第25話 ウィッグを被ると頭のてっぺんから指先まで全部女子になった気がする


「ねぇ、被ってみてよー」


吉田の手元にあるのは、ジッパー付きの袋に入った黒髪のウィッグ。彼はそれをするりと取り出し、烏羽からすばのように輝く毛束を慣れた手つきでとかしていくと、櫛の動きに沿って毛がさらさらと波打っていく。


背筋がぞわっとした。吉田は丹念に毛並みを整えながら、弥隼の顔をじろじろと観察するように見てくるのだ。まるで、ウィッグを被せた弥隼のイメージ図を脳内に映し出すかのような目で……


「ちょ、ちょっとまてっ……」


自分の頭にウィッグを被せるのを想像するだけで、得体の知れない恥じらいに胸が締め付けられる。弥隼は思わず首を振って、一瞬芽生えそうになった好奇心を振り払った。


弥隼は女子になったけど、まだ短髪だ。指先で後頭部を撫でると手のひらが毛先でちくちくするくらい短い。そのおかげで弥隼はまだ中性的で、ボーイッシュな雰囲気に保たれている。


でも、もし自分があのウィッグを被ってしまったら?それらすべてが一瞬で『女の子っぽさ』に塗りつぶされてしまう気がした。


弥隼はウィッグの破壊力を、既に知っている。吉田が女装して目の前に現れたあの日、弥隼は吉田のことを本物の女の子だと錯覚してしまった。いつもよりずっと長くて、さらさらで、艶のある髪を纏う彼にほんの少しだけ見惚れ、ドキドキしてしまったことを覚えている。


髪型は人の本質を決めるものじゃない。だけど印象のほとんどは髪が決めてしまうのだ。


「いいから、つけよーよ」


「うんうん、柚月くんきっと似合うよ」


吉田と水上が笑顔で迫ってくる。この二人、あまりにも乗り気だ。弥隼はゆっくりと後退しながら「や、変な感じになるだけだって……」とぼやく。しかし、期待に満ちたふたりの目からは逃れられない。


そうやって囲まれて目をきょろきょろとさせる弥隼を見て、水上はくすりと笑いだす。


「柚月くん、はずかしがってるー」


その一言を皮切りに、ふたりのノリはさらに盛り上がる。


「柚月って案外照れ屋なんだよね、みんなの前では強がってる感じ出してるくせに」


「照れと強がりは表裏一体だよ。柚月くんは恥ずかしいことから逃げるために強がってるタイプだと思うの」


「そっか。てゆーか、柚月もほんとはかわいくなりたいって思ってるんでしょ?」


「なゃわけ、ない!」


舌を嚙みながら言うと、ますます顔が熱くなっていく。そもそも、冷静に考えて俺がウィッグを被ったところで吉田みたいに似合うわけがない。テレビでたまに見かける似合わない女装芸人のように、せいぜい笑い者になるのがオチだ。などと心の中で開き直り、逃げ道を探して視線を泳がしていると──


「……あ、隙あり」


「……へ。」


油断していたところで、頭上からウィッグがぽすんと被せられる。頭皮がゆったりと締め付けられる感触がするのとともに、髪を整える吉田の表情が映る。


「ちょ、ちょっ……」


「もう柚月ってば、動かないのー」


こめかみから一直線にブラシが入ると、鎖骨に柔らかな毛が落ちる。何回も整えられていくうちにふわりとした感触が首を包むようになると、干したてのバスタオルのような香りがほのかに漂ってきた。


「……ヘンだろ」


「いやあ、めっちゃ似合ってるよ?」


「うん、かわいいね」


「ひっ……そんなことなぃはず……おせじだ……」


『かわいい』それは未知の言葉だった。その言葉の威力に怯み、自己防衛のために反射的に卑屈を貫いてしまう。


「おせじじゃないもん」


そう言ってほっぺたを膨らませる吉田は鞄のポケットから手鏡をとりだし、弥隼にむかってかざした。


「は……」


目が合うのは、鏡に映った自分。


前髪はぱっつんと一直線に揃っていて、その隙間から丸い瞳がちらっと覗いている。ひらめく長い黒髪は透き通ったカーテンのように顔の両側を覆い尽くし、教室の床にやわらかな影を落としていた。


「めっちゃかわいーよね」


「うんうん、超かわいいと思う」


(か、かわ……かわ……)


沸騰寸前の脳みそでその言葉を少しずつ受け入れていく。ふたりから続けざまに発せられるかわいいコール。外見のいたるところを褒められ、油断しているとまた別の褒め方をされる。この空気に耐えられなくなった弥隼は思わず伏目になって顔を隠し、頭頂部に手を掛けてウィッグをひょいっと外した。


「はい、もう満足しただろ!もう終わり!そろそろ帰ろ!」


「えー!もったいない。似合ってたのになぁ」


残念そうに机に覆いかぶさった吉田が、ぽぅと息を吐いた。


「ほんとに似合ってたよ?柚月くんも、おしゃれしてみたらいいのに」


「だ、だってその……恥ずかしいし……」


「照れ柚月だ」


教室を出て夕方の町に出ると、冷たい風が肌を撫でる。セーターなしで帰るのは少し寒い季節だ。スカートに慣れていないのもあって秋風を受け止める膝回りが少し心もとない。それでもまだ顔だけは火照っていた。


こうやって複数人と語らいながら歩くのなんて、いつぶりだろうか。少なくとも中学に入ってからは一度もない。たった数分の時間だけど、みんなで帰るのは賑やかで楽しかった。なんだか社会復帰の第一歩を踏んだ気がする。


そうやって彼女の横顔を見ていると、そういえば水上さんと俺の関係って今はどうなってるんだっけ?と、弥隼の頭に一瞬だけ、よぎった。


──俺は水上さんと友達になりたがっていることがバレている。でも、彼女の口からは未だ「友達になろう」という言葉は発されていない。ということは俺たちはまだ友達じゃないのだろうか?なんとも微妙な関係だ。


友達かどうかなんて、聞いたら図々しいよな。でも、さっきまで雰囲気はよかった気がするし……嫌われてはないはず。


校門を出て5分ほど歩いたころ、水上さんがふいに立ち止まった。「わたしの家こっちだから」と、軽く手を振ってくる。俺の横で吉田は「水上さん、また話そー」と健気に手を振り返した。


「うん。また明日、たくさん話そうね」


彼女は軽やかに微笑んでくれた。その明るい表情を見て、俺の中に靄が生まれてしまった。誰かの笑顔を見るといつもこうだ。その笑顔の奥にある裏の感情を疑ってしまう。そんな疑心暗鬼な自分に嫌気が差しながらも、つい突発的に思ったことを言ってしまった。


「あの、水上さん。みんなの前で、俺たちみたいな嫌われものと無理に仲良くしなくていいんだよ」


「え?」


水上さんはきょとんとした顔になったけれど、すぐに俺の発言の趣旨を理解したのか「気遣い、ありがとね」と言ってくれた。


水上さんと別れた後、吉田が聞いてきた。


「ねぇ柚月、なんであんなこと言ったの?」


「だって……俺たちみたいな嫌われ者ワースト組と仲良くしてるのが見られたら水上さんにも変な噂が立つだろ。彼女、結構人気あるからさ。それなら、誰の目にも触れない放課後に話す関係ぐらいが、水上さんにとっても俺たちにとってもちょうどいいんじゃないかって、そう思っただけだよ」


「考えすぎじゃないのかなぁ」


「……いや、でも水上さん優しすぎちゃうとこがあるからな。彼女にとって、俺たちとの関係より女子グループとの関係のほうが大事なハズだろ、でもそれを言ったら俺たちが傷ついちゃうから、言わないでくれてるんだと思う」


彼女の優しさに甘えすぎるのは禁物だ。だからこそ教室では一歩引いて接すると決めた。そもそも、自分たちが水上さんと仲良くしていたらクラス中から好奇の視線を向けられるに決まっている。それはお互いにとってもよくないだろう。


だから次の日の朝に水上と会っても、弥隼は軽い会釈だけで済ませた。彼女も軽く手を振ってくれたけれど、親しげな会話は交わさない。吉田はそんなことを気にせずに彼女のもとへグイグイ話にいってるみたいだが。


でも、俺は放課後まで彼女とは話さない。少し寂しい気はするけど、これも彼女のためだ。


そう思いながら、昼食のパンを取り出して机の上で開く。水上は女子グループで集まり、嫌われ者の俺たちははじっこでひっそり食事する。いつも通りの光景。そうなるはずだった。


しかしパンの袋を開けた時、弥隼の目には驚愕の光景が映った。水上が弥隼の机にやってくるのだ。それだけではない。彼女の視線は明らかに自分を向いていた。じっくりと、目を合わせるように。そしてそのまま弥隼の席の前で立ち止まると、にっこりと手を引きながら言った。


「ゆづちゃん、昼ご飯ご一緒していいかな?」


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