第13話 弥隼の過去①
「それで、私と友達になりたいんだって?」
意識外の方向から現れた彼女を前に、弥隼の脈は激しく乱れる。
友達になりたい。その意思を彼女にはっきりと伝えることはできる限りしたくなかった。自分から彼女に近づいていることを悟られれば警戒を強められるはずだ、と考えていたからだ。あるいはうっすらと抱いている彼女への好意が暴かれることを単に怖がっていただけなのかもしれないが。
「……そうだよ。最初からそのつもりで君に話しかけていた」
動揺を無理やり抑え込むように、心を燃やして言う。水上はそれを聞いてちいさく「……そう」と返事した。
「ちなみにだけど、君のことは女の子として見ればいいの?それとも、まだ男の子なの?そのへんよくわかんないんだ」
「俺はもう、今後一生この性別に寄り添ってくって受け入れたから……だから一人の女として見てほしい。この体になった以上、女として世界とのつながりを持てるようになりたいって思った。だから君と友達になりたいと思ったんだ」
弥隼はおずおずと話し続ける。
「なるほどね……でもね、私は柚月
水上はきっぱり言った。弥隼の知っている彼女は本当はもっと内気な性格だ。おそらく、弥隼と誠実に会話をするために自分の心の恐怖を頑張って隠してくれているのだろう。
ならば弥隼もその誠実さに答えたい。そう思って口を開こうとする。「それは実は冤罪で、僕は悪くないんです」という趣旨の言葉を紡ぐために。でもその説明を何人もの人間に重ねてしても、信じられたことはたった一度だけしかなかった。でも言うしかない。今最も示すべきなのは、自分の正直な心なのだから、と。
ただ、弥隼がそう思った瞬間、突然ドアの向こうから駆け抜けてきた吉田が、二人の間を割った。
「水上さん、ちがうよ!」
その登場があまりに突然だったから、二人はただ呆然と立ち尽くしていた。
「柚月は騙されて、無実の罪を押し付けられたんだよ。でもそれを言っても誰も信じてくれないんだ」
だから責めないであげて、と吉田は言う。そんな彼の肩を掴み、弥隼は息を吐いた。
「吉田、大丈夫だ。全部俺ひとりで話をつけるよ。だからそこで座ってて」
「大丈夫? ひとりでちゃんと喋れる?」
「お前は俺の保護者かっ」
弥隼がそう言うと水上はさりげなく口もとに手を当て、「いい友達だね」と微笑んだ。そして再度真面目な顔に戻ると弥隼の正面に立ち、ゆっくりと目を合わせる。
「ねぇ。弥隼君になにがあったのか、詳しく聞かせてくれる?」
***
理人がいなくなった時が、すべてのはじまりだったように思う。
***
理人と出会う前、小学三年生の弥隼は当時から喧嘩が強かった。でもその力を能動的には使わなかった。その腕力はあくまで向こうから傷つけられた時にのみ使う。因果応報、やられたらやり返す手段としての拳だった。
そのスタンスでいる弥隼は、当時のクラスにおいて中心的な人脈を持つようになっていた。弥隼は力を理不尽には使わない。だが喧嘩になった時に横にならぶ人物はいなかった。傍から見ればガキ大将のように映っていたかもしれないが、弥隼は一方的な交友関係を気付くのではなく、友達とは対等に接していくべきだと思い、そうしてきた。だから、彼の周りにはいつしか自然と友人が集まるようになっていた。
そんな弥隼が理人の存在を初めて意識したのは、ある掃除当番の日だった。他の掃除当番が数人せっせと机を運んでいる教室の中。弥隼も一緒になって机を運ぼうとした際、教室のはじっこに立っている理人の存在に気付いた。
(……なんで立ってんだ?)
理人は頬骨の下に影ができるほどに痩せこけた少年だった。彼は何をするわけでもなく柱の前にぼーっと立って、なにやら薄笑いを浮かべていた。そんな彼を怪訝な目で見ながら、弥隼は彼の近くにある机を運ぼうと近づいて、
その瞬間、下腹部に強い衝撃を感じた。もう少しで胃に収まった給食の大根餅が飛び出してしまうかのような衝撃だ。
何が起きたのか分からず状況を確認しようとすると、理人が右側から弥隼の下腹部に思い切りグーパンチを入れていた。
「……なにすんだっ!」
彼が突然暴力を振るってきた動機は一切不明だが、理人がしたことは弥隼の『やり返しの基準』を明らかに超えた行為だった。だから弥隼は反射的に理人の右頬を思い切りビンタして、
そして、理人は保健室行きになった。
「ねぇ弥隼くん。どうしてぶったりなんかしたの?」
いつになく険しい表情で弥隼に迫る保健室の先生。彼女は
「そいつが最初になぐったんだよ。そいつの力よわいからキズにはなってないけど」
弥隼が言うと、わたぐも先生は「まさか」と、まるで信じていないような顔をした。無理もない。そもそも弥隼は似たような事件を何度も起こしてそのたび説教を喰らっていたし、今回殴ってきた理人は、言い方は悪いがもやしっ子で、影も薄い。この状況を見れば誰でも弥隼が悪いと思うことだろう。
「弥隼のゆってることであってるよ。オレからなぐったんだ」
頭に湿布のついた理人は保健室のベッドから上半身を起き上がらせ、言った。彼は弥隼にぶたれた衝撃で教室の床に頭を打ち付けてしまったのだ。
「なんで、ぶったの?」わたぐも先生は言う。
「なんでだっけ?あ、昨日のひなん訓練で不審者たおすこと考えてたから、それでなぐりたくなったんだ」
「理人くん……人をぶったりけったりしたらダメなのよ」
わたぐも先生は呆れた顔で困り果てる。「実際にぶたれて、嫌だって思ったでしょう?人にされて嫌なことは絶対にやっちゃダメ」
「そうだぞ。いやなことされたならなぐってもいいけど、俺は理人に何もしてないだろ。何もしてない人間をなぐっちゃだめなんだ」
「どんなことがあっても暴力はダメですっ」
結局、翌日ふたりして担任に呼び出され、みっちり叱られてしまった。
「ごめん弥隼、オレおまえみたいに強くなりたかったんだ。不審者もたおしたいし」
「おいおい、不審者なんてたおせなくても生きていけるぞ。つよくないことのなにがフマンなんだよ?」
弥隼が言うと、理人は4秒間考えてから返答した。
「だって、オレにトモダチいないのって、よわいからでしょ?」
「はぁ?」
理人は言った。オレは運動ができないから友達ができないんだ、と。弥隼は最初その発言を鼻で笑っていたが、話を聞くうちに段々と彼の見ている世界を理解してきた。
弥隼の小学校では毎日30分設けられた昼休みに外に出て遊びなさい、というふうに指導されている。弥隼はそのことに対していままで何の苦も感じていなかった。しかし運動の苦手な理人にとってそれは耐え難い時間だった。クラスのほとんどの人物は昼休みが始まると同時に校庭に出てサッカーやドッヂボールを楽しみ、理人はそれを蚊帳の外から見つめることしかできない、と言うのだ。
実際理人も何度かは玉遊びに参加してみたことがある。しかし足手まといになるだけだった。サッカーに至っては弱い自分に誰もパスを回してくれないから、まったく楽しくない。いつしか理人は孤独の昼休みを過ごすことになり、それが原因でクラスから忘れ去られていき、孤立していったのだ。
「……なるほどな。ようするにおまえは強くなりたいんじゃなくて、昼休みに遊ぶトモダチがほしいんだ」
「……そうかも? じゃあサッカーの練習したほうがいいかな」
理人はそう言って首をかしげる。弥隼はそんな彼を見ているうちに同情の念が沸いてきた。それはさっき彼の発言を鼻で笑ったことに対する罪悪感由来のものでもあるし、あとは単純に会話を通じて沸いた理人への興味由来でもある。どちらにせよ、彼と通じ合うことで知らない世界を知りたいという好奇心があったのは間違いないと思う。
「……理人。おまえサッカーなんてきらいだろ。しなくていいよ。明日から俺がお前の遊び相手になってやるから」
弥隼はそう言った。今考えれば、ちっぽけな好奇心と同情だった。でも人間関係って案外、そういうちっぽけな感情に振り回される日の連続に過ぎないのだろう。
「え?でもオレじゃ弥隼の運動のじゃまになるでしょ?ほんとに何もできないんだよ」
弥隼は「ばかだなー」と言って、剥がれかけた理人の湿布を整えてやった。
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