アイルビーバックと、アイラブユーで韻を踏んで

@sanbun_ao

第1話

人の波に溺れながら、座席の埋まった地下鉄の手すりに捕まる帰路。

地下鉄は嫌いだ。

まるで、地下を走る強大な大蛇のようで、乗客の人数に関係なく息苦しさを覚える。

文明開化の音も、いまや巨大な化け物の胃の中から聞こえるんだろう。

コンクリと鉄骨の隙間、ときたま見える光が好きだ。

この大都会で、か細く生きている自分とよく似ているから。

スーツの群衆に押し込まれた肩を少し緩めて、地下鉄を降りる。


この街に住んでから、一年半。

コンビニの場所をやっと覚えて、人通りの少ない静かな路地を見つけて、昼夜ともに明かりが消えないお屋敷を見つけた。

様々な見知らぬものを、見つけた。

田舎から越した自分が、駅までまっすぐ帰れる程に。

だから、いまの今まで気付かなかったのだろう。

地下鉄の駅を出て、すぐの裏路地。

煌々とした自販機を両隣に揃えた暗がりから、星が見えた。


弱々しく、でも確かな赤光。

その光を掴もうと、何故か腕を伸ばす。

意味がわからない自分の行動に、生活の限界を感じると共に、この腕がこのまま夜空を裂き、星を手にできる気がして、どこまでも、何処までも、手の甲が骨ばって筋が浮くほど、伸ばし続けた。

そうして、私は星を手にした。


赤い光が、手のひらで、ちり、ちり、踊る。

丸めたアルミホイルが、皮膚の弱い部分で転がされたようなむず痒さ。


この熱は、私の夢を目覚めさせる。

このまま触れ続ければ、今の職場の辛さを忘れて、いつか思い描いた夢の一歩に近づけるような予感。

自分の頭が不明瞭な霧を巡らせ、この状況の理解を阻む。

この音は、私の鼓動と憎しみだ。

毎日紛れる人混みが見知らぬ誰かで、その冷たさを非常口の緑でしか癒せぬ孤独。

現在の明かりが、自分の異常を明るく照らして、星は何処にも行けぬと、恐怖で脅す。

この星は、私だ。


弱々しい光は左回転を数回したあと、段々とゆるやかに、速度を落として、てのひらで柔らかく溶けゆく。

あぁ、空に返さなきゃ。

街が明るすぎたから?

私が腕を伸ばしたから?

空と地上を繋いだから?

逃げ道を外に望んだから?

欲する気持ちが、届いてしまった。

罪悪感を胸に、手を空に。

星は空へ帰り、私も家に帰った。


その夜。

布団の中で未発見が形を成して、脳内を満たし、鼻や目から溢れ出して飛び起きた。


鼻水やら、涙やらで顔がぐちゃぐちゃになったのを拭き取り、熱を測る。

38.9°。

夜風に当たりすぎて、風邪を引いたのだった。


一体、あの夜に何があったのか。

あの日見た星は、夢だったのか。

それとも、ただの高熱の幻覚だったのか。

この掌にあるものは、絆創膏の裏で、ちり、ちりと痛む切り傷だけだ。

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