第28話 揺らいでいく"ジブン"

「あ、あの……もう少しだけ、いっしょにいて……」


吉田を呼び止めた弥隼が発してしまった言葉。


なぜそうしたのか、自分でも理解が追い付かない。”柚月弥隼”はそんな甘えた言葉を吐かないし、そもそもそんなことを思わないはずだ。それを当たり前だと思い込んで、いままで生きていた。耐えてきた。


なのに、なぜ崩れてしまった?しかも、吉田なんかの前で。


「どしたの?急にそんなこと言っちゃって」


ベッド同士をしきる水色のカーテンの向こうからひょっこり出た吉田の顔が、くいっと傾く。それと同時に彼のふわふわとした髪も揺れて、頬に纏わりついた。


弥隼は我に返る。あんなことを言ってしまったのが急に恥ずかしくなってしまい、なんとかごまかそうとする。


「い、いや……えと、えと。冗談だってば、いまのはウソだよ」


吉田はそれを聞いて「え、ウソだったの!?」とややオーバーぎみに驚く。


なんとかごまかせたか、と弥隼は一瞬だけ安堵したが、吉田は直ぐに狡猾そうな表情を浮かべていく。


「んんー、ちょっとまってよ?こういうのって本音じゃなくて、恥ずかしいからごまかしてるやつなんだっけ?」


(ぎくっ)


弥隼の心臓の鼓動が高鳴り、全身が硬直してしまう。


「あは、今日の柚月おもしろー」


吉田はきゃっきゃとはしゃぐように隣のベッドにダイブして、弥隼の顔色の変化を観察するように覗き込んだ。


(いつも人の心を推し量れないくせに、なんでこういう時だけ察しがいいんだ)


「ねーね、それでほんとうはどーなの?なんで一緒にいてなんて言ったのー?」


「そ、それは……」


「もしかして、寂しいの?」


そうやって笑いかけた吉田に、手を握られる。そうされると、いままで心の奥底で封じ込めていた感情が浮かんでしまいそうになる。


俺だって、たまには誰かに甘えたい。


いや、俺は何を考えてるんだ。今度こそ、口を滑らせてそんなことを言ったら終わってしまう。吉田にだって引かれてしまうかもしれない。


いや、本当は引かれるのがこわいんじゃない。自分が自分じゃなくなるみたいで怖いんだ。


……でも、なんで俺は誰かに甘えちゃいけないんだろう?考えていくうちに、それがただの思い込みに過ぎないのではないか、と思ってしまう。


「黙ってるなら、帰っちゃうよ?」


「ま、まって……」


その瞬間、弥隼の胸の緊張がほどける。


「……ふふ、なにー?」


「あ、あ、あの、おれ……」


自分でも何をやろうとしているのか分からなかった。ただ、吉田の柔らかな眼差しに誘われるように、これまで自分を守っていた理性が融け出していくように体が弛緩し、そして、喉を震わせながら、


──その瞬間、保健室のドアが勢いよく開いた。


ガシーン!


驚きのあまり、弥隼の心臓が跳ね上がってしまう。


「ゆづちゃん、大丈夫だった!?」


「ふぇっ、ふぇっふぇっ……水上さん……なんで!?」


保健室に飛び込んできた水上は、心配そうな眼差しで弥隼に駆け寄り、ベッドに両手をついた。


「怪我したって聞いたから、心配になって……」


予想外のタイミングでの来客で、弥隼は正気を取り戻した。それと同時に、なんだか吉田といい感じの雰囲気になっていたことが急激に恥ずかしくなってくる。


「ねぇ、怪我は平気なの?」


「だ、大丈夫だよ……数日で治るって言われたし、それに、誰かさんがここまで運んでくれたし……」


弥隼が視線を逸らしながら言うと、吉田はいたずらっぽく笑いながら無邪気に立ち上がって、


「あ、そうそう水上さん!さっき柚月が面白いこと言ったんだよ!てゆーのも、”いっしょに……”」


「あー!なんでもない!なんでもないから!水上さん、もう戻っていいよ!」


弥隼は顔を真っ赤にして吉田の口を押さえる。


「うん。いつも通りなかよしそうで安心したよ」


水上は微笑ましそうな顔で、教室へと戻っていった。


いつも通り。彼女の目には、そう映っていたのだろうか。収まらない火照りを冷ますように頬を枕へと押し付けたが、余計にむずむずするだけだった。


***


その後、弥隼は学校の松葉杖を借りて、時折吉田の肩を頼りながら帰宅した。


杖を突いて帰宅した弥隼の姿を見るや否や、弟の朔矢が慌てて駆け寄り、「誰にやられたの」と叫んだ。どうやら弟は、学校での弥隼がいまだに喧嘩をふっかけられていると勘違いしているようだ。誤解を解いてやると弟は「なんだ、もう喧嘩してないんだね」と安心してくれた。


そういえば、自分を目の敵にしてた問題児たちと最近関わりがないが、彼らは今の自分のことをどう思っているのだろう。あまりに無残に変わり果ててしまったのを見て、関わる気にもならないほどに興味を尽かしてしまったのだろうか。


まあ、もうあんなやつらと関わる気はない。だって、今の俺にはちゃんとした友達がいて、ちゃんとした日常がある。それを守るためにも、バカな喧嘩は二度としない。そう胸に誓った。


それよりも気がかりなのは、今いる友人たちとの関係を継続させられるかどうかだ。吉田に水上さん。言葉にしてしまうとちょっと照れくさいけど、彼らとは自分の人生でこれ以上ないほどに良好な関係を築けている。


だからこそ、ふたりに愛想を尽かされないかが心配だ。


あれから何度も考えたけど、正直吉田には水上さんのことを好きになってほしくない。二人が結ばれて仲間外れになっちゃうのが嫌なんだ。この我儘でおこがましい感情が、自分でも怖いくらい強い。


でももし水上さんに好意を寄せられたとしたら、たいていの男はOKしちゃうだろうなぁ。それくらい彼女は美人だ。ふだんまともに女性と接することのない吉田なら簡単に陥落してしまいそうだ。


(でも妨害するってのも……なんか卑怯だし)


夕飯の後、リビングにて弥隼は弟の朔矢とソファに腰掛けながらバラエティ番組を視聴していた。賑やかな音声が部屋に響くなかで、弥隼はふと、弟にあることを聞いた。


「……なぁ、朔矢」


「どしたの、ねーちゃん?」


「俺って、ちゃんと女に見えてる?」


やっぱり、今の自分の容姿が世間の目にどう映っているのかどうしても気になってしまう。


弥隼が言うと、朔矢は「えー?」と不思議そうな顔をして、「でも、学校の制服きてたら女の子に見えるよ」と返した。


「そ、そうか」


弥隼は納得したような落胆したような、複雑な感情を抱く。弟がついこぼしてしまった「でも」というひとこと。


きっと、制服姿がそれらしく見えるだけで普段着の自分は全然女らしくないのだろう。


それに、どうせ自分は制服にも着られている。


(おれ……たぶん吉田に女として見られてないよな……)


数日前まではまだ男という性に未練があったのに、今ではこんなことを思うようになってしまった。


なぜ、自分は女に見えないのか。


……やっぱり、髪のせい?


薄々感づいてはいた。吉田にウィッグをかぶせられたとき、あいつは”かわいい”って言ってくれたし……あの姿なら、俺もちょっとは女っぽく見えるのかな。


……だとすれば、ちょっとだけ勇気を出して変わってみようかなって思ったりもする。

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