歌詞から短編小説「カモメ」
edge
カモメ
入院中の彼女と彼女の親友と病室で、テレビニュースをただボンヤリと眺めていた。
昭和44年7月
アポロ11号が月面へ降り立ったニュースが連日テレビをにぎわせていた。
「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」
人類ではじめて月面へ降り立ったニュー・アームストロングの一言がいつまでも耳に残っていた。
「人間が月へ行けるのに、なんで君の病気は治せないんだろうね?」
現代医学の全てを注ぎこめば彼女の病気は治るんじゃないかと期待する。
そしてそれを本気で願う僕は、テレビから視線をそらさないまま無意識につぶやいていた。
彼女は他にも何か言いたげにタメ息まじりに言った。
「私の病気が治せたところで月に行けるわけじゃないでしょう? ねぇ?」
僕と同様にほぼ毎日見舞いに来ている彼女の親友に、彼女が投げかける。
彼女の親友は、おそらく僕寄りの思いが頭をよぎったのか、微妙な間を置いて「だよね」と彼女に同意した。
しかし、治療方法さえ見つからない君と、そしてそれを見守ることしかできない僕が、どうすれば大いなる人類の飛躍に歓喜できるというのだ。
一歩踏み出す
そんなことを知らないアームストロングには悪いが、当時の僕の目には大したニュースには映らなかった。
二人が付き合い始めたのは高校生の時だった。
テニス部のキャプテンをつとめていた彼女は、はつらつとした日焼け顔のまさしく少女らしい少女だった。
やがて同じ大学へ進み、就活も終わり、卒業旅行を控えた大学4年の6月に、彼女は発症した。
正式に婚約をしていたわけではないが、お互いに、お互いの両親とも仲良く、そうなることが当たり前のように二人の全てが動いていたし、そこには何の障害もないはずだった。
二人の未来は二人で一つの人生になるものと確信していた。
治しようのない病気はいつの時代にもあるものだ。
しかしそれはそれに直面しない者にとっては、月面着陸と同様にテレビや新聞のものでしかない。
発症当時、彼女は死をも覚悟しなければならないかもしれない病気を受け入れられず、毎晩泣きはらし、僕と彼女の両親も目の当たりにした現実を受け入れることが出来なかった。
僕たちには彼女の病を見守る他に、もう1つの覚悟をしなければならなかった。
もしかしたら、彼女のいない世界で生きていかなければない現実を受け入れなければならない覚悟を、心の片隅に用意しなければならないのだ。
彼女の病が進行しているからといって、外出できない日が無いわけではなかった。
僕の休みに合わせて、彼女はシビアに体調を管理していたらしく、外泊の許可を主治医に申し出た。
そりゃ病気だからいつも彼女の思い通りに行くわけではなかったが、よほどの事がないかぎり、金曜日の午後から日曜日まで実家に泊まり、月曜日から金曜日まで入院生活を送る、というサイクルだった。
彼女が外泊の許可をもらうと必ず
彼女は毎回ちがうルートで行こうと毎回僕に懇願した。
その時の彼女の瞳はいつにもなく気迫がこもっていた。
僕はそれをさりげなく了解した。
彼女が喜ぶからだ。
彼女は助手席で、ハンドルを握る僕の横顔を、カメラでこっそりふざけて撮ったり、ウトウト眠たそうなふりをして、彼女の顔を伺うために接近した僕の顔に、突然ニッといつもの笑顔を向けて脅かしたりしてみせたりして、その時も当たり前に楽しい時間は過ぎていった。
どんなに遠くへ行って疲れていても、帰りしなには必ず海岸線のパーキングへ停車して、車中からカモメが空を漂う水平線に浮かぶ夕日を眺めながら、僕らはいろんな話をした。
今までの人生をたどるように、これからの未来が現実に訪れるのが当たり前のように語り合った。
しかしある時、いつだって当たり前に特別で楽しいはずのドライブが、彼女の一言が発端で大喧嘩したことがあった。
もう少しでいつもの海岸線のパーキングだった。
「来週はどこへ行こうか?」
口を開いたのは僕からだった。
「この世の全てを見るまで死ねないわ」
「死ぬとか言うなよ。死なないよ」
死という言葉を彼女が発した時点で僕はキレていた。
言い方が悪かった。が、それが良かったのかもしれない。
彼女が止め処なく本心を語ってくれたからだ。
「本当にそう思う?入院してたって治療と言う治療もないのよ?決まった時間に体温や血圧を測ってそれを記録して、主治医は体調を問診するだけで、定時の点滴だってただのビタミン剤。治しようのない病気になって、いつ死ぬかもわからないって告知されて、生きていく勇気が湧く人なんているの?
教えてよ。ねぇ、教えてよ。
私は1年後のあなたが、何をしているのかも知らないのかもしれないんだよ?」
彼女はもともと喧嘩やいい争いが嫌いな性格のせいか、うつむき、声を荒げるのがやっとのようだった。
僕は彼女の本心に応えなければならなかった。
ここで慰めたり、落ち着かせるのは僕の愛し方ではなかったからだ。
僕と彼女はお互いに主張しあい、尊重しあい、時には衝突しながら二人の未来を一つに作りあげていくのだ。
それが二人と言う単位を一つにする術だと思った。
「そうだ、君は死ぬかもしれない。生き続けていくのかもしれない。僕は生き続ける方に賭けなければならないし、万が一、万が一君がいなくなったら、その現実を引きずりながら一生生きていかなければならないだろう。
君は僕で僕は君なのに、今ここに二人でいるのに、どちらかがいなくなってしまうなんてこと…想像できるわけないじゃないか。」
僕は彼女の前で不覚にも涙を流してしまった。
手立てのない現代医学と、無力な自分に悔しさがこみ上げたのだ。
でも弱音を吐いちゃいけない。
彼女が生きているのに、その病魔に僕らは負けてはいけないからだ。
きっと将来「そんな事もあったよね」って年を取った僕の横で、笑っている
アポロが月面着陸してから3ヶ月経っていた。
彼女の外出許可が減り、病魔は確実に彼女をむしばんでいった。
二人が付き合い始めたあの頃の、日焼けした少女の面影はなくなり、彼女は白くやせ細っていった。
あの大喧嘩以来、彼女は前向きに穏やかに過ごしていた…と言うより強くなっていった。
外出をねだる僕に「病室と思うから特別なのよ。だってここが今の私が暮らしていくところなのよ?」と、僕がたしなめられる始末だ。
僕は相変わらず彼女以外に想うものはないし、彼女になんの隠し事もないはずだった。が、唯一彼女の親友と隠し事をしていた。
彼女の親友はすでに全てを準備していた。
「11月、雪が降る前にあなたたちの披露宴をしよう!」
考えてもいなかった。
病気が治ったら結婚式をしよう。
それが僕と彼女の将来への願懸けだったからだ。
戸惑う僕に彼女の親友は言った。
「友達が主催なんだからいいじゃん!あの娘が退院したら本当の結婚式よ。会場も押さえてあるからパジャマでも何でもいいから連れてきて!」
そう言い放ち、僕が答える間もなく去っていった。
秘密の披露宴を知らないのは彼女だけだった。
彼女も僕に隠し事をしていた。
彼女の母親から聞いていたのは、最近自力で起き上がることができず、僕が見舞いに訪れる時間帯になると、彼女は母親に起こしてもらっていたことだった。
毎日会っていてもわかるほど、少しづつ、少しづつ換えたてのシーツに同化するように彼女は白く透けていくように見えた。
それとは反比例して彼女の瞳は、凛として輝きを増していった。
笑顔と冗談のたえない病室からは、いつも笑い声がもれていた。
自分に未来はあるのだと、訪れる毎日に応えようと彼女は確かに生きていた。
金曜日の夜、僕は主治医に外出許可をもらいに言った。
僕の勢いにうなずくしかない主治医を尻目に、僕は足早に彼女の病室へ向かい、得意げにドアを勢いよく開けて笑った。
彼女はいきなり笑いかける僕にあっけに取られているうちに、病院から披露宴会場へさらわれてしまった。
控え室でドレスに着替えさせられた車椅子の新婦とそれを押す新郎。
テーブルが円形に組まれた、ど真ん中のステージはバリアフリーの360度見渡せる彼女特製のステージだった。
ステージの周りで彼女の知る面々が拍手で迎えてくれていた。
何が起こっているのか理解できない彼女の前にひざまずき、僕が彼女の左手の薬指に、指輪をはめようとしたところで彼女は何が起きているのかを理解できたらしい。
婚約指輪をはめようとしている僕の腕を振り払い、彼女は泣いていた。
ぼろぼろと…という言い方しか出来ないほどの涙を流していたが、それは彼女のうれし涙ではなかった。
「帰して、病院に帰してよ。嫌だよ。私の知らないところでこんなこと…」
僕の袖を力いっぱい引っ張って彼女は泣いていた。
「何で?みんなが、しかも君の親友が企画してくれたんだよ?楽しもうよ?みんな祝ってくれてるんだから」
「楽しくなんかないよ。楽しくなんかないよ…これじゃあまるで、私が死ぬ前に披露宴をしてみたいって思ってるみたいじゃない!こんなの私たちの披露宴じゃない!二人の結婚式は病気が治ってからよ!」
大きな声だった。怒ったのだ。
結婚式や披露宴は未来ある二人のためにあるものだ。
それを悟っていながら僕は、彼女の親友に担がされたことを後悔していた。
この披露宴を主催した彼女の親友が、静まり返る会場のステージに上がり、彼女に言った。
「よかった。私はあなたがあきらめてるんじゃないかと思って心配してたのよ。彼が病室に来る前に、ベッドから自分で起き上がることが出来ないことを彼に隠してたでしょう?ベッドからあなたを起こすのはお母さんじゃなくて彼なのよ?その意味がわかる?
本当だったらあなたたち今頃結婚してたよね。たまたま、あなたが病気でこの時期に結婚式できないから祝ってあげたかったの、親切の、おせっかいの、押し売りだけど…」
隠しごとへの後ろめたさから、彼女の親友は困惑していたがさらに続けた。
「あなたたちの本当の結婚式には出席させてもらうから、私たちからの仮の披露宴を受け取ってくれる?」
彼女の親友も泣きながら本気で怒っていた。僕に体調の悪さを隠す彼女の姿に、弱気な一面を見たからだろうか、それとも容姿を変えていく彼女の病魔に対してだろうか。
多分、どちらにもだろう。
場違いだが、なんて大がかりなエールの送り方だ、と思ったが、それが親友や出席者からの心のこもったメッセージだった。
彼女はしばらくうつむき、大きく息を吸い、顔を上げると、いつもの笑顔で、彼女の親友に顔を向けて、ニッと笑い、そして大きな声を振り絞って叫んだ。
「みんな、今日は本当にありがとう。必ず元気になって本当の結婚式と披露宴を挙げたいと思います!」
会場中から大きく、そしてあたたかな拍手や声援が湧きあがり、無事に?仮の披露宴は終了した・・・
翌月、つまり12月に彼女はこの世からいなくなってしまった。
涙も声も、自分の存在すらもなくなるほど泣いた。
彼女はもうこの世にはいない。
いくら頭ではわかっていても、胸に手をあてるたび
初七日を終え、慰問客が去った仏壇に線香をあげていた時、不意に彼女の母親が僕の横へ正座して、丁寧にブライダルベールの白い花びら色をした綺麗な封筒を差し出した。
「これ…」
「なに?」
「あの子、みんなに手紙を残していたの、友人や私たち、あなたの両親にも・・・」
渡された封筒は大切なものがたくさん詰まっていそうで、その日はうまく開けられなかった。
次の日、彼女の手紙を助手席へ乗せ、ドライブへ出かけた。
いつものように帰りしな、海岸線のパーキングに停車したまま彼女と話をしていた。
もちろんリアルに彼女と話しているわけではないが、彼女がとなりにいるような気がして夕日を眺めていただけだった。
彼女はもうこの世にはいない。
沖を飛び交う2羽のカモメは、所在ない僕の心のように空を漂うだけだった。
二人で過ごした時間や場所はたくさんあったが、ここで手紙を読むことにした。
封筒の中には二枚の写真と一枚の手紙が入っていた。
例の仮の披露宴の集合写真と、今いるこのパーキングで彼女が撮影した夕日に映る僕の横顔だった。
〜ありがとう〜
ありがとう、あなたに逢えて良かった。
ありがとう、それが全てです。
ありがとう、どうか悲しまないでください。
空に帰る時がきただけのような気がします。
私はこれから、いつもの海岸線のパーキングで眺めていた、沖のカモメにでもなって空を漂うのかな?
ありがとう、たくさんドライブへ連れて行ってくれて。
あなたを想うとき、いつもこの写真の横顔が浮かびます。
いつも違う景色の中、あなたの横顔を見ながらドライブしたけれど、あの海岸線のパーキングで見るあなたの横顔が一番お気に入りでした。
ありがとう、私に未来をくれて、ありがとう…
~ 彼女はどんな想いでこの手紙を書いたのだろう ~
涙の跡が残る手紙が僕の胸を強く打ち続けていた。
その大切な手紙をさらに僕の涙で重ねてしまった。
家へ帰るとTVでは相変わらずアポロ11号の月面着陸のニュースが流れていた。
「もう見飽きたな」と
もしも、もう一度
偉大な人類の飛躍的な一歩より、大切なものもある。
助手席の窓に広がる水平線。
永遠に
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原詞
~ カモメ ~
もう一度君に逢えるとしたなら
月にいたって今すぐ駆けつけるよ
偉大な人類の飛躍的な一歩より大切なものもある
助手席の窓に広がる水平線
君とよく来た海岸
永遠に君の瞳閉じたときから
波の上漂うカモメ
あわせた
冷たい
病室のベッドで痩せてく白い肌が
シーツに溶けてくように
永遠に君を思い続ける愛は汚れることはない
見守るしかない無力な涙こらえて微笑んだ秋の終わり
悲しまないで空に帰る時が来ただけだと
君の声が聞こえる
あの日の浜辺に
胸打つ命の衝動に訪れる
瞬きを忘れるくらいに眩しく強く生きた君に
もしも もう一度 逢えるとしたなら
月にいたって今すぐ駆けつけるよ
偉大な人類の飛躍的な一歩より大切なものもある
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