第16話 弥隼の過去④
華淑が不登校になってから半年以上経った。気付けば弥隼たちは高学年になっていて、クラスメイトはみんな心と体の成長を実感しているころだった。そんな中、華淑の不在はあまりにもころっと忘れ去られてしまった。
存在と不在には果てしくなく大きな隔たりがある。彼女の抜けた穴を気にする様子もないクラスの空気感を見て弥隼はそんなことを思っていた。
彼女が来なくなってしまったのは自分のせいではないのか。そんなうっすらした負の感情をなんとなく感じて、たまに複雑な目で端の空席を見つめていたのだが、もう彼女のことは忘れてしまったほうが楽なのだろうか。
ただ、そんな薄い悩みはあまりにあっさりと流された。彼女はある日突然クラスに帰ってきて、サッパリした笑顔を浮かべながら席に座っていたのだ。弥隼が教室の扉を開けて彼女の存在を見つけた時、弥隼は口をあんぐりとさせ、同時に心配の念を抱きながら「ひさしぶり……?」と彼女に駆け寄った。
しばらく見ない間に彼女の髪は耳が丸出しになるほどに短くなっていたけれど、華淑の顔は印象的だから一目みて華淑だとわかった。三日月のような鋭い目と、その下でうっすらと存在感を主張する泣きぼくろ。そして、カリっと焼けた肌。それは明らかに彼女のものだった。ただ、彼女は前会った時とは全く変わっていた。
「か、
弥隼は驚いた。華淑の体が、前に会った時よりも随分と大きくなっているのだ。それは成長期、という言葉で片付けるには過剰なほどだった。幹のように太い焦げた腕からは血管がめきめきと浮き出ていて、肩幅も見違えるほどに広い。
「……ずいぶん鍛えたんだな?」
弥隼がそう言うと、彼女は立ち上がる。
(な、身長たかっ……!?)
半年前まで弥隼よりも背が低かったはずの彼女はポケットに手を突っ込んで弥隼を見下し、笑った。
「……ちげーよ、ばか」
その言葉の持つ強い違和感が、その場一体に充満した。発言の内容ではない。問題は声にあった。その声色には前までの彼女が発していたような甲高さはなく、あったのは力強さを感じさせるような芯の野太さだった。
「おまっ……どうしたんだ、その声……」
当時は小学生だったから、まだあんな可能性があるなんて思ってもいなかった。だから、この時華淑が放つ発言のことを何も予測できなかった。だからこそ、この時の弥隼が感じた衝撃は体が動かなくなってしまうほどのものだった。
「あー。オレな、男になったから」
そう言って華淑は、微笑んだ。
性転換手術。その存在はなんとなく聞いたことがあるくらいだったのだが、まさかクラスメイトがそれを実施するとは思わなかった。自分の性別になんの疑いもなく生きてきた弥隼にとってはそれをやる人の気が知れなかったのだ。
ともかく、彼女、いや彼は男になった。
彼は既に「
半年の不登校を経て、アタシという一人称までもを失った”彼”の変わり果てた姿。弥隼はそれを心配そうに眺める。ただ、華淑改め華輝は性格を今までと一新させていた。過去に人当たりが強くて怖がられていた華淑だったが、華輝になってからは今までよりも笑顔をふりまくようになり、その場の空気を盛り上げる存在へと変わっていた。
変わっていたのはもちろん運動能力もだ。「もし男だったらお前なんかに負けてないのに」それが弥隼に対する彼女の口癖だった。弥隼はその言葉を内心で馬鹿にしていた。ただ、それが事実だというのをすぐに知ることになってしまう。華輝が戻ってきてからすぐ、運動会があった。そして、全校生徒に注目される中、弥隼は徒競走で敗北を喫したのだ。
華輝に負けた時、弥隼は体験したことの無いくやしさを知った。今まで純粋な体力では横に並ぶものがいなかったからこそ、その個性で負けてしまったのが悔しかったのだ。敗北した後、二位のフラッグのもとでむなしく空を見上げる弥隼を見て、理人は複雑な顔をしていた。
「華輝、お前めっちゃ速いじゃん!」
「華輝くん、今日の服似合ってるよ」
衝撃的なエピソードと共に登場した彼は、クラスの空気を一瞬で掴んだ。強烈な話題と意外な愛想を振りまき、彼は今まで馴染めなかった女子たちとも打ち解けるようになり、気付けばクラスの中心人物になっていた。
そんなクラスの状態を微妙な目で見つめていたのは理人だった。理人はかつての華淑の傍若無人なふるまいを悪く評価し、まだ彼のことを強く嫌っていた。そしてその態度を表に出して、彼を睨みつけたり、無視したりしていた。
もちろん、華輝ふくめクラスメイトは理人の不機嫌な態度を察知していた。そしてある日の休み時間、華輝は理人の正面に立ち、二回咳払いをすると、言った。
「あー、理人? こないだはお前のこと邪魔だって言ってゴメンな。あの時はバカだったんだ。許してくれよ」
華輝は半笑いで手を合わせる。クラス中の注目を浴びながら、理人の体は震えていた。
「……なんでだよ。そんなんじゃ許さないよ」
華輝は薄笑いを浮かべながら、黙って理人を見つめる。
「てか、性別変えたくらいでいままでやったことチャラになるわけないだろっ!」
理人は思い切り怒鳴る。その瞬間、クラスの温度が10度冷えた気がした。
「そもそも、謝ってほしくなんてなかったし!」
理人は顔を拭いながら、教室を駆けだしていった。そんな彼の背中を追って、弥隼は彼を追いかけていく。
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