第18話 人間不信になってから

理人と決別して以降は、思い出が存在しない。


小学校を卒業するまでの一年半は、塩気にまみれていた。誰かを頼れもできず、ふざけあったりだとか、笑いあったりもできず、教室から排斥されていった。かといって気持ちが極端に沈むわけでもなく、家に帰って弟と話をしていたら嫌なことも忘れられるようになった。


むなしさを紛らわすため、友達をほかに作ることも考えた。華輝は中心的存在としてクラスをまとめあげていたけれど、一枚岩ではない。だから弥隼のことを気にかけてくれる生徒も何人かいた。だけど、そいつらが自分と友達になったらまた理人と同様にひどい目に遭わされるのではないか。そう思った。だから彼らの誘いを断って学校ではひとりで生きるしかなかった。


華輝の率いる悪童たちからはたびたび嫌がらせを受けていたが、やり返せばいい。理人との決別の時の苦しみに比べれば、なんてことないのだから。


心配なのは孤独に落ちて生気を失った理人の顔だった。ふたりは時折教室のはじっこにいるお互いを見つめ合うことはあっても、会話をすることは許されなかった。まるでクラスという天の川に分断された織姫と彦星のようだった。


学校に行く意味なんてなかったけれど、不登校は親に許されなかったから毎日律儀に通った。けれど、修学旅行は欠席した。母親に行きたくないと伝えた際、経費が浮くからと快諾してくれた。


そんな感じで、何の味もせずに小学校生活は終わった。


中学に進学してからは、華輝とも理人とも別々になった。ただそれでも、自分についた”不良”という肩書きがなくなることはなかった。度重なる嫌がらせを乗り越えて、やられたらすぐに手を出すのがくせになってしまったし、それにあの一件以降は人間が信用できなくなって、しばらく友達を作る気になれず、はぐれ者として扱われた。


***


そんな中学生になってから、ある日のこと。


(今どき果たし状なんて、時代遅れだなぁ……)


靴箱に挿入されていた紙切れを見て、弥隼はため息をついた。中学生活ではすっかり「不良」として名が通ってしまったので、面白半分でちょっかいをかけてくる輩が絶えなくなったのだ。特に自分の度胸を試すために喧嘩を申し込んでくるようなバカが後を絶たない。そういう輩とは基本的に鍛え方が違うから、負けることはないのだが。


弥隼は公園のベンチに座りながらその手紙を読む。そこには「かしのき森に来い」と書いてあった。確かに、あのあたりは薄暗いからそういう騒ぎを起こすにはもってこいの場所だ。


めんどくさいなぁ、と心の中で呟く。ただ、弥隼は売られた喧嘩は買うのがマイルールなので、仕方ないから行ってやろうかと、立ち上がろうとしたその瞬間。


突然、肩に柔らかいものが乗った。


「……なっ、なんだっ!?」


反射的に身構えてから、気付く。自分の肩に乗っているのは、少女の顔だ。少女は弥隼の肩に乗ったまま彼の慌てふためく仕草を見て薄く微笑むと、手元にある手紙を興味津々そうに覗きこみ、言った。


「こういう果たし状? みたいなの、本当にあるんですねー」


制服を見て、別の中学の子だとすぐにわかった。どこか不思議な印象を抱かせるその少女は鎖骨くらいまでの長さの黒髪をふたつ結びにしていて、口もとは白いマスクで隠れていた。


「ねぇきみ、強いんですね。……ふふ、わたしが弱くさせてあげよっか?」


マスクの女は妖しく目を細め、言った。そんな彼女の言葉に弥隼は一瞬眉をひそめたが、次の瞬間には首を振ってマスクの女を振り払い、不良からの手紙をポケットにつっこんで立ち上がる。


「じゃまだ」


そのまま早歩きで道を進みながら、ちらりと後ろを振り返ると──


(……ついてきてるし)


「もー、いきなり逃げないでください〜」


彼女は小走りで息を切らしながら弥隼を追いかけている。そうやって追いつくとイタズラっぽい顔で弥隼の顔を覗き込み、肩をぽんぽんと叩いてきた。


弥隼は、確信していた。


彼女は自分をもてあそんでいるのだ、と。


そもそも、友達のいない陰キャの自分に女の子が興味を持ってくれるわけはない。なにかの罰ゲームとかで仕方なく好意をチラつかせているだけなのだろう。弥隼は今までの人生でまともに異性の相手をした経験がないので、このように執着されると非常に困る。だから必死に無視を貫くことにした。


「もしかしてほんとに決闘いくんです? そんな手紙無視しちゃえばいいのに」


「……」


「ちょっと、なんで私のほうを無視するの?悲しいですよー?」


マスク女の激しい口撃に観念し、ついに弥隼は口を開くことにした。


「はぁ……どうせお前、いたずらで俺と絡んでるんだろ。ぐるになって、俺の反応を楽しんで、後でみんなの笑い者にするんだ」


「ぐる?」彼女は目を丸くした。


「ぐるって、わたしが集団で君を騙してるって意味?まっさか!ないない!ありえないです」


「じゃあ、何の用だ?俺たち初対面だろ」


「うーん、何の用でもないかなー。強いて言えば、そうだな、一目惚れってとこです」


「……ふぇっ!?」


想定していない言葉が飛び出したことに驚いて、変な声が出てしまった。ヒ、ヒトメボレ?なに?聞き間違いじゃないよな。ないない。俺にかぎってそんなわけない。


「なるほど、わかった。やっぱ俺を弄んでるんだな、そうやって好意を見せてあとで騙して反応を楽しむつもりだ。お前の手口は理解した」


「なんですか、それ。君ってほんとに疑心暗鬼なんですね。もうちょっとおとぎ話を信じたほうがいーのに」


本当に信じられたら、どんなに楽なのだろうか?自問自答する。でも、人というのは表情という仮面をかぶっていながら、腹の中では何を考えているかわからないものだ。


自分の周りにいるのは、傷つけてくる人間だけなのだ。その事実を思い出して虫唾が走った。


「……もしお前がウソつきなら、女だからって容赦しないぞ」


そう言って弥隼は少女の胸倉を掴み、もう片方の手を握りしめる。汗の滲む手首には青い血管が浮き出し、どくどくと脈を打っていた。


人間は、信じられない。


信じるだけ、無駄なのだから。


そのまま、力強く彼女を手繰り寄せた。


しかし、落ち着いて弥隼を見る彼女の目に宿っていたのは恐怖心ではなく、帯びているのは温かみだった。やがて彼女の目元はどんどん柔和になってゆき、マスク越しでも微笑んでいるのが伝わってきた。


マスクに隠されたその裏で、彼女はいったいどのような感情を抱いているのだろうか?もし、彼女が”うそつき”じゃなかったら、自分は今、彼女のことを信じられないほどに傷つけているのではないだろうか?


そう思った途端、いままで外に出せずに抱え込んでいた切なさが一気に去来した。同時に筋肉の緊張がほどけてゆき、気付けば腕の力は完全に抜けていた。


「……ごめん」


そんな弥隼の申し訳なさそうな顔を見上げながら、少女は苦笑いを浮かべた。


「ほんと、殺されるかと思いましたよ。人間不信さん」







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