第2話 ある日ある朝森の中で。

 その国はとても平和だ。

 そこに住んでいる人はもちろん、近隣の国だけでなく遠く離れた国や、エルフやドワーフやリザードマンなどの他種族にまで知られているほどだ。

 さすがに犯罪や魔物の襲撃がゼロというわけにはいかないが、それでもみんなが笑顔で豊かな日々を過ごしている。

 そんな素晴らしい国を治めているのが、モトワード=レイ国王なのだ。

 彼は言う。

「ただ自分が生きるために色々とやっていたら、いつの間にか国ができていた」

 と。

 嘘みたいな話だが、どこの国の物でもない荒れ果てた不毛の大地が十数年で国にまで発展したのは紛れもない事実だし、レイと苦楽をともにした人々も同じようにただ生きるためだったと言うのだから、嘘でも冗談でもないのだろう。

 生きて生きて、国ができて王になってしまった後も『自分が生きるため』をひたすら貫き続けて……

 不治の病に倒れてしまうのだった。

 それでもレイは生きるのを諦めなかった。薬や魔法で症状を抑えて苦痛と戦う日々は、ただ死ぬのを先延ばしにしているだけだとわかっていても。

 ……明日は目を覚ますことができるのか?

 そんなことを思いながら眠る夜を繰り返して……

「……っは!?」

 ある日の目覚めで、レイは驚きに目を見張ることになる。

 病に倒れてから出ることのなかった見飽きた寝室ではなく、草木の生い茂る森の中に横たわっていたからだ。

 さらに、目覚めと同時に襲ってくる病による苦痛もなく、呼吸をするのも苦しくない。

(どうなっているんだ……?)

 混乱しながら、それでも思考しながら……久しぶりの苦しくない深呼吸を繰り返す。

「……ふう」

 少し落ち着いてきたので、改めて現状について思考を巡らせる。

 まず、外にいるのは連れ出されたということで片づけてしまえばいい。誰がなんのためにとか、なぜ森に放置されているのかとかはどうせ考えたところでわからないのだから、連れ出した者が現れた時にでも聞けばいい。

 それよりも病のことだ。今までどんなに手を尽くしても、こんなにきれいさっぱり痛みも苦しみもなくなるなんてことはなかった。

 いつの間にか治療法が確立していて、それが森の中じゃないと実行できないものだったとか……?

(いやいや、さすがに無理やりすぎるだろ……)

 自分で自分の考えに苦笑する。仮にそのとおりだとすれば事前に説明くらいはあるはずなのだから。

 それなら他にどうなれば見知らぬ森の中で病の症状がなくなるなんてことになるというのだろうか……

(これは……あれか、死んだのか)

 考えないようにしていたことだが、死後の世界に来たのだとすれば、違う場所にいることや痛みや苦しみがないことも不思議ではない。

(本当にそんな世界があれば、の話だけどな)

 最初の考えほどではないにしろ、死後の世界なんて発想もなかなか無理がある。

 このままじゃただの妄想でしかない――そのことに気づいてレイは大きなため息をついた。それはただ息をするだけでも苦しかった時にはできなかった自然な動作だったが、

(そうか! 今はもう病人ってわけじゃないのか!)

 今さらながらそのことに気づくことができたのだった。

(……いけるか……?)

 長年の闘病生活で、ろくに動かせなくなってしまった自分の身体。全身に力を込めていくだけでも不安になってしまう。

 少しずつ少しずつ……動かし方を思い出しながら、思い通りに動いていく身体を実感しながら。

「ふ……ふふふ……」

 自然と笑みがこぼれる。立ち上がるまでの何気ない動作の一つ一つに懐かしさすら感じていた。

 そうして立ち上がったレイの視界に入ってきたのは、木々の間に見え隠れする二つの人影だった。

 目覚めてから初めて見る自分以外の存在に、レイは最大限に警戒して身を潜めた。

(思い通りに動けるっていうのは、ありがたいものだな)

 などと思いながら、少しでも情報を得ようと人影に近づいていく。

「この辺りのはずなんだけどなあ……」

「森の中とは……探すのが大変ですよねえ」

 聞こえてきたのは幼さ残る少女と穏やかな女性の会話。内容からしてなにかを探しているようだった。

「モトワード様は病気でずっと寝ていらしたのですから、今も茂みの中で這いつくばっていたら見つけるのにお時間がかかりそうです」

「……せめて寝転がっているって言ってね」

 女性のセリフに少女がツッコミを入れる。声も気配も殺すことなく、まるで街の通りを楽しく歩いているかのようだった。

 そんな二人の様子にレイは少し警戒心を緩めた。むしろ、モンスターや獣に対して注意を払っていないのが逆に心配になるほどだ。

 名前が出てきたことで彼女たちが捜しているのが自分なのだということもわかり、さらに少し警戒心を緩めた。

 しかし、暗殺や襲撃などの可能性がゼロじゃない限り、油断するつもりはない。

(……さて)

 情報を聞き出すためにどうやって接触しようか考える。のこのこ出て行って襲われたらまず勝てない。丸腰だし人数的にも不利だからだ。

 奇襲でどちらか一人を人質に取っていきなり襲われる可能性をなくし、人質の解放を取引材料に安全の確保と必要な情報を入手する。

 作戦と呼ぶほどのものでもない簡単な行動を決め、レイは躊躇なく飛び出した。

 相手の隙をみたりとか、チャンスを待つなんてことはしない。決めたらすぐ実行。今までそうやって生きてきたのだから。

 手近にいたほうに駆け寄って手を伸ばして――

「っと、っと……だっ!?」

 なにも触ることなく飛び出した勢いそのままに地面に激突してしまった。

 身体を動かすのが久しぶりすぎて距離感を見誤ったのかとも思ったがそうではない。全身でぶつかるくらいの間合いまで近づいたはずだ。

「くっ……そう……!」

 なんにしても姿を見せてしまったのだから、いつまでも地面に転がっているわけにはいかない。レイは慌てて体勢を立て直して、二人と真正面から向き合った。

 心配そうに見てくる二人から敵意は感じられず、なにか仕掛けてくる様子もなかったので、レイは長い安堵のため息をつく。ようやく警戒を解いたのだ。

 そして改めて二人が何者なのかを観察する。

 森の中を歩くには軽装すぎるとか、見たことのない服装だとか、気になることはいくつもあるのだが、それよりもなによりも気になるのが、 

「そちらのお嬢さんはなんというか……透けているように見えるのだが……」

 人質にしようとしたほうの女性の存在そのものについてだった。

 レイに疑問を投げかけられた女性は、なぜか頬をポッと赤く染めた。

「そんな、透明感のある美人だなんて……照れてしまいます」

「違う違う! モトワードさんはなんで実体がないのかってことを訊いているんだよ!」

 慌てた様子でツッコミを入れる少女の言葉で、レイの疑問の答えにはなった。

「実体がない……それで触れることができなかったというわけか」

「ずいぶんあっさりと納得するのですね」

 うんうん、とうなずくレイに少女は少し驚いた表情を見せた。

「ああ、実際に会うのは初めてだが、精霊や幽霊などの種族だろう? 話だけなら何度も聞いたことがあるからな」

 そう言うレイに、二人は顔を見合わせた。

 そして、少女の方が口を開く。

「えっと、モトワードさんの元いた世界にはそういった種族は実在していません。物語の中だけの架空の存在なのです」

「…………は?」

 間抜けな声をこぼし、レイは目を点にした。

 だが、それもすぐに険しい表情へと変化した。油断なく目の前の二人――敵意はなくても今となっては得体のしれない異質な者たちを睨みつける。

「お前たちはいったい何者だ? 俺の元いた世界ってどういうことだ? ここは別世界だとでもいうのか!? それならばなぜ違う世界があることを知っている!? 俺を違う世界に連れてきた目的はなんだっ!? 病気が治っているのもお前たちの仕業かっ!? そもそも――」

「お、落ち着いてください! きちんと説明しますから!」

 どんどん語気を強めて一気にまくしたてるレイのセリフを少女が慌てて遮った。うっすら涙を浮かべている表情を見て、レイは続けるはずだった言葉をグッと飲み込み、

「……納得のいく説明をしてくれるんだろうな……?」

 と、別の言葉を吐き出したのだった。

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