第7話 若木に集る身の程知らず 後
息が苦しい。全ての音が遠いのに、心臓の鼓動はやけにうるさい。
くらりと視界が回って腰が抜けそうになり、冷たい汗が額を流れた感触が肌を蛇のように這う。オーウェンは「ここで気を失うわけにはいかない」と殆ど無意識で親指を握り込んでバチチッ、と魔力の塊を電気として流し、辛うじて横倒しに倒れることだけは回避した。
だが、オーウェンの視線は細かく震え正気を失っていることは明らかだ。オーウェンの変則的な呼吸音に、騎士へ駆け寄り安否を確認するアルベルはまだ気がついていない。
「あ、ああ! オーウェン殿下っ、アルベルさま……! どうか、どうかカタリナさまをお助けくださいッ! どうか……! か、カタリナさまが、カタリナさまの血が! 止まらないのですっ!」
——あかい。血だ。血。止めなければ。止めないと。血を失いすぎるとだめだ。駄目だ。死んでしまう。カタリナがしんで、し、んでしま……、……し、ぬ? だれ、が、……ああ、!
「カタリナ、」
身体が動く。オーウェンは周囲のやけに少ない魔素を無理やり吸い上げ燃やし、底上げされた魔力を練ってカタリナの傷口へ治癒の魔法をかけ始めた。魔導では足らないと経験が言っていたから。
——治れ。巻き戻れ。なおれ。消えろ。傷よ、カタリナよ、たのむ……治って。どうか、頼むから治ってくれ
……オーウェンの脳みそは頭蓋いっぱいに膨れて茹るような、そんな感覚だった。血液が沸騰しているのだと錯覚するように全身が熱を持ち、汗がたまのように次々と浮き出てくる。完璧な治癒をもたらそうと練り上げた魔力の勢いと圧に、まだ出来上がりきっていない身体が追いついていないのだ。回路がジリジリと焼き切れそうなほどの熱と痛みを訴えているが、オーウェンはギリギリまで出力を抑えようとしなかった。……いや、抑えようと、できなかった。
「お願いですオーウェン殿下! どうか……ッ」
「わたくしたちの魔法と魔導では傷を塞げないのです! これ以上は、カタリナさまが……!」
オーウェンへと場所を開けた二人が、ずっとカタリナへ声をかけ続けたことがわかる殆ど枯れかけた涙声でオーウェンへ縋るように口にする。一年生の、未熟とはいえロンダール学術院に通う二人の院生の行使する魔法や魔導でも止まらない出血。絶えず溢れる血をなんとか止めようと必死でカタリナの腹部の傷を圧迫したのだろう、片方の女生徒の両手は真っ赤に染まっていた。制服の裾も血で濃く染まっている。
騎士が事切れていることを確認したアルベルは、二人の女生徒の顔にはた、と意識の引っ掛かりを覚え記憶を引っ張り出す。「ああ、」と思い当たった名前と顔を合わせた後、間違いないだろうと声をかけた。
「失礼。ミッドフォード伯爵令嬢とスコット子爵令嬢とお見受けします、あなた方は何故ここに? 教授や騎士へ連絡は? お二方は管楽奏でしたよね、次は弦楽奏ですしお二人の発表は後ろのはずでは」
探るようで冷静さが冷たい冷気のようにも感じられるアルベルの視線と矢継ぎ早に重ねられる声音に、二人は緊張に締まる喉を必死に広げてもつれる舌を動かす。後ろ暗いところや誤魔化すような色はなく、アルベルも真剣に話を聞く。
「わたくしたち、本番前に一緒に、れ、練習しましょうって、! 何度か通して、よ、より素敵に演奏しましょうって……すこし近道して、管楽の控室にむ、向かおうとここを通ったら、き、騎士が……カタリナさまが!」
「きょうじゅ、教授と騎士へはわ、わた、わたくしがっ! わたくしの言伝鳥を飛ばしました! でも、来なくて、! 言伝鳥が途中で何かに解かれて、……!」
「なんですって、? 解かれる?」
言伝鳥。魔力を込めた言葉を鳥の形にして遠方へ飛ばす魔法。魔法との相性が悪い者でも使える簡単な連絡方法で、魔法との相性が良くなく器も小さい傾向にあるとある下町の者も、多少の練習をこなしていれば近隣程度であれば飛ばすことができるようになる。
魔導では鳥の形ではなく、蝶の姿をとって飛ばされるのだ。強度も魔法のそれより幾分劣る。
——比較的容易ではあるものの、魔導ではなくれっきとした魔法である言伝鳥が途中で解かれる、と、なると……、……
アルベルは聞いてすぐに言伝鳥を飛ばし、追わせるように探索用の魔法を鳥型にし飛ばす。すると確かに人とかち合う前に魔法が解ける感覚が探索魔法から伝わってきた。その感覚も一瞬で失われてしまったが。
——この感覚には憶えがある。これは……
「……くそ、魔障壁がはられているのか。言伝鳥が越えられないとなると魔導ではなく魔法産。私の魔法も解かれることから早期解決に欠かせない初動を任せられる遠隔の魔法を潰すことに特化している……チッ、厄介な」
アルベルが控室の気配を探り、迎撃できるよう手元に魔力を集めながら扉を開け部屋の被害を確認する。赤く濡れる椅子や机……この赤色はカタリナ嬢のものだろう。犯人は自分についたカタリナの血が残す指紋などの証拠は気にしていないのかあちこちについている。床は持ち込んでいた楽譜が散乱し血液の足跡に踏まれぐしゃりとシワになり破けているものもあった。
——ヴァイオリンは、無い、か
「カタリナ、カタリナ……」
アルベルは部屋から出ると、カタリナの治癒を終えてなおそばから離れずにひたすらカタリナの名前を呼び続けるオーウェンへ報告をする。取り敢えず耳に入ったものは全て頭に入るオーウェンに対してだからできることだった。
「オーウェンさま、ヴァイオリンがありません。中はほどほどに荒らされていましたが目立った破壊の痕跡が見当たらないのでおそらく諸共持ち去られているようです。カタリナ嬢を害したのもおそらく同じ輩でしょう。下手人は一人、二人……騎士を制圧したのです、三人以上もあるかもしれない」
まず一度に話をしてしまってから正気に戻す方が効率がいい。オーウェンの返事を待たずにアルベルは続けた。
「魔障壁が張られているのでこの場からの遠隔の捜索が出来ません。ヴァイオリン盗難は兎も角、騎士の殺害及び令嬢への明確な殺人未遂という大きな犯罪被害が出た以上これより先の発表会は中止です。追うにしろ、騎士へ任せるにしろ、犯人が逃げおおせる前にすぐに動きましょう」
ぺろ、と、いつのまにか乾いていた唇を舐めるアルベル。オーウェンは未だに恐慌状態だ。
「カタリナ、……、……」
「オーウェンさま」
「……、……」
「オーウェン殿下。聞いてましたよね、どうしますか。追いますか、報告を優先しますか」
「……、……かたりな、……」
すうっ、と、息を吸う音がして、一拍。
「オーウェン・ロンダール‼︎ しゃんとしろッ‼︎」
雷鳴のような怒声にバチン! とオーウェンの正気が戻った。瞳の揺れがおさまり、呼吸が安定する。
「ッ‼︎ あ、るべる…………、……カタリナ、お前を傷つけた輩を片付けてくる。どうか待っていて」
決意を込めた声音だった。オーウェンの切れ長の肉食獣の如し双眸に嵌め込まれる新緑の瞳に力が宿る。渦巻く魔力が瞳から瞬いているのだ。
オーウェンの様子に頷いたアルベルが、カタリナを助けようと尽力してくれていた二人へ胸元から取り出した宝石をハンカチに包み「これを。あなた方はカタリナ嬢についていてくださいますか」と言いながら手渡す。美しい魔導のしるべが彫られた、手のひらに収まってしまう大きさのそれを見た二人は「そ、れは、構いません。ええ、平気です。ですがあの、……、あ、アルベルさまこれは、いったい?」と、カタリナの傷が塞がれ血が止まった様子を確認し、確かに上下する胸元を目にしたことで落ち着きを取り戻しつつある呼吸を深くして、おず、と口にした。
「ありがとうございます。これは障壁を張る魔導が刻まれている宝石です。この彫られた魔導はしるべを詠んだり、なぞったりする必要はなく彫られた物体……今回は宝石が割れることで発動します。魔素は含まれているのでもしもがあったら躊躇わず思い切り床へ叩きつけて。女性の力でも割れますから」
ぱち、と目を瞬かせて宝石とアルベルを見た二人に、オーウェンも「すまない。カタリナを頼む」と静かに告げる。
「はい、! お任せください、っ!」
「ええ、わかりました! ……カタリナさま、カタリナさま、……! わたくしたちがお側におりますわ……っ!」
カタリナの頬を撫ぜ、冷えた頬の哀れに拳を握って立ち上がったオーウェンはカツン、と靴底を鳴らしてアルベルへ視線を向ける。
「アルベル、僕についてきてくれるか?」
「当然です」
即答したアルベルに満足げに顎を上げたオーウェンが己の胸元のブローチをつ、……と撫ぜる。そのブローチの本来の姿を知るアルベルは、犯人の末路を悟り冷笑した。
——身の程知らずが。オーウェンさまのものに手を出して、無事でいられる筈がない。
濃密な魔力が練りあげられ、瞬く間に鋭い剣となってオーウェンの手元に現れる。激情とは裏腹に、オーウェンの頭はひどく冴えていた。
——僕の春。僕の花。僕の恋のかたち。僕の、オーウェン・ロンダールの宝。春を纏う月光を溶かした真珠。ああ、待っていてカタリナ。コトを済ませたらきっとすぐに戻るから。
「害虫駆除だ。塵も残さん」
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