盗まれたプラネタリウム

平 遊

〜もう、いらない〜

 大好きで大好きで、一緒にいられなくなるなら死んだほうがマシだと思うくらい大好きだった彼に振られたのは、ひと月前のこと。

 勇気がなくて死ぬこともできなかった私は、大学にも行かずに部屋に籠もって、生きる屍のようにただ息をしているだけだった。


 カーテンも閉めて昼夜問わずに部屋を暗くして、部屋の中央に小さなライトを置いて。

 そのライトを点ければ、私の小さな部屋も、宇宙の中にいるようなプラネタリウムになるのだ。

 もう彼に会うことも叶わない、連絡すら取ることも叶わないなら、せめて彼との幸せな思い出の中に埋没していたい。

 そんな思いで。


 初デートは、当時できたばかりのお洒落なプラネタリウム。

 初めて手を繋いだのは、昔ながらの老舗のプラネタリウム。

 初めてキスをしたのは、少し遠出をした先の、こじんまりとしたプラネタリウム。

 彼と初めて肌を合わせた日。

 家まで送ってくれた帰り道に見上げた夜空は、まるでプラネタリウムみたいに星がたくさん輝いていた。


 たくさんの輝く星たち。

 あの星たちを、私はこれからも彼と一緒に見続けていけるのだと信じていた。

 初めてを全て捧げた彼と。


 だけど、彼は違ったのだ。

 そう思っていたのは、私だけだった。

 彼にとっては、男慣れしていない私が珍しかっただけ。

 私はお金の掛からない、ちょうどいい遊び相手だったのだ。

 彼にとっての私は、たくさんある星のひとつに過ぎなかったのだろう。


 わたし、どの星だったのかな。

 やっぱりあの、目立たない暗い星だったのかな。

 お腹、空いたな……なんでこんな時にまで、お腹って空くんだろうな、情けない……


 なんて、枯れたはずの涙がまた、溢れてきた時だった。


 激しく叩かれるドア。


「いるんだろ! おいっ、開けろっ! 開けないなら警察呼ぶぞっ!」


 この声……


 力の入らない体をなんとか起こし、玄関までヨタヨタと歩いていって鍵を開けると、思い切りドアを開けられた。

 支えを失って倒れそうになる私の体が、強く抱きしめられた。


「……ばかっ。だからあんなヤツやめとけって言っただろ」


 何故だかその声は震えていて、そいつは泣いていた。

 そいつの言う通り、私はそいつに、彼との付き合いを猛反対されていた。

 彼とそいつは仲間だと思っていたから、私はそいつのことを、仲間である彼を悪く言う酷いヤツだと思っていたのに。

 そいつは今、私を思って、私のために泣いているのだ。


「な、連れて行きたいとこがあるんだ。行こう?」


 そいつに手を引かれるままに部屋を出ると、外も夜。曇っていて星が見えないのが、せめてもの救いだった。

 そいつの車の助手席に乗り、黙ったまま窓の外を流れる景色を見ていた。

 どこに向かっているかは、聞かなかった。

 少しずつ、夜の色が薄らいできて、朝が近づいてきているのが分かった。


「着いたぞ」


 助手席側のドアが開く。潮の香りがした。

 そいつに手を引かれるままに歩くと、海辺に出た。綺麗な水平線が見える場所だった。


「もうすぐだ」

「なにが」


 暫く誰とも喋ってなかったせいか、しゃがれた声しか出ない。そいつは泣き出しそうにも見える笑顔を見せて言った。


「朝日だよ」


 水平線に顔を戻した途端、眩しい光が幾筋も水平線から立ち上った。

 ぼんやりと眺めているだけだったのに、何故か涙が溢れてきた。


「星はたくさんあるけどさ、太陽はたったひとつだ」


 そいつは私の方を見て、そんな当たり前の事を真剣な顔をして言った。


「星も綺麗だとは思うけどさ。俺ずっと、こうやって一緒に朝日を見たいって思ってたんだ。たったひとつの太陽を、君と一緒に。できれば、これからも。だめかな」


 太陽の光が、仄かに暖かい。久しぶりに見た太陽。こんなにきれいだったっけ、なんて思いながら、私は口にしていた。


「夕陽も、見たい」

「おぅ! 見よう!」


 そいつの手が私の頭の上に乗り、ボサボサの髪をさらにクシャクシャにする。

 暫くお風呂にも入ってないのに、私。


「汚いよ」

「だろうな」

「帰る」

「分かった」


 白い歯を見せ、そいつは笑った。

 私は再びそいつの車で家まで帰ってきた。


「あーあーもう! 風呂入って来い! その間に片付けとくから!」


 当然のようにそいつも部屋まで入ってきて、締め切っていたカーテンを開け放った。部屋は恥ずかしいくらいに汚れていたけど、そいつは構うことなく片付け始める。だから私は、そいつの言葉に甘えて久しぶりにゆっくりとお風呂に入ることにした。


 お風呂から上がるともう、そいつは居なかった。部屋は綺麗に片付いていた。

 そして、無くなっていたものがひとつ。

 それは、部屋の中央に置いていたライト。


 どうやら私のプラネタリウムは、あいつに盗まれてしまったらしい。

 ライトだけではなくて、私を振った彼との思い出のプラネタリウムも、根こそぎ全て。

 だけど代わりにあいつは、眩しくて暖かい太陽を置いていってくれた。


 だからもう私には、プラネタリウムは、いらない。


【終】

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