原作小説がある男の人生

藤想

原作小説がある男の人生

 皆さんの人生に、原作小説はあるだろうか。


 ……つまり皆さんの人生が何らかのメディア作品、アニメや映画や漫画だとして、その人生に原作小説はあるか?という話だが、多分皆さんは否定したくても完全に否定できずにモヤモヤするのではないだろうか。誰も自分の人生が誰かの見ている映画ではないと言い切ることは出来ない。


 実は私の人生には、原作小説があるのだ。そして私の人生は原作に色々脚色されているので微妙な違いがあり、それを私は認識できる。これは面白い。例えばこれだ。今日私の自室には2024年現在最新式のPCが、周辺機器も込み込みで全てまともに使える形で揃っている。が、私の原作が刊行された頃にはまだPCは一般的なものではなかったので、原作の私の自室にはノートや本や筆記用具が置かれていただけだったのだ。

 こういう原作との違いを楽しむのも、原作のある作品の一般的な楽しみ方である。


 さて、登場人物にも大きな違いがある。私には母と妹がいるが、原作には父親もいた。どうやら私の人生を作った製作者は父親のエピソードをばっさりカットするために父親を存在ごと消したらしい。


 「お兄ちゃーん」


 妹が呼ぶ声がする。私は妹に返事して一階に下りた。


「お兄ちゃん、パンとごはんどっち食べる?」

「パンが食べたいな」

「じゃ、焼くね」


 制作者の意向により、妹は親と兄に反発するギャルじみたキャラから、お兄ちゃん思いで優しく賢い妹に設定が変更された。その方が人気が出ると判断したらしい。

 この変更から推測するに、私の人生は商業主義的なメディア作品で、キャラクターグッズも出ればブルーレイも出る大衆向けの娯楽作品になったのだろうか。

 私の人生を観賞している人が期待しているのは、これから登場する学園のヒロイン、A子の存在だろう。A子というのは原作での名前で、この人生ではもっと現実味のある名前に変わっているかもしれない。


 私は自分の高校へ登校した。学校生活や学校内の様子は特にこれといって原作から変更点は無いが、学校の場所が神奈川から東京に変更になっている。


 昇降口で不審者がA子を人質にしてナイフを振り回している。これは原作では第三章のエピソードだが、この人生では構成の関係で第一話に移動させられているらしい。原作を読んだことがある私としては、こんなことで動揺していられない。


 早速A子を助けるために不審者の隙を見て不審者に足払いを──


 ここで、ある重大なことに気が付いた。気が付いた時には、遅かった。


 A子を助けるために不審者に向かって行った私はあっさりナイフで胸を刺されてしまう。この時、私はなにか、よくないことがこの人生に起きていることを察した。まだ確信したくなかったが本能はもう知っている。


 A子を助けたのは、確か原作ではユキヒコと呼ばれていた男で、主人公(つまり私)を凌ぐ人気があった。その彼が、A子を救出している。

 まさか。いくら人気があったからって、元主人公を殺さなくても……これも、原作をより盛り上げるための演出……。


 ………


 展開が原作と違い過ぎたので動揺したが、その後私は病院へ担ぎ込まれ、A子がお見舞いに来てくれた。リンゴをするすると剥いて食べさせてくれるA子。ユキヒコも遅れてやって来る。


 これは想像だが、原作一巻でユキヒコの見せ場が少なかったことを気にしたスタッフがA子の救出ミッションをユキヒコに分担させたということだろう。ユキヒコめ、良い思いをしているな。事情は理解できるが、肝が冷えた。


 さて、これからまた学園は様々な危機に見舞われるわけだが、全く切り抜けられる自信がない。原作の残酷描写が放送コードなどに引っ掛かってくれることを願うばかりである。

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