第15話 弥隼の過去③
季節は巡り、弥隼たちは4年生へと進級していた。そしてそんなある日の体育の授業が、弥隼たちの転換点だった。
「俺、サッカーやだなぁ」
理人は弥隼の横でそう呟いた。理人は体育の授業の中でも特に球技が苦手だ。自己の中で挑戦が完結する縄跳びや鉄棒ならまだしも、失敗がチーム全体の損失に繋がるボール遊びは試合中常に彼の不安を煽るのだ。
仮に親友である弥隼がチームメイトだったとしても、そこに苦痛は存在する。理人と弥隼とでは身体能力に決定的な差があるため、理人はただの足手纏いにしかならない。俺のせいで弥隼の好きな体育の時間をつまらなくしてるんじゃないか、と考えるだけで彼は萎縮してしまうのだ。
「てか、今日弥隼と敵じゃん」
「ま、肩の力抜いてろって」
別々の色のゼッケンを着ながら、二人は校庭の真ん中で見つめ合う。人望の厚い弥隼はどんなチームでもやっていけるのだろうが、孤立しがちな理人は不安を抱えながらフィールドの端でディフェンダーをやるのが関の山だった。
「おい、柚月弥隼っ」
「なんだ、また華淑か」
「またとはなんだ。今日は負けんからな」
会話をしていた二人の間を割って、華淑がやってきた。彼女は腰に手を当てながら甲高い声で挑発し、弥隼を睨みつける。彼女がこのように体育の授業で弥隼をライバル視するのはいつものことだ。
「あと、お前。あたしのチームの足ひっぱるなよ」
華淑はそう言って、理人に鋭い声を送りながら去っていく。そんな彼女の背中を見ながら理人の不安はより高く積もっていった。
「ねぇ弥隼。勝つってそんなに嬉しいことなのかな?」
「うーん、華淑のことはよくわからないけど、俺も負けるのは嫌いかなぁ」
「でも、あんま人のこと気にしすぎるなよ」と言った弥隼の背中を見て、理人は自陣へ向かっていく。クラスメイトを二分割した男女混合チーム。そこに理人が友達と呼べる人物は1人もいなかった。
試合中、前線から身を引きゴール付近で守りに徹する理人。他のクラスメイトたちが喰らいつくようにボールを追うのをただ傍観しながら、理人は体を震わせる。
「理人、前守れ!」
誰かの声が聞こえた。前を見ると敵選手が激しくドリブルしながら突っ込んで来ている。ただ、理人の脳内は失敗することへの不安に支配されきっていた。手足を動かそうとしても関節は棒のようにしか動かず、前から迫っていた敵選手はそのまま素通りするように理人の横を走っていき、そのままシュートを放った。ゴールネットが勢いよく引っ張られると相手チームは歓声をあげ、それと対極に華淑は「なんで止められないんだよ」と理人を刺す。理人の近くには、ため息が充満していた。
その後もボールは目まぐるしく移動する。味方が敵陣を攻めているときは責任も少なくて気が楽だ。問題はボールが自陣にやってきた時。そうなると、理人は自動的に混戦の渦中に閉じ込められてしまう。四方八方から指示の声や激しい足音が聞こえ、限界まで不安が大きくなった理人はついに固まってしまった。
「邪魔だ、どいてろ!」
その瞬間、背後から華淑の鋭い声が響いた。彼女はドリブルしたまま味方の理人を突き飛ばし、そのまま敵陣へと向かっていった。そして理人は地面に倒れこみ、恐怖で体が動かなくなる。
「おい、立てるか?」
事態に気付いた弥隼は、理人に駆け寄り、手を差し伸べた。
「弥隼、試合中だよ。サッカーやっていいよ」
「ばかだなあ、これは遊びなんだ。理人が楽しくなきゃこんなゲーム俺にも意味ないぞ」
弥隼は理人の肩を組み、そのまま立ち上がらせた。そして理人のゼッケンについた砂をはたき、「怪我ないか?」と言った。その瞬間、向こう側のゴールにサッカーボールが放り込まれるのが見えた。敵チームのエースである弥隼がいない間に華淑が得点を決めたのだ。
ただ、得点を決めたにも関わらずチームメイトはどこかしっとりとした空気を纏っていた。彼らは華淑が理人を突き飛ばす瞬間を目撃し、「さすがにかわいそうだ」という目で理人を見ていた。ただ、気の強い華淑にそれを言い出せなかったのだ。
「おい華淑、やりすぎだ。理人に謝れ」
そんな空気の中、弥隼は理人の肩を組んだまま自陣に戻り、冷静に言い放った。
「あ?そいつが邪魔だったんだから仕方ないだろ。お前、足手まといになるなら見学してたほうがマシだぞ」
華淑はけだるそうにそう言った。しかし、その言葉は弥隼の逆鱗に触れた。弥隼は理人の繊細な性格を知っていた。だからこそ彼を攻撃する華淑が許せなかったのだ。そして気付いた時には弥隼は華淑を全力で殴り倒していた。
「理人は俺の親友だ。傷つけるやつは許さない」
華淑はその場に倒れこみながら弥隼を睨む。そんな彼女を見下ろしながら、弥隼は去っていった。
その事件を皮切りに、クラスの空気が変わった。クラスメイトたちの目には、理人を守る弥隼の姿がまるでヒーローのように映っていたのだ。
「俺、そもそも華淑のこと苦手だったんだよな」
「あいつのこと倒してくれてなんかスッキリしたよ」
いままで華淑と仲良くしていたクラスメイトまでもが、口をそろえてそんなふうに言っているのだ。そしてそれは同時に、華淑の孤立を意味することとなった。気付けば華淑の周りには友達がいなくなっていたのだ。
そして数日後には、華淑は学校に来なくなっていた。
不登校になるというのは当事者にとっては事件であっても、傍観者にとってはたいしたことではない。クラスメイトたちは華淑の不在をとても淡泊にとらえ、彼女が不登校になった原因を知りたがることもなかった。そんな人間の薄情さをリアルタイムで目にして、弥隼は『友達』という関係の脆さを知った。
「華淑が来なくなったの、俺のせいかな」
弥隼は公園のベンチに座りながら言った。例の事件以降、弥隼は冷静に自分のやったことを見つめ直し、どこかで罪悪感を抱いていたのだ。
「ううん。ぜんぶ、あいつが悪いんだ。悪いことをしたら自分に帰ってくるんだよ」
「そーゆーもんかね。お見舞いに行こうか悩んでたんだが」
「なんで? あいつに同情するとこなんてないんだよ。そんなの行っちゃやだよ」
「……理人は華淑のことが嫌いなんだな」
「うん。もし弥隼が華淑と仲良くしたら弥隼は不幸になるよ」
弥隼はその言葉を黙って聞いていた。
「俺、弥隼には幸せになってほしい。だから弥隼のためにできること、なんでもするから」
理人の目の色はいつもよりも紅く色づいて見えた。そんな彼の勢いに押されて、弥隼は華淑の存在を忘れていくことになる。
この時もう少し華淑のことを気にかけていれば自分たちの運命も変わったのかな、と今になって思う。そんなたらればの話をしても今更無意味だというのは理解しているのだが。ただ、この時なにもしなかったからこそ弥隼も理人も不幸の底に落ちることになってしまった。この時の理人の発言を照らし合わせて、皮肉なことだなぁと今になって思う。
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