第21話 妖精少女と最悪の初恋②

春のショッピングモールは、それなりに賑わっていた。ベビーカーや子供の手を引いたママ友らしき集まりや、ゲーセンのメダルをにぎりしめた中高生が喧騒の七割くらいを形成している。


そんな喧騒のなか、ふたりは肩をならべて歩いていた。弥隼よりもあたまひとつぶんちいさなリサはふりふりのマスクを整えながら施設内の店舗を興味津々に見回している。


「こういうところ、家族以外と行くのはじめてです」


ぴょこんとスキップをするように跳ねながら、リサは弥隼の一歩前に出た。


「へぇ、意外だなぁ。リサって結構友達とワイワイやってるイメージあったけど。普段はどこで遊んでるんだ?」


「あんまり、友達と遊んだりなんてしませんよ?わたし、案外学校だと弥隼くんと同じ世界の人間なんです。ぼっち屋さんです」


「へ、ほんとに……?なんというか、リサと喋ってる時って心の壁がない気がするんだが……コミュニケーション能力が高いんじゃないのか」


「それ、私たちの相性がいいだけっ」


彼女がそう言って背中をパンと叩くと、弥隼は体を縮こまらせ、生唾を飲み込む。


会話の途中でときどき敬語を外すとき、彼女の言葉は弥隼の心をダイレクトに揺さぶる。もしも普段から彼女がくだけた言葉を多用していたら、その言葉の威力は半減されるだろう。ただ、会話の流れ次第で敬語がついたり外れたりすることで、彼女との距離感に緩急が生まれる。いつも落ち着いていて知的っぽく振舞う彼女が、突然慣れ合いのようにくっついてくる。そんな詰め方をされるのが、たまらなくくすぐったいのだ。


「でも、あんまり過大評価しないでくださいね?いまのところ弥隼くんが見たことがあるのは、”いい人間だと思われたいモード”のわたしだけですから」


「いままでそんなモードで接してたんだ」


「そりゃそうでしょ。だって、ひとめぼれの相手ですよー?見栄くらい張りますよ」


ヒトメボレ。不意にそんなことを言われてしまったから、弥隼はまた身を締まらせ、口もとをきゅっとむすんだ。耳たぶがじんわり熱くなっていくのが、触らなくてもわかる。


ヒトメボレ。その言葉の真偽についてまだほんのり疑ってはいたけれど、彼女があまりにキッパリとその言葉を吐くので、結局二人の出会いは”ひとめぼれ”だということを認めざるを得なくなった。


ヒトメボレ。それを意識するたびに信じられない、やっぱおかしい、恥ずかしすぎる、という気持ちでいっぱいになって動悸が止まらなくなるので、この言葉は不用意に思い出してはいけない。リサのNGワードに指定したほうがいいんじゃないのか。


頭がくらくらして、おかしくなってしまいそうだ。


そんなことを考えてぶらぶらとモール内を歩いていると、リサがどこかを気にして、じっと一点を見ていることに気付いた。その様子に気付いた弥隼はリサの視線の先を追った。そこはおもちゃ屋のぬいぐるみコーナー。動物やキャラクターものなど、ファンシーなぬいぐるみがずらりと並ぶ中で、一体だけ派手に際だっているものがあった。


「……どうした?気になるのか?」


「あっ......いえ。見てただけです」


彼女が見ていたのは、サソリのぬいぐるみ。丸い黒目と大きなはさみを携え、ずんぐりした重戦車のような骨格の節々からは刺々しい足が何本も飛び出している。そんな節足動物らしいデザインだけれど、ぬいぐるみだからテクスチャはもふもふで抱き心地がよさそう。リサはそれを不思議がった様子ではなく、むしろうっとりとした目で見つめていた。


「リサって、こういうの好きなんだ」


「へ?えーと、まあ、そうですね」


リサはそう言ってから自分の発言に対して、苦笑いをした。


「こんなの好きだなんて、可愛げのない女の子ですねぇ」


弥隼はそんな彼女の遠慮がちで自嘲気味な目を見かねて、ぬいぐるみを抱き上げ、彼女に差し出した。


「弥隼くん?」


「……あの。よかったら俺が買おう、か?」


「へ……ぇえ?」


「リサなら、似合うと思うから」


弥隼はぬいぐるみを両手で差し出した。すると彼女は伏し目になってから少しだけ戸惑う素振りをみせ、手を伸ばす。


そして、リサはサソリのぬいぐるみを受け取り、大事そうにそれを抱きしめた。そして、この上なく幸せそうに目を細めて、「んーっ」と体をよじらせる。


「……このこ、とってもかわいいです」


「うん、リサに似合ってる。プレゼントするよ」


「……え。いえいえ、気持ちだけで大丈夫です」


リサはそう言って淡泊な目に戻り、ぬいぐるみを元の棚にもどした。


「へ?いーのか?」


「だって、見るたびに今日のこと思い出しちゃうから……」


リサは急に声を低くして、呟いた。俯いた彼女の瞳は薄暗く、輪郭を失ったようだった。


弥隼は張った見栄が軽く受け流されたことに軽くショックを覚えながら、聞き返す。


「今日のこと、思い出すのがいやって……? どういうこと?」


「……はっ!いや、ちがうんです!今のは言葉のあやで、その……変なこと言っちゃいました。わすれてください。……あの、なんというかプレゼントって、もらったらお返しとか考えなきゃじゃないですか。そしてお返ししたらまたそのお返しを考えて……って。そういう関係ってちょっと、煩わしいと思うんです。だから、物を譲渡したりとかはナシにしましょう」


「そ、そうか」


慌てて弁明する彼女の様子は、なんだか不自然に感じられた。まるで本音を隠すためにもっともらしい理由をつけて隠したような──そんな、ぎこちなくて、焦りを感じさせる弁明だった。


弥隼はその様子を見て、明確に違和感を覚えた。彼女はさっき、確かに言ったのだ。見るたびに今日のこと思い出しちゃうから……。だからぬいぐるみはいらない、と。


その時一瞬だけ、最悪の可能性がよぎった。自分は彼女にもてあそばれているのではないか、という、出会った時、最初に危惧していた疑念。


俺たちの関係は彼女にとっては弄ぶために作ったかりそめのもので、ほんとうは俺といるこの一瞬一瞬が苦痛でしょうがないんじゃないか。思い出したくないほどに気持ち悪いんじゃないか。彼女の発言をそんな、歪んだ方向に解釈してしまう。


もちろんこれは妄想でしかない。根拠の無い疑念でしかない。でも、1パーセントでもその可能性があることが、たまらなく怖かった。


ただ、その妄想は確かなショックを与えた。時計が凍りついて、まばたきもできずにただなにもないところだけを見ていた。


「────まって、弥隼くんっ!」


前方から、柔らかい重力を感じる。その衝撃にハッとしたとき、すでに背中にはしなやかな腕がまきついていて、胸元には彼女の瞳があった。


「リ、リサ」


「変なこといって、ごめん!だから、嫌いにならないでくださいっ」


彼女の目は、潤んでいた。もう少しで涙が溢れ出して、綺麗な瞳ごと零れ落ちてしまいそうなくらいに、光沢を帯びていた。


その光景を見た途端、自分の愚かさを強く呪った。俺はこんな純粋な子を一瞬でも疑ってしまったのか、と。こんな子が自分なんかに期待してくれている。彼女の体温を感じているだけで、さっきまで抱いていた疑念がたまらなくくだらないものに見えてくる。


「大丈夫、嫌いになんてならないよ」


弥隼が目の輝きを取り戻して柔らかい声色で言うと、リサはけろっと笑みを浮かべながら、垂れかかっていた鼻水をすすって、見上げた。


「……えへ、よかったです」


ぐぅーー……


「……あ」


緊張が解けてしまったからか。泣きついていた彼女の耳元で、弥隼の腹の虫が鳴ってしまう。緊張を割ったその間抜けな音があまりにもおかしくて、ふたりはあははと笑ってしまった。


「おなか、すいちゃったね?」


「……うん」


リサは振動する弥隼のおなかに、耳をぐにぐにとおしつけた。


弥隼の腹に産まれてしまった疑念を消去する、消しゴムのように。




次回更新予定:10/18(金)

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