第17話 その日から世界は、乾いていった

教室を出て行ってしまった理人を必死に捜索する。あと五分もたてば帰りの会が始まってしまうけれど、今はそれよりも彼を探しにいくのが優先だった。


理人との付き合いは二年ほどになるが、彼の素性はいまだに掴めていない。恥ずかしがり屋で、そしてミステリアスな少年だった。理人と仲良くなったきっかけは彼からの突然の暴力だったし、彼に趣味の話を聞いてもいつもひた隠しにされてしまう。それでも彼は弥隼にとって気の置けない親友で、大切な存在だった。


寄り添ってあげられるのは、きっと自分しかいないのだ。


彼を見つけたのは、二人でいつも遊んでいる森の入り口だった。辺りに人気のないそこで、理人は切り株に腰掛けていた。目の周りは紅潮していて涙の通った跡がいくつもあり、Tシャツはびしょびしょになっている。


「……理人」


理人は弥隼の存在に気付くと必死に涙の跡を隠そうとして両手で顔を覆った。


「泣いたのが恥ずかしいのか?」弥隼は微笑みながら言った。


ひっ、としゃっくりを何度かうちながら理人はうなずく。


弥隼はそんな理人の隣に座って赤子に触れるかのように、そっと、刺激しないように背中をさする。すると理人は服の袖で鼻を拭いながら、上擦った声で言う。


「ねぇ、みはやっ……ぜったい……あいつと、なかよくなんてしないで……」


理人がこんなにも感情を動かしているのを見るのは、初めてのことだった。そうやって崩れている彼の姿はとても印象的で、三年以上経った今でも網膜に焼き付いている。


「え?華輝と、か?そ、そんなこと言われたって……あいつもクラスメイトなんだし……簡単に見放すわけには……」


「それ、ホンキで言ってる? あいつが謝ってるの見たでしょ? ヘラヘラ笑ってて、悪いなんて1ミリも思わずに謝ってたんだよ?しかもクラスのみんな、まるでオレが悪いみたいに睨んでた。あんなのおかしいじゃん。あいつ、やばいんだよ。ああやってオレにヘイト集めて、クラスのみんなを騙してるんだよ」


「だますって……そんなばかな……」


「ううん。あいつほんとにみんなを騙してるんだ。異常だと思わなかった?今まであいつのことを嫌ってたみんなが急に仲良くしはじめたんだよ。手術してから何があったのかしらないけどあいつはたぶん、ああいうふうに言葉とか表情でみんなを味方につけるカリスマ性を手に入れたんだ。さっきだってわざとオレを怒らせて、悪者にしたてあげて、クラスのみんなを団結させる空気を作ってたんだよ」


まるで妄想症の患者のように、彼は言った。理人の言葉は半信半疑になりながら聞くしかなかったけれど、それでも彼がこんなに感情的になるというのはただごとではないと感じていた。



そして理人の提言通り、徐々に華輝の恐ろしさが露わになっていった。華輝は性転換手術というショッキングな事件でみんなの同情を煽り、さらにその対極にある意外な明るさをふりまくことでクラスメイトの心理的防壁をいとも簡単にすりぬけたのだ。


多くのクラスメイトは意気投合したように華輝との深い関係に嵌った。その形は様々で、彼にべったりくっついて談笑しあう者、彼に心酔して憧れを抱く者、彼に対する一方的な恋心を匂わせる者。先生ですら華輝を贔屓目で見てしまうほどだった。それほどまでに人を惹きつける彼の力は恐ろしいほどのものだった。


いったい彼に、何が起こってしまったのだろうか?


根性ぐらいしか能のない弥隼は今でもよくわかってない。ただ、気付けば、弥隼たちのクラスでの地位は驚くほどに悪くなっていった。そして華輝率いる悪童たちに目をつけられ、理人は数か月間陰湿な嫌がらせを受けるようになり、気付けばいつも暗そうな顔をするようになってしまった。


ある日の帰り道、弥隼は気が立っていた。体の弱い理人を狙って嫌がらせをする連中が許せなかったのだ。そんな人間から理人を守るのが自分の使命だと感じ、毎日彼の隣で胃をきりきりさせながら周囲を警戒していた。


「理人、あんなやつら気にしなくていーんだぞ……頭の形が変わるまでぶんなぐってやるから」


それを聞いた彼はゆっくりと伏目になると、乾いたコンクリートの塀にもたれかかり、かさかさの唇を震わせた。


「……だめ。もう俺が嫌がらせされてもやり返さないでほしい」


理人はそう言って、弥隼の体に貼ってある絆創膏や湿布をなでるように整えた。


「なんでだ?」


弥隼が目を丸くして言うと、理人は肩をぶつけ、少しだけ語気を強めて「ばかっ」と言った。


「俺のせいで弥隼が傷ついたり先生に怒られたりして、見てらんないよ」


「……理人のせいじゃなくて華輝たちのせいだ。それに、やり返さなきゃ俺の気が収まんねぇ」


「もー……ともかく、喧嘩してどっちが勝つとか、オレにとっちゃどうでもいいの!あんなやつら無視してりゃなんにも問題ないんだし……」


「でも、やり返さなきゃああいうやつらはすぐ調子に乗るぞ? てか、このくらいの傷どうってことないんだ」


「もー、ほんとわからずや……」


その瞬間理人がいきなり距離を縮め、首元から弥隼を見上げるような体勢をとる。そしてどこか塩っけの混じった薄笑いを浮かべながら、「最近、全然構ってくれないじゃん」と言った。


その瞬間、自分の愚かさを知った。弥隼は理人の代わりに復讐することばかりを考えて、彼に寄り添ってやることを忘れていたのだ。理人のためを思ってしていた態度が、逆に理人を苦しめてしまった。彼の顔を見ると切なさと苦しさでいっぱいになって、そして弥隼は彼のさらさらとした髪を撫でようと思い、彼の頭の頂点めがけて手を伸ばし、


理人の姿が消えた。


まるで、風に攫われてしまったかのように。


突然の出来事だった。いや、ほんとうに彼がいなくなったわけではない。理人は背後からクラスの悪童にランドセルの取っ手を握られ、凄まじい速度で引っ張られていたのだ。気付いたころには理人は後方10メートルまで引かれ、3人のクラスメイトに拘束されていた。


「なっ……なにすんだっ!」


彼らは理人のランドセルの蓋を開けると、中身をごそごそとかき回し、筆箱や教科書を抜き取って地面に落としていく。


「なんだこれ、マンガ持ってきてんじゃん!」


「ほんとだ、しかも恋愛のマンガかよ」


「先生にチクろっと」


理人は顔を赤くして両手をばたつかせて抵抗するが全くふりほどけず、そのまま人気のない路地までランドセルごと引っ張られてしまう。


「待てっ!」


追いかける弥隼の前に、一人の生徒が立ちはだかる。弥隼が両手を構えるとそのまま取っ組み合いになる。弥隼は相手の足元をなんども蹴り、振りほどいて理人を追いかけようとする。しかし、相手が痛みに耐えかねて体勢を崩しかけた瞬間、背後から気配を殺して近寄っていたスポーツ刈りの少年が、弥隼の後頭部を長い木の棒で思い切り打ちつける。

バシン!


脳の中が搔きまわされるような衝撃に耐えながら二秒ほどふらつくが、すぐに正気を取り戻した弥隼は棒を奪い取ってスポーツ刈りを蹴り上げ、そのまま理人が連れ去られたほうを追いかける。道路には理人のランドセルからこぼれた教科書や筆記用具が散乱しているが、それらを気に留めている場合ではない。


薄暗い路地を駆けながら、必死に理人を追いかける。周囲に人の気配はなく、聞こえるのは自分の荒い息遣いと、遠くで教科書が風にそよぐ音だけだ。床に散らばったコンクリートの破片を踏みしめ、路地の向こう側へと辿り着く。


「理人!」


その姿を見つけたのは、木々に囲まれた薄暗い公園。理人は三人の悪童に取り囲まれ、拘束されていた。頬には泥が付着し、腫れた目からは涙がぼろぼろと零れている。彼の持っていた漫画はびりびりに破られ、白黒のページが一枚一枚、むなしく風に吹かれ、散っていた。


「やめろーっ!」


弥隼は全力で叫びながら、飛び込む。理人を囲んでいた彼らは振り返り、弥隼を見つめる。あともう少し。あと1センチで理人に届く。二人だけの世界に行きたかった。こんなクラスにいるのは、もう終わりにしたかった。その一心で手を伸ばし、理人の手を掴もうとする。


しかし、その指先が理人に触れようとした瞬間、弥隼の腰に強い衝撃が走る。まるで金属バットで打たれたかのような痛みだった。


「あ……ぅっ……華輝……」


背後に立っていたのは、華輝だった。おそらく、彼がこの事件の首謀者なのだろう。彼は凍り付いた笑顔を浮かべていた。


「なぁ、弥隼。どうしてこんなことになってると思う?」


弥隼は腰に走る強烈な痛みをこらえながら地面に倒れこみ、華輝を見上げる。その時、彼の蹴りがもう一発弥隼の背中めがけて炸裂した。華輝はそんな弥隼の首元を容赦なく踏みつけ、押さえこむ。


「知るかっ……理人を巻き込むな……」


弥隼が呻くように言葉を吐き切ると、華輝はまるで道化のようにサッパリと笑い、言った。


「うん。いいよ」


「……はぁ?じゃあ……今すぐ理人を離せ……」


弥隼は力を込め、言い返した。


しかし、華輝は「そのかわり、条件がある」と言って弥隼の首根っこをぐっと掴みあげる。


「お前ら、友達やめろ。そしたら理人はもういじめないよ」


その言葉を聞いた瞬間、弥隼は息を詰まらせた。理人と友達をやめる、だって?なぜ?


「そんなこと、できるわけないだろ!そもそもなんでそんなことしなきゃ────」


そんな叫びを遮るように、華輝は「お前がっ!」と強く怒鳴った。


「お前が幸せそうにのうのうと生きてるのが許せないんだよ、弥隼」


「……は?どういうことだよ」


「……俺はな、個人的にお前が大嫌いなんだよ。とにかく、お前には不幸になってほしい。だからこそお前の心の支えである理人を、お前の中から消そうと思った」


狂っている。なぜこんなにも彼の恨みを買っているのかが理解できない。そのうえ、俺を苦しめるために友達を消す、だって?衝撃のあまり、言葉を失っていた。



「……やだ」


今まで黙って怯えていた理人が、突然言った。


「オレたちの仲をお前が決められるわけないだろ……いいかげんにしろっ!」


彼の瞳には強い意志が宿っているように感じられた。しかし、華輝はそんな理人を冷たくあしらう。


「そうか、友達続けたいんだな。微笑ましい友情だ。じゃあ、明日もまた同じことが繰り返されるだろうな。いや、もっとひどくなるかも」


理人は悔しそうに俯き、「ふざけんなよ」と、消え入るような声で吐き捨てた。


「どうだ、弥隼?お前はこれでもまだ理人のこと、友達だと思うか?」


「そ、それは……」


「まって、弥隼……」


自分の発言次第で、理人の運命が変わってしまう。そのハンドルを握らされた弥隼は激しく揺れ動いていた。自分ひとりが排斥されるくらいなら、なんとでも耐えられる。ただ仕返しのできない理人はきっと、すぐに耐えられなくなる。だとすれば理人の友人でいることが、理人を傷つけることになってしまう。


選択肢はひとつしかなかった。


「理人……」


揺らめくように、言葉を絞り出す。


「……俺たちは、もう友達じゃない」


できるだけ冷徹に、そう告げた。そんな弥隼を、理人は憐れむような目で見つめていた。そして拘束を解かれた理人はからっぽのランドセルを地面に叩きつけ、四つん這いになって、泣いた。













(あとがき)

ここまで見ていただき、ありがとうございます。読者さんがいるおかげで連載を続けられています。


お知らせがひとつ。今までは一週間に五話ほど投稿していましたが、作品のストックも切れてきたので基本隔日更新になります。それに伴って今回から次の更新日をここに書こうと思います。19時過ぎまでには投稿できるよう努力します……


(余談)

この作品でシリアスとほのぼののバランスを取り持つ存在が吉田なんだけど、展開の都合上彼が出せなくてシリアスが続いちゃってるね……(汗) 今回みたいなシーンはなかなか書きなれてないので、どうしても筆が遅くなるのだ……

次回更新予定日:10/10(木)


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