第26話 クラスの異分子


「ゆづちゃん、お昼ご飯ご一緒していいかな?」


水上さんがそう言った瞬間、クラスの空気が一瞬で変わった。教室中から好奇の目が向けられ、ひそひそと話し声が聞こえてくる。そりゃそうだ。だって水上さんは容姿端麗でクラスの人気者。それに対して俺たちはクラスの異分子。本来交わるはずのないものたちが仲良さげに振舞っているのだから、事情を知らないクラスメイトたちにとっては不思議な光景としか言いようがないだろう。


弥隼は一刻も早くこの気まずい場を離れようと、持っていたパンの袋を右手に、隣に座っていた吉田の手を左手に握ったまま、しっぽを巻いて教室を出た。


「……あの、俺たちみたいなのと堂々と仲良くしたら、水上さんのイメージが悪くなるだけだって」


弥隼は人気のないテラス席に座ると、水上に言った。学校の裏庭にあるテラスはしばしば休憩用に使われるが、靴箱から遠いためここで昼食を摂る住人は少ない。


「いんだよ。どう見られたって」


「いやいや……それじゃ水上さんに迷惑が……」


「だからいーの。前々から、クラスっていう歪んだ社会構造に疑問を持ってたんだよね。暗黙のルールみたいにゆづちゃんたちを排斥して、その意向に反しにくい雰囲気を作ってる。私がやってるのは、そんなクラスの空気に対するちっぽけな反逆なんだ」


「水上さん、なんかヒーローみたいでかっこいい!」隣で話を聞いていた吉田が呑気に言った。


「でしょ!わたし、吉田くんのヒーローになるよ!」


「まあ、優しくしてくれるぶんにはありがたいんだけどね」


「でしょう、ゆづちゃん」


さっきから思っていたが、今日は水上さんがいつになく馴れ馴れしい。いや、結構なことなのだが、こんなにも急に人間の距離は縮まるものなのだろうか。というか、なんで俺のことを「ゆづちゃん」なんて呼ぶのだろう。


思わず、「その呼び方、なんなの……?」と問いかけた。


「あー、だって私たちもう女友達でしょ?これくらいの愛称がちょうどいいかなって」


水上が「イヤだった?」と少し心配そうにのぞき込んでくる。弥隼は手元を気にしながら、ぼそっと答えた。


「べつに、嫌ではない、けど」


「かわいい名前でいーじゃん!僕もそう呼ぼっかな」


『かわいい』吉田の一言で、弥隼の顔が火照った。


「それはちょっとやめてくれ」


「えー、なんでぼくはだめなの?」


「俺たちは呼び捨てくらいがちょうどいいんだよ」


「ゆづちゃん、はずかしがっちゃってかわいいね」


「もう、あんまりかわいいって言わないでよ……」


弥隼は気恥ずかしくて、二の句が継げなくなってしまう。


ところで、どうして水上さんはこんなに簡単に打ち解けてくれたのだろう?仮にも自分は不良の肩書きがついた人間だ。ここまで信用するにはまだ早いのではないだろうか。


そんなふうに疑問に思っていたが、その答えはすぐに知ることができた。


昼休みが終わると、次の授業は体育だった。


トイレで体育の着替えをすませた弥隼が廊下に出ると、思いがけず水上と出くわした。


「あ、ゆづちゃん」


慣れない愛称で呼ばれることに戸惑いながらも、弥隼は「あ、どーも……」と挨拶する。


「そうだ……ゆづちゃん。伝えておきたいことがあるの」


彼女は会うや否や、そう言った。そんな彼女の目には、決意のようなものが宿っていた。なにか、大事なことを抱えているような。


「えっと、今じゃなきゃだめ?授業前だけど……」


「うん。今じゃなきゃだめなの。他の人に聞かれたらまずいから」


「でも、大事な話ならまた放課後にでも……」


「ううん、吉田くんにも聞かれちゃいけないの」


吉田にも聞かれてはいけない話?想像もできない展開に、弥隼は首をかしげつつも頷く。


「……わかった。聞くよ」


「うん。これは、まだ誰にも伝えれてないんだけどね……」


彼女はもじもじと手を弄りながら、ほんの少しだけ迷いのある照れ笑いを浮かべる。そして次の瞬間、真っ直ぐと前を見て、言った。


「私ね……吉田くんが好きなんだ」


「……へ。へぇっ!?」


突然の告白を聞いて、完全に固まってしまった。聞き間違いを疑って「吉田のことを?」と聞き返す。


「うん、そうなの」


「好きって、どのレベルで……」


「一緒にいるだけで胸が苦しくなっちゃうくらいかなぁ、ふふ」


うそだろ、と心の中で叫ぶ。


あのイケてなくて、何を言い出すかわからない吉田を?しかも、それをクラスの人気者である水上さんが?まさか。そうだったのか。


思わず「なんであいつを?」と聞き返してしまった。


水上は苦笑いを浮かべながら「えっとね、実は最初は全然好きじゃなかったんだよ」と言った。


「でもね……」


***


半年以上前、私はいつもの女子グループの中で、賑やかに帰り道を歩いていた。中一のクラスで出会い、班が同じになって、打ち解けて、仲間が増えたり、何度か分裂して生まれたグループ。気づけば私にとっては気の置けない友達の集まりになっていた。


そんな時、グループの誰かがこんなことを言った。


「吉田ってさ、なんかキモくね?」


いわゆる、陰口。でもわたしは陰口自体を否定的には思っていなかった。それは本人に聞こえなければちょうどいいガス抜き。適度に憎しみを清算しなければ、人は生きていけないのだ。


「なんかあいつ、空気読めてないよね」

「それな。そのくせに調子乗ってるしさ」


友達は吉田くんの陰口で盛り上がっていく。当時のわたしは吉田くんと話したことがほとんどなくて、うわべだけの情報しか知らなかった。けれど、わたしは周りの雰囲気に同調しようと、少しだけ後ろめたさを抱えつつも悪口を吐いてしまった。


「たぶん、人の迷惑とか考えられない人間なんだろうね」


わたしにとって、それが初めての陰口だった。もちろん本気で思っているわけではない。友達の輪に溶け込むための、中身のない鳴き声のような発言だった。しかしその言葉を放った瞬間、わたしは衝撃の事実に気付いた。


自分たちのすぐ後ろを、吉田くんが歩いていたのだ。


彼は最初から全部、聞いていたのだ。


わたしが気付いた時には吉田くんは歩くスピードを一気にあげてわたしたちを追い抜き、そのまま顔を見せぬように俯いて、去っていった。そんな彼の儚い背中を見つめていたら、とんでもない後悔がこみあげてきた。なんであんな思ってもないこと言っちゃったんだろう、って。


家に帰ってからも、罪悪感は拭えなかった。このもやもやは、面と向かって謝らないと解消されない。そう思いながら次の日友達に「一緒に謝りに行こう」と持ち掛けた時、返ってきたのは冷たい言葉だった。


「え?なんで謝らなきゃいけないん?あれただの事故でしょ」

「気にしすぎ。なんというか、水上ってお堅いよね」


そっか。わたしっていま空気読めてないんだな、って思ったよ。どれだけ趣味や話題が合っていても、憎しみの波長が合わない人間とは本当の友達になれないんだな、って思った。


彼女らが当たり前に憎めているものを、わたしは当たり前に憎めない。それなら最初から、同調なんてしなければよかった。


いやでもどうせ、わたしは対立と主張ができるほど強い女の子にはなれないんだけどね。


とにかく、自分ひとりでも吉田くんに謝ろうと、わたしは休み時間に廊下を歩いていた彼を呼び止めた。


「……あんなこと言って、本当にごめん」


本当はあんなふうに思ってなかったんだ、とは付け足さなかった。言い訳がましいし、逃げ道作ってるみたいだから。


どんな厳しい叱責も、非難も受け入れる覚悟はできていた。「おまえはほんとうにだめなやつだよ、失望したよ」と、突き放されるのを待っていた。


でも、そんな緊張を無視するように吉田くんはけろっと苦笑いして、素っ気なく言った。


「なんだぁ。……大丈夫だよ、ああいうの慣れてるから」


その発言は本当に効いたよ。いつもあんなに無邪気で人懐っこい彼が、しゅんとして、まるで私との会話を怖がっているみたいに目を合わせてくれなかった。その時、ようやく取り返しのつかないことをしちゃったんだなぁって気づいたよ。


私はなにも言えないまま、教室へと戻っていく。彼も私に続くように、すこし距離をとって歩きだした。そしてドアの前に着いたとき、教室の中から友達の会話が聞こえた。


「水上って、真面目すぎてなんかつまんないよね」

「なんか、いると話しにくいよね」


その声の主は、いつもの友達グループの子たちだった。


ドアの裏で立ち止まって、彼女らの言葉をかみしめていた。陰口って、言われるとこんな気分になるんだなぁって、目を背けずに味わった。廊下で体育座りをしている私を、周りの人は変な目で見ていた。


吉田君はそんな私を見ると、教室まで駆けていった。ざまあみろ、って思ってるのかな。


でも彼はすぐに戻ってきて、慌てた様子で私のもとへ駆け寄ってきた。


「……だいじょーぶ!?プリッツならあるけど、たべる?」


「……え?」


吉田くんは、鞄に入っていたお菓子を手渡してきた。


「……どういうこと?」


私が信じられないような目で吉田くんを見ると、彼は心配そうに体育座りの私を覗き込んだ。


「だって、悲しくない?友達からあんなこと言われるなんて」


信じられなかった。私だって、同じことを君にしてしまったのに。それなのに、彼は私の不幸から甘い汁を啜るのではなく、心配してくれているのだ。必死に我慢していた涙が、溢れ出してしまった。


「わたし、きみにひどいこと言ったのになんで優しくしてくれるの?」


「えー?だって、わざわざ謝りにくる人なんて、初めてだったんだもん。なんかヘンなひとだなって思ってたから、気になったの」


「なにそれ、意味わかんないよ……」


「言われる側の気持ちは痛いくらい知ってるからね。僕はいつでもお菓子があるから忘れられるけど、水上さんはたぶんお菓子持ってないだろうから辛いだろうかなって」


私は震える手でプリッツを受け取り、一つ取り出して口に含んだ。軽い食感が口に広がると、背負っていた重荷が抜けていくような気がした。


「ありがと……でも校則違反だよ?」


「うん。だから、バレないように食べてね」


その時、私は知った。彼って、こんなに魅力的な人間だったんだなあって。ちょっと図々しいところがあるかもしれないけど、本当は誰よりも打たれ強くて、優しい。


その日以来、私は彼に惹かれていった。あの女子グループとはなんだかんだいまでも友達だけど、ほんとうの友達にはなれないなぁって、思う。


とにかく、わたしはその日からずっと吉田くんを意識することになった。





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