第22話 妖精少女と最悪の初恋③
弥隼たちはそのままモール内をぶらぶらと散策して、ドーナツ屋の看板があるのを見つけた。お昼時だからイートインスペースは混んでいたけれど、二人で座れるだけの空席はあるようだ。リサはここでいいですか、と言った。弥隼はこくりとうなずいた。
会計は、対等な関係を重視するリサの要望で割り勘になった。
ぽかぽかとした距離感を保ちながら、ずらりとならんだドーナツをトレーに乗せていく。カラフルでぼてっとしたドーナツを五つほどのせて、会計をすませた。
「ぜんぶ、はんぶんこでいいですよね?」
「はんぶんこ」
弥隼はその発音を、しみじみとなぞる。そんなあったかい言葉とは無縁な人生を歩んできたけど、なんだかとてもいい響きで、声に出してみるだけであったかくなる。
「さて、ごはんを食べるうえでひとつ問題があるんです」
「なんだ?」
リサは自らのマスクを指さし、それを外すのではなく、びょんとゴムひもをはじかせ、マスクの存在をアピールさせた。
「わがままなお願いなんですけど、マスクの下、見せたくないんです」
弥隼はそれを聞いて俺にも見られたくないのか、と軽くショックを受けたけど、その心情を読まれないように平然を装い、あぁとうなずく。
リサのマスクの下。
思えば、出会ってから彼女の素顔を見たことは一度もなかった。だから最初は彼女のことを疑っていた。表面上は優しくしていても、薄布一枚隔てた裏では俺のことを嘲笑っているのではないか、という不信を抱いていた。
もちろん今は違う。リサが目元を細めるたび、そのマスクの下に眠っている屈託のない微笑みを脳内で補完し、それが癒しになる。
とはいえ、内心では彼女の素顔を見たいと思っていた。外見で彼女を好きになったわけではないけれど、それでも表情というのはコミュニケーションするうえで大事なものだということにかわりはない。会話中に変化していく彼女の表情筋や白い前歯が見れたら、きっと弥隼の心はさらに締め付けられるだろう。
「……外す自信、ないのか?」
リサは目を半開きにした。
「まあ、そんな感じです。二度と会わない人に見せるのは大丈夫なんだけど、友達の前だと外すのが本当に不安で。しかも弥隼くん相手に失望させるのは、もっと怖いです」
全然気にしないのに、と言いかけたがその言葉は喉元でひっこんだ。素顔を隠すというのは彼女が決めたこだわりで、その背景を知らない自分が気にしないなんて言っても、彼女を困らせてしまうだけだ。
だから弥隼は、そのかわりに極めて無難でかつ、嘘偽りない言葉を紡ぐことにした。
「俺は……どんなリサでも可愛いと思うよ」
「ほーほー、ケッコー大胆なこと言うんですね」
そしてリサはしみじみと天を仰ぎ、しばらく祈るように目を瞑ってから照れ隠しのように弥隼の頬をつつく。
「わがまま言ってごめんなさい。いつか、きみの前でマスクを外せるようになります。でも、今日はまだ見せたくないんです」
「でも、それじゃあ一緒にごはん食べれないな」
「あ、食事中に見られない対策はちゃんと考えてきたので安心して」
「対策、とは」
弥隼はぼんやりと返事をした。
「ここに予備のマスクがあります」
彼女がそう言って取り出したのは、いま彼女が着けているものと色違いの、肌色マスクだった。
「これ、目隠しです。アイマスクみたいな感じでつけてください」
「え!?でもこれ……」
「だいじょうぶ、洗ってありますから」
「へ?洗ってある……って……つまり、使用済みってことじゃ……」
「あれ、いやですか?実は意外と綺麗好きだったり?」
「や、そういうことじゃなくて。ゃ、でも……うぅ……わかったよ……」
リサのマスクには、ふりふりの飾りがついている。利便性よりも顔を彩ることを重視した、おしゃれでかわいらしいマスクだ。マスク人生を長く歩んできた彼女として、人一倍こだわりがあるのだろう。
弥隼はしなやかなゴムひもを、おそるおそるひっぱる。彼女が使ったマスク。洗ってあるとはいえ、彼女の口もとをいつも覆って、吐息を充満させているマスク。動揺しないわけがなかった。
前髪を整えて、耳にかける。自分の鼻から下には絶対にマスクが触れぬように。
そして視界が、マスクに覆い尽くされる。鼻にかからなくとも、柔軟剤の甘い香りがほんのりとした。女子の香りなんて知らなかった弥隼にとっては、これだけで卒倒してしまうくらいに胸をきゅっとさせるアイテム。とはいえ緊張しすぎて彼女のマスクに冷や汗をつけてもアウトだ。平静だ、平静。
「おめめのまわり、フリフリでかわいいです」
「それはありがとうと言っていいのか」
「もちろん!褒めてるんですよ。それじゃあ、おくちあーんしてください」
「……ふへぇっ!?いや、自分でたべれるって」
「そんなぁ。目隠しさせたのは私なんだから、手伝うに決まってるじゃないですか。遠慮しないで!」
「え、遠慮とかじゃなくてぇ……ふごっ」
言葉を紡ぐ間もなく、彼女はドーナツを口につっこんでくる。
「おいしいですか?」
「ま、まぁ……ね」
本当は、情緒がめちゃくちゃで味のことなんてまったく考えられないのだが。強いて言えば、とても甘かったことだけは覚えている。
そんなことを考えている間に、もにもにと彼女の咀嚼音が聞こえた。どうやら彼女も弥隼と同じチョコのドーナツを同時に食べているようだ。
「それじゃ、もう一口です。あーん……」
「ん、んぁ……」
こんどは、いちご味のドーナツを突っ込まれた。
「せっかくカラフルで映える見た目なのに、見えないなんてもったいないですねぇ」
「それはいいんだが、やっぱ恥ずかしいな」
「ですね。周りの人も不思議そうに見てますっ、ふふ」
「ほんとに恥ずかしいやつじゃんか!」
リサはあははと笑いながら、緑茶につながったストローを弥隼の口につっこむ。
「では、次いきますよ?白い粉がかかったやつです」
「ココナッツな」
もはや反射的に、口を開けてしまうようになった。まるでパブロフの犬だ。舌の上に甘さと重さを感じて、ドーナツが入ってきたことを感知する。そしてそれをぱくりと口の中に収めようとして、ゆっくりと口を閉じると……
その時、舌の上にドーナツとは違う、生温かいなにかが当たった。
「あっ……」
瞬時に気付いた。いま、自分の舌に触れているのはリサの指だ。彼女を不快にさせてしまっていないか、という感情に支配され、胸が痛くなる。
「やっ……そのっ、ごめん。その、すぐ洗ってきていいぞ」
「んー、このくらいだいじょぶですよー」
彼女の返答は、まるで動じていないかのようだった。
「いや、でも、ほんとにキモいことしちゃって……ごめん」
「だから、気にしてないってば」
彼女がそう言うと、耳元が引っ張られる感触を覚える。それと同時に視界が少しずつ晴れていき、マスクがぽろんと外れると、眩しい照明とともに彼女の丸い目が映った。
「そんなに、嫌われたくないんですか?」
目の前にはマスクの中にストローをもぐりこませたリサがいて、皿の上はまっさらになっていた。
***
その日をきっかけに、リサの存在は弥隼の中でいっそう大事なものに変わっていった。リビングに誰もいないことを見計らって毎日彼女に電話をかけ、春休みは何度も会って、一緒に遊んでいた。
次の日の電話。
『昨日は楽しかったですか?』
『もちろん、また遊ぼ』
また別の日。
『弥隼くん、今から図書館いきません?自転車で』
『うん、行こう』
そしてまた、別の日。
『ところで弥隼くん、学校生活、しあわせに過ごせてますか……?』
『リサがいるから、へーきだよ』
『……ううん、学校での友達もちゃんと作らなきゃだめです』
『ええ、そんなの無理だよ』
電話をかけるのはいつも弥隼のほうからだった。弥隼にあるのは固定電話だけだから、女友達がいることの家族バレを配慮してリサからはかけてこないのだろう。ただ、弥隼は本心ではリサから電話をかけてきてほしいと思っていた。彼女から伸ばしくてくれた手を掴み取りたい。そんな気持ちが日に日に募っていく。
そんなことを考えてテレビをぼんやりと見ていた時、ちょうど電話が鳴った。
春休みも終わりかけていた日の夕方だった。
ディスプレイに映し出された番号を見て、心臓が高鳴った。リサの電話番号だ。
弥隼はそれを見てその場で無意識にステップを踏んでいた。
そして、期待を胸に受話器を手に取る。
「もしもし?どうした?」
いつもより半音高くして、言った。わざわざ電話をくれた彼女の声を求めて。そしてそれに応えた彼女の第一声は、
「ねぇ、弥隼君。わたしをさらってください」
嗚咽の混じった彼女のかすれた声が、電話越しに聞こえてきた。
次回更新予定:10/20(日)
*おしらせ:タイトルと一話の構成をちょっと変更しました
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