

「僕に細切れに殺されて死ぬか」

 

 オーウェンの姿が一瞬ぶれた。

 

 ゾッと、怖気の走った心臓が次の脈を打つ前に青年はほとんど反射で……人間ではなくヒトという動物の本能でその場から飛び退いた。

 

 ヒュッ、と微かな音が青年の目前を掠め、浮いた前髪が切り落とされる。……、……緑色の目が、青年を見ている。冷えた眼差しで、逸らすことなく青年を。

 

「首が良ければ避け続けるといい。なに、安心してくれ! 僕は優しいから、すぐには殺さないさ」

 

 あたりに冷気が立ち込めていく。オーウェンの激情が辺りの魔素を冷やし、空気を凍らせているのだ。

 

 にこり、と。オーウェンが微笑って踊るように一歩、穏やかな午後の雰囲気で踏み込んで、一拍。

 

 瞬いた剣先の軌跡を、赤い鮮血が追った。

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カタリナの悪辣 西浦なとり @natori_25

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